2話
努力ができるという事実は才能だ。見た目ぐらいしか秀でた特技のないと思ってた目の前の女は私より何が秀でていたんだろう。
国同士の仲が悪いせいで両親同士が会うたびにバチるからお互いも小さい頃から仲が悪かった。
「え?何それ、針に糸も通せないの?」
刺繍。音楽。ダンス。絵画。いわゆる芸術と言われるジャンルでラニに負けた記憶などなかった。むしろ出会った頃のラニはその手のジャンルについては凡以下だった記憶がある。
でも彼女は言うのだ。
「殿下は刺繍はできない女は嫌ですかね。」
情けない見栄の張り合いで争っているような私やラニの国の100倍大きな国が沢山ある。もともと殿下と接点がある令嬢だってセントラルには沢山いるだろう。
親たちはセル殿下の婚約者にさせるために自分の子供たちを必死に着飾って。自分より器量も才能もある人たちを見せつけられてせいぜい自分なんてラニに嫌味を言ってるぐらいが関の山の人間だと嫌なほどに自覚して。
だから殿下の婚約者になることへなんの不安も迷いもないラニが嫌いだった。殿下が知ってるかすら怪しい遠い遠い国の私たちが選ばれる可能性なんて。
そう思っていたのにラニは当然のような顔で殿下の隣で笑い、私の知る1度だけ見かけた殿下の姿を別人のように変えていた。それこそ世界中の女たちに付け入る隙を与えなかった。
正妻が厳しければ側室に。ラニの次なんて死んでもたまるかと思いながらも父の言いつけを破ることもできず連れて行かれた殿下の生誕祭。私のようにこれから戦場にでも行くのかと言うほどに着飾られた女ばかりなのを見て自分を含めみんなに同情する。
そんなに人の心に入り込むのが上手かっただろうか。ろくに男と話している姿も、パーティーで友人に囲まれる姿も見た記憶なんてないのに。
殿下はラニの腰から手を離さない。ほとんど2人にしか聞こえない距離で話をしている。くすくすってダンスもろくに踊らないで2人で楽しそうに。こっちは殿下とダンスが踊れなかったら怒られるのに。
父には常識をとやかく怒られるけれど、この人たちが一番常識はずれじゃないか。そもそもずっと一緒にいるくせに、まだ話したりないのかよって。嫉妬を超えてイラつきだ。
殿下がラニにキスをする、そのあと首筋にキスをして髪に唇を寄せる。照れ臭そうに嬉しそうな顔をしたラニを殿下は満足そうに眺めていた。
殿下の視線は、ラニ以外を映さない。
政略結婚を誰も疑っていなかった。殿下が選り好みして選んだにしたって沢山の利益を考えて選ばれていると誰もがそう考えて今日この場に隙を探しに来たわけで。
「ラニ。もう飽きた、帰りたい。」
「帰るって、まだダンスも始まってないですよ?」
「……ダンスとか、マジ怠い、」
「そもそもセルの生誕祭なわけで、」
ラニの腰を抱きしめて停止して。その先は耳をすましても聞こえない声で2人は喋っていた。
「はぁ……、やる気無くすわ。あんなの見せられたら。あの殿下本物ですかーって感じなんだけど。」
「それな。どちら様すぎて頑張り甲斐が、」
ラニにも引けをとらなさそうな美貌のセントラル国の紋章をつけた令嬢たち。およそ上品な見た目には似合わない口調で、同じくダンスにも参加せず話している姿を見た。
「自分達ばかり着飾って馬鹿にされてそうで帰りたくなる。」
「大丈夫。殿下の眼中にもないから心配すんなって。」
仲の良さそうな男性たちと愚痴を言い合っていた。ふと。小さな疑問が口に漏れて響いた。
「殿下は随分変わられたんですか?」
数秒視線があってあいさつもなしに話しかけてしまった事実に後悔する。でも。
「ラニは地元ではあんな女ではありませんでした。」
