第五話
エインの家は、取り立てて貧乏というわけではない。
貴族家としてはかなり慎ましい暮らし、というかちょっと裕福な農民程度の暮らしではあるのだが、食うには困っていなかった。
ただ、領地を持つというのは、何かと金がかかるものなのである。
道の普請や橋の架け替え、祭り、水路の維持管理、不作の際の備え。
こういった事を丸々投げ捨てている貴族も居るのだが、エインの家はそれらをすべてしっかりとこなしていた。
とはいえ、持っている領地はけして大きいとは言えない地方の農村だけ。
当たり前だが税収は多いとは言えず、「貴族としては慎ましい生活」を余儀なくされる。
無論、エインはそのことに不満など微塵もなかった。
むしろ、領民のために骨を折ることを当然とし、私腹を肥やすことなど発想にすらない父のことを、いたく尊敬している。
短くない、というか明確に永い前世で、エインはろくでもないクソ貴族を嫌というほど見て来ていた。
貴族というのは自分の血を誇り、既得権益を貪り、それを維持管理することに特化した利権集団である。
そう、エインはずっと思ってきた。
しかしながら、父親はそれとはまるで違ったのだ。
兄も父と似たところがあるから、一族の人間が持つ特有の気性だというなら、まさしくそれは血のなせる業なのだろう。
本来誇るべき「血」というのは、そういうモノのはずなのだ。
領地を愛し、領民を愛し、誰かが困っていたら真っ先にすっ飛んでいって助ける。
税のほとんどを領地領民のために使い、自分達の暮らしは自ら耕した畑で支えて。
それが当たり前の貴族の、領主の姿なのだと身をもって子供達に教え育てる。
永い前世では大貴族やら王族やらにも会ったことのあるエインだが、心底から尊敬できる貴族というのは、父が初めてであった。
そんな父の領地、つまりエインの実家は、都会から離れたド辺境にある。
この剣と魔法がものを言う世界のド辺境には、剣と魔法がものを言う世界のド辺境なりの事情があった。
常に色々なものを欲しているのだが、その一つが「人口」である。
何しろ、再三になるが、「剣と魔法がものを言う世界のド辺境」なのだ。
ちょっと森の中に入れば、モンスターやら危険な動植物がウゾウゾと動き回っている。
何なら別に森の中に入らなくても、向こうから勝手に村とか畑とかに襲い掛かってくるほどだ。
当然、身を守らなければならず、そのためには暴力が必要であった。
それはもちろん剣と魔法のことであり、それを振り回す人間の事も指している。
数というのは単純明快な力なのだ。
少数で暮らすには危険な土地でも、ある程度数が揃えばどうにかなる。
よって、領地では常に人を求めていた。
一定の秩序を守り、税を納めるのであれば、新しい入植者というのは比較的歓迎されたのである。
なので。
「父上。実は先ほど、落ちていた流民を拾いましてのぉ。行くところが無いと言いますので、とりあえず村でも作らせようと思うのじゃども、よろしいですかのぉ?」
「面倒を見てやるつもりなのだな」
「無論ですじゃ」
「何か手伝わせるつもりか?」
「まあ、少々やりたいことを手伝わせるつもりではありますがのぉ。なぁに、まずは生活を安定させることが第一ですじゃによって。何よりもまずそちらから。後の事はそれが終わったらですわい」
「そうか。では、不便の無いよう手助けをするように」
父親はその程度のやり取りで、あっさりとコンランツ達の入植を認めたのであった。
コンランツの事で父親と細々とした打ち合わせを終えたエインは、大満足で寝室でくつろいでいた。
そんなエインを、キールがじっとりとした目で見ている。
「にーちゃん、よかったの? あの人たちに襲われたって父上に説明してないじゃない」
「良いんじゃ良いんじゃ、そんなものは。大体じゃな、そのことを伝えたら父上はあの連中を罰さねばならんじゃろうが」
「あー。そっかぁ」
「大体、あの程度の連中にわし等がどうこうできる訳ないじゃろうが。小物がじゃれついてくる程度。見逃してやるのも強者の余裕というヤツじゃわい」
こんなことを言っているが、キールは兄であるエインが相当に気分屋である事をよく理解していた。
恐らく別の時に襲われていたら、エインは烈火の如く怒り狂い、全員をタコ殴りにしていたことだろう。
ただ、命ばかりは取らなかっただろうと確信できるところが、この兄の良い所だと思っていた。
「きょーしゃのよゆー? ってなぁーに?」
「真に強いものは、弱いものが多少噛みついてきたところで気にも留めん。というような意味合いじゃな。例えば幼子がお主にキックやパンチをしてきたとて、本気でやり返したりはせんじゃろう?」
「そっかぁー!」
何かよくわかんないけどカッコイイ!
