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異世界恋愛 短編

王子様、推しを聴く。それ私でした。

作者: 長岡更紗

「おめでとうございます、イレーネ様! 王子殿下とのご婚約、国中が祝福しておりますわ!」


 貴族令嬢たちの集まる午後のお茶会。

 私は作り笑いで応えながら、そっとカップを口に運ぶ。


「まぁ。それは光栄ですけれど、なんだかまだ、実感が湧かなくて……」


 紅茶のカップが手の中で小さく震えた。


 だって、結婚ですよ? しかも、お相手はまだお顔も知らない王子様。

 絵画で見たことはあるけれど、それって……肖像画って……理想が上乗せされてるって噂じゃない!


(王子様が実はすごく怖い人だったらどうしよう……! あと食の好みとか……辛い物ばっかり好きだったら……私、一口で泣いちゃう)


 もちろん、政略結婚というものは理解している。私は侯爵令嬢、国の安定のために選ばれたことは名誉なこと。


 でも私の心の中には……

 ほんの少しだけ、人には言えない秘密がある。


 夜な夜なこっそり続けている、魔道具を使った匿名配信──箱庭(チャンネル)名は《月語りの小箱》。

 そこで〝ルナ・リシタ〟と名乗って、物語を読んだり、リスナーの手紙に答えたり。

 それが私の小さな幸せで、誰にも明かせない趣味。


 なかでも。


 〝蒼月さん〟──


 そのお名前を見るだけで、胸の奥があたたかくなる。

 優しい文章、ちょっとくすっと笑える言葉選び。

 言葉だけなのに、不思議と、すぐそばにいてくれてるような気がする人。


「蒼月さん、今日も聞いてくださってありがとうございますっ!」


 って、つい、声に力が入っちゃうの。

 他のリスナー様にも、もちろん大切にお返事しているのに……!


(えっ、もしかして、わたし……蒼月さんのこと……?)


 そんな風にドキッとした翌日には、「違います違いますっ! 蒼月さんに失礼ですからっ!」って机に向かってひとり全力否定してる。

 傍から見たら完全に怪しい人だけど、ちゃんと理性はあるのです。


 ──でも。


 婚礼の支度をしながら、胸がきゅうっとなると、思い浮かべるのは、あの人だった。


 知らないはずの声を、知ってるような気がする。

 会ったことのない人を、恋しく思ってしまう。


(ああ……これってやっぱり、恋なのかしら……?)


 だけど私はもうすぐ、王子様のもとへ嫁ぐ。

 国のため。家のため。イレーネ・ヴェルシュタインとして。立派な令嬢として。


(ねぇ、蒼月さん。もし、私が……王子様より、あなたに会いたいって思ってしまったら)


 それは、いけないことでしょうか。





 ***







 一年前——。


 深夜の執務室。

 俺は、机に積まれた書類を横目に、軽く肩を回した。

 長い一日だった。外交文書、軍の報告、王都の治安問題。

 次期国王として、仕事は山のようにある。

 王家の人間に、安らぎの時間なんて贅沢な望みなのかもしれない。


 けれど。


「……これくらい、許されてもいいだろう?」


 俺は引き出しから、ひとつの魔道具を取り出した。

 四角い形をした、手のひらサイズの小箱、〝魔道受信機(マギフォン)〟だ。


 〝魔導送信機マギキャスト〟を使って配信する者の声を、受信する魔道具。

 元々は軍事目的に作られたものだが、最近は市井の間でも広まり、声を配信するのが流行っている。


 寝る前の十五分だけ配信を聴くのが、王子である俺の、密かな楽しみだ。


(今日は誰の配信を……)


 迷った末に、指先で魔道具のつまみをくるりと回す。

 すると小さな箱の中から、初々しい、けれどまっすぐな声が流れてきた。


『こ、こんばんは、皆さん……! えっと、えっと、はじめまして。今日が初配信の……ルナ・リシタですっ!』


 少し震えている。言葉が詰まりがちで、原稿をめくる音もばっちり入っている。


 でも、その声には。


 不思議な澄んだ響きと、たまらなく真剣な一生懸命さがあった。


(……可愛い声だな)


