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ライフスパン

作者: 池上さゆり

「ねぇ、今どこにいるの? いつ帰ってくる?」

 再生した留守番電話。イヤホン越しに聞こえたその声は涙交じりで、焦燥感に溢れていた。彼女と喧嘩をして家を飛び出したのは俺の方だった。飛び出してから二時間。ファーストフード店で時間を潰していたが、時折感じる店員の視線に限界を感じ、外へ出た。外へ出ると先ほどよりは雨脚は強くなっていた。傘もささずに出たため、頭から足へ冷たさが広がっていった。

 どうしようか。自分に非はない。それにまだ苛立ちや、葛藤が残っていた。それでも帰るべきかどうかで悩んでいた。

「こんばんは、お兄さん。お暇ですか?」

 突如横に現れたのは、自分と同じように雨に濡れた高校生ぐらいの人だった。だがその手には傘が握られていた。警戒心を抱きつつ、一歩距離を取る。

「いや、暇じゃ、ないんで」

 あからさまに怒気を含んだ声だったのに、彼女はうふふと笑い傘を広げた。

「だって、ここの店の中で暇そうにしているの見ていましたよ? とりあえず、歩きませんか?」

 家に帰る気にもならず、仕方なくついていくことにした。一歩先に立つ彼女の横に並ぶと、腕を掴みぐいっと引き寄せた。このままラブホにでも連れ込んでやろうかと思ったが、あからさまに未成年だ。後から問題になると困る。

「濡れちゃいますよ?」

 もう既に濡れていたため、どうでも良かったが言いなりになった。

「私、楓っていいます」

「俺は……」

「いいですよ、お兄さんって呼びますので」

 楓の笑い方の癖なのか、またうふふと笑った。

 どこに向かっているのかはわからなかった。傘を差す人々の視線はどこか下向きで、陰鬱としていた。

「どこに向かっているんだ」

「どこでもないですよー」

 うふふと響く笑い声。よく笑う子だと思った。クリスマスが近づき、彩られた木々は降り続ける雨を照らしていた。苛立ちが抑えられないまま、楓の横を歩いた。一度すれ違った人と肩がぶつかり、思わず舌打ちをした。どれほど経っただろうか。突然、楓が足を止めた。

「着いたよ」

 そう言って目の前にあった階段を下りて行った。眩しく照らされた店舗に挟まれた地下へと続く階段はなんだか不気味だったが、興味をそそられそのまま付いていった。バーかなにかだと思って中へ入ったが、どうやら違うようだった。オレンジ色の柔らかい光で照らされた室内は、どこか懐かしさを感じさせるものがあった。そんなに広い場所ではなく、二十人も座れなさそうな場所だった。カウンターもあり、何かのお店のようではあったが何の店なのかはわからなかった。傘を傘立てに仕舞った楓は慣れた動作で、俺を一番奥の席へと案内した。向かい合わせに座ると、楓はテーブルにノートと文房具を広げた。

「ここはなんなんだ」

 初めて質問をした。鼻歌を歌っていた楓はなにも答えなかった。

「おい」

 連れてきたのはお前だろ。そう言ってやりたかったが、訊いたところで答えてくれそうな気配はなかったから諦めた。

「さてさてさて、お兄さん。彼女と喧嘩をして家を飛び出したんですっけ」

「はぁ!?」

 楓が知っているはずのないことを言われ、思わず立ち上がった。幸いここは無人で羞恥の目に晒されることはなかったが、それでも恥ずかしくなり座りなおした。

「なんで、そんなことを知っている。俺何も喋っていないよな」

「えぇ、お兄さんはなにも喋ってません。私が察しただけです」

 当然のことかのように受け流された。ファーストフード店で時間を潰し、外でぼけっとしながら立っていただけの男を見て、なにが察しただ。おかしいだろ。言いたいことは脳内で絶賛生産中なのに、なにも言葉にならなかった。

 とりあえず、冷静にならなくては。

「なにで察したんだ」

 くるくるとペンを回しながら楓は喋る。

「そんな気にすることじゃないですよー。世の中勘の鋭い人間なんていくらでもいますよ?」

 今度は勘だと言った。本当に何者だ、この人は。

「私ね、ここで商売をしているんです。なので、今回特別にお客様としてお兄さんをご招待したわけですよ」

 指の間をまるで生き物かのようにペンが回されていく。話を聞きながらも視線はその手の方に向けられていた。

「お兄さん聞いてます?」

「あ、あぁ聞いている。で、なんの商売をしているんだ。金ならないぞ。生憎、財布も家に置いてきた身なんでな」

「あぁ、今は電子決済とかもできますから便利ですよね。でも大丈夫です、お金なら取らないので」

 本当になんの商売をしているんだ。商売ってのは金を稼いでなんぼだろ。

「えぇそうですそうです。商売は基本的にお金稼ぎ。でも私はお金を稼ぎたいわけではないので」

 今、喋ってもいない心情を読まれたのか? うふふと笑いながら正面に座るその女がいよいよ気味が悪くなった。店を出ようと立ち上がり、扉を開けようとした。だが、鍵がかけられているのか扉は微動だにしなかった。

