5話
それは、この物語のずれを確信した瞬間だった。
「ら、ら、ラニ様、」
私がこの学校でセル以外に初めて話しかけられた相手。
「そ、そのどう、やって、殿下とな、仲良くなられたんでしょうか」
それは。
「わ、私、す、好きな人がいて、ら、ラニ様と殿下のようになるにはどうしたらいいか、ど、どうしても知りたくて」
ヒロイン。マリーだった。驚きで声が出なかった。彼女の言葉があまりにたどたどしいのと相まって。数分無言になってしまい、気づいたころには。
「す、すみません、こ、こんなこと庶民の私が」
謝られて、逃げられていた。
「ちが、まっ」
「ラニ、何してんだお前」
空中で彼女を追いかけた手が、空しく留まっている。セルの手が重なって、ぎゅっと握られる。
「初めて、人に話しかけられて」
「へー」
「驚きすぎて無言になってしまって、気づいたころには逃げられて」
「それはそれは、どんまい。相手は?」
「セルのクラスのマリーさん」
「あの面白い女か」
「せ、せっかくの友人候補が」
「まぁ、頑張れ」
両手でほほをにぎにぎされて笑われる。
「セルだって友人居ないじゃないですか」
「別にお前みたく欲しいとも思わないしな」
「な、なんでですか」
「俺と本心で話せるか?」
「話し、てるつもり、ですけど」
視線があって。
「他の奴は話せない。媚び諂われて、本心のない会話をして、時間の無駄だ」
「それは……気遣われて、本心のない会話をするだけですかね」
「さぁ……お前の好きにすればいい」
言わんとしていることは非常にわかる。取り入ろうと媚び諂われてもおかしくない立場であろうに話しかけられもしないと言うのはそれ以上ということだ。命惜しくて立場の有利なんてものを考える者すらいない。
友人になれるわけもない。そもそもそれは友人とは言わない。
ヒロインと関わるのは私としても恐ろしかった。だが、この学校で唯一声をかけてくれた相手だ。放課後、彼女が図書室で勉強していることはセルから教えてもらっていた。
嫌がらせを受けて勉強もままならない彼女を不憫に思ったセルが教えてやったのだと言う。図書館と中庭は、自分が行き来するから人が寄りつかない。ラニと居る時に近づいてこないなら使うといいと。
なんだかんだ。セルとヒロインの間に謎の関係が築かれつつあって。でもそれが到底物語と同様であるとは思えなかった。
何より、ヒロインが私にセルとの仲を聞くというのはおかしな話だ。あの話の流れからして、彼女が現段階でセルを好いているとは思えない。ましてやセルも彼女を好いているようには見えない。
ヒロイン『マリー』の相手は誰だ?
放課後、図書館で勉強する彼女を見かけて、深呼吸をする。話しかけただけでいじめた判定とかにならないよな?実に入学して半年以上、夏休みも過ぎて冬休みの方が余程近い季節。初めて自分から誰かに話しかける機会だった。
「マリーさん」
「はい……っ!?」
びっくりして飛び上がって停止して頭を下げられる。
「頭を下げられるようなことはしていないんですが……。昼間話しかけてくださりましたよね」
「あの、はい……すい、ません」
「どんな用事だったか、気になって。セルに図書館にいると聞いたから」
沈黙。数秒ではない。数分だ。あわあわと口を開けたり閉じたりする彼女を眺めて。そして。ばっと顔が赤くなる。
「あの、その……本当に大した話じゃなくて、申し訳ないです、すいません。色々悩んでいるうちに、自分の中で変な方向に進んでしまって」
長い前置きの後視線があってまた顔が赤くなる。
「ラニ、待たせた」
腰を抱かれて、頬に唇が落ちて、マリーが飛び上がる。
「っ……す、あっ……ごめんなさい。本当に大した用事じゃなかったんです。ラニ様の足を止めるようなことじゃなくて」
セルのタイミングが悪すぎる。視線があって。ため息が漏れる。
「人の顔見てため息って失礼だな」
「私たち2人して友達いませんもん。学校では授業以外全部暇に決まってますよね」
「あぁ……その話か。確かマリーと言ったな」
「はっ……はい、殿下」
