第1話『1000年に1度の出会い』
「誰、アンタ?」
ルフレオを見た途端、その少女は顔をしかめ、開口一番にそう言い放った。
初対面にしては、ずいぶんなご挨拶だった。
ルフレオは素振りをしていた腕を下ろし、少女の方を向き直る。
金色の髪を左右で縛り、冒険者らしい革鎧の軽装に身を包んだ、勝ち気そうな少女だった。
顔立ちこそ可愛らしいが、同時に生意気さも強く感じられる。
相手の出方を伺うべく、まずは下手に出てみることにした。
「ルフレオと申しますが、あなたは?」
「ルフレオ? アンタが? 嘘ね。だって、アンタ人間じゃない。耳を見れば分かるわ。あたしが探してるのは『伝説のエルフ』ルフレオ! アンタみたいなおっさんなんてお呼びじゃないのよ」
しっしっと手で振り払うような仕草をする少女。
未だに名乗りもしない無礼な彼女に、しかしルフレオは怒りもしない。
この程度のことには慣れっこだからだ。
深い山林の一角。少し開けた空間に、ルフレオが建てた丸太小屋と、修行スペースがあった。
ルフレオは半裸の上半身を手ぬぐいで拭き、上着を羽織る。
「まあ、ルフレオなんてよくある名前ですから。それで、なぜそのエルフをお探しで?」
「あたし、仲間を探してるの。魔王退治の仲間! 魔王を倒して勇者の称号を手に入れるの!」
えっへんと胸を張り、少女は声高らかに宣言する。
すでに、魔王を倒せることは既定路線のようだ。大した自信である。
その太陽のような輝きに、ルフレオは不意に過去を思い出す。
――ルフレオ! アタシの仲間になってよ! 一緒に魔王を倒しに行こう!
エリカ。かつて、ルフレオがパーティを組んだ少女の名。
ルフレオは彼女と魔王討伐を志し、ともに冒険の道を歩んだ。もう千年は昔になろうか。
「……ちょっと、おっさん? なにボーっとしてんのよ。あたしの質問に答えなさいよ」
「――ああ、すいません。なんとおっしゃいましたか?」
「だーかーら、知ってるでしょ? 『ドルアダンの奇跡』! 麓の街が魔族に襲われたときに、いきなり現れたエルフがそいつをやっつけたって話! そのエルフがこのへんの山に今もこもって修行してるって言うから、あたしはそいつを探しに来たの! なにか知らない?」
「ふむ。そうですね……質問にお答えする前に一つ」
「なによ」
「あなたのお名前を伺っても?」
「は? それがなんか関係あるの?」
「名乗りは礼儀の基本中の基本ですよ。それができない相手と、これ以上問答する気はありません」
子供にタメ口を利かれたくらいで、腹を立てるようなことはない。
しかし、それはそれとして、最低限尽くさねばならぬ礼というものがある。
それくらいは教えてやるのが、先達としての務めだろうとルフレオは思ったのだ。
きっぱりと言い切ると、少女はぐぬぬと黙り込んだかと思うと、逆ギレし始めた。
「そ、そんなのどうでもいいでしょ! 伝説のエルフについて、知ってるの、知らないの、どっち!?」
「ですから、礼儀をわきまえない方にはお答えできません」
「~~~っ! だったら、剣で勝負よ! あたしがアンタから一本とったら教えなさい!」
ルフレオは思わずため息をつきそうになった。
どうやら、思った以上に強情なようだ。
今までも、こんなやり方で無礼を貫いてきたに違いない。
よほど腕に自信があるのか、それとも井の中の蛙か。
いずれにせよ、ここで矯正してやらなければ、今後必ず痛い目に遭うだろう。
やはり、キツめにお灸を据えた方がよさそうだ。
あまり、気は乗らないが。
少女がキャンキャンと喚き立てる。
「どうしたのよ! アンタ、剣士でしょ!? いい年して、こんな小娘と勝負するのが怖いわけ!?」
「……分かりました。その代わり、私が一本とった暁には、礼儀というものを学んでもらいますよ」
「上等じゃない!」
言うが早いが、少女はレイピアを弓を引くように構えた。
その姿を一目見ただけで、ルフレオは彼女の剣の習熟度を見抜く。
(『雷剣流』の構えに似ているが、なっていない。形だけ真似たか、あるいは我流か。
いずれにせよ、伝位はとっていない……軽くいなして終わりか)
残酷だが、若者とは往々にして自らを過大評価するものである。
少女もまた、そのクチだろう。
即座に結論を下すと、ルフレオはスッと木剣を構えた。
『水剣流』中段の構え『清流』
攻守自在、『水剣流』の基本にして奥義とも呼ばれる構えである。
「むっ……」
ルフレオの剣気に怯んだか、セリカはなかなか攻めてこない。
「このあたりは魔物が出ます。日が暮れる前に帰ったほうがいい」
「う、うるさいわね! 気が散るようなこと言うんじゃないわよ!」
口だけは威勢がいいが、完全に気圧されてしまっているようだ。
致し方なし。
ルフレオは発破をかけるため、あえて挑発的に言った。
「私ごときに怯えているようでは、魔王討伐など夢のまた夢――故郷で家業でも手伝っているほうが身のためですよ」
「っ――」
その瞬間、少女の目にかっと光が宿る。
ギリッ! と奥歯を噛み締め、少女が叫んだ。
「あたしになにができるかは、あたしが決めるのよ!」
ゾクリ、とルフレオの産毛が総毛立つ。
少女の逆鱗に触れてしまったから、ではない。
なにかがくる。
ズドン!