 思わず口元がほころぶ。

 つい先ほどまで国の命運を思案していたとは思えないような、静かな笑いが喉から漏れた。


『きょ、今日は、えっと……昔話を読もうと思いますっ。わたしの声、ちょっと震えてるかもしれませんけど、あたたかく聞いてくださると嬉しいです……!』


 ふっ、とまた笑ってしまう。

 誰かに笑いかけたくなる声だった。

 そして、読み始めた物語の中で、彼女は少しずつ、声を安定させていった。


 緊張がとけるにつれて、彼女の朗読は、やわらかく、あたたかく、言葉に魔法をかけていく。


(……この子の声、いいな)


 気づけば俺は、目を閉じて、その声に耳を傾け──

 夜風のような静けさのなかで、心が、すうっとほどけていった。




 それから俺は、夜になると〝ルナ〟の声を聞くために受信機を取り出す。

 今宵で三日目だ。


『こんばんは、《月語りの小箱》ルナ・リシタです』


 少し慣れた口調に、安心して目を瞑る。

 彼女の朗読は心が癒される。

 ルナがその朗読が終えると、彼女はぽつりと呟くように言った。


『誰も聞いてないかもって、思ってしまうんですけど……でも、声に出すって、とても好きなんです』


 その時、俺の胸の奥に、小さく波紋が広がった。

 思いつきだった。けれど、止められなかった。

 手を伸ばし、魔道手紙の便箋を一枚引き抜く。


(〝蒼月〟……でいいか)


 宛先は、〝《月語りの小箱》ルナ・リシタ〟。


 配信者が居場所を設定していれば、転送できる魔道具だ。

 相手が配信中にしか送ることができないので、急いでペンを走らせる。


(届くかどうかはわからないが……)


