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第6話

 タナトスの左腕装甲を調整していた時、誠の集中を破る音が響いた。

 

 インターホンの音だ。


 それは外界からの侵入だった。

 誠は眉をひそめた。

 誠の世界には、もはやタナトス以外必要なかった。


「誰だ……」


 誠は重い足取りでドアに向かった。

 頭痛がする。

 インターホンのモニターに映ったのは、よく知った顔だった。


 誠は一瞬、ドアを開けないことを考えた。

 しかし、昔からの友人を完全に無視するほど、誠はまだ人間性を失ってはいなかった。

 誠はゆっくりとドアを開けた。


「よう! 久しぶり!」


 戸口に立っていたのは、山下健太だった。

 三十六歳。肩までかかる黒髪を無造作に後ろで束ね、赤と黒のチェックシャツに擦り切れたジーンズという出で立ち。

 右耳には小さなピアス。

 左手首には革のブレスレット。

 顔は日に焼けて健康的で、ハスキーな声は常にエネルギッシュだった。

 広告代理店のクリエイティブディレクターとして働きながら、趣味でプラモデルを作る男。


 健太と誠は対照的だった。

 誠が精密さを追求する完璧主義者なら、健太は直感で作るタイプ。

 

 誠が数値と完璧な計算で作るなら、健太は気分と勢いで作る。

 誠が色の配合を計算するなら、健太は「なんとなくこれでいいだろう」と混ぜる。


 しかし、その正反対の性格が、奇妙な友情を育んでいた。

 互いの弱点を補い合い、互いの強みを認め合う関係。


「健太……」

「あれ、お前、声変わったか?」


 健太は首を傾げた。


「最近、連絡ないから心配したぜ」


 誠は言葉を切らず、屈託なく笑った。

 広い額に皺を寄せ、白い歯を見せる。

 健太の笑顔は、いつも誠の緊張を解きほぐした。

 

 しかし、今日は違った。

 その笑顔は、むしろ誠の神経を逆撫でした。


「悪い……忙しくて」


 誠の声は、かつての滑らかさを失っていた。

 まるで長い間使っていない楽器のように、不協和音を奏でる。


「入ってもいいか? ビール持ってきたぞ」


 健太は既に靴を脱ぎながら言った。

 誠は手にしたコンビニの袋を揺らした。

 中から氷で冷えたビール缶が転がり出た。


「あ、ああ……」


 誠は渋々、健太を部屋に招き入れた。

 誠は友人の目が、自分の変わり果てた姿を捉えるのを感じていた。


「うわ……お前……」


 健太は一歩後ずさった。

 そして、誠の全身をじっくりと観察し始めた。


「お前、なんか顔色悪いぞ。肌もカサカサだし……ちゃんと食って寝てるか?」


 誠は答えなかった。

 誠自身、鏡を見ていなかった。

 自分の容姿がどれほど変わったのか、認識していなかった。


 健太はさらに部屋の中を見渡し、その異様な雰囲気に気づいた。

 カーテンは閉ざされ、部屋は薄暗い。

 空気は淀み、塗料と溶剤の匂いが濃厚に漂っている。

 床には食べかけの菓子パンと空のエナジードリンク缶が散乱していた。


 かつて完璧な整理整頓を誇った誠の部屋は、今や混沌と化していた。

 しかし、その混沌の中にも、奇妙な秩序があった。

 すべての混乱は、一つの重力源に向かって収束しているかのようだった。


「お前、何かあったのか?」


 健太が心配そうに言った。

 誠は首を横に振った。


「特に何も……ただ、忙しくて……」

「仕事か?」

「いや、そうじゃない……」


 誠の目は、無意識のうちに作業台に向かっていた。

 健太はその視線を追った。


「うわっ」


 健太は息を呑んだ。

 作業台の上に鎮座する黒い形状物。

 それは既に半分以上完成していた。

 鋭い角度を持つ装甲プレートと有機的な曲線が混在し、黒く輝く外装の下には血管のような赤い配線が透けて見えた。


「なんだこれ、すげえ……」


 健太は作業台に近づいた。


「こんな複雑なキット、見たことないぞ。どこで手に入れた?」


 誠は答えなかった。

 誠は健太がタナトスに近づくのを見て、喉の奥で低く唸った。

 それは自分でも気づかない、獣のような反応だった。


「触るな……」

「ん? 何か言ったか?」


 健太は振り返った。


「いや……何でもない」


 健太は再びタナトスに注目した。

 その姿は誠を強く惹きつけた。

 直感的なクリエイターである誠の目は、その造形の異質な美しさを即座に認識した。


「なんか……生きてるみたいだな」


 健太は笑いながら言った。

 彼にとっては冗談のつもりだったのだろう。

 しかし、その言葉は恐ろしいほど真実に近かった。


「お前、これ一人で作ってるのか? この精密さは、さすが神の手だな。でも……」


 誠は眉をひそめた。


「何か違うんだよな。これまでのお前の作品とは……う、うわ、この胸の部分、なんだこれ?」


 健太はタナトスの胸部に設置された「造魂核」に目を留めた。

 それは半透明の球体で、内部に無数の微細構造が見えた。

 そして、かすかに赤い光を放っていた。


「すげえな、これ。LEDか何か?」


 健太は、冗談めかして「造魂核」に指を伸ばした。

 誠は咄嗟に誠の手を掴もうとした。


「触るな!」


 しかし、遅かった。

 健太の指先が「造魂核」に触れた。


 その瞬間、奇妙なことが起きた。

 健太の指先から、不意に血が零れ落ちた。

 「造魂核」に触れた瞬間、なぜか健太の指先が裂けて血が流れだしたのだ。

 

 赤い血の一滴が、「造魂核」の表面に落ちた。


 健太も誠も、その瞬間、時間が止まったかのように感じた。

 指先から流れ出た血は「造魂核」の表面にとどまることなく、まるで吸い込まれるように内部へと消えていった。

 そして、「造魂核」の内部の赤い光が、わずかに強くなった。


「なっ……何だこれ……」


 健太は驚愕して後ずさった。

 そして、健太の顔から血の気が引き、健康的な肌の色が青白く変わった。


 誠は、友人の変化に気づいた。

 健太の瞳の奥が、一瞬だけ暗く揺らめいたのだ。

 それは影が通り過ぎたようでもあり、何かが誠の魂を覗き込んだようでもあった。


 「大丈夫か?」

 

 健太は震える手で額の汗を拭った。

 

「あ、ああ……なんか急にめまいがして」

 

 彼はふらつきながら壁に寄りかかった。


「ちょっと気分が悪い……水、もらえるか」

 

 誠は友人に水を渡した。

 健太の手が震えていることに気づいた。

 そして、その血が流れだした指先が、かすかに変色していることにも。

 

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