キールは年相応なところがあったので、「カッコイイ!」という理由で、大いに納得したのであった。
カッコイイというのは、すなわち正義なのである。
「しばらくは連中の暮らしを安定させるのが優先じゃろうから、おやつぐらいしか用意させられんじゃろうがな。将来的には税収やら労働力やらを搾取してやるのじゃ」
「いきなり話がなまぐさくなったよ、にーちゃん」
「良いじゃろうがっ! このご時世に衣食住の面倒を見てやるんじゃぁ! その位で勘弁してやろうなどとむしろ慈悲深いまであるじゃろうがい!」
「そうかもしれないけどさぁー」
「とにかく! 明日も朝から忙しいんじゃ! お主の勉強を見ないといけないからのぉ! さっさと寝るぞ!」
それを言われると、キールとしては弱い。
口をとがらせつつも、「はぁーい」と寝床に横になった。
「おやすみ、にーちゃん」
「おう、おやすみのぉぐぅー」
「はやくない?」
横になったら、モノの数秒で眠ることが出来る。
兄弟であるキールですら心配になるほど、異様に寝つきが良いエインであった。
朝飯、勉強、昼食、父親の手伝い、という日課をこなしたエインは、意気揚々とコンランツ達の元へとやって来た。
どこに行く当てもないというのもあるのだろう。
コンランツ達は昨日と同じ場所に居た。
「おう、よく眠れたかのぉ」
「はい、天幕も毛布も頂きましたので」
途中でほっぽって来たのだが、どうやら無事に天幕は張れたようであった。
天幕、要はテントというのは、案外張るのにコツがいるのだ。
「うむ。して、この集団のリーダーはお主じゃろ? ええっと、名前は何じゃったかのぉ? というか聞いておらんかったな」
「はっ。コンランツ、といいます」
緊張した様子で、コンランツは名乗った。
昨日の化け物じみた動きを見せられた後である。
舐めた態度をとろうとか、エインを見た目通りの子供として扱おうなどと言う考えは、完全に頭から吹き飛んでいた。
ほかの者達も同様なようで、緊張したり怯えたりしている。
無論、エインはそんな反応を気にも留めていない。
「コンランツ。うむ、なかなかごっつくて良い名前じゃ。そうじゃ、考えてみたらわしらも名乗っておらんかったな。誘拐しようとしておったぐらいじゃから知っておるじゃろうが、わしはエイン。ここの領主の次男坊じゃ」
「ぼくは、キール」
エインの横にいたキールが、元気よく名乗る。
注目を集めている状況ではあるのだが、全く物怖じした様子はない。
これで、案外図太い性格なのだ。
「ちゃむ! みっちゅ!」
エインにくっついていたチャムも、元気よく指を四本立てた手を前に突き出した。
恐らく「みっつ」を表現したかったのだろうが、うまく指が出せなかったのだろう。
そんな仕草を見て、コンランツ達の、特に誘拐に参加した面々から短い悲鳴のような声が漏れた。
当然だろう。
何しろ彼らは、チャム一人にボコボコにされたのだ。
もはや、チャムに危害を加えようとする、どころか、無暗に近づこうとすら思っていなかった。
「おうおう! ちゃんと自分のお名前が言えて偉いのぉー! 流石わしの妹じゃぁ!」
エインは蕩ける様な笑顔で、チャムの頭を撫でる。
ちなみに、エインの容姿はちょっとやそっとでは無いレベルで整っていた。
あるいは傾国とまで言われそうな美貌なのだが、いかんせん言動と行動によって完全にそれが覆い隠されている。
弟妹であるキールとチャムも、当然相当な美しさ可愛さなのだ、が。
やはり様々なインパクトでそういった印象はほぼ消し飛んでいる。
一頻りチャムを撫でて満足したらしいエインは、再びコンランツに向き直った。
「さて。今後のお主らの事についてじゃ」
エインの言葉に、コンランツ達に緊張が走る。
もはや生殺与奪を握られている状況だ。
何を言われるのか、不安になるのも当然だろう。
「昨日言ったように、お主らはわしに借りがある。当然それは返してもらうつもり、じゃが。その前に片付けてしまわねばならぬ問題があるわけじゃ」
「問題、ですか?」
「人別じゃよ、人別」
人別、つまるところ戸籍である。
教会や村などで管理されているそれは、その人物がどこ出身の何者なのか、どこに暮らしているのかといった、身分を証明するものであった。
これを持っているモノは、どこに行っても比較的真っ当に扱われる。
逆に持っていないと、それなりに。
要するに、適当につかまって強制労働をさせられたり、人買いに売り飛ばされたりするのである。
