第六話
夕食を食べ終え、天幕の中で毛布にくるまる。
周りの者達は既に寝息を立てていたが、コンランツはまるで眠ることが出来ずにいた。
自分の身に降りかかった出来事が、いまだに信じられなかったからだ。
破れかぶれで襲撃をかけた貴族子女達に叩きのめされ。
殺されるのかと思いきや、食事と天幕を与えられた。
それだけではない。
新しい人別を与えられ。
回復魔法の実験台として、体のありとあらゆる傷や病気などを治された。
コンランツだけではない。
五十人ほどいた全員が、人別と、傷も病気もない体を「与えられた」のだ。
呆然としている者もいた。
手を叩いて喜ぶものもいた。
泣き出し、有難いと拝む者もいた。
まるで生まれ変わったようだ、奇跡のようだというものもいた。
その通りだと、コンランツは思う。
新しい人別を得るというのは、新しい人生を得たということに他ならない。
一人の人間が。
そう、まるでごみクズの様に扱われ、本当にクズのような存在でしかなかった自分達のようなものでさえ、今後は「人間」として扱われるようになるのだ。
文字通り「生まれ変わった」という以外、なんと言えば良いというのか。
一緒にいるモノ達のほとんどが、体に傷や古傷、病気などを得ていた。
十全に動けるものなど、ほとんどいなかったのだ。
だが、今はどうだろう。
皆本当に新品の体を与えられたように、痛がることも、咳き込むことも、脚を引きずることもない。
コンランツ自身、体にいくつもあった古傷が一つも無くなっており。
確かにあったはずの腕や背中の痛みが、元々無かったものかのように消え去っている。
こんなことが出来る回復魔法など、噂にすら聞いたことが無い。
我が身に起こったことでなければまるで信じず笑い飛ばすような、奇跡そのものの出来事だ。
だからこそ。
コンランツはただ、困惑の只中に居た。
頭が痺れたようになっていて、まるでものを考えることが出来なかったのだ。
ただエインの行動についていくのに必死で、他の事に割く余力など少しもなかった。
眠れなかったが、とにかく早く寝なければという焦りがある。
明日もエイン達が来るのだ。
一体何が起こるかわからない。
しっかり寝て置かなければ、しがみ付いていることすらできないかもしれないのだ。
コンランツは体を丸めて、必死になって眠ろうと努めた。
そうするうちに、何とか眠りに落ちることが出来たのである。
天幕で毛布にくるまって眠る五十数人のうち、誰一人として、この場を去ろうと考える者はいなかった。
エインに振り回されることに、本当にだれ一人として疑問を抱いていなかったのである。
それは、置かれた状況の異常さのせいかもしれない。
あるいは、エインという奇怪な少年の、強引さと勢いのせいなのかもしれない。
なんにせよ。
五十数名の老若男女全員が、エインという奇妙な存在に強烈に惹きつけられていた。
とはいっても、そのことを自覚しているモノは殆どいない。
何しろ全員が、エインについていくだけで精いっぱいだったのだ。
「キール。昨今、人間が人間らしく生きていくうえで必要最低限のものは何か。分かるかのぉ?」
コンランツ達の天幕に向かう道すがら、エインがキールにそんな質問を投げた。
キールは一人でどこぞに駆けていこうとするチャムの襟首をつかみながら、うーん、と考えるように唸る。
ちなみに、うち中でチャムが走り回るのを止めるのは、キールだけであった。
父親と長男、そしてエインはチャムにベタベタに甘いので、好き勝手させる。
母親は元気なのが一番だとニコニコしながら見守るだけ。
いつの間にか、チャムを制御するのはキールの役割になっていたのである。
「えーっとぉー。まず食べものでしょぉー。それから、住むところとー。あと、服かなぁ。あっ! あと、武器もだいじだとおもう!」
「お主、何も考えて居らん様でそれなりに頭は働くんじゃよなぁ。やはり、わしと血が繋がっておるからなんじゃろうなぁ」
エインは基本的に自己評価がハチャメチャに高かった。
そして、家族への評価も同じように高かったのである。
キールは誰からも、この「衣食住」という考え方を教わってはいなかった。
つまり、自分の頭で考えだしたということになる。
エインが変な感心の仕方をするに十分な発想力だと言えるだろう。