実に土下座でもしそうないきおいで、話しかける方が不憫なのかもしれない。しかも2人セットで。彼女にこの世の終わりのような顔をさせて。自己中心的な話だ。
「ラニは友人がいないことを悩んでいるらしい」
「そ、そうなのですか……ラニ様なら、その」
たくさん居そうとか冗談を言うこともなく口ごもって。
「想像すると居ないだろ?俺たちは友人ではない」
「セル、」
「ん?」
「兼ねますか!」
鼻を摘まれる。
「ん?」
「冗談です……」
場を和ませるためのコントに、マリーは目を点にしていた。
「ラニの友人に、いや友人のように振る舞えと命じてもいいが、お前あんまり演技がうまそうじゃないしな」
失礼きわまりない。
「まぁ、留めておけ」
それはほとんど命令だ。
「いや……、留めてなくて良いです、から、マリーさんは昼間何を」
こいつめっちゃ聞いてくるなと思われただろうなとか。情けないことを考えつつ。
「お、2人の……ぇつ、……ついて」
「え?」
「お、お二人のっ……仲が、非常に良く、殿下が別人のように変わられて、それはっ……ラニ様が、」
ぶわっと頬が染まる。
「ラニ様が……、」
「私が?」
「す、すみませんっ……、本当に」
「想像が付かないほど夜伽が上手いんだろう、言葉巧みに俺を誑し込んだのだろうとか、そんな話だろ?」
数秒止まって、小さく頷く。そ、そんなこと言われているのか。
「そ、そんなことを私に伝えに……?」
「ち、違いっ、ます……!みなさん、殿下が羨ましいと……仰っていて、だ、だからつまり、ラニ様は殿下にはもちろん、あまり話したこともない男性にも好かれているのだなと思って、どうやったら」
「男の落とし方を教えろってことだろ」
落とし方って。ヒロインである彼女に私が……??????何を教えるんだ……?????てか。
「好きな方がいるんですか?」
コクリ。ここで頷くということはセルではないだろう。そこまで悪どいことを考えられる人物には思えない。そもそも関わりが深くないだろう。
「教えてやれよ。報酬に友人になれと命令すればいい」
「だ、だから命令しませんよ。友人って意味分かってますか」
「さぁ」
「それに……男性の落とし方なんて分からないです」
「分からないって、じゃあ夜伽のやり方か?」
「っ……、」
「俺が教えた、誰かに教授できるぐらいには繰り返しただろ?」
「セル……のば、ばか」
セルの目が見開かれる。
「な、なんでそんな意地悪なんですか」
「くっそムカついたから?」
「ッ……、どこにですか」
マリーに構っている場合ではなくなってしまった。セルが不機嫌な時などいつものことだけど。言葉にするのは珍しい。しかも、自分のせいで不機嫌になるなんて。
初めてのことだった。
「お前には到底理解できない」
「到底って、」
「それよりマリーとの話はいいのか」
「セルのほうが優先事項が高いにきまっています」
「お前とその話について深く談義する気がない」
「怒りの原因は私ですか?」
「……うるさい」
子どもみたいなことを言う。上手く、心を解けるだろうか。
「セル」
「そもそも感情なんてお前以外には揺れ動かない」
視線が合う。子どものように睨まれる。
「お前は俺のものだ」
「セルのものですよ、あたりまえじゃないですか」
「全然、分かっていない」
「頭の先から、足の先まで、セルが下さったものですよ」
「この服お前の服と対になっているのに着てないじゃないか」
「私のこの服だって、ついこの前一緒に作りにいったものですよ」
「×××の奴に選ばせたらこうなった」
「×××さんは服に興味なさそうですもんね」
「お前が着るなら俺もあれを着ればよかった」
「明日は洗濯するでしょうから、明後日は一緒に着ましょうよ」
「せっかくたくさん買ってやったのに週に2度も同じ服を着るのか?」
「セルと一緒に着なきゃ意味がないじゃないですか」
「……それもそうか」
「そうですよ、そのためにたくさん買ったんですよ」