「どうせお主ら、人別持っておらぬじゃろ?」
「それは、はい」
もはや誤魔化してもどうしようもないと、コンランツは素直にうなずいた。
「じゃが、それじゃと今後の活動に差し障るわけじゃ。なので、人別を作りに行く」
「人別を、作る。ですか? そんなことが」
「普通は出来んじゃろうなぁ。世の中を動かして居るのは三つ。コネと金と天才じゃ。この三つのうち二つもそろって居れば、大抵の事は出来るモノなのじゃて」
「はっ、はぁ?」
不敵に笑うエインに、コンランツは困惑したように首を傾げた。
少し前の事である。
領地にある教会の司祭が、高齢を理由に引退することになった。
司祭は元々別の土地の出身で、そちらに息子夫婦が暮らしているという。
引退を機に一緒に暮らすことになったのだそうで、多くの領民に惜しまれつつも息子夫婦の所へと向かった。
となると、当然代わりの司祭が必要になる。
そこで若い司祭がエインの実家の領地に派遣された、のだが。
ちょっとした事故が起きた。
領地に向かっている道中の司祭が、モンスターに襲われたのである。
危うく食い殺されるところだったのを助けたのが、エインであった。
食べ物はないかと村から離れた場所を歩いていたエイン達は、たまたま司祭が襲われている所に遭遇。
魔法と体術を活かして、助け出したのである。
「そんなことがあってから、司祭殿には回復魔法の手ほどきをしたりしておってのぉ。色々と貸しがあるんじゃ」
ちなみに。
この地域の教会にとって、回復魔法というのは貴重な現金収入元である。
風邪などの病気の類に関しては、薬師が頼られることが多い。
対して、怪我や骨折などの外傷は、教会の担当であった。
「司祭になるようなものは大抵、学問をやっておってのぉ。その中には魔法もあるわけじゃ。特に教会が力を入れておるのが、回復魔法なんだそうじゃ」
「ケガをした人をなおしてあげたいから?」
「もちろんそれもあるじゃろうが、もうちょい生臭い事情もあるんじゃよ。要するに銭が欲しいんじゃな」
教会で回復魔法を受けるには、それなりに寄付をする必要があった。
貴重な現金収入というわけだ。
当然のことだが、効果が高い回復魔法を使える方が、収入は大きくなる。
「つまり、にーちゃんが回復魔法をおしえてあげたから、教会はすごくお金がもうかってる。ってこと?」
「そういうことじゃな。でっかい貸しじゃろう?」
「あの、そういうことはあまり本人の前でいうものではないと思うんですが」
困惑した様子で突っ込みを入れたのは、教会の司祭。
まさに、エインが助けた司祭その人であった。
エインとキールがいるのは、領地の教会である。
祭壇の前に並んでいる椅子には、コンランツ達約五十人ほどが腰かけている。
「というわけで借りを返してもらおうと思ってきた訳じゃよ」
「非合法なことは出来かねますよ?」
「お主、わしをなんだと思っておるんじゃ。こんなにかわいいお子様じゃというのに」
エインの言葉に、司祭、ついでにキールも微妙そうな表情を作った。
領民の大半は、エインを見た目通りの子供だとは全く思っていない。
前世の記憶が戻る前から、あまりにもやらかしまくっているからである。
「もう一度言いますが、非合法なことはできませんよ」
「言い直さんでもわかっておるわ。なぁに、ちょっとこの連中に人別を作ってやって欲しいんじゃよ」
「めちゃめちゃに違法行為じゃないですか」
人別は、生まれたときに作られるものであった。
それ以降に作り直すことは許されない。
移転や別の場所に行くときは、自分の人別を管理している場所に届け出る必要がある。
無論、コンランツ達はそんなことはしていないし。
そもそも人別すら持っていないものがほとんどであった。
「人別の偽造なんて。バレたらどうなると思ってるんですか」
「偽造じゃないじゃろう。教会が発行するんじゃから、正規も正規。これ以上ないほどの人別じゃろうがい」
「いや、それは赤子が生まれたときに作るものであってですね」
「こ奴らは今日ここで死に、新たに生まれ直すんじゃ。人別を貰ってのぉ! じゃによって今日生まれたようなもんなんじゃから、全く問題ないじゃろうが」
問題しかない。
そんな屁理屈が通るのであれば、人別の意味がなくなってしまう。
やはり拒否しようと口を開きかけた司祭を、エインは片手で制した。
「これはこの件とは全く関係のない話なんじゃが。回復魔法にも色々あってのぉ」
「はぁ」