 そう思いながら、俺は初配信から聞いていること、朗読に癒されていることを綴り、転送する。

 次の瞬間、彼女の声は、唐突に止まり──


『ああああ蒼月さんって、誰ですかっ!? めちゃくちゃ嬉しいです……! ほんとに、ほんとに……!』


 彼女は魔道具の向こうで叫んだ。涙ぐんだ声を抑えて、俺の手紙を読み始める。


『〝初めまして、蒼月と申します〟初めまして、蒼月さん! 〝初配信から聞いていました〟初配信からですか!? わぁ、ありがとうございます!』


 その喜ぶ声を聞きながら、蒼月である俺の顔は、熱くなった。


「一行一行読んで反応してくれるのか……これは……ちょっと嬉しいな」


 自分の手紙を読まれるのは恥ずかしくもあったが、それ以上の喜びが体を巡る。


『私、蒼月さんのために、もっと上手くなりますね!』


 その言葉がいじらしくて可愛すぎて。

 俺は、一気にルナの虜になってしまった。


 毎晩の配信を、特別な用がない限り聞き、そして手紙を書き続けた。

 ピンクの花が好きだとか、辛いものは苦手だとか、彼女の情報が俺の中でたくさん増えていく。

 けれど二人だけの箱庭(空間)は終わりを告げ、いつのまにか他のリスナーが増えていた。たくさんの手紙が読み上げられていて、ルナも嬉しそうだ。


「もう俺が手紙を書く必要もないか……」


 そう思って一週間書かずにいたら、ルナの声は日に日に元気がなくなり……

 ある日ついに、配信中に泣き出してしまった。


『もう、蒼月さん……私の配信を聞いてないんでしょうね……』


 その言葉を聞いて、慌てて手紙を書く。

 すると次の瞬間、ルナの声にハリが戻った。


『なんだ、聞いてくれていたんですね! お手紙が来ないから、てっきり……これからも書いてください! 蒼月さんのお手紙は、絶対に読み上げますから!』

「いや、特別扱いされても困るんだが……」


 そう呟きながらも、〝特別扱い〟されていることが嬉しくて。

 俺は笑みを隠しきれなかった。


「君は、どんな顔をしているんだろうな……」


 魔道受信機(マギフォン)では、声しかわからない。だからこそ、いいとも言えるのだが。


 俺は毎晩、ルナの声に耳を傾け、その優しい響きに癒されながら眠りについた。




 ***




「婚約──……ですか?」


 両親の口からその言葉が出たとき、私は一瞬、自分の耳を疑った。

 豪奢な応接間。壁には先祖の肖像画、紅茶の香り。いつもの風景なのに、空気がまるで変わった気がして。


「そう。お相手はあのシルヴァート王子殿下だ」


 お父様の口調は穏やかだけど、有無を言わせないもの。


「殿下は、誠実で思慮深い方。きっとあなたを大切にしてくださるわ」


 お母様もそっと微笑んで、私の手を優しく包んでくれる。


(でも私、王子様とお会いしたことなんて、一度もないのよ!? そんな人よりも、私は──!)


「いい縁談を結べて、これで我が家も安泰だ!」


 喜ぶお父様を見ては、何も言えるわけがなかった。

 王子様との婚約は、この国の未来を左右するほどの大事。私の立場では逆らえないことも、よくわかってる。


「……承知しましたわ」


 唇が乾いていたけれど、なんとか返事をした。

 それが貴族令嬢としての務めなら、受け入れるしかないもの。


 でもその夜、部屋に戻ってひとりになると、どうしても誰かに話したくて、私は魔導送信機(マギキャスト)の前に座る。


『こんばんは、《月語りの小箱》ルナ・リシタです。今日は、少しだけ、大切なお話をさせてください』


 配信機の向こう側にいる、大事なリスナーたちに向かって……その中でも大切なあの人に向かって、私は語り始めた。


「私……結婚することになりました」


 その言葉と同時に、目の前に便箋が転送されて、宙に浮く。


 〝おめでとう〟

 〝よかったね〟

 〝幸せにね〟

 〝配信は続けて!〟


 ──リスナーの皆様のあたたかい言葉。

 けれど、そこに蒼月さんの便箋は見当たらなかった。


「たくさんのお祝いの言葉、ありがとうございます。でも、まだ実感がなくて……。きっとこれから、少しずつ生活も変わっていくんだと思います」


 言葉を選びながら、魔道受信機(マギフォン)の向こう側にいる誰かを思う。


「配信を続けられるかどうかは……今のところ、わかりません。えっ? 〝相手は蒼月さん?〟って、そんなわけないじゃないですか!」


 また便箋が届く。


 〝続けてほしい〟

 〝毎晩の楽しみである〟

 〝寂しいなあ……〟


 ──嬉しい。とても嬉しい。

 けれど、やっぱりそこに蒼月さんの言葉はなくて。

 聞いて……ないのでしょうか。


 蒼月さんって叫びたい衝動を、私は必死に抑える。


 そこに届いたのは、一枚のリスナー様の便箋。



 〝ルナちゃんは、蒼月のことが好きだったんだよね?〟



 ──その一文を読んだ瞬間、胸の奥が熱くなった。

 けれど、認めるわけにはいかない。蒼月さんにも迷惑がかかってしまうもの。


「もう、〝蒼月のことが好きだったんだよね?〟ってまたこの質問ですか? もちろん、蒼月さんのことは大切なリスナー様ですけれど、やめてくださいね。蒼月さんにもご迷惑になってしまいますから!」


 なるべく明るく言葉を返した私の元に──あの便箋が転送された。

 見間違えるはずもない、蒼月さんが使う便箋。


(来た……来た……!)


