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1話

好きだとか。言ってしまったら私が悪役令嬢のようになるのだろうか。あんな風に他のただのどうでも良い人間と同じように、存在しないもののように扱われるのだろうか。耐えられない。怖い。どうしようもなく怖い。ヒロインなんて嫌いだ。『死んでくれないだろうか』本当に。そう願うこと自体、きっと何もかも間違っている。


私はこの世界のキャラとして何もかも間違っているんだ。出来損ないなのだ。


何言ってるか意味がわからないだろう。順を追って説明しなければならない。


生まれた世界が、昔生きていた日本という国の大人気少女漫画の中の世界で。あら不思議、自分は、ヒロインと結ばれるこの国の王子様の婚約者で。最初はライバルとしてヒロインに嫌味を言うけど、ヒロインを認めてからは「もとから契約的な婚約だもの。本当に幸せな人と結ばれるべきよ。」と、とても円満に潔くヒロインに婚約者の座を譲るキャラクター。


しかも、後々は一緒に悪役令嬢を倒すのを手伝ってくれるキャラなのだが、簡単な話だ。私が好きになってしまった。ヒーローを。言い訳も何もない。漫画のキャラクター。完璧な男だ。一体何がどう好きなのか。うまく説明もできない。ただ、長い時間を過ごして、いつの間にやら好きになっていた。何もかも。


漫画ではヒロインを通して変わっていった彼だが、何も変えられない私はこの人の残虐なところを含め、全てがたまらなく好きだった。盲目的に目の前が何も見えなくなるほど好きで。それだけだった。


潔く譲らなければ、私が悪役令嬢のように、彼に殺されるのだろうか。ヒロインと結ばれるところを、私は漫画のように笑顔で応援しなければいけないんだろうか。それが本当の彼の幸せだと。


そんな事実、知らずに生きていたかった。


生まれたときからこの世界が漫画だという自覚があったわけじゃない。ただ。生まれたときから皇太子殿下の婚約者になるべく教育されてきた。この世界には一つ。地球で言うアメリカのように、戦争でも経済でも、なんでも頂点に立つ国がある。それがセントラル。


私は王の娘だが、セントラルには到底及ばない国の娘で。父はセントラルの豊富な油田とレアメタルを求めて、何としても密な貿易関係を望み、私と殿下を結婚させることを目論んだ。


私の国は石油が取れない。資源がない国は、戦争の馬力がない国だ。父はそれをひどく嫌っていた。


セントラルの跡継ぎ。セルとの結婚は世界中の姫たちが望む席だ。出来るなら何人だって側室を取ってほしい。


そんなセルとの結婚を目論んだ世界中の王族が、子作りをするんだから、私と同い年の娘は馬鹿みたいに多かった。みんなみんなライバルだ。誰にも負けてはいけない。そうやって教育されてきた。


生まれたときから一切の自由がなくとも、このころは前世の記憶なんて思いだしていないのだから辛くなかった。それが当たり前だと疑いもしなかった。むしろ光栄だと幸せだと思っていた。自分の身体は漫画のキャラクターらしく万能で何でもできて。


最後の候補の100人ぐらいには簡単に選ばれた。12歳の真夏。


マネキンの服を眺めるためのように並べられて、一言も話しかけずセル殿下が私たちの目の前を通っていく。必死に女たちは殿下に声をかける。


今になってしまえば、これが決められた物語のストーリーだったのか、私にわからない。物語とは、ヒーローとヒロインのために存在していて、数いるライバルキャラのためには作られていないだろうし。どこまで裏設定があるのかなんて作者にしかわからないだろう。


殿下は一言私を見て笑った。


「ふっは……、お前、惨めじゃないのか。昨日大臣に寄越された女と同じドレスを着て、唯一俺が傍に置くメイドと同じ香水を着けて、俺が妹に渡した靴と同じブランドを履いて。そこまで必死に調べた情報に何の意味もないなんて。」


100人の女が私を馬鹿にしたように笑って。ふっと殿下と視線が合った。そこですべてを思い出したんだ。完璧に整い過ぎて不気味さすら感じる。闇のような黒い髪に、血のような赤い目。幼少期のセルであろうと、漫画のセルだとわかってしまうくらいには、印象的で、完璧な男だった。


中身の薄い自分の前世。思い出さなければ幸せだったと思わずにはいられない。これから先もずっとずっと思い出さなければよかったと心から思う。セルと並ぶことが不相応ではない、完璧な自分が崩れる瞬間だ。過去と混ざり合い、ダメな自分が、自分を支配する。そして、そちらが自我になる。


はっとなって。でも。残り少ない完璧な自分が言おうとした一言を発した。


「惨めなわけがありません。こうして足を止めてもらえたのだから。……私は殿下のために死ねる女ですよ。」

「へー。油田求めてここにいるのに?」


見ていないようで殿下は見ている。100人の女をちゃんとしっかり把握している。自分の婚約者だ、当然と言えば当然なのかもしれないが驚いた。


「父の道具として生きてきました。自由のない人生でした。今日初めて会った殿下のことを、殿下より知っているかもしれません。でも、私も父の奴隷としてここに来たわけではありません。ここで殿下に選ばれれば、次は父など笑って道具として使ってやります。」

「今度は俺に道具にされ、自由のない人生になるだけだろ。女なんてどこに行ったって良い未来なんてない。生まれが不憫だ。」

「何を言いますか。貴方に愛されれば、戦争にも出向かず、安全な部屋で、この世界を支配できます。」


視線が合う。


「名前は?」

「ラニと言います。」

「……覚えておこう。ラニ」


セルは非道で独裁主義な男だったが、ロマンティックを忘れない男だった。出会いがしらには花を渡すし、手紙も存外返してくれる。同じ分の長さだけ愛の言葉ってのをちゃんとつづる。それが意味があって本当に愛があるかは別として。