落雷のような大音声とともに、少女がこちらへ踏み込み、突きを放つ。
それはまるで、獲物を狩らんとする肉食獣のように、荒々しくも俊敏な一撃。
天性の瞬発力とセンスが可能にした超速度。
(っ……!)
ルフレオとて、一瞬早く警戒していなければ、斬られていたかもしれない。
そんな予感を覚えさせるほどの素早さだった。
なんとかレイピアに剣先を当て、方向をそらして回避する。
(一本……!)
そして、がら空きの胴に木刀を入れようとして、
ガキン!
(防がれた! なんという柔軟性!)
初撃をいなされたと察するや否や、少女は空中で身をひねると、レイピアの刀身で木刀を受けてみせたのだ。
尋常でない反応速度。常人の域など、はるかに超えている。
「今までに何人もいたわ! あたしの夢を笑ったヤツ! あたしに夢を諦めさせようとしたヤツ! みんなこの剣で黙らせてきた!」
木の幹や枝を足場に、縦横無尽にルフレオの周囲を跳び回りながら、少女はルフレオに猛攻を仕掛ける。
ルフレオはそれらを的確にさばきながら、じっくりと聞き耳を立てていた。
ミシミシ、という木の枝を踏み折る音が、こちらへ近づいてきていたのだ。
(まずい。来る……!)
「アンタもそうなのね! アンタもあたしを笑うっていうんなら――同じように、黙らせてやるだけよ!」
「待って、危ない……!」
突然、木々の間をかき分け、大型のクマのような魔物が飛び出してきた。
剛爪熊。
短剣のように発達した爪を特徴とする、Aランクの魔物。
住む山一帯を縄張りとし、見つけた生物は親兄弟でさえ惨殺する、非常に凶暴な獣だ。
ちょうど、少女の背後に現れた剛爪熊は、彼女めがけてその長大な爪を振り下ろさんとする。
割って入ろうとしたルフレオだったが、心配は無用だった。
少女は鬱陶しそうに振り向くと、
「邪魔するな、雑魚がっ!」
ボッ!
虚空を突いたようにしか見えない少女の刺突。
しかし、剛爪熊の胴体は砲弾を食らったかのように深々とえぐれ、背後の風景さえあらわにしていた。
(あれは……『空刃』! 各流派でも皆伝《Aランク》レベルとされる高等『戦技』……!)
戦技とは、剣士が主に使う魔法のこと。
中でも『空刃』は、斬撃を魔力の刃へと変換する高難度の技で、熟練の剣士であっても未習得の者は少なくない。
立ったまま息絶えたと見える剛爪熊を横目に、少女はフンと鼻を鳴らす。
「ったく、とんだ邪魔が」
「まだです」
やおら、ぐわっと少女に覆いかぶさってきた剛爪熊を、ルフレオは横薙ぎに一閃した。
ズル、と剛爪熊の上半身が滑り、地面に落下する。
「っ……!」
「高ランクの魔物は心臓を潰しただけでは即死しません。油断しないように」
「わ、分かってたわよ、そのくらい!」
強がって見せる少女だったが、明らかに膝が笑っていた。
今の不意打ちは、さすがに驚いたらしい。
しかし、それよりもルフレオは彼女に尋ねたいことが山ほどあった。
「あなたの剣、我流と見受けましたが、あの『空刃』……刺突を飛ばす技は誰に教わったのですか?」
「誰にって、別に誰にも。なんか、気合い入れてフンッ! ってやったら出せたわ」
「……信じられない」
「な、なにがよ」
猛獣もかくやという跳躍力、反射神経。
自由自在に樹上を跳び回る身体能力。
これらは無意識に『身体強化』を使っているおかげだろう。
完全な独学……否、学ぶことすらせず、息をするように彼女は2つも戦技を身に着けているのだ。
これを、才能と呼ばずしてなんと呼ぶ。
未完の大器、という言葉が脳裏をよぎる。
今でさえ一級品の彼女を、自分が本気で鍛え上げれば、いったいどれほどの剣士に育つことだろう。
千年に一人の逸材。かつてパーティを組んだエリカと同等か、それ以上の器だ。
ルフレオは久しぶりに血がたぎる感触を覚えた。
鍛えたい。彼女の才能が芽吹くところを見てみたい。
せめて、彼女が独り立ちするまでは、世界の悪意から守ってやりたい。
そうすれば、エリカを救えなかった罪を、万分の一でも――。
「ちょ、ちょっと。なによ、急に黙り込んで。……いいわよ、どうせアンタもあたしのことなんか認めてくれないんでしょ。分かってるんだから。慣れっこなんだから。あたしなら、一人でだって魔王くらい――」