「例えば、歯を再生する魔法じゃ」
歯を再生する魔法。
それを聞いた瞬間、司祭の目の色が変わった。
「歯というのは厄介でのぉ。骨に作用する魔法も効きにくい。じゃもので、お主もなかなか治せないと言っておったのぉ。じゃが、つい先日ちょいと思い出したんじゃよ」
「なにを、ですか?」
「すり減ったり、穴が開いたり、場合によっては抜けてしまった歯すら再生する魔法、じゃよ」
「そん、そんなものが存在するんですかっ!?」
少なくとも司祭が知る限りにおいて、「歯の再生」というのは難しく、相当な力技でようやく成し遂げられる類のものであった。
それこそ、強力な司祭を十数人集めて、ようやく出来るかどうかといった代物だ。
だが、エインの口ぶりは、それを容易に成し遂げてしまう方法がある、という風だった。
「治療する部位に特化させれば、魔力消費を抑えつつも、劇的な効果を発揮可能なのが回復魔法というものじゃ。わしが知っておる術式ならば、お主一人で一日に十本でも二十本でも歯を再生できるじゃろう」
教会の運営にも、それなりに金は必要であった。
歯の再生が可能になれば、それなりの「寄付」が期待できるはずだ。
もちろんド田舎であるから、「寄付」の額はたかが知れている。
それでも、司祭一人の教会が満足できる程度の「寄付」は、得られるだろう。
本当に歯の再生が可能なのであれば、だが。
司祭の胡乱気な、迷うような視線に気が付いたエインは、「ふむ」と呟いた。
後ろを振り向くと、椅子に座っていた男を見て、手招きをする。
エイン達を襲い、チャムにボコボコにされた中の一人だ。
「お主、ちょっとここに座れ。いいから! はやく! 口を開けるんじゃ! あーんって! 大きく! ほれ、司祭。この口の中を見て居れ」
男の歯は所々欠けて居り、場合によっては抜け落ちている箇所もあった。
治療方法もないような時代では、当然の状態ともいえる。
エインは指をワキワキと動かすと、それぞれに魔力を集中させ始めた。
次の瞬間、エインの指先から光の糸のようなものが伸び始める。
一本の指に付き一本、計五本の糸が、男の口内に伸びていく。
男は慌てて避けようとするが、エインが残った手で魔法を駆使しつつ掴んでいるので、ピクリとも動かない。
光の糸はうねりながら、欠けた歯や、歯の抜けた部分に絡みついていく。
すると、見る見るうちに歯の欠けた部分が修復されて行き、抜けた歯が新たに生え始めた。
その様子を目の当たりにした司祭は、表情を引きつらせる。
「これ、これは。あまりにも」
「よし。終わりじゃ。どうじゃね、すっかり綺麗になったじゃろう」
エインの言葉通り、欠け、抜け落ちも一つもない、綺麗な歯並びになっていた。
「たしかに。きれいに、本当にきれいになっています、が」
「この魔法を、お主は“発見”するわけじゃ。たまたまのぉ」
「たまたま、発見ですか」
本や古代遺跡など。
魔法が“発見”されることは、実は時折ある事であった。
「そう、発見じゃ。お主はまだ若いからのぉ。これから何かのきっかけで王都なんかに戻ることもあるじゃろう。そういう時、こういう発見があると便利だと思うんじゃがなぁ」
分不相応な“発見”は、身を亡ぼすことになりかねない。
例えばこんな魔法を知っていたら、歯の治療を得意とする派閥から妨害。
場合によっては命だって狙われかねない。
しかし。
自分の事を守ってくれる存在を見つけることが、出来たならば。
この“発見”は大いに司祭の身を、出世を助けてくれるだろう。
「無論、わしが知っておる回復魔法は他にも色々な種類がある。あるいは、今回の事がお主が今後するかもしれん“発見”のきっかけになるかもしれんのぉ?」
「なるほど」
司祭はゆっくりと身を起こすと、祈りの仕草をして見せる。
「彼らに一体何があったかはわかりませんが、恐らく素晴らしく恵まれた生い立ちとは言えないのでしょう。そういった方々を救い導くこともまた、教会の務め一つです」
「うむうむ。そうじゃのぉ」
「であれば、この日生まれ直すことを認めるのも、私共の役目と言えましょう。確かに少々法に触れる行いかもしれません。ですが、そうするに余りある理由があると、私は確信しているのです」
「実に立派なことじゃとも」
どこまでもキラキラとした目でそんな言葉を交わすエインと司祭を、キールは胡散臭そうな半眼で見ていた。
まあ、ともかく。
こうして、コンランツ達は無事に人別を手に入れたのであった。