父はよくやったと褒めたたえたが、思い出してしまった前世の自分が何かを邪魔した。そう。人格という部分ではなく常識という部分が前の世界を思い出し、ずれたのだ。


なんだか父が恨めしいような気もして。変な笑いがこぼれた。


そしてセルの要望によりずいぶん早急に嫁ぐことになり、初めてきちんと顔を合わせた。あのマネキンの面接会場みたいな場所以来初めてのことだったが、手紙のやり取りなど、何の意味もないことをよく示していた。つまり心の距離は何も縮まっていないということだ。


「久しいな。」

「文通をさせていただいたため、寂しさもまぎれました。」

「そうか?中身のない文を送ってきたくせによく言う。」

「……愛おしく思いますと何度も、」

「どこを?」


偉そうなやつ。実際。ヒロインに潔くセルを渡す私ことラニはこの時どう思っていたんだろうとふと考える時がある。でも実際にはわからないからどうしようもない。正解なんて不明だ。


「権力、地位、名誉、財産。すべて貴方の魅力です。」

「……もっとあるだろ。お前何でも知ってるんだろ俺のこと。」

「支配者としての才能などですか。」

「そこは褒められるとうれしいな。」

「セントラルは軍事設備が世界1位なのはもちろんですが、殿下のたぐいまれなるセンスと才能で、最低限の出費で各国を統治していることは素晴らしいと思います。そして、何より、自分が王であるという事実を他人に知らしめる天才だと思っています。」

「支配か。」


ぎゅっと握手をされた。びくりと肩が跳ねる。


「震えているな。」

「……怖いですよ。」

「夫になるんだぞ。愛されるんだろ。俺に。」

「虎や狼じゃない。この世界を支配する化け物と戦って平然としゃべっているだけで褒めてほしいです。」

「ははっ、上出来だ。顔を上げろ。」


視線が合ってキスされる。甘い触れるだけのキス。でも初めてだった。びっくりして、しかも震えていたのだから、体勢が崩れて、本当に転びそうになって。


「知ってるか。この国ではキスもセックスも結婚するまでダメなんだよ。」


当然知っていたから油断していた。支えられながら首振り人形のようにうなずいた。


「そうか知ってるか。それならバレないところでやろうなと言おうと思っていた。」


びっくりして声が出なかった。距離が近すぎて、ラニというキャラクターなら絶対にしないであろう表情をしている自信があった。


「そんな面白い顔をするな。」


鼻をつままれた。バレないところでという言葉は冗談ではなくて。キスぐらい日常の隙間に、平然としてくるわけで。セルは私に一切の興味がない、というわけではないようだった。ただ根が残忍な男だから、屋敷の空気は決していいものではない。


いつもどこか使用人たちの空気はピリついていて、というか、セルを恐れていて、セルの前で言葉を発する使用人は誰もがどこか緊張している。でもそこは、生まれながらの教育だ。私の身体はよく覚えている。セルの好みの茶から服まで何だってぱっと分かるから、テストみたいで楽しい。


「ホントにお前何でも知ってるんだな。」

「知ってますよ。殿下の好きな料理ならシェフにも負けずに作れる自信があります。誕生日や記念日は一生楽しみにしていてください。誰よりも楽しませます。」


そうかと。確かに茶はうまいよと。満足そうに腕を組んでいた。存外平和な、悪くない日々。当時私は、悪役令嬢で断罪されるキャラクターでもないし、少しヒロインへの嫌味に気を付ければ未来は安泰だろうとそう思っていた。セルとの関係だって、出来る限り良好であれるよう努めようと、そう思っていた。


でも、セルはヒロインに出会い改心するキャラクターだ。それまでは残酷で残忍な完ぺきな独裁主義者。そのことを私はどこかで忘れていた。出会いはあんなに冷たかったのに、存外普通な屋敷のセルに騙されてしまっていた。


事件は唐突だ。とても滑稽でバカげたしょうもない話。


「ホワイトソースの味がいつもと違う。」

「確かに、甘味が足りませんね。父上。」


味が違うと言い出したのは、現国王、セルの父だった。セルの味の好みだけは完璧に把握している私だ。分からなくはなかった。でも決して不味いわけじゃない。何ならいつも通りおいしいのだ。なのに。


「シェフはどうした?」

「っ……あの、今日は、ご家族が体調不良のようで、」

「で?」


それがきっかけで血の海になんてなると思わないだろう。そんな話は聞いていないと。早朝の出来事で朝の食事に間に合わず早急に代わりのものが作ったらしいが、許されないらしかった。シェフの一族皆殺しで、さっきのメイドなんて目の前で殺されて。


使用人たちがセルに声をかけるだけで震える理由がよくわかる。


セル本人の沸点が異常に低いわけではない。ホワイトソースのことだって本人がそこまで怒りを示しているようには見えなかった。でも、父が不満を漏らせば側近の騎士と一緒に迷いなく使用人たちを殺してしまう。


この家族は全員可笑しいが、目に見えて恐怖を与えているのはセルだった。


食欲なんて失せるに決まってる。私だって震えるよ。でも、セルはそんなの気にしていない風に血を拭くために浴びたシャワーの後私の部屋に来て言った。


「ラニ。飯。」

「飯って、」

「動いたら腹が減った。」

「……さようですか、何か食べたいものはありますか?」

「んー、ピザか辛いチキン。」

「意外とジャンキーなやついくんですね。」

「がっつりしたのな。」


父には台所になんてめったなことがない限り立ってはいけないと。品位を問われると言われたけれど。それから何度も、台所に立つ機会は多かった。私が台所に立つとセルは満足そうに。


