第9話
タイムラプスの映像を発見してから三日が経過した。
タナトスはほぼ完成に近づいていた。
しかし、誠の身体は完成から遠ざかっていた。
むしろ、それは「解体」と呼ぶべきものだった。
誠は洗面台の前に立っていた。
水を流しっぱなしにしたまま、鏡に映る自分の姿を凝視している。
誠は三日前から、この反射する表面の向こう側に立つ存在に強い違和感を覚えていた。
もはやそれは中村誠ではなかった。
顔の輪郭は同じだった。
しかし、皮膚は異質なまでに変化していた。
かつて血色の良かった肌は、今や青白く、ほとんど透明に近いような質感を持っていた。
近づいて観察すると、表面には微細な格子状のパターンが浮かび上がっている。
まるで高級なプラスチック製品のような滑らかさと硬質さを帯びていた。
「これは……俺なのか?」
誠は震える手を上げ、自分の頬に触れた。
感触が違う。
内側からも、外側からも。
指先が感じる肌の質感は冷たく、わずかに弾力性を持った硬質なものに変わっていた。
同時に、頬の内側から感じる指の圧力も、鈍く遠いものだった。
神経が衰退しているのか、それとも別の形に変化しているのか。
「変わっている……」
誠はゆっくりと肘を曲げ、その感覚に注目した。
ギシッ……ギシッ……。
関節から鳴る音は、もはや人間の体から発せられるものではなかった。
それはむしろ、精密機械のパーツが動く際の摩擦音に近かった。
油が切れた機械のような音。
誠は眉をひそめた。
しかし、その表情の変化でさえ、以前とは違っていた。
眉の動きは不自然で、表情筋が正確に機能していないようだった。
誠は蛇口を閉め、水を止めた。
そして、意を決したように上着のボタンを外し始めた。
シャツを脱ぎ、裸の上半身を鏡に映す。
そこにあるのは、もはや人間の胴体とは呼べないものだった。
肋骨の形状が浮き上がり、その輪郭は異常に鋭く、まるで装甲のように見えた。
皮膚の下を、血管ではなく細い赤い管が走っている。
それらは規則的なパターンを形成し、心臓の位置にあたる胸の中央部で収束していた。
そこには微かに赤く光る何かがあるように見え、タナトスの「造魂核」を小型化したもののようだった。
「これは……造形……」
誠は自分の変貌を観察しながら呟いた。
恐怖を感じるべき状況なのに、誠の心には奇妙な高揚感があった。
誠の身体が「タナトス」に似た何かへと変容していくという事実に、誠は嫌悪ではなく、むしろある種の満足感を覚えていた。
腹が鳴った。それは空腹のサインのはずだが、誠はもはや食事への欲求を感じなかった。
誠が最後に食事をしたのはいつだったか。
記憶が曖昧だった。
しかし、体力は衰えていなかった。
むしろ、増しているようにさえ感じた。
誠は作業部屋に戻った。
そこでは「タナトス」が、ほぼ完成形で誠を待っていた。
部屋には塗料と溶剤の匂いが充満していた。
その化学的な臭気を吸い込むと、誠の体内で何かが活性化するのを感じた。
「これが……俺の栄養源か」
誠は深く息を吸い込んだ。
肺が化学物質を取り込み、それを分解して誠の新しい体に必要なエネルギーへと変換しているような感覚があった。
食物からエネルギーを得る必要はもはやなかった。
誠の身体は、より効率的なシステムへと進化していたのだ。
視線が部屋の棚に移った。
そこには、これまで誠が完成させた数々のプラモデルが飾られていた。
戦車、航空機、ロボット。
誠の「神の手」が生み出した精密な造形物たち。
誠は一体のロボットモデルを手に取った。
かつて誠が情熱を注いで作り上げた傑作の一つ。
しかし今、誠の目には、それは単なる「素材」としか映らなかった。
「完璧な造形……には……犠牲が必要だ……」
誠はそのモデルを作業台に置き、精密ドライバーを手に取った。
ゆっくりと、パーツを一つずつ分解していく。
かつてならば、自分の作品をこのように破壊することに強い抵抗を感じたはずだった。
しかし今、それは新たな創造への過程として、誠は躊躇いなく実行していた。
一つ目のモデルを完全に分解すると、誠はそのパーツを注意深く選別し、タナトスの特定の箇所に組み込み始めた。
驚くべきことに、異なるスケールのパーツであるにもかかわらず、それらはタナトスに完璧にフィットした。
まるで最初からそこに配置されるべく設計されていたかのように。
誠の指先は、かつてない感覚を獲得していた。
パーツに触れるだけで、その内部構造、材質、強度、そして「タナトス」のどの部分に適合するかを、瞬時に理解できるようになっていた。
それはまるで、誠の指先が物質のデータを直接読み取るセンサーに変化したかのようだった。
「この部分には……このパーツが……」
誠は次々と棚からモデルを取り出し、分解していった。
時間の感覚は完全に失われていた。
それは創造であり、同時に破壊だった。
過去の作品を解体して新たな作品に転生させる行為。
自己破壊と自己再生の儀式。
気がつくと、誠の前にはタナトスの完成形が立っていた。
それはもはや「プラモデル」と呼ばれる範疇を遥かに超えた存在だった。
黒く輝く外装の下には、赤い配線が脈打ち、関節部分は有機的に湾曲し、胸部の「造魂核」は強い赤い光を放っていた。
それは機械でありながら、どこか生命体のような印象を与えた。
誠は自分の作品を見つめながら、ふと手を見下ろした。
誠の手にも変化が現れていた。
指が異様に細長く伸び、爪は青黒く変色し、皮膚の下には細い金属線のようなものが透けて見えた。
それはもはや「神の手」ではなく、「造形者の手」だった。
「ついに……完成に近づいた……」
誠は低く呟いた。
しかし、それが「タナトス」の完成を指しているのか、それとも自分自身の「完成」を指しているのか、もはや誠自身にも区別がつかなくなっていた。
誠は無意識のうちに、自分の胸—かつての心臓の位置にあたる部分に手を当てた。
そこからも、タナトスの「造魂核」と同様の鼓動が感じられた。
それは誠自身の鼓動であり、同時にタナトスの鼓動でもあった。
誠とタナトスの境界線は、もはや存在していなかった。