そういうと一つ瞬きをして腕を引かれた。
「変わられたも何も別人よ。笑顔なんて誰もみたことなかったもの。そもそも女性の腰を抱く姿なんて、」
「でも夜は毎日違う女を侍らせていたって、」
「全然、むしろ女なんてって蔑んでる?見下してる?そんな感じ、触れられるのが相当苦痛なように見えて、殿下と踊りたい子は手袋をつけるのが一部の常識なのよ。」
ほらと皆どこかしらから白い手袋を取り出す。
「だからセントラルでは手袋するのがはやったりしてんのよ。」
「そう、なんですか。」
「それよりラニはどんな女なの?」
「いや、幼少期から知っていますがパッとしない女ですよ。綺麗な顔はしていますが派手な服も着ませんし、親しい男性もいません。言葉がうまい方だとも、それこそ男性を扱うのがうまいとはとても……、」
「そうなの?」
「えぇ。本当に社交的なイメージはあまりなかったです。」
言葉も少ない方だ。およそ相手がラニの言葉をちゃんと理解しなくとも話を終わるようなあまり気を遣える方でもない。むしろあの美貌は中身には不釣り合いに思える。
戦争に強いラニの国だが彼女はどこか浮世離れした雰囲気で、いつだって箸も握ったことがないような様子で静かにしていた。
今考えれば、一部の男には人気だったか。人間関係に潔癖な偏屈な考えの男に。殿下は。他人に触れられることに抵抗があって。食事に酷く敏感で。
「揃いの耳飾りに、対になったパーティ衣装、全員無視で2人でおしゃべり。あれなんかすっごい高い細工なのよ。一生物の指輪にする様なやつがドレスとタキシードに全部散りばめられている。殿下の寵愛を受けた人間の証明よ。あれがこの場にいる女たちが夢見た席。みんなあの女が恨めしくて仕方ないでしょう」
頷くことしかできなかった。
「でも敵に回したらどうなることか」
私はラニに好かれている記憶がない。何かあったら、不利だろうな。だが、もうしゃべる機会すらそんなに多くないんだろうと、つい先日まで憎たらしく傍で比較の対象だったのに、それすらできなくなりつつある事実に寂しくなった。
そんな時、誰かが言った。
「部屋の扉が開かない」
「どういうことだ、どけろ」
「は?手洗いに、行きたいのだが」
「私は、一服に」
部屋の扉、窓、使用人が食事を運ぶ台所へと繋がる扉すら開かないと言い始めた。王宮の使用人たちが、貴族たちに苦言を言われ始めたあたりで、また誰かが言った。殿下がいないと。そう、この日の主役がいないのだ。もちろんラニも。
どういうことだと、貴族たちの怒りが増長され、パーティーの音楽すら止まったころ、扉が開いた。そうなれば当然、注目が集まる。扉の先に苦言を言おうとして、皆が言い留まった。
「で、んか、あの、これはどういう」
セントラル国の宰相の息子。時に殿下との関わりも多いだろう男が、それは怯えながら声をかけるのだから、この国の王政とはどれだけ圧倒的なものなのか、そして恐ろしいものなのかを感じる。
素晴らしい国とは、家臣が王へ気兼ねなく意見し、近い距離にあり、国民の意見が王のもとへ届く環境にあると聞く。ほど遠いだろう。この国は。今も着々とセントラルは国を拡大しているが、この国ほど絶対王政を感じる国はない。
貴族同士の差は大きくなく、このパーティーを見るにも、惨めな貴族同士の争いなどは感じられず、パッと見は良い国のように見える。だが実際は違う。王政が圧倒的なのだ。それ以外がすべてその他大勢なのだ。だから、皆、王に目を付けられないための行動をとっているのだ。それ以外が存在しないのだ。
セントラル国の貴族は娘をセルの嫁にすることしか考えていないし。全ての功績は陛下に評価をもらうため。王を出し抜き、陥れるなんて言う考えは、それこそ本当に1ミリもこの国には存在しない。