「妻が作る料理ってのはなんか家庭的で悪くないな。」

「……まだ結婚してないですけどね。」

「婚約者っていうと若い感じがするだろうが。長年連れ添ってるぐらいの距離感でいいんだよ。」

「分かんないです全然、」

「はぁ?通じろよ。」

「殿下以外知らないですし。」


真面目にそんな返答をしたら素っ頓狂な顔をされて。


「お前、マジか、」

「……悪いですか、」

「いや。意外だ。俺のところに来る女なんて、男の誘い方ばかり練習させられているんだと思った。」

「させられてますけどね、別に慣れてるわけじゃないですよ。」

「どゆことだ?」

「殿下の誘い方を練習させられてたのであって、ほかの男性の経験なんてないですよ。父曰く純粋であることも大切だとか何とか。」

「確かに。分からなくはない。お前の父は優秀だよな。」

「父は殿下にも負けない怖い男ですよ。」

「それで、それいつやってくれんだ?」

「……結婚したらじゃないですか。」

「は?……いやバレなければいいだろ。バレなければ」

「い、嫌ですよ。」

「なんで?」

「だって、」


バカにされそうだと。声に出す前に背後に気配を感じて振り返ると。距離が。思った以上に近かった。


「はは、顔あっか、」

「っ……、」


知り合いの少ない他国の王宮の中。殿下の好みを知りたくて幾度か会話を交わしたシェフはもういない。つい先ほど殺されてしまった。


そんな事実を知りもしないみたいに、殿下は私を甘い雰囲気で腕をひく。存外フレンチな今日のキスは、血の味がするんじゃないかって絡めるのが怖かったけれど。そんなことはなかった。


あんまり長いから呼吸がうまくできなくて、持っていたゴムベラを落としてしまった。鈍い音が響いて。少し唇が離れる。ガスだってつけっぱなしなのに。


「失敗、したら、殿下のせいですよ。」

「どんなにまずくても今日だけは上手いと平らげるさ。」

「つまみ食いだって、」


ホワイトソースでは、人の血が流れるのに、私の不味い料理は許すのか。そんな馬鹿みたいな考えが頭をよぎった。


「もともと俺が食べるために作ったものだろ、」

「……屁理屈ですよ。ずるい、」


恥ずかしくなってしゃがみ込んでしまう。そんな姿に殿下はくつくつと笑った。


「平和だな。」


平和とは?なんて聞けるわけもなく驚いて顔を上げた。


「お前が来てから、なんだか俺の時間は少しのんびりしているよ。」

「迷惑、ですか?」

「いや、悪くない。どんな美人も器量のいい女も、隣に置いておく時間が長くなると気分が悪くなる。が、お前は傍にいるのが苦痛じゃない。」


それはきっと長年の教育のおかげだ。


「それだけと思うかもしれないが、俺にとっては何千人何万人の女を見て初めてだったわけだから。」

「っ……、」

「大切にしないとな。お前は相手なんてどうにでもなるかもしれないが、俺が一生婚期を逃す気がする。」


大切にするだなんていわれると思っていなかったわけだ。だからびっくりして、きっと愛の言葉の一種のはずだったのに、顔が上げられなかった。自分が今どんな顔をしているのか自分でもわからなかったから。


息苦しさしか感じないこの屋敷にもずっといれば慣れてしまうわけで、もうここにきて1年以上がたっていた。セルとの関係は、きっと世間が想像する以上に順調で、私が想像する以上に甘く苦いものだった。


「疲れた。」


癒せ。命令のような口調で抱き着いてくるから。緊張の言葉も一年たってようやく慣れた。


「順調ですか?」

「拷問がか?」

「いや、まぁ、」


そう言われてもと思う。先日、城下町を視察に行った際に暗殺者に襲われた。隣の国の者だと断定はできたが、命令者が分からなかった。普通なら隣国の間者だと思うかもしれないが、片目に傷のついた人間は国を追放された者の証拠で、その間者には傷があったため、さて命令者は誰だという話になっているのが現状だ。


身体を抱きしめられて、手を握られる。そしてその瞬間。鉄臭い匂いが広がって。自分の手を眺めた。


「あの、殿下、血、」

「手洗ったんだけどな、あぁ、抵抗した時のか、服にもついたか?」


くるりと体を回されて。


「このドレス似合っていたのにな、……新しいの買いに行くか。」


いやその前に。手を握って回復魔法を掛けた。


「ドレスならたくさん貰っています。」

「あぁ、」

「ほかに傷はないですか?」

「たぶん、」

「痛いところは?」

「とくには、……いや腹が、痛かった気がしたんだけど、」


今は痛くないんだけど。って。なんだそのあいまいな言い方。腕を引いて、ベッドの方へ連れて行く。座らせようとして立ち止まった。


「さすがに、服はまだ着替えてきていない。」

「いいですよ。そんなの。」

「誘われてるのか?」

「っ……、」


公務も終わりの時間ということにしていいだろう。香油で整えた髪をぐしゃぐしゃっとかき混ぜた。服に手をかけたら腕をつかまれた。


「するならメイドを、」

「しません、」


脱がせてびっくり。傷だらけなんだから。妾の子供なんかじゃない。正妻の歴とした第一王子が。分からない世界だ。傷に触れるとぴくりと肩が跳ねた。


「感じるんだけど。」

「殿下の頭の中ってどうなってるんですか?」

「普段は、政治と金のことが8割だが、今はエロいことが9割くらい?」


ちょっと笑った。なんか。漫画と全然違うからさ。ちゃんと残忍で極悪で怖い人なんだよ。身体のどこかに血がついてることなんてしょっちゅうだし。人の命を軽んじている。ひとたび戦争を始めれば、その国の王族を皆殺しにすることにだって躊躇がない人だ。相手の気持ちを理解できないし、使用人はころころ変わる。