「おおよそ、その通りじゃな。本来は衣食住で事足りるのが一番なんじゃが、何分この辺りは物騒じゃからのぉ」
「魔獣とかいるもんねぇ」
「そうじゃな。あと、犯罪者なんかも襲ってくるしのぉ。まあ、ボコボコにしたわけじゃが」
何しろ物騒な世の中である。
常に治安を守ってくれるものがいればよいのだが、そんな都合がいい存在はこの辺りには居なかった。
エインの実家が持つ領地には、見回りの兵士すらいないのだ。
自分の身は自分で守る、というのが、この領地での常識である。
コンランツ達の天幕に着いたエインは、さっそく全員に集まるよう招集をかけた。
一人一人の顔を見渡して、全員がいることを確認する。
エインは案外、人の顔と名前を覚えるのが得意であった。
人別を作るときに名前を聞き取ったのだが、それをするりとすべて記憶していたのである。
まあ、得意と言っても、興味がある事以外は何一つ覚えようとしないのだが。
「というわけで。父上から不便の無い様手助けするように、と仰せつかった以上、わしはお主らが自立できるようにしてやらねばならんわけじゃ」
全く前置き無く「というわけで」で話始められ、コンランツ達はぽかんとした顔になっていた。
とはいえ、エインの行動と言動が理解できないことに、段々慣れてきているのだろう。
一先ず流れに身を任せることにしたらしく、質問などをする者はいなかった。
「つまり、衣食住と武力を確保する手段。これをお主らに与えてやらねばならんわけじゃ」
ただ衣食住を与え、武器を渡す。
あるいは守ってやるだけでは、「面倒を見る」とは言わない。
自立できるよう知識と技術を与えて、初めて「面倒を見る」というのだ。
というかそもそも、自立してもらわなければ話にならない。
そうでなければ、仕事を手伝わせることも、エインの代わりに金を稼がせることも出来ないのだ。
「まず衣食住に関してじゃが。これ等を割といっぺんにどうにかする方法がある。キール、何かわかるかのぉ?」
「えーっとねぇー。んー。あっ! お金じゃないかなぁ!」
「お主は本当に、妙なところだけ聡いのぉ。そうじゃな、金じゃ。金があればかなりの物事は解決できる。その分手に入れるのが大変なんじゃがな。わしもそれでどれだけ苦労しておるか」
実は、金を稼ぐ方法だけならば、エインにはいくつも心当たりがあった。
しかしながら、それが実行可能かというと、話が変わって来る。
何しろ、エインは忙しい。
弟妹の面倒を見なければならないし、家の手伝いもある。
おやつの確保も大切だ。
それよりなにより、エインはまだ幼い子供でしかない。
子供が金を稼ぐというのは、相当に難しい事なのだ。
「とにかく、じゃな。将来的には建築、縫製、農業などの技術も身に着けてもらうとしてじゃが。当面は、とりあえず手軽に金を稼げる手段を身に着けさせる方向で行こうと思っておる」
「どーゆーこと?」
コンランツ達の疑問を代弁するように、キールが首を傾げた。
「冒険者ギルドじゃ」
冒険者ギルドは、冒険者に仕事を紹介する、組合の事だ。
仕事の斡旋のほか、魔獣素材の買取なども行っている。
「うちの兄上も冒険者をやっておるじゃろ。なかなかの収入だそうじゃ。つまり、お主らには冒険者として稼いでもらおう、というわけじゃ」
「えー? この人たちに、魔獣と戦ってもらったりするってことぉ? むちゃじゃない?」
そんなことが出来るぐらいなら、一発逆転を狙って貴族子女を誘拐しようとしたりしないだろう。
「まあ、そりゃそうじゃろうな。全員治療してやったから多少はましじゃろうが、今すぐには無理じゃろうて」
教会でのことである。
司祭に歯の治療を見せた後、エインはそのままの勢いでその場にいた全員。
つまり、コンランツ達五十余人全員に、様々な回復魔法を使って見せたのである。
司祭へのデモンストレーション的な意味もあった。
こんな魔法も使える、というのを見せて置いて、何かの時の取引材料にしようと考えたのだ。
もちろん、それだけではない。
彼らの多くは怪我やら病気やらを持っていて、労働力としてはいささか問題があった。
流石のエインも、傷病人をビシバシ働かせるのは気が引ける。
エインにも一応、人の心はあるのだ。
だが、すっかり治してしまえば、全く気にしなくていい。
むしろ、「誰が治してやったと思っておるんじゃ」とばかりにこき使い倒すことが出来る。
