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第3話

 誠のマンションは、東京郊外の高層アパートの十七階にあった。

 外観は無機質なガラスとコンクリートの箱で、内部もまた同様に無機質だった。

 誠の部屋は、生活空間というよりも精密作業のための実験室のようだった。


 壁は真っ白で、家具は最低限。

 リビングの片隅には、軍用作業台を改造した作業スペースがある。

 LEDの無影灯が設置され、引き出しには精密な工具が分類別に整然と収められていた。

 この空間こそが、誠にとっての聖域だった。


 帰宅した誠は、コートを脱ぎ、手を洗い、消毒し、白い作業用の手袋を用意した。

 誠は普段の作業着――白いTシャツとデニムに着替え、髪を整えた。

 すべては儀式のように正確だった。


 造形堂で手に入れた箱を作業台に置く。

 台の上の照明が、箱の金色の幾何学模様を浮き上がらせた。

 模様は誠が見つめると、わずかに動いているように見えた。

 まるで呼吸をするように。


(気のせいだ……)


 誠は精密な動作で呼吸を整え、作業前の緊張を解いた。

 誠の「神の手」は、感情に左右されてはならない。


 十年来使い続けている特注のカッターを手に取る。

 刃は定期的に交換され、ハンドルは手に馴染んでいた。

 箱の封を切る前に、誠は一呼吸置いた。


「さあ、何が待っているのか」


 カッターの刃を箱の継ぎ目に差し込む。

 紙が切れる音が静寂を破った。

 その音は、いつもより鋭く、湿った空気を切り裂くようだった。


 一気に開けるのではなく、丁寧に封を切り、最後に蓋を持ち上げた。

 中から漂ってきたのは、プラスチックと金属と、何か生物的なものが混ざったような、甘く重い香り。

 それは誠の意識を一瞬揺らがせた。


「何だこれは……」


 目に飛び込んできたのは、艶やかな黒塗りのパッケージ。

 その上に金色で描かれた文字が、照明の下で輝いていた。


「MF-X0 『タナトス』」


 誠の呼吸が止まった。


 タナトス――死の神を意味するその名。

 それは子供の頃、模型雑誌の片隅で見た都市伝説だった。

 製造中止になった試作機。

 あまりに複雑で、完成させた者はいないと言われていた幻のキット。


「なぜこれがあの店に……」


 誠はゆっくりと内箱を取り出した。

 表面はマットな黒で、触れると肌のように温かい。

 箱の側面には、金色の象形文字のような模様が刻まれている。


 内箱を開けると、説明書が現れた。

 それは両面印刷の分厚い冊子で、一見すると普通の日本語で書かれていたが、よく見ると行間に見たこともない幾何学的なシンボルが混在していた。

 まるで日本語の影のように、文字の隙間から別の言語が覗いているようだった。


「この文字はなんだ? 見たことのない記号体系だ」


 誠は眉をひそめた。

 誠の論理的な頭脳は、その不可解さに抵抗した。

 しかし、同時に奇妙な魅力も感じていた。


 説明書の後ろにはパーツリストがあり、最後のページには赤字で警告文が書かれていた。

 しかし、その文字は普通の日本語ではなく、別の言語が重なったような二重露光の文字だった。

 読もうとすると目が焦点を失い、頭痛を感じた。


 説明書を脇に置き、誠はプラスチックの袋に包まれたランナーを取り出した。

 通常のプラモデルとは明らかに異なっていた。

 ランナーはクリアな黒色で、半透明の部分と不透明の部分が不規則に混在していた。

 より不思議だったのは、パーツの表面に刻まれた模様だった。


「これは……指紋か?」


 ランナーを光に透かして見ると、確かにそれは人間の指紋を思わせる微細なパターンだった。

 無数の渦巻きと線が、パーツの表面を覆っている。

 誠の「神の手」でさえ、その精密さに驚嘆した。


 誠はゆっくりと手袋を外し、素手でパーツに触れてみた。

 指先に伝わってきたのは、予想外の感触だった。

 冷たい金属のような質感。

 しかし、それは確かにプラスチックだった。

 触っていると、徐々に温かくなり、指の体温に合わせているような感覚があった。


 箱の底からさらに別の部品を取り出す。

 それぞれの部品は、高度な複雑さを持ち、誠がこれまで見たどのモデルキットとも異なっていた。

 それらは単なるロボットの部品というより、精密な機械と生体組織の融合物のようだった。


 最後に取り出したのは、小さな円筒形の容器だった。

 表面には「造魂核」と彫られている。

 蓋を開けると、中に収められていたのは、複雑な造形の球体。

 直径は約3センチほどだが、その内部には無数の微細構造が見えた。


 その表面は生物的な鈍い光沢を放ち、まるで内部に何かが潜んでいるかのようだった。

 誠はそれを手のひらに載せた。


 予想外の重さに、誠は息を呑んだ。

 見た目以上に重く、まるで内部にはるかに大きな質量が圧縮されているかのようだった。


「なんだこれは」


 誠は造魂核を指先で包み込んだ。

 その瞬間だった。


 甘い芳香が、誠の手から立ち上った。

 花の香りのようでいて、どこか錆びた金属の匂いも混じる。

 その香りは誠の意識を少しだけぼやけさせ、同時に鋭く研ぎ澄ませた。


 そして、誠の指先から微細な痺れが走った。

 それは電流のように、神経に沿って腕を上り、肩を通り、脊髄を駆け上がった。

 頭蓋骨の内部で広がり、脳の奥に到達する。


 誠の視界が一瞬だけ歪んだ。

 部屋の輪郭が揺らぎ、誠の周囲の空間が呼吸をするように膨張と収縮を繰り返した。

 その視覚の歪みの中で、誠は一瞬だけ別の光景を見た気がした。


 無数の歯車と機械が噛み合い、動く巨大な構造物。

 血管のように伸びる管。

 そして、それらすべての中心にある、球体の核――「造魂核」の巨大な姿。


 次の瞬間、すべては元に戻った。

 部屋はいつもの部屋。

 手の中の造魂核は、ただの精巧なパーツ。

 しかし、誠の指先には確かに痺れが残っていた。


 誠は深く息を吐いた。

 誠の合理的な頭脳は、この経験を説明できなかった。

 

 しかし、誠の職人としての本能は、このキットの異常さを感じ取っていた。

 作業台の上に散らばった無数のパーツが、誠を見つめ返しているようだった。

 

 「俺は、これから、一体何を組み立てようとしているのだろうか?」

 

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