でも、一対一で向き合って、こうやって距離を近づけて話をすると年相応で。なんだかなって思うんだよ。傷を治すと、ぎゅっとまた手を握られた。そういえば中学のころのクラスメイトの男子なんてエロいことばっかだったよなって。


「一緒の部屋にする?」

「絶対怒られますよ。」

「だよな。分かる。……母上が絶対ブチ切れるわ。」


治し終えて服のボタンを留めなおす。


「さすがに切られたときとかは痛いって思うんだけどさ。」

「はい。」

「医者に見せんのも、そいつが自分のこと刺してきたらって思うわけよ。」

「はい。」

「小さいころ毒盛られて死にかけてさ、解毒薬持ってきた医者も、俺に毒盛るわけよ。」


はいと。返事をすると、ベッドの下に座っていた私の手を引っ張って、自分の隣に座らせた。ぽんと肩に頭が乗ってびっくりする。想像と現実はだいたい違うものだ。分かっているつもりなんだけれど。


「医者って苦手なんだよな。」


そのうち数分が経ってすーっと寝息が聞こえた。回復魔法を使っても消えなさそうな跡がいくつか目立つその体は、きっと私には想像もつかないような世界で生きてきたんだろうと、そう思った。私がまだ知りもしなかったセルに好かれるために人生を消費してきたように、セルも何か生きることに必死にならなければいけない理由があったのだろう。


眠っている間、セルは私の手を離さなかった。


拷問の成果は芳しくなく。暗殺者の根本を探れず、もう言葉をまともに発せなくなってきているんだよなと怖いことを言うセルと茶をしていた時の話だ。謀反は、”私”にとっては唐突だった。


お付きの騎士が慌てた様子で私たちの部屋の扉を開き。セルが不機嫌そうに声を発した。


「ノックはどうした。」

「すい、ません、ですが殿下、」

「ルキか?」

「え、あの、」

「ルキが反乱軍でも連れて離れに攻めてきたか?」

「し、知っていたんですか?」

「いや?適当な妄言。」


私が入れた茶を、ゆっくり時間をかけて飲み干すと。


「ラニはこの部屋でチーズケーキを作っていること。」


頷くと。


「行ってくる。」


ルキは、セルの腹違いの弟だ。知っていることはそれだけ。深く会話をしたことがないけれど。セルとはあまり仲が良くない。セルと国王のように無理な残虐はしない。夕食の時間もあまり会話をするタイプではない。


ただ一度。会話をしたことがある。


「兄に言われるがままに生きて、窮屈な牢獄に閉じ込められて、疑いも持たず妄信し続けて、惨めではありませんか。力という圧倒的な存在に頭を垂れて、間違いに一つも意見を言わず、貴方は生きているつもりですか?」


酷い言われように、笑ってしまった。


「私は男性ではないので、剣を振るい、皆を従わせ、自分の意見が正しいと真向に言うことは確かに難しいですね。」

「まるで母上を見ているようだ。……家族を殺されても母は泣きながら父を愛していると言っていた。」

「でも、女には女の生き方があるのですよ。」

「男に愛されて、自分の意思なく生きることですか。」

「殿下への我儘の方法を教えて差し上げますか?」

「は?」

「キスをしたら皿を洗ってくれるし、一緒のベッドに寝ていいというと前日に徹夜して仕事を終わらせて次の日は休みを取ってきてくれます。」

「嘘だ、」

「殿下が100%正しいとなんて思っていませんよ。でも、愛情ってものはまた別な問題なんですよ。家族は殺されたことがないから私にはわかりませんけどね。」


そもそも私の家族が殺されたところで、その相手を恨むことなんてできるだろうか。たとえ今が幸せだとしても、政治の道具として私を軽んじた父を恨んでいないわけではない。一度も助けてくれなかった母を恨んでいないわけではない。


殿下が正しいなんてことはありえない。誰もが知っている事実だ。でも、この世界はセルの一族が中心に回っていて、セルが白と言えば黒だって白だ。カラスだって白い。でも世間一般の人々はセルの恐怖を知りもしない。こんな風に一喜一憂して、世界の覇権を一生懸命争うなんてのは貴族たちの話で、戦争ばかりの国に比べたらセルが支配した国は戦争がなくなり平和になるのだ。


とにかく私が、セルに支配されて自由のない人生を歩んでいるなんて言うのは、それこそ妄言なのだ。貴族たちはなんだか大変そうねぇ、なんて言われるそれでしかないのだ。


もちろんどう頑張ろうと貴族社会から抜け出すことなんてできないが、自分だけが不幸だなんて顔をしている弟くんは少しかわいそうだと思った。世間から見れば私は自由のない可愛そうな姫様なんだろう。でも、存外悪くない日々を送っているのだ。きっとそんな苦しそうな顔をしているキミより私のほうが幸せだよ。申し訳ないけれど。


母を想い、家族を想い、どんな理由があってかは分からないが彼は戦っているのだろう。何かと。セルと相容れることはないのだろう。


「世間から見れば殿下もルキ様も、すべてを持って、何もかも自由で、世の中の全員が羨む存在です。私は、ルキ様の言う通り殿下の言いなりのかわいそうな姫なのでしょうね。でも、存外幸せなんですよ。自分なんて興味も持たれず、ただ契約のような結婚するだけだと思っていましたから。父の言いなりで殿下に気に入られるためだけに生きた今までの過去が清算されるようです。殿下が気を許した時の顔なんてルキ様は知らないでしょ。」