 私は慌てて宙に浮く手紙を掴み取る。


「蒼月さんからお手紙が来ました! えーと……」


 いつものように、彼の手紙ひとつで自然と気持ちは高揚する。けれど──


「〝僕も近々、結婚することになりました〟……」


 一瞬で、文字が滲む。

 声が出ない……でも、ちゃんと読まなきゃ。

 私は、配信者なんだから。


「……〝これからはあなたの配信を聞けるかどうかわかりませんが、応援しています。どうかルナも幸せに〟……」


 涙を堪えて、私は唇を噛む。


(これは……恋じゃない)


 そう言い聞かせる。そうじゃないと、あまりにも苦しいから。


 言葉と声だけの関係。

 顔も名前も知らない相手。

 なのに、こんなにも胸が痛いなんて。


 たくさんのリスナー様から、また便箋が届いた。


 〝大丈夫?〟

 〝これはつらい〟

 〝配信最後までがんばって〟

 〝蒼月のばかやろー!〟

 〝泣かないで〟


 優しいリスナー様たちの言葉に励まされて。

 私はなんとか、言葉を絞り出す。


「蒼月さん……あなたこそ、幸せでいてくださいね」


 小さく呟いて、私は配信を終了した。




 結婚式の朝。

 鏡の前で微笑む私の顔は、まるで仮面のよう。


「よくお似合いです、イレーネ様」


 侍女の言葉に、私は小さく頷いた。

 まっすぐな背筋、整えられた髪。

 すべてが、立派な花嫁として完璧に仕立てられていて。


 それなのに、心だけが置き去りのまま。


 蒼月さんは、誰かと結婚される。

 私も同じように、王子様の元へとへ嫁ぐ。


 ──なにも知らないまま。

 お互いの名も、姿も、すれ違ったまま。


「……蒼月さん……」


 結婚式の日に、違う男の人の名前を呟くなんて、なんて不道徳なことでしょう。


 目の前の扉が開き、王子様が現れる。

 私は今日、結婚する。


 蒼月さんでは、ない人と。




 ***




 婚礼の日。

 扉を開き、俺は花嫁を迎えにいく。金糸をあしらった礼服に身を包み、王子としての威厳と品格を湛えたまま。


 目の前にいるのは侯爵令嬢イレーネ。今日から妻となる女性だ。


「初めまして、シルヴァート殿下。イレーネ・ヴェルシュタインと申します」


 俺はその声を耳にした瞬間、胸の奥が妙にざわついた。

 透き通るようなその声。落ち着いて、丁寧で、それでいてどこか温かい。どこかで、何度も聞いたような──そんな気がして。


(まさか)


 胸が波打つ。

 記憶の中の声と、いま目の前の彼女の声が、まるで重なるようだった。


 しかし俺は、あくまで静かに応じる。


「イレーネ嬢。いや、イレーネ。今日からは俺の妻として、よろしく頼む」


 穏やかな笑みを返す彼女。


 所作、話し方、礼の仕方──どれも完璧で、貴族の令嬢として申し分ない。

 だが、配信機から聞こえてきた〝あの人〟の声の面影が、どうしても頭から離れない。


(ルナ、ではないのか?)