セルの怒りはこの国の絶対だ。肝が冷える。他国は驚いて声も出せなくなる。いくら私が国王の娘でも、セントラルの上の貴族たちには遠く及ばない。先ほど話しかけるだけで恐れ多いと感じたのに。
セントラルの貴族たちは、パーティー会場のセルの様子に、一瞬で貴族であることのプライドもないように頭を垂れるのだ。いったい彼が何に怒りを感じて、何に怒っているのか、いや、そもそも他国のセルという男をたいしてみたことがない私たちには、彼が怒っているのかすら分からない、その様子を一瞬で見分け、そして、この日のために作ったドレスを惜しみもせずその場で跪く。
異常だ。あまりに。他国は取るべき行動が分からず、たじろぐ。
さっき笑ってラニの話をしていた女たちも、それと楽しそうにしゃべっていた男たちも、身体が震えているんだ。震えて、床に跪いて、全身が青ざめている。
「他国に弱みは見せられないからと、部屋の外で血を吐いたんだ」
何故彼の声はこんなに小さいのに、こんなに会場のすべてに届くのか。それはきっと、恐ろしいほどの魔力が、言霊に混ざっているから。殺意という魔力は、魂には毒だ。肌に痛みを感じて、心臓の鼓動が速くなる。
「自ら名乗り出ないのならば、全員処刑する。その後、貴様らの妻も娘も子どもも、皆殺しにして、他国の人間は国を滅ぼす。ここにいる王族は、血を根絶やしにするまで全員殺す。」
なんの話だか、分からない。それなのに、私たちは殺されてしまうのか。冗談ではないと、それだけは確かに分かるのだ。セルの服についた血は誰のものだ。陛下か?いや、状況を考えるにラニのものだろう。
「この国で、俺に謀反を起こそうなんて人間は、少ないだろう。妥当に考えれば他国の間者だろうな……では今立っている人間は前に出ろ。頭を垂れている人間は犯人を捜せ。見つけたら褒美をくれてやる。見つからなければ、己の血は全て絶えると思え」
なんの冗談を。ある国の王は言った。その王の首を、地面から立ち上がった若い男が撥ねた。そして身ぐるみを剥いで舌打ちする。
「……わ、私には、心に決めた女性がいる。彼女は今身ごもっているんだ。だ、誰にも私の幸せを、家族を、奪わせはしない!」
その日、セントラル国は12の国を滅ぼし、支配を増やした。あんなことをさせたセル本人を、と考える人間はセントラルにはいない。セルへの恐怖は、他国の人間の比ではない。あの一瞬で、何が起きたかを理解しないまま、剣を持ち、人間も何人も殺せてしまうくらい圧倒的なものなのだ。
全ての事情を知ったのは、血の付いたドレスで、母国に帰った後だった。あのパーティーでラニが誰かに毒を盛られた。それに怒りを示したセルがあんなことをしたのだという。貴族同士の殺し合いが始まって、数分たったころに殿下が「止まれ」と声を出し1人の男の首根っこを掴んだ。
なぶり殺しは、なにより辛いものらしい。時が止まった様に誰も声の一つも出さない会場で、殴り蹴り、死にかけると治癒魔法を掛けて、また殴り始める。とても見られるものではなかった。戦争なんて無縁な女性たちは視線をそらし耳を塞いで、家族や護衛に肩を抱かれながらしゃがみこんでいた。
この国の者たちは、ただ静かにその様子を眺めていた。1度や2度ではないのだろう。こんな事が起こるのは。セルだけではないのだろう。この国の王の血は、残酷で残忍で。陛下に比べればセルの怒りの沸点はそこまで低くないと。起こったことが悪かったと。この国の者たちは血を恐れることもなく、帰っていった。
これが、この世界を支配する。セントラルの次期国王。セル・メイリア・アルバート。