高校生のペアルックみたいな物とは少し違って、セルはセンスがいいから、よく見ないとわからないようなワンポイントなんかを刺しゅうしたようなものを作らせる。アクセサリーの類もそうだ。でも、それぞれ揃いで作ったものを、別々につけてしまうなんて、悪くない話だ。うれしくなってしまう。どれほど愛されているか。たまにはすれ違う日もあるだろう。抱きしめられて肩にセルの顔が埋まる。
「仕事がある」
「帰りますか?」
「……ん」
帰りの馬車。片手だけ繋いだ手。いつも多く会話しているのに、今日は全然話が進まなかった。何と声をかけるべきか考えあぐねる。
「……ラニ、」
「はい」
「要るか?友人なんて」
はっとして。そこかと思って。
「同義かもしれないが、友人を作るなと言ってるわけじゃない」
「そう、なんですか?」
「生まれたときから時間をかけて俺の色に染まっているお前が、別の人間の考えに触れて、ましてやあの女は庶民の出だろう。面白いと心惹かれたら、お前から、楽しかったとあの女との話を聞かされるのか?心が通うようになって、あれが受けている嫌がらせの姿でも見たら、お前は助けに行くつもりか?俺以外の誰かのために動く姿を見せられるのか。俺の鈍い時間をかけて染めた色が、染まりやすい綺麗な色に一瞬で染められて、……目の前が漠然と真っ暗だ」
セルにしてはらしくない小さな声で、手が少しだけ強く握られた。
「ん、ふふっ……あははっ、」
私の笑い声に、セルは声を失うほど驚いていた。当然か。聞かれることすら憚られる本音を、ふり絞ったんだろう。無理に向き合って、セルの両手を自分の手で包む。
「もうほんと、そのままそっくり、私も入学したとき考えてましたよ。セルがマリーさんの話を私に楽しそうに話した時、もう目の前が真っ暗で、学校が憂鬱で憂鬱で、学校に行く前はいつだってセルと二人っきりで、邪魔する人なんて誰もいなくて、でもそれが本当に幸せで。他の人なんて誰も要らなかったんですよ。それ以上面白いものとか楽しいものとかを知らないんじゃなくて、セルと一緒に居られることが幸せで、それ以上なんて存在しなかったから。私にはセルしかいないのに、セルは学校の人たちと楽しく笑ってるって。それを受け入れられない自分ってなんて最低なんだろうって。」
「ん……、」
額が重なって、軽く触れるキスをする。離れて。
「今もそう思ってますよ。ただ、セルほど人の目に触れてきませんでしたから、学校に行くと、1人で。守ってくれるセルがいない時間が多くて。その間知らない人に恐怖の目で見られるんですよ。部屋で戦場から帰るセルのことを考えてるときとは違うんです。すぐそばにいるのに、会えないし、学校での時間はセルのことを待ってる時間じゃないないから、なに考えていいかわからないんです。勉強があるだろって。わかってるんですけど。私なんて学校に居る間中、セルがほかの人と仲良くなって、どこかで楽しそうにしてたらどうしようって考えてますよ。セルは1人でも生きていけるのに、私はセルなしじゃ生きられな」
深いキスが襲って繰り返される。腰を抱かれて。
「俺も生きていけない」
まぁ、これが、泣けるくらいにうれしかったんだ。
王家の権力とは、それはそれはすごいものだ。それこそこの世界は、絶対王政、世界統一をセントラルが為していると言っても過言ではない。そんな国の次期王のささやかな願いなど、全て想いのままである。
「そ、そんな恥ずかしいこと」
「戦場に行くときはお前を置いていくしかない。それにお前だけじゃない。婚約関係にある男女は全員クラスを同じにした。なんの問題がある」
一目瞭然だろう。セルがこの学校のルールを変えたことなど。意味不明な時期に、唐突なクラス替え。面倒ごとに疲弊した教師。文句も苦言も言えるわけもない。セルの言うことは絶対だ。席までちゃっかりとなりにしてもらって。クラスメイトは青ざめている。
マリーを見てハっとするが、セルが気になって、視線が泳ぐ。
「謝りたいなら謝ってくればいい。少し安心して送り出せる」
昨日交わした言葉の意味が確かに刻まれて、肩を押された。
「あの、マリーさん、昨日は話の途中に帰ってしまってすいません」