「一度中へ入ってしまえば終わりですよ。私が合図をするまでその扉は開きません」

 いつの間にか、横に立っていたそいつは俺の腕を組んで先ほどまで座っていた席へと座らされた。

「まぁまぁお兄さんも落ち着いて? 少しお話ししましょうよ」

 もう何度目かもわからない、うふふだった。

「カウンセリングなら俺には必要ないぞ」

 今度は哄笑しながら、腹に手を当てた。

「嫌だなぁ、彼女さんと喧嘩した理由を聞きたいだけですよ」

「そんなことを聞いてどうする」

「嫌だなぁ、どうもしないですよ」

 本当にただの物好きかを疑った。だが、話さなくてもこちらの心情は筒抜けのようなのでもう何も考えないことにした。どこから話そう。そう悩んでいたところ、再びそいつが口を開いた。

「彼女さんが浮気したんですよね? それも一人だけじゃなくって何人ものの人と」

「もう、俺話す必要ないんじゃねーの。そうやって勘なのか、察してんのか、超能力者なのか知らないけどさ」

「お兄さんの口から聞けないと意味ないんですぅ」

 間延びした語尾が煽られているように感じた。話す気にはならなかったが、話さない限り帰れないことをわかった俺は重たい口を開いた。


 浮気が発覚したのは俺が家を出る一時間前のことだった。家に帰ると、珍しく彼女の出迎えがなかった。不在なのかと思ったが、リビングの電気は点いていた。リビングへ入ると彼女は見知らぬ男と抱き合っていた。それもソファーで。一瞬で怒りが頂点に達した俺はその男を殴りつけた。彼女も殴ってやりたかったが、そこはなんとか耐えた。男を帰らせた後、彼女に別れようと告げた。だが、彼女は泣きながらひたすら浮気の言い訳を並べた。さらに話を聞けば浮気相手は一人ではないという。

 あなたが構ってくれないから。寂しかっただけ。私を信用してくれないの。お酒も入っていたから。優しくされたからつい。ただの友達なの。

 どれも軽い言葉に聞こえ、そんな言い訳はいらないと突っぱねた。それでも、別れないからと主張し続ける彼女に飽きてきた頃。別れるぐらいなら死んでやるからと叫びながらベランダに飛び出した。止めるのもアホらしく感じ、そのまま家を飛び出した。ベランダからの叫び声は扉を閉めてからも聞こえてきた。


「以上だ。あとはもうお前の知っている通り、ファーストフード店で時間を潰していた」

「いやぁ、面白いですね! その彼女さんは死を脅しにすれば引き留められると思っていたんですかね!」

 楓はけらけらと笑っていた。俺が話し終えるまでは相槌も打つことなく、ただひたすらにノートにペンを走らせていた。話し終えるとどこかスッキリとした気持ちになり、気分も落ち着いていた。

「で、彼女が死のうとしているのを無視して家を飛び出して来た当時のお気持ちは?」

 取材かよというツッコミは入れなかった。時間を遡るように、気持ちを思い出した。

「……心底どうでも良かったかな。割と本気で死ぬなら死ねって思ったかもしれない」

 眉間にしわを寄せている自覚があった。テーブルの模様が歪んで見えた。

「今はどう? 浮気を許せる? 死んでほしくない? 今なら引き留められる? 今も彼女さんのこと好き?」

 一気に質問をされ、戸惑った。

「待って、一つずつで」

「じゃあ、まず浮気を許せる?」

 沈黙が下りた。自分だけだと思い大事にしていた彼女が、実は複数人と浮気していた事実だけを聞かされていたなら信じられなかっただろう。だが、実際に目の前で見てしまった。現実だった。浮気相手が一人だろうと、ほかに何人いようと許せる気はしなかった。

「許せないんだね」

 納得したような顔をして、再びノートに書きこむ。言わなくても伝わってしまう気持ち悪さには慣れてきていた。

「じゃあ次。死んでほしくない? 今なら引き留められる?」

 後者はイエスだった。元々あの家は自分が契約したものだ。そこに彼女が流れで同棲することになった。自分の家から死人が出るのは気分が悪い。なにより退去時に面倒ごとが付きまとってくるのは目に見えている。

 ただ、前者はなんとも言えなかった。もう会いたくないし、消えてほしいとは思うが、死んでほしいかと問われると難しい。

「どう? 死んでほしい?」

 楓がどこか楽しそうな顔をしており、ため息をついた。

「知らないところで死んでくれるなら……いいかな」

「本当に?」

 先ほどとはうって変わって鋭い視線で下から睨みつけられる。思わずドキリとした。死んでほしい? もう一度そう問いかける。果たして彼女は死に値するほどのことをしたのか。