 いや、そんなはずはない。

 〝ルナ〟という配信者の素性は不明。王族に嫁ぐような立場の女性が、身分を隠して配信などするだろうか。


 その疑念を振り払おうと、俺はそっと息を整えた。




 ***




 夜になっても、そのざわめきは消えなかった。


 初夜の寝所、二人きりの空間。イレーネは礼儀正しく、けれどどこか怯えるように目の前に立っていた。


「無理はしなくていい。今夜は、話をするだけにしよう」


 言葉に嘘はない。本心から、俺は彼女に手を出す気にはなれなかった。


 〝ルナ〟の声が重なるせいだけではない。

 彼女が、まるで硝子細工のように繊細で、傷ついているように見えて。


 しばらくの沈黙のあと、俺はなるべく優しい声で尋ねた。


「……怖い思いを、させてしまったか?」


 イレーネは、はっとしたように顔を上げ、俺を見た。

 そして少しだけ俯き、唇を震わせながら首を横に振る。


「いえ……殿下が優しくしてくださって、本当に……」


 言いかけて奥歯を食いしばり、何かを耐えるイレーネ。

 そんな姿を見ては、俺も胸を痛めてしまう。


「……なにか思うことがあるなら言ってくれ。これからは夫婦なんだ。俺は君のどんなことでも、受け止めようと思う」


 俺の言葉に、イレーネはとうとう声にした。


「……殿下、わたくし……実は、好きな方がいたのです。もう叶わないこととは、わかっております。でも……心が追いつかなくて……どうか、しばらく、お待ちいただけませんか」


 潤んだ瞳で、涙をこらえながら必死に言葉を紡ぐ姿は、痛ましいほどだった。


 俺は少しだけ目を伏せ、そしてそっと頷いた。


「……そうか」


 それだけを、ようやく絞り出した。


 思いがけない言葉に、胸がざわめく。


(〝ルナ〟には、好きな人がいたのか──そんなこと、今まで一度も口にしなかったのに)


 そしてもし、目の前の彼女がルナでないのなら……この痛みは何なのだろう。


 その夜は、目を閉じても、彼女の声が俺の心の中で何度もこだました。




 ***



 結婚生活が始まって、一ヶ月が経った。

 公務でお忙しい中でも、シルヴァート殿下は毎晩ちゃんと時間を作ってくださる。食事をともにし、たわいもない話をして、夜は同じ部屋に──けれど、殿下は決して無理を強いることはなかった。

 本当に、優しくて紳士的なお方。


 その夜も、私たちは向かい合って夕食をとっていた。

 不思議なことに、結婚してから一度も辛いものが食卓に並んでいない。私は辛いものが得意ではないけれど、それを殿下に伝えた覚えはなくて。

 


(まさか、誰かに聞いたのかしら。それとも偶然? でも、殿下は辛いものがお好きだと噂で聞いたような……もしかして私のこと、気遣ってくださってる?)


 婚約当初、「辛い物ばっかり好きな人だったらどうしよう……一口で泣いちゃう……!」なんて震えていた私だけれど──その心配は、今のところ杞憂だったみたい。


「今日は花の品評会に行ってくれたんだな。君が気に入った花はあったか?」

「はい。淡いピンクのラナンキュラスがとても綺麗でした。春の陽だまりのようで……見ているだけで、心がほぐれるようでしたわ」

「春の陽だまり……なるほど。君の声で聞くと、余計にそんな気がしてくるな」


 優しい目で言われると、私の胸の奥はふわりと温かくなる。

 けれど、そのぬくもりに身をゆだねるのが、なぜだか怖い。


 部屋に戻ると、殿下はカップに香草茶を淹れてくださった。


「眠れないときには、これがいいと聞いた」


 殿下は少し照れたように笑って。


「イレーネには、よく眠ってもらいたい」


 微笑みを、私に向けてくれる。

 こんな素敵な人が、夫だなんて──いまだに信じられない。


 思えば、最初からそうだった。

 婚礼の夜、何も強いられることなく、ただ静かに「話をしよう」と言ってくれて。

 それは、あまりにも優しすぎて、痛みさえ感じるほどだった。


(政略結婚なのに、こんな風に大事にされるなんて……思っていなかったの……)


 ルナとして配信していた私に、蒼月さんがそうしてくれていたように。

 殿下も、私を大事にしてくれている。


 だけど、蒼月さんを思い出すと、胸がぎゅっと痛んだ。


 恋をしていた。

 たぶん、あのとき、本気で。


 ずっと封じ込めていたけど、今だからこそ気づいて──


 同時に、隣にいる殿下の静かな思いやりに、心が少しずつ揺れていく。


 どうしよう。殿下といると、楽しい。

 心の奥底から、幸せな感情が湧いて出てきてしまう。

 こんなの、知らなかった。誰かが隣にいることが、こんなにあたたかいなんて。


「今日の君は、よく笑っていたな。……それだけで、なんだか救われる」


 その一言に、喉の奥がきゅっと締まった。

 こんなにも、大事にされている。


(……どうして、もっと早く、殿下のことを知ろうとしなかったの)