「へっ……いや、大丈夫です。本当に、本当に大丈夫です。気にしてません。それこそ私のほうが、」
ほんの少しずつだ。親しく話せるというレベルではないが、挨拶やグループワークの時にはぐれないレベルの人物ができ、マリーの想い人はライバルキャラであった『アレン』だと知ることができた。
ふと、セルが、いや、漫画のセルが言ったとしたらとても変なことを言った。
「マリーは確かに性格の良い面白い女だが、酷な話だな」
「どうしました?」
「いや、2人は似合うと思うが、結ばれるのは難しいだろ。庶民の出だ」
「セルがそれを言うんですか?」
「どういうことだよ」
「面白いですね」
何がだよと不機嫌そうに言われた。セルがいうなんて変過ぎる。もし漫画と違うなら、この学校で唯一話しかけてくれた彼女には幸せになってほしいと思う。思うが、アレンは隣国の王子である。セルは絶対王政のセントラル王国の国王だったからこそ、誰にも文句を言われずマリーを嫁にしたが、果たしてどんな未来が待っているのか。
それは2人の問題だ。
「アレンの国の国王ってのは象徴的なもんで国の代表は国民の選挙で決まる」
「珍しい国ですね」
日本みたいだ。つか日本の象徴天皇制とまるっきり同じに
「いや、象徴つっても、何を指すかわかるか?」
「え?国王なんですよね」
「神だよ神」
「ど、どういうことですか?」
「だから、教会とかそういうのがないんだよ。アレンの一族が実質国王という名の神として国中に崇められてる。選挙つっても、狂信的な信者が神の思し召しを聞く立場を得るために国中で争うみたいなそんな感じ。アレンの家が平民の、つーか、他国の血を受け入れるってのは考えづらい」
それは聞きたくない恐ろしい話だった。2年生に上がったころ、原作漫画で悪役令嬢としてマリーをいじめ倒した女子生徒が自殺した。もともとマリーを陥れた事実が発覚した時点、つまり1年生の終わりにセルに首を落とされる人物のため、気にも留めていなかったが、よく考えれば不自然な話だった。
セルは自殺だろうが他殺だろうが、気に留めるわけもなかった。そもそもうちの国でセルに近しい人間、つまり貴族が死ぬことなどあまりに日常茶飯事で、国の貴族の誰も気に留めない。その人物に目が留まったのも、私が漫画の知識を持っているが故だった。
マリーはその話を聞いた時顔を青ざめさせていた。
「大丈夫。キミのことは私が守って見せる」
よくありそうなセリフだ。死因。死ぬ理由。気になるが。本当に一度も話したことすらない彼女の心のうちなど知る由もない。ましてや現状漫画と違う進み方をしている時点で、彼女も一人間だ。いろいろな思考を巡らせているはず。悪役令嬢だった彼女がアレンを好きだったのか、セルを好きだったのかわからないが。いや、セルはないか。
この世界線のセルはモテ男とは言えない。私がいるということもあるかもしれないが、前述したとおり、恐ろしくて、親の目もない時には誰も話しかけない。それこそ最近はマリーとアレンが多少話しかけてくれるが、セルは「そうだな」と「ん」くらいしか言わない。
じゃあアレンが好きだったのかと言われると。アレンのことなんて何にも知らない。
「あんなに熱心にマリーに嫌がらせしていたのに自ら命を絶ちますかね?」
「さぁ、この女の名前を初めて知ったよ俺は」
「クラスメイトの名前覚えてないんですか……、」
「マリー、アレン、十分だろ。後は挨拶もない」
びくりと。教室の空気が跳ねる。他人の死なんか気にしてられないよな。みんな自分の命で手一杯だ。
「ラニ様はミナの死因が気になりますか?」
「え?まぁ、自殺って珍しいなと思って」
アレンと視線が合ってドキッとする。話しかけられるなんて、ましてや授業以外の日常会話なんて珍しい。
「珍しいですかね?先月も話題になってましたよ。不敬で父を殺された生徒の自殺です」
「そ、そうでしたね」
でもそれは原因がセルだとはっきりしてるから気にならないんだよと、言い返せるはずもなく。え、なぜこんな突然重い雰囲気?