「ラニ話過ぎ。」


びくりと驚いて、この時ばかりは、ルキと私は同じ顔をしていただろう。そこで話は中断してしまったわけだが。


「自分が幸せだと思えればそれでいいんですよ。他人の幸せのために自分を犠牲にする必要なんてない。家族のためだって、自分以上に優先する必要は絶対にないんですよ。」


この言葉がルキの心の片隅にでも、残っていたのかどうかはわからない。セルが部屋を出て行って1時間と少しがたったころだ。私の部屋に入ってきたのはルキだった。


「護衛たちは。」

「言わなくてもわかるでしょう。」

「謀反を起こすほど険悪なんですか。」

「ただの復讐です。僕は家族を兄と父に殺された。だから貴方を兄から奪う。」

「まだ家族ではないですけどね。」

「セルは、冷淡な奴だ。祖母を殺すときも妹を殺すときも、何の迷いもなかった。大切な者がないアイツから何を奪っても意味はなかった。でも貴方の話を聞いてやっと復讐ができると思った。今日ここで殺されたってかまわない。貴方と兄を殺せるのなら、僕はそれが幸せだ。やっと生きている意味を見出せる気がする。」


生きる意味なんて人それぞれだとつくづく思った。自分のためにしか生きられないセルや私は存外お似合いだったのかもしれないと思う。戦闘なんてできない私は、容易にルキにつかまってしまった。首にナイフが触れて、血がこぼれる。


抵抗なんてできるわけもなく、全身返り血を浴びたセルと顔を合わせた。


「ラニ、」


剣を振るおうとしたセルにルキが叫ぶ。


「貴方はあの日、僕の家族を皆殺しにした。覚えていますか。」

「さぁ。どうだろうな、」

「ふざけるなっ、母さんは、どんな思いで、」

「生きているだけで幸せに思えよ。お前こそ。自分の立場を忘れたか?」


ルキの叫びは聞いていられないものだった。ルキが元いた国はセルの国『セントラル』に守られている国だった。良い言い方をすれば保護国、悪い言い方をすれば植民地。昔々に戦争に負け、セントラルの支配下と陥り、国の状況はひどいものだったという。


奴隷商売と麻薬に浸食された国。ルキの母は、国の防衛のためにセルの父に身体を売ったのだという。王の娘として生まれて。国の道具として生きて、薬で頭がおかしくなってしまったと語った。


そんな中腹にできたのがルキ。ルキの国は、これが何かこの国を良い方向にもたらすのではないかと、ルキを大切に育てたのだという。セントラル王は大変セルを可愛がっていた。それならルキも王に可愛がられるかもしれないと。


はじめは可愛がられて育ったという。だが、ルキの母の身体が薬に耐えられなくなった。セントラル王がルキの母を使ったのは薬を使った激しい行為の時のみ。母が使い物にならなくなった瞬間。セントラル王はルキの国に興味をなくした。


そして、その事実に耐えきれなくなったルキの国がセントラルに戦争を仕掛けた。それで皆殺し。ルキは、母に助けられたのだと語った。


「母さんは言わされたんだ、父に、何もかも、」

「『国なんてどうでもいい貴方だけを愛している。だからどうか私だけは貴方の傍に居させて』か?」

「っ……母さんはあんな奴、愛してなんかいないッ、仕方なく、」

「ちゃんと覚えてるじゃねぇかよ。自分の立場。謀反を起こすような国の妾の子供が、生かされて、今この場に居られるだけで感謝しろよ。一生頭下げてろ。お前の母親は強く美しかっただろう。」

「何を言って、」

「全部のプライド捨てて、自分の命をなげうって、お前を守った。何百万の命を懸けて、なにも守れなかったお前の国で、唯一、お前の母だけはお前を守って見せた。何故おまえは全部を無駄にするんだよ。」

「う、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい、お前に、すべてを持ってるお前なんかにっ、何が、」


私の首元から離れた剣が、セルのほうへ走る。無意識だった。その時自分が何を考えていたのかなんて覚えていない。セルが死ぬことで失う、自分が今手に入れた立場を失うことが惜しくなったのか。それともすでに愛していたのか。手に入れられるはずの女としての世界で一番の地位が惜しかったのか。この部屋に汗をかいては走ってきてくれた事実がうれしかったのか。


何もわからない。でも。


ずっと胸に隠して握っていた、常に身に着けていたナイフをルキに刺してしまった。魔法が存在するこの世界で、真っ赤に染まった手を見て、現実を取り戻した。セルがルキに負けるわけない。分かっていたのに。しかもルキにだって同情すると、話を聞いていた時は思っていたはずなのに。なんで。だから、何故だか、全然わからなかった。自分が何をしたのか理解できなかった。


「ラニ、……貴様、」


ルキが腰に刺さったナイフを信じられないもののように見ている。私も自分が信じられなくて、慌てて手を離した。その時ルキが私の腕を掴んで、剣を振りかざそうとする。次の瞬間、目の前の首が飛んだ。