 私は、殿下の横顔を見つめた。

 整った顔立ち。けれどその奥にある、真摯さと静かな孤独。

 この方は、孤独の中で誰かを求めていたのではないのかしら。


 そう思うと、心が揺れた。


 それと同時に、私の胸の奥にひっそりと残る想いが……痛むのです。

 蒼月さんへの未練。断ち切らなければいけないと思いながら、ずっと燻っているままの、この気持ちが。


(どちらも、本物の気持ちなのに)


 けれど、確かに……私は殿下に惹かれている。


 殿下に優しくされるたび、自分が変わっていくのがわかる。


 それが嬉しくて、そして、少しだけ怖かった。



 ***



 ある夜、私は思い切って、殿下にお願いをした。


「今晩だけは、寝所を別々にお願できないでしょうか」


 静かな間があった。けれど、シルヴァート殿下は何も聞かず、ただ頷いてくださった。


「わかった。何かあったら、呼んでくれ」


 その声に、胸が苦しくなる。

 まるで、嘘をついているような気がして。──でも、今夜だけは、自分の気持ちと向き合いたかった。


 私は、久しぶりに〝ルナ〟になった。


 魔道送信機(マギキャスト)の前に座る指先が、かすかに震えている。

 けれど、もう迷わない。──今日が、その最後。


「……お久しぶりです。ルナです。この配信が、最後となります」


 言葉にすると、いろんな感情が胸を押し寄せた。けれど、もう抑えない。


「結婚をして、一ヶ月が経ちました。夫となった方が、とても優しくて……気がついたら、恋をしていました」


 そう告げると、心の中にずっとあった迷いが、少しだけ溶けた気がした。


「でも……蒼月さんも、大好きでした。どれほど励まされ、救われてきたか……言葉では、とても伝えきれません」


 自然と涙が、頬をつたう。


「蒼月さん……本当に、ありがとう。あなたのこと……ずっと、大切に思っていました」


 彼が聞いているかどうかはわからない。けれど、言いたかった。この心を伝えたかった。


「蒼月さんがずっと笑顔でありますよう……心から願っています」


 ──そして、配信を終えた。


 もう、戻れない。蒼月さんと過ごしたあの頃には。

 私はこらえきれず、声を殺して泣いた。



 ──そのとき。


 ノックの音がした。私は、はっとして顔を上げる。


 扉の下から、便箋が差し入れられた。


(これは……蒼月さんが、いつも使っていた便箋!?)


 震える手で拾い上げ、文字を追う。


 〝もうあなたの声が聞けないのなら、せめて隣で、聞かせてください〟


 手紙の文字が、滲んでいく。


 頭が真っ白になった。


 ──え?

 まさか。

 まさか、そんな。


 扉を開けると、そこにいたのは、シルヴァート殿下。

 けれど、私にはもう、それだけじゃなかった。


 ずっと応援してくれていた〝蒼月さん〟が、そこに重なる。


「……殿下が、蒼月さんだったんですね……! どうして……どうして言ってくださらなかったんですか……!」


 涙声で問いかける私に、殿下は少し困ったように笑って、けれど優しく言った。


「……君にとって俺は、ただのリスナーに過ぎなかったからな。それに……君の中にある〝蒼月像〟を壊したくなかったんだ。でも、俺は──最初からずっと、君を大切に思っていたよ」


 言葉の一つひとつが、胸に染みる。


 全部、繋がった。


 だからあんなに優しかったんですか? 私のことを知っていたんですか?