「いや、本当に単純に、ラニ様も人の死を気にされるのだなと思っただけです」
失礼すぎないか。
「そうであれば、マリーさんからたまに話を聞いたことがあった人物なので気になったという回答でいいですか?」
「もちろん。では、一緒に調べますか?」
「「え?」」
マリーと私の声が重なる。
「いえ気になるなら、私も同じ疑問を持ちましたので、一緒に調べないかという提案です。マリーに変に疑いがかかるのも心配です。捜索はこの国で幅が効く人物が手助けしてくださる方ありがたい」
「気には、なりますが、騎士団が自殺と断定したなら、私が調べても何もわからないと思いますが」
「私から言わせれば、この国は人の死に対して軽んじている部分があります。他殺と断定されても犯人調査を熱心にする様子がなく、今回のような自殺でも原因調査すら行われない。本当の原因を知りたいなら自分で調べる必要があるかと」
本当にもっともなんだが。何故、私とアレンで。本当になぜ。
「そう、かもしれませんが」
「なら」
「ラニを巻き込むな。勝手にやれ」
セルの静かな声に内心安堵する。気にはなる。嘘じゃない。調べておくべきだとも思う。でも。アレンと一緒とか気まずすぎるし、なにより、セルが嫌がるだろう。前二人で話した意味を無にするような行為だ。
「ですが」
「ラニ、きちんと調べて、赤裸々にすべてを知りたいほど、その女に興味があるか?」
「いえ、……すみません。協力できません。気になるのであれば、私のほうで騎士団を使えるようお願いしますので、アレン様のおひとりでお調べください」
「わかりました。ありがとうございます」
怪しさや、警戒なんてものは、セルなら最初からわかっていたのかもしれない。ルキの時のように。ただこの時私は、マリーのため必死なのだろうかと、ぼんやりとバカなことを考えていた。
アレンとはそれ以降深く親交を交えることはなかったが、マリーとは卒業までに友人と呼べる距離になっていた。アレンと結ばれるための苦悩や葛藤。努力だけではどうにもならない障壁など。耳を貸すことしかできなかったが、心美しい彼女は、私と違い正しく努力を続けているようだった。
卒業が迫ったある日、高価でなくともセンスの良いプレゼントを送りたい。いつも貰ってばかりで、自分も何かプレゼントしたいから選ぶのを手伝ってほしいと。その日はセルが用事のある日で、ずらしてもらおうかと考える。
「2人で行ってくるといい」
「良いんですか?」
「お前がマリーに変えられることはたまらない苦行だ。だが、お前に友人を作らせるなら、自分を陥れた女の死に泣けるような善良な女のほうが安心する。ラニに俺のようになってほしいわけじゃないしな」
「お土産買ってきますね?」
「安物に興味がない。いらん」
「今度セルと行こうと思ってた店に連れて行くつもりなんですよ」
「まぁ……好きにすればいい」
3年の中のたった一瞬。気が緩んでいたんだと思う。私もセルも。人はどんな出来事も、ゆっくりと忘れていくものだから。
「最近流行っているらしいアクセサリーショップがあるんですよ。値段も安価で、マリーさんでも購入できると思います。今日はそこに行ってみませんか?」
「事前に調べてくださったんですね。ありがとうございます。そこに行きたいです!」
友人と出かけるなんて初めてだった。子どもみたいにはしゃいで、お昼ごはんの場所まで決めて、本当に、どれほど滑稽に映っていたのか。アクセサリーショップで、アレンへのプレゼントも無事購入して、私もセルと付けたかったピアスを見つけて、2人ではしゃぎながら店を出た。そして、マリーが腕を引く。
「あそこの紅茶屋さん新しくありませんか?」
「本当ですね。見たことないです」
「ラニ様、紅茶が好きでしたよね。行ってみませんか?」
「あ、でも護衛の」
ぱっと、口を塞がれた。白い布に。最後に見たのはマリーの泣きそうな顔だった。次に目を覚ました時、私は綺麗な白い部屋で椅子に座らされていた。
「アレン、様」
「すいません。ラニ様。少しだけこの部屋でお待ちいただけますか?」
「何故、ですか?」
「セントラルを私の国にするためです」
「は……?」
マリーはボロボロと泣いて私への謝罪を述べていた。せっかく信じてくださったのに。酷い裏切りを。すみません。すみません。と声にならぬ声で泣く。
「このままでは、私とマリーは結ばれぬ運命にあります。2人で国から逃げることを考えましたが、私の心臓には守護神が宿っており、母国を捨てれば、国民を危険に晒してしまう。だが、セントラルは人々を恐怖で縛り、人の命を軽んじる邪心が支配する国。私がこの国を救い、そしてマリーを聖女と崇めれば、この国の運命とマリーと私の運命を正しい道へ進めることができる」
正しく、間違いのない、暴論だった。
「セルをどうする、つもりですか」
「大丈夫です。ラニ様。私が、邪心から貴方を解放いたします」