世界のすべてが静かになって、数秒停止してしまったような気がした。でも。セルに抱きしめられて、キスをされて、はっとなった。


「っ……殿下、なんで、」

「セル。」

「え?」

「殿下じゃなくてセルって呼んでほしい。」

「い、今ですか?」

「そうだ。今だ。今しかないだろう。」


正真正銘。血のつながった弟の死体の脇。セルはいつも通りだった。顔色が悪い私のことなんて、目の前にいるのに見えて居ないようだった。


「せ、セル。」

「っ……、あー、マジ、すげー好きだ。死ぬほど好き。」


そう言って。傷つけられた首筋の血にキスされる。


「出会ったときにラニは言ったよな。自分は俺のために死ねる女だって。」

「そう、ですね。」


今、その言葉に何の意味があるんだ。


「俺もお前のためなら死んでもいい。」


お互い他人の血で染まった手をぎゅっと握りしめられた。部屋の中は、屋敷全体は、死体だらけのひどい臭いだ。それなのに。セルは酷く興奮していて。


「弟は俺を殺したがっていて、父はどこの国にでも妾を作っている色狂いで、母は父の本性を何も知らないかわいそうな女だ。いや違うか。母は俺と父を恐れて全てから目を背けている。俺が死んだところで、代替など腐るほどいる。誰も悲しまない。きっと俺の妻になる女は、俺がいなくなれば、また新しい王候補に媚びを売りに行くのだろうと思っていた。でもお前は俺のために死んでくれると言った。だからお前を選んだ。」


唇が重なる。いつにも増して深いキスだった。


「セルが王になると信じて生きてきました。生まれたときからそう教えられて、貴方と出会い、疑いを持ったことなんてありません。もし信じた貴方が誰かに負け死ぬのなら、それは私に見る目がなかったのです。私が信じるべきは貴方一人です。たとえ私たちの間に子が出来たとしても、私は、ルキの母のようには美しくは生きられません。貴方が負けるときは一家全員潔く死にましょう。貴方のいない世界で惨めに頭を垂れて生きていくのは私は嫌ですから。セルだけを信じています。セル以外には媚びないと決めてここに来ました。だから、貴方が欲しかった愛情を欲しいだけ差し上げますよ。死ぬときは、一緒に死ねとそう言ってください。」


初めて自分からキスをした。


「あぁ、……あぁ、」


ぽろぽろと泣いて。セルは、私を抱きしめて。その部屋のソファーに押し倒して、手を出した。この逃げられない雰囲気でちゃんと手を出すのが、すごいよね。しかも、世界中で一番の豪邸で、死体の脇で、ベットじゃなくてソファーの上でなんてひどいと。終わった後に言ったけれど。


「我慢できなかった。すまん。」


惚れた弱みだと思う。うれしいと思うのだから。いや。でも。この人のために死ねると思うのに、好きだと心の底から言えない。理由は明らかだった。最近、捨てられるのが怖くなりつつある。あぁ、情けないな。


あんなことがあって疲れたなぁとなるのは普通だと思うが、セルは至って元気そうで。彼にとっては日常茶飯事なのかもしれない。


「離れは死体処理で忙しいだろうし、ラニの部屋のほうも騒がしいだろうから、今日は俺の部屋に来るといい。」

「え、っと、」


その日からずるずる同じ部屋で寝るようになった。


「屋敷が落ち着くまで公務もままならないだろうしな。明日は城下でも行くか。」

「少しはゆっくりしないんですか、」

「疲れたか?」

「だいぶ、疲れましたよ。いくら洗っても手から血が落ちない気がした。」


そういうと、手首をつかまれて、手のひらの匂いを嗅がれた。


「髪と同じ匂いがする。」


口をふさぐようにセルの手のひらが口と鼻に当たる。匂いを嗅ぐと、石鹸の香りがした。


「どんなにおいがする?」

「私の石鹸の匂い、勝手に使いました?」

「ラニの使うと髪がサラサラな気がするんだよな。」

「そんなの気にするキャラですか。ははっ、」


笑ってしまうと。ちゅっと。音が鳴ってしまいそうな触れるだけのキスをされて。


「人の命なんて誰にも負けないぐらい自分の手とそれ以外にも奪ってきたけどな。簡単に消えてしまうものさ。離れだって数日後には元通りだ。死んだら忘れ去られてゆくものさ。共に死んでほしいといったけれどな。生きていなければたいていのことは意味がないんだよ。」


抱きしめられて。


「やっと生きたいと思える。」


ずっと死にたかったんだと。そんな言葉を残してセルは私を抱きしめたまま寝た。柔らかい寝息が耳元で響いて、いつの間にか私も寝ていた。


そっと手をつなぎながら、大人しめのワンピースで城下の街を歩く。私はセルと違って、食へのこだわりは強くないから、甘じょっぱい匂いがすると直ぐ振り向いてしまう。現代で言うタコ焼きに似た商品の出店を見かけてセルの腕を引くと。あからさまにゲッていう顔をする。


「そういうの好きだよな。お前の国では当たり前なのか?」


実際そんなことは全然ないのだが、変な疑いをもたれるのも嫌なので、ごく当たり前だということにした。嫌がるセルの口にたこ焼きを放り込むと不満そうながらも飲み込んだ。


「父上なら処刑だよ。これは。」

「私はあの時のホワイトソースも嫌いじゃなかったですよ。」

「旨い料理を作るくせに意外とこだわりがないよな。」

「上品なものばかりが美味しいものだっては思いませんよ。」

「ラニが作るのは簡易なものでもうまい、」

「それはセルの好みに作っていますからね。」

「食べる気をなくす、」

「なんでですか?」

「部屋でラニが作ったのを食いたい。」

「それはいつでも食べられるじゃないですか。」


ひとしきりつまみ終わってまた歩きだすと、アクセサリーショップが目に入った。普段はセルの好みに合わせることが多いけれど、そのショップが目に入った理由があった。高い店ではあるけれど、普段に比べれば若者向けで一般層が手を出しやすい店の片隅。