「死んでほしくないに、変わったね」

「嬉しそうだな」

「嫌だなぁ、面白いだけだよ。ほら、最後。今も彼女のこと好き?」

 答えが、思い浮かばなかった。なにも、浮かばなかった。

「真っ白だねぇ」

 ペンが止まり、再びくるくると回りだす。

 もう一度考えてみる。先ほどまで沸いていた怒りは収まり、いささか冷静にはなれていたがどうだろうか。これから先の二人の将来を考えることはできなかった。それどころか、例え今日家に帰ったとしてどんな顔をして過ごすのか。それすらも想像できなかった。別れるべきなのだろう。そう思ったところで楓はニヤニヤしだした。

「じゃあ、今から帰って別れを告げる?」

「そうだな……」

 すとんと胸に何かが落ちる気がした。ここに来るまで荒れていた海が途端に落ち着いた。今なら落ちついて彼女と話せる気がした。

「もうこれでいいか?」

「えぇ、それはもう十分です。ありがとうございますね!」

 楓は立ち上がると、扉へと案内した。先ほどびくりともしなかった扉が、楓が触れた途端簡単に開いた。不思議に思ったが、もうどうでも良かった。

「そういや、本当に金を取らないのか?」

 改めて確認する。雨が止んだ夜にうふふの声が小さく響く。

「今回は私から声をかけたので特別です」

「そうか、それなら……」

 じゃあと別れを告げてその場を去った。楓はどこまでも手を振っていた。これまでになく、穏やかな気持ちだった。


 帰る道中、連絡の一つでも入れようかと思ったがそうしなかった。文章で会話するよりも、直接話した方がお互い納得できると思ったからだ。それに俺が家を飛び出てからかなりの時間が経った。彼女も冷静になって自分の考えを改めたのではないかという期待を抱いていた。家の前に着いた俺は、一度深く深呼吸した。ドアノブに手をかけると、簡単に開いた。慎重に中へ入ると玄関の電気は消されていた。とりあえず、電気を点ける。

「……ただいま。いきなり飛び出して悪かったよ」

 聞こえているかどうか、わからなかったが声をかけた。靴を脱ぎ、室内へと上がる。ことの発端となったリビングへ入ると彼女は立っていた。

「……おかえり。私もごめんね。もっと冷静に話ができれば良かった」

 目線を下ろし、涙声でそう言った彼女に情がわく。それでも心は決まっていた。

「俺さ、考えたんだ。もう二人で上手くやっていく将来が見えないんだ。だから……」

 すると突然彼女は俺の胸の中へ飛び込んできた。思わず抱きしめようとした手が止まる。腹部に違和感があった。それはどんどん熱くなり、立っていられないほどの痛みへと変わっていった。その場でうずくまった俺に彼女は言った。

「私ね、考えたんだ。どうせなら、私が死ぬんじゃなくって私のことを許してくれなかった人を殺せばいいんじゃないかって。だから、ごめんね?」

 遠のいていく意識の中、満足そうに笑う彼女の顔だけが目に焼き付いた。


「昨日はもったいなかったなぁ。久々にただで仕事しちゃった」

 誰もいない店内でうんと伸びをする。昨日のお兄さんからは十分に面白い話が聞けた。お代をもらえなかったのは残念だったが、それ以上に面白い未来が見えていた。お兄さんの未来が一日で終わることがわかっていたため、特別に代金をいただかなかったのだ。テレビをつけると案の定、ニュースは殺人事件の話題で持ちきりだった。殺されたのはこの近くに住む、鬼頭樹。昨日ここを案内したお兄さんだ。殺害したのはその彼女、舞原希美だった。腹部を一刺ししたのち、一晩隣で眠った後自首した。死体の横で一晩過ごしたことが彼女の異常性を表していると多くの専門家や一般人でさえ狂気だと叫んだ。

 突然、コンコンとノックの音がした。

「はぁい、どうぞー」

 中へ入ってきたのは初めて見る顔の人だった。

「あの……紹介されてここに来たのですが……」

「新規様ですか! 大歓迎ですー。どうぞ、席にかけて」

 きょろきょろと辺りを見回すお客様に声をかける。

「念のため、当店のサービス内容を説明いたしましょうか?」

「あっ、そうですね……お願いします」


「当店ではあなたの不要となった突発的な感情や長く続く陰鬱な感情などをお話を聞かせていただく中で、頂戴しております。その代償として、感情の大きさをものさしに寿命を代金として支払ってもらいます。どうですか? 今すぐにでも吐き出したい感情すべて、私にくださいな」

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