「私はそんなこと」
「貴方は邪神と長い時間を共に過ごし過ぎた。この世界のため身を削り邪神を抑えていたのですよね?邪神の心を落ち着かせる聖の魔力を使い続けとても消耗していると見える。貴方一人が全てを犠牲にする必要などないんです」
「そんな、そんな事実はありません。セルのためを思うことがあろうと、国のためにしたことなんてない。ましてや、自分を犠牲にしたことなんて」
「では、なぜ、邪神の隣に」
「好きだからに決まっています」
「能力で選ばれた許嫁で、邪神本人も数いる女の中から適当に選んだと」
「そう、だとしても、私は、セルを愛して……ッ」
「そうなると。貴方も邪神の一部として処刑しなければならなくなる」
部屋に響いたのは私の叫び声ではなくマリーの悲鳴だった。首筋に触れた剣。冷たく重い感覚だった。
「違うと言ってください。この世界のための行動であったと。そうしないと私は」
誰が想像したというんだ。こんな結末。鈍い痛みが首筋を少しずつ突き刺して、首筋を何かが滴っていく。きっと、うわ言だって言葉にすれば一時的に生き残れるのだろうと思う。でもそれは自分の人生への生涯への裏切りだ。世界の結末を変えて、セルの正しい幸せを奪って、マリーの正しい幸せを奪って、手に入れたセルの愛は、私の人生のすべての宝なのだ。
言葉にすることだって許されない。口走っていい言葉は。
「違うわけがない。私はセルを愛してます。世界も国も人々も、セルの愛を手に入れるためなら、全て尊い犠牲です」
心臓は嫌に早く鼓動していて、変な汗が大量に浮き出て、言葉以外は何の虚勢も張れていなかったが、間違った言葉は何も口にしていないはずだった。
「ははっ、ふふっ、はぁー……、ラニ」
「っ……せ、セル」
「最高」
扉を破り入ってきたセルからは、血と死体の匂いが混じっていた。足元が血に濡れすぎて、血の足跡を作っていた。
「なんで、場所が。王城は混乱の渦のはず、お前は、王を守るのに」
「あぁ、確かにアレン。お前にはしてやられたな。騎士団もお得意の神の能力で全員剣を向けてきやがったよ」
「全部、殺したのか」
「どうだったかな」
「セントラル王は!?置いてきたのか」
「屋敷の中がぐちゃぐちゃで選んでる時間がなかった」
そういうと、マリーとアレン、周りにいた漫画にも登場した人物たちが地面にはいつくばって苦しみ始めた。
「でも今はよく見えるからな。ちゃんと命を取捨選択できる」
「や、屋敷の人間を皆殺しにした、のか」
「お前の催眠で操られているのか、本当に反逆の意思があったかなんて、俺には判別が付かない」
「お前、お、親も」
「父さんや母さんは、まぁ、運がなかったとしか言えないが、概ね自業自得だろう」
「ッがっ……ァ゛ッ、ごほっ、げっほ、やめ」
「お前たちも等しく自業自得だ」
ばっと、アレンが血を吐き出し。神の力すらなんの意味もないと知り、絶望の瞳と視線が合った瞬間にはっとなる。この先の未来、己のため、ここにいる人間を殺してよいのかと。
「この国に手を出す意味を理解しているか?俺からラニを奪う意味を理解しているか?きちんと理解しているならば、手を出さないことが一番の平和であると分かっていると思うんだがな」
人間が弾ける。その瞬間。
「セル、殺さないで」
「ッ、」
驚いたように全員が解放されるが、誰も立ち上がることもできずに床に血や体液を垂らし崩れ堕ちている。
「何故?」
聖人的な良心でもなんでもない。ただのあまりに人間らしい理由だった。
この物語のヒロイン、登場人物を殺すことは、つまり、物語の崩壊だ。ぐちゃぐちゃに壊れているにしたって、彼らを殺し何が起きるのか、想像することもできない。メインキャラクター全員が、異なる立ち位置でこの場にいる。それが上手く息ができないほどに恐ろしかった。
ずっと恐れていた。ヒロインがセルという独裁者の更生を為さなかった未来。そして今、自分たち以外のメインキャラクターを皆殺しにしようとしている。あってはならない未来だ。全部私のせいだ。
全員殺して、セルを孤立の王として君臨させて、それを幸せだと笑うのか。否。王城はみな死んだらしい。血のつながった家族を私のために殺させた。目の前の彼らまで殺し。そして、世界中をその手に掛けさせるのか。
マリーと結ばれれば、セルはこの世界の英雄のはずだったというのに。私が彼を世界を滅ぼす独裁者にしようとしている。
本心か、その場を収める言葉か。その時の私には理解もつかなかった。
「ただ2人で居られればそれだけで幸せです」
拘束の魔法を解かれて腕を引かれ抱きしめられる。
「綺麗なドレスも、素晴らしい教育も、友人も、セルより欲しい物はありません。たくさんの人付き合いも、無意味なパーティーも、政治も、すべて捨てて、どこか誰も知らないところに行きませんか。危険なこともない、セルと離れる必要もないところに」