「どうした?」

「あ、いえなんでも、」


視線の先。小さなピアス。この世界にはあまり耳に穴を開けるピアスという文化が馴染んでいなくて、だから初めて見たものだった。耳に飾りをつけるという文化が広まっていない世界だけれど。可愛いものは可愛いよなと思う。


「これは耳に穴を開けて着けるのか?」

「あ、はい。そうです。こんな感じになりますよ。」


店員さんがしていたのはリングのピアス。


「揃いのを付けるか?」

「え?」

「ネックレスや指輪はありきたりだろ?たまにはラニに合わせるのも悪くない。痛みが怖いならやめておくが、」

「いや、全然っ……怖くないです、けど、」


視線が合って、笑われる。


「ラニの瞳の色にしよう。オーダーメイドは頼めるか?」


少しの痛みと、この世界には馴染みのないおしゃれ。ささやかだけれど。うれしかった。その日の昼は不満そうなセルの顔を見ながら食事を食べて、前の国から唯一連れてきたメイドの誕生日プレゼントを選んで屋敷に帰った。


鏡で自分の姿を眺める。


たくさんセルからプレゼントをもらったけれど、パーティーのドレスとは違う、常に身に着けるものを当たり前のように一緒にしてくれたのはうれしかった。いくらでも食べるセルだから、皆と夕食を食べた後にデザートを作った。


「……うまい、やっぱり家の飯が一番うまい。」

「こだわりが強いというか、敏感というか。」

「ラニほど敏感じゃないよ、」

「なんの話してます?」

「夜のさ」


足を踏んだら、ははって声をあげて笑うんだよ。漫画でそんな笑顔見せたことあったっけか。


「セルは良く笑うようになりましたよね。」

「……お前がいなければ笑わないさ。」


偏屈だけれど。嫌じゃない。


「日常遣いの服ばかり買ったけれど、よく考えたらそろそろパーティーがあるな。」

「そう、でしたっけ?」

「俺もラニも15だ。」

「そういえば、」


この世界の貴族は歳をとるたびに盛大にパーティーを行う。だが、15歳と18歳は特に盛大に行われる。セントラルの跡継ぎが15歳なんてなれば、世界中が気合を入れているはずだ。セルの誕生日のことは覚えていたのに、15歳のパーティーの存在を忘れていた。私だって15歳なのに。こういうことが意識から抜けることなんてほとんどなかったのにな。


「他国を招いての大きなパーティーは久しぶりですね。」

「生誕祭なんて、別にラニに祝って貰えたらそれでいいんだけどな。」

「祝いますよ。当日は落ち着かないから少し前か後にしましょうね。」

「……盛大なパーティーだと知らない料理人が作るだろ?」

「そうですね。」

「パーティーの飯を俺は食えない、」


抱きしめられる。そっと。でも最後にはぎゅっと。


「ラニの匂い以外気持ち悪い、苦手だよ大体の匂いは。」


パーティーは見たことがある人が2割程度で、ドレスの流行すら違うほど遠く離れた国までが祝いに来ていた。ずっとセルの側で挨拶をしていたけれど。一瞬。


「飯食わなくていいのかよ。」

「え?あぁ、そういえば。」

「ラニはいろんな国の食事が好きだろ。濃い味も凝った味もいつも楽しそうに食べる。」

「じゃあちょっとだけ、貰ってきてもいいですか?」


国が違えば宗教も食べ方も違うわけで。そんな理由から立食形式のビュッフェだった。少し悩んで、グラタンのようなものを選ぶとお待ちくださいと数いる従者たちが分けてくれた。


「パスタが出来立ての様子ですがお食べになりますか?」

「あぁそうなの?じゃあ一緒に分けてもらってもいいですか。」


クリーム系のパスタ。グラタンもだけど。ホワイトソースばかり。ホワイトソースが原因で死んだシェフがいたのをなんだか思い出したりして。セルの隣に戻った。


「美味しい。」


そう呟くとセルが私の食べる姿をじっと見た。


「食べます?」


首を振って。いらないと視線がそれる。いろいろと顔だけ知っているような人たちに挨拶をし終わってセルが脇でダンスだるいなぁとぼやいていた。そんな時だ。知っている顔に話しかけられた。母国の隣国の姫。


「お久しぶりです。ラニ。」

「久しぶりです。一生会えないかと。元気そうでよかった。」


あの日。私を笑った100人の女の一人。セルに見初められる前は幾度と嫌味を言われた。国同士の仲が良くないのに、貿易の関係上、直接的な戦争にもなれない情けない国同士。