「いいえ、認めます。あなたなら、魔王を倒せる」
泣きそうな顔をしていた少女が、はっと顔を上げる。
降りしきる雨の中、傘を差し伸べてくれた誰かを見上げるように。
ルフレオは柔和な笑顔とともに告げる。
「だから、私の弟子になりませんか?」
「は、はあ? なんであたしが、アンタなんかに」
「あなたの才能は本物です。ふさわしい流派を選び、適切な教えを受ければ、今の何十倍、何百倍も強くなれます。そして、私ならそれができる。もちろん、お金なんて取りません。どうです? 悪い話ではないと思いますが」
少女は不安そうにつぶやく。
「……本当に? あたしのこと、本当に強くしてくれる?」
「ええ。命に代えても。必ず」
ルフレオの真っ直ぐな視線を受け、頬を赤らめた少女は、目元を乱暴に拭うと、偉そうに胸を張った。
「……ふん! いいわ、アンタをあたしの師匠にしてあげる! その代わり、あたしのほうが強くなったらクビだかんね! 覚悟しときなさい!」
「はい。覚悟しておきます。……ところで、お名前を伺っても?」
「セリカよ! セリカ! 何度も言わせないでよね!」
「今、初めて聞いたのですが……」
「うっさいわね! 男が細かいこと言うもんじゃないわよ!」
ルフレオは目を細めた。
やはり、厳しい教育が必要なようだ。
「……セリカさん。少し、そこに座ってください。正座で」
「な、なによ急に。その不気味な笑顔やめなさいよ!」
「第一に、人としての、最低限の礼儀作法をお教えします。五時間ほどお時間いただきますが、よろしいですね?」
「ご、五時間~!? 冗談じゃないわよ! あたし、お説教なんて大嫌いなんだから!」
「私の弟子になる以上、無礼無作法は許しません。どこに出しても恥ずかしくない、立派な人間になってもらいます。まずですね、東方に『禍福は地中より出づるにあらず』という言葉がありまして。これは『不幸や幸福は地から湧いてくるものではなく、己の言動によって生じるものだ』ということです。つまり、日頃から礼を重んじ、他者を尊重した振る舞いを心がけることが肝要であるということでして――」
「も、もう勘弁してええええ――!」
セリカの悲痛な叫び声が山間に響き渡った。
◆
あれから一夜明けて。
山を降りたルフレオとセリカは、ふもとにあるドルアダンの冒険者ギルドへやって来ていた。
「……打ち合わせ通りに行くわよ。いいわね」
「了解しました」
開け放たれたままのドアから二人が中に入ると、一斉に他の冒険者たちが冷やかしてくる。
「ようセリカ! 見つかったのかよ、『伝説のエルフ』様はよ!」
「なんだあ? そのしょぼくれたおっさんは!? 山で拾ってきたのかあ?」
「みっ、見つけたわよ! こいつが『ドルアダンの奇跡』の立役者! 『伝説のエルフ』ルフレオよ!」
セリカが若干裏返った声でそう叫ぶと、ギルドは一瞬静まり返り、
ぎゃっははははは!
「え、え、エルフだとよ~~! あのおっさんが、エルフ~!」
「い、今はただのおっさんだけど……本気になると、耳がとんがるようになってるのよ!」
「や、やめてくれえ~! 腹が痛え~!」
大爆笑の渦に包まれるギルドで、ルフレオはかたわらでプルプル震えているセリカに尋ねた。
「……まだ続けますか?」
「あ、当たり前でしょ! あたし、ここんとこずっとエルフを探してたんだから! 今さら引っ込みつかないっての!」
「はあ……」
別に、エルフの血を引いている証明なら、その気になればできる。
だが、これはセリカの大口を叩く悪いクセが原因で起きたことだ。
少しくらい、痛い目を見たほうがいい薬になるだろう。
それに、証明には少なくない魔力を使う羽目になる。
こんな場面で、つまらない称賛を得るために、貴重な魔力を浪費したくはない。
そう思い、ルフレオは浴びせられる嘲笑をそよ風のように受け流していた。
だが、
「セリカ。お前、いくら仲間が作れないからって、そんなおっさん引っ張ってくることないんじゃないの?」
「カフカ……!」
セリカの前に、一人の男の冒険者がやって来て、面と向かってあざけり始める。
◆ ◆ ◆
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