 最初から、ずっと──私の声を聞いてくれていたなんて。


「……そんなの……ずるいです……」


 泣きながら、私は殿下にすがる。


「ずっと……好きだったのに。どちらのあなたも、大好きだったのに……!」


 シルヴァート殿下──蒼月さん──は、私を優しく抱きしめてくれた。


「……ありがとう。君が君でいてくれるだけで、俺は幸せだ」


 その腕はあたたかくて、どこか懐かしくて。

 そして、なにより──安心できる場所だった。


 ようやく私は、自分が本当の意味で〝恋に落ちた〟のだと気づいた。


 もう、迷わない。

 私の隣にいる人は、最初からずっと、私の幸せを願ってくれていたのだから。


「これからも、君の声を聞かせてくれるか?」


 その問いに、私は涙を拭いながら、こくんと頷いた。


「……はい、ずっと……あなたの隣で」


 私がそう答えると、シルヴァート殿下はふっと笑って、私の頬にそっと触れた。


「君の声が、大好きだ」


 その言葉は、心の奥深くまで染み込んで、熱を灯す。


 私は俯いて、そっと彼の胸元に顔を埋める。


 鼓動が聞こえる。確かにそこにある、彼の想い。

 私だけのものになった、彼のぬくもり。


 ──そのまま、彼は私の手を取った。


「部屋へ、戻ろうか」


 低く落ち着いた声。けれどその中に、どこか甘さが混じっていて──

 私は、ゆっくり、頷いた。


 扉の向こうに広がる夜は、驚くほど静かで優しくて。

 ふたりで手をつなぎ、並んで歩いていく。

 すべてを打ち明けた今、その隣はあたたかくて、どこまでも心地よかった。


 そうして私たちは、もう一度、二人だけの箱庭に戻っていく。


 ──今度こそ、本当の意味で、ひとつになるために──




お読みくださりありがとうございました。

★★★★★評価してくださると、とても励みになります!


↓こちらもよろしくお願いします!新作です♪↓

500年死なない呪いを受けた聖女の、最後の恋

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500年死なない呪いを受けた聖女の、最後の恋

ざまぁされたポンコツ王子は、真実の愛を見つけられるか。

サビーナ

▼ 代表作 ▼


異世界恋愛 日間3位作品


若破棄
イラスト/志茂塚 ゆりさん

若い頃に婚約破棄されたけど、不惑の年になってようやく幸せになれそうです。
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政略ではあったが、二人はお互いを愛しみあって成長する。
しかし、ユリアーナの父親が謎の死を遂げ、横領の罪を着せられてしまった。
犯罪者の娘にされたユリアーナ。
王族に犯罪者の身内を迎え入れるわけにはいかず、ディートフリートは婚約破棄せねばならなくなったのだった。

王都を追放されたユリアーナは、『待っていてほしい』というディートフリートの言葉を胸に、国境沿いで働き続けるのだった。

キーワード: 身分差 婚約破棄 ラブラブ 全方位ハッピーエンド 純愛 一途 切ない 王子 長岡4月放出検索タグ ワケアリ不惑女の新恋 長岡更紗おすすめ作品


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▼ざまぁされた王子は反省します!▼

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ざまぁされたポンコツ王子は、真実の愛を見つけられるか。
真実の愛だなんて、よく軽々しく言えたもんだ
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― 新着の感想 ―
拝読させていただきました。 二人とも誠実で優しいですね。 この二人にはハピエンが似合います。 今後とも幸せでいてほしいですね。 
感想欄にお邪魔します(⁎ᵕᴗᵕ⁎) 恋に気づいていない政略結婚って好きなやつです〜。 気づいてない二人のやり取りがもどかしくて良いです! 二人が気づかず交流する手段が『配信』という、異世界の世界観…
殿下の優しさが素敵です。 リスナーの立場で、電波(?)の向こう側から聴く声って、不思議と心地良いですよね。 殿下は、日に日に強まっていくルナと妻の重なり具合に心悩ませていたことでしょう。だからこそラ…
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