「相変わらず、顔だけはお綺麗ですね。」


本当に相変わらずの嫌味で。


「ありがとうございます。××こそ。わざわざこんな遠くまでありがとうございます。婚約なさったんですって。おめでとうございます。心から祝福します。」


心無い言葉にも、傷つかない程度には、騒がしい毎日だった。嫌味の言い方も母国に籠っていたこの女よりうまくなったことだろう。かっと怒りで染まった彼女。


「ありがとうございます。お先に婚約された二人に良好な仲の築き方などを教えてほしく思います。殿下はラニのどこが好きなんですか?」

「あぁ……、そうだな、」


セルと言えば、だいぶ上の空で。


「セル?話聞いていましたか?」


そう呼ぶと。


「え?あぁ、悪い。なんと。」

「殿下はラニのどこがお好きなんでしょうか。」

「さぁ。」


じっと顔を眺められて、一つくらいぱっと言ってくれたって良くないかって内心思っていたら。


「嫌いじゃない奴がラニくらいしかいないだけだ。」


言い方ですよ。


「私はセルの全部が好きですよ。」

「……そうか、」


照れ臭そうに視線逸らして、お前みたいに素直に言えないってそう言われた。しっかりやることをやるくせに、そんなところは照れるんですね。なんて嫌味は言わなかった。


「噂通りの仲の良さですね。学ばせていただきました。」


凍りついた笑顔が正直ウケた。ざまーって。小声で言ったらセルに笑われた。


「お前も子供っぽいところがあるんだな。」

「親同士の仲が悪くてなんでもあの女と比較されてきたんですよ。」

「負けたことなんてあったのか?」

「小さい頃は裁縫とかピアノとかは一度も勝てませんでしたね。芸術関連は正直才能ないんですよ。努力でごまかしてきましたけど。」

「へー。裁縫の良し悪しなんて俺にはわからない。」

「セルが裁縫好きだったら少なくとも私のことは選んで貰えなかったでしょうね。」

「ハンカチに刺繍でイニシャルを入れてくれたことがあっただろ。」

「……捨てて良いと言ったと思うんですけど。先生にこういったプレゼントを一度も渡さないのは女性としてって怒られて渡しただけですし。」

「意味深な布切れなんていくらも貰ったが、お前のだけ微妙に曲がったSでさ。」

「だから、」

「ほら、これな?」


ぱっと出されてびっくりする。セルには似合わないくたびれたハンカチ。それもそうだ。出会う前に、手紙に添えたんだ。


「まだ、持ってるんですか。」

「大事なのは誰が作ったものかで、心がこもっているかという点だろ。」

「ほかの令嬢たちだって心はこもっていたんじゃないですか、」

「ひねくれるなよ。これもだいぶくたびれた。」

「……ホントに下手なんですよ。全然うまくならないんです。料理も勉強も、やったらできるほうで楽しいのに、裁縫は人の10倍やってもダメなんです。」


人の前だ。時間がたって、皆それぞれ親しい人と話すことも多くなったとはいえ、セルと会話する機会を狙っている人だって多いのに。触れるだけの。甘いキスを落とされる。


「今度は、曲がらないようには頑張ります、」

「曲がっててもいい。ラニのだなぁと思うしな。」

「恥じゃないですか、」


そんな会話の折、セルが少し表情を止めた。


「何だっけなこの味、」

「味?」

「ラニ何食べた?」

「え?っと、ホワイトソースがかかったやつです。どこの国の料理でしょうね。」


少し喉と胃に違和感を感じた。でもその時はわからなくて。セルもそうかと一つ頭をひねった。ダンスも一曲踊り終わって、結婚していない男女はペアを入れ替えて踊るのだけど、セルが抜けるというから抜けた。気ままでマイペース。


「セルと踊り」

「踊りたい令嬢がいるって?」


コクリ。べーって舌を出される。


「俺はパーティーが嫌いなんだよ。なんで顔も名前も知らない女に触れなきゃいけないんだ。」

「セルがいいならいいんですけどね。」


なんか最近。セルの潔癖に拍車がかかっている気がする。食べたくない。触りたくない。いつも二言目にはそれだ。まぁセルが良いのならいいんだけれども。なんて、のんきなことを考えていた時だ。身体の異変は、突然だった。喉がいがいがするとは思っていたけれど、急な痛みが、喉と胃に襲って、燃えるように熱かった。声がうまく出せなくて、でも、ここでしゃがみ込むわけにもいかなくて。


他国に弱みは見せられない、から、


「ラニ、おい?なんだよ、いやパーティーは嫌だとは言ったけど、別にそんな急に、」


ぐっと顔色を伺われて。目を見開かれて。耳元で声が鳴る。


「外まで頑張れるか?」


コクリ。


「こ、えが、」

「いい。しゃべらなくて。その毒には覚えがある。舐めた真似をするものだ。」


ぎゅっと肩を抱かれて、会場の外に出る。どっと人は減ったけれど、一人二人一服なんかをしに来ただろう貴族たちは存在していて、だが限界だった。咳込んで吐いたのは血で。セルの服が汚れてしまう。


「っ、げほっ……ごほっ、すい、ま、せん……服がっ、げほっ、」

「気にするのはそこじゃないだろ。ラニ。苦しいだろうが意識をなくすな。俺よりお前のほうが回復系の魔法は得意だ。俺が魔力を流し込んでやるから、自己回復に徹しろ。」


両手を握られて、セルの肩に頭を乗せる。大量の慣れ親しんだ魔力が流れ込んできて、ゆっくりゆっくり毒が浄化していく。随分時間がたって、セルが手を離した。


「あとは俺でも治してやれるから、部屋くらいまでなら大丈夫だろ?」


頷いて、横抱きにされる。頭を抱きこまれて、よりかかると、セルの服がまた少しだけ汚れてしまった。


「パーティーの料理が苦手になりそうです、」

「知らない奴の作ったものなんて食うもんじゃないだろ?」

「ですね。」

「何が生誕祭だってな。祝う気ねーやつばっか。」


まぁ仕方のない話。私が死ねばセルの隣がまた空くのだから。最近のセルは側室をとる素振りももないし焦るのも仕方ない。私だってそれに負けられないけれど。皆それぞれ立場があってやっていることなのだ。だから仕方ないって。


割り切れるかボケって話だけど。


セルがある程度まで回復魔法をかけてくれて、ぽつりぽつり記憶に残らない会話をしたのち、痛みがなくなると眠気が襲った。


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[一言] 皇族の誕生祭に毒とか料理人とメイドとか皆殺しにされても文句言えないよなあ
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