二人の母
「…何だって?」
目の前にいる母の言うことがいまいち頭に入ってこない。深刻な顔をした母は次第に涙ぐみ、喉から声を絞り出して謝罪した。
「本当に……ごめん、なさい……」
もはや出ていないと言った方が正しいくらい小さな声だった。しかし、その謝罪ははっきりと自分の耳に届いた。
「貴方は……リュシエンヌ様の……本当の息子、オルレアン家の…嫡男、なの…」
息に紛れるように先程と同じことを言う目の前の母親の言葉に、今度こそ視界が暗くなった。
貴族庶子として生きてきた18年。母に似た黒い髪を持ち、父譲りだと言われる蒼い瞳は疎まれる証となった。誰もが自分を良く思っていないのは幼いながらに分かっていた。大人気ない嫌がらせなど数える事すら面倒だった。
それでも腐らずに生きてこられたのは二人の母のおかげだった。
一人は生まれてからずっと一緒に過ごしてきた実母。父に頼らず実家にも頼らず一人で自分の面倒を見てきてくれた。人並みに迷惑をかけて来たと自覚はしているが、それでも唯一の家族で愛情も信頼もある。
そしてもう一人が、母の仕事中の間ほとんどを一緒に過ごしてくれたオルレアン侯爵夫人リュシエンヌ様だ。
彼女には自分と同じ日に生まれた同じ黒髪を持つ息子がいる。使用人を含めたオルレアン家は、同日に生まれた嫡子と庶子が同じ家に存在する事は良しとしなかった。
そんな中、リュシエンヌ様は「一人に教えるのも二人に教えるのも同じ事」と、庶子である自分にも自身の息子と同じように様々な家庭教師をつけてくださった。「息子が二人いるだけでしょう?」とさも当たり前のように言い放った時のことは一生忘れないだろう。
そんな彼女は自分たちが10歳の時に流行り病で亡くなってしまった。
その頃から再び「嫡子」と「庶子」という空気が侯爵家に漂い始めた。それまで身分違いと言えど友人のようにしていた自分たちも、次第にその空気に飲まれ引き離されていった。
「庶子」は使用人として徹底するようにと母にも命が下り、それまで通わせてもらった学校も退学した。「嫡子」の付き人として雑事を中心に言われたことを黙々とこなした。
またいつか昔のように話せたら。側に居続ける事で、それが叶うと信じていた。
最近になって、領地の国境付近で隣国との小競り合いが起きた。鎮圧に向かった侯爵は深傷を負い今まさに生死の境を彷徨っていた。
それまで水面下で囁かれていた「嫡子」と「庶子」が、跡目争いという形で表面化したのは誰の目にも明らかだった。
「なぜ、今そんな話を…。言わなければ、黙っていなくなれたのに…」
抑えようにも昂る感情が、声を振るわす。責めるつもりはなかったが、母は「ごめんなさい。申し訳ありません」と泣きながら繰り返すだけだった。
聞いてしまったからには、いよいよ跡目争いから逃げられなくなってしまう。
明らかにこちらの存在を消そうとする嫡子派は、手段を選ばない。命を諦めようとは思わないが、そこまで疎まれているのであれば姿を消そうと考えていた矢先の話である。
「見て、いられなかったのです…。庶子である息子がどんな扱いを受けるのか…産後間もない私はそれだけが、気掛かりでした」
リュシエンヌ様がご出産されたと聞いた母は『今しか無い』と無我夢中で動いたという。気づけばリュシエンヌ様の子が、母の腕の中にいた。灯りに照らされた自らの髪が蒼みを帯びるのは、確かにリュシエンヌ様の特徴と一致する。
「その日、私は誓いました。何があっても腕の中の子を守ると。そしてこの秘密は他言しないことを。ですが、リュシエンヌ様は、私の稚拙な考えを知ることなく『二人の息子』を育てたのです。私が如何に身の程知らずで浅ましい考えをしていたのか、思い知らされたのです」
母がなぜリュシエンヌ様の言うことは絶対だと言うのか。その答えが分かってしまった。
リュシエンヌ様は自身の子が取り替えられていた事を知っていたのだろうか。今となっては知る由もない。
『オルレアン家の血を引く者であれば、平等に教育をすべきです』
幼い頃に聞いた彼女の言葉の真意は、どこにあるのだろうか。
リュシエンヌ様は自身の子が取り替えられていた事を知っていたのかな、とか、夫の愛人をどう思っていたのかなぁとか考えています。(他人事)