「まずはこ奴らを鍛えて、戦えるようにするんじゃ。もちろん魔法や武器の扱いなんかも教える」
この言葉に、コンランツはぎょっとしたように目を見開いた。
思わず、質問をしてしまう。
「あっ、あの。俺達に、その、魔法や武器なんて持たせて、いいん、ですか?」
もしそれをエイン達に向けるような事になったら、どうするつもりなのか。
当然コンランツにそうするつもりなどないが、純粋に疑問であった。
本来なら聞くべきではないような事だろう。
だが、今のコンランツは、動揺で頭が上手く回っていなかったのだ。
「当たり前じゃろうが。この場所は村も近いし比較的安全じゃが、それでも魔獣が飛び出してくることはあるんじゃぞ。物騒な連中も多いしのぉ。自衛手段は絶対に必要じゃわい」
さも当然という顔で言うエインに、コンランツは「そうではなくて」と続ける。
「俺達がその、エイン様に、危害を加えるかもしれない、とは。思われないんですか?」
「ああん!?」
そのとたん、エインはイラっとした様子で表情を険しくする。
ついで飛び出した台詞は、コンランツ達の予想とは全く違うものであった。
「舐めておるのかこの若造がっ! お主らがちょーっと武器やら魔法やらの扱いを覚えて戦い方を身につけた程度で、わしやチャムをどうこうできると思って居るのかっ! どんだけ武装しておろうがお主ら程度素手でタコ殴りじゃわっ!!」
危害を加えようとすることよりも、危害を加えられると思ったことが頭にきている様子だった。
まあ、確かに多少武器やら魔法やらの扱いを覚えた程度でこのお子様達をどうにかできるとは、コンランツ達の中で誰一人として思っていないわけだが。
「いや、にーちゃんとチャムは平気かもしれないけど、ぼくはあぶないよ」
「うむ? それもそうじゃな。なんじゃ、コンランツお主、馬鹿正直な奴じゃのう」
エインは呆れたような、感心したような微妙な表情を浮かべている。
本心から「武器やら魔法やらの扱いを覚えたコンランツ達」を脅威と思っていないからこその反応なのだろう。
別にコンランツ達を過小評価しているわけではない。
ただ単にエイン自身と家族への評価が、バチボコに高いだけなのである。
「安心せい。どうせお主はわしと一緒に居るじゃろ。お主一人ぐらい、どうとでも守ってやるわい」
「でもさぁー。そういうこというと、コンランツさんたちを信じてないみたいじゃない?」
「まあ、そりゃ信じるも信じないもないじゃろ。最初に会った時こそ襲われたが、やむにやまれぬ事情があったわけじゃし。それは良いじゃろう。つまり今現在わしは、この連中を信頼もしていなければ疑っても居らん。非常にフラットな状態な訳じゃ」
普通の神経を持った人間なら、そんな風にはならないだろう。
だが、幸か不幸かエインは普通の神経を持っていなかった。
なので、言葉通り本当にフラットな目でコンランツ達を見ていた。
エインは睨むように、コンランツ達を見回す。
「お主らは縁あって、わしに面倒を見られることになった。はじめに言うておくが、わしは身内にはめちゃめちゃに甘い性質じゃ! わしからの信頼を得て身内と判断されるようになれば、甘い汁が吸えるぞ!」
別に冗談でもなんでもなく、エインは全くの本気でそう思っていた。
こう見えて、エインは割と自己分析が出来るタイプなのである。
「にーちゃん、信頼をえるってどうすればいいのさ」
「信頼というのはじゃな。積み重ねて行く事でのみ強固になっていくものなのじゃ。故に! まずは行動によってこのワシに信頼されるようになって見よ! それがお主らの当面の目標じゃ!!」
奇妙な圧力のあるエインの表情と声に、コンランツ達はそれぞれに「はいっ!」「わかりました!」などと返事をする。
エインは時に、一部の人間に対してだけ、強烈にカリスマ性を発揮することがあるのだが。
どうやらコンランツ達に対して、それが発揮されているようだった。
「というわけで、今日はまず座学じゃ。お主らの魔力適性について話したのち、それぞれの訓練工程を説明する。って、何じゃその顔は」
エインは思わずといった様子で、キールとチャムの方へ振り返った。
二人とも、しこたま嫌そうに顔をしかめている。
「ぼく、べんきょうってキライ」
「きやぁい」
「お主らはまったく」
二人の兄として、若干頭痛を覚えるエインであった。