第三話
「どぉーしてじゃよぉぉぉ!!! 罠じゃ! 母上の罠じゃぁ!!」
結局自由になる時間が増えていないことに気が付いたエインは、頭を抱えてのたうち回っていた。
弟と妹がその姿を眺めていたが、特に驚いたり動揺したりしている様子はない。
エインは普段から基本的にオーバーリアクションなので、すっかり慣れているのだ。
「いや、まぁ、キールが少しでも早く読み書き計算を覚えるというのは、悪いことではないからのぉ」
キールというのは、弟の名前である。
「ねぇ、にーちゃーん。お魚、もう焼けたー?」
「どれどれ。うむ、もうちょっとじゃな。川魚には寄生虫がおるからのぉ。よく焼かんと駄目なんじゃ」
「へぇー。寄生虫って旨いの?」
「そんなもん美味い訳ないじゃろうがい。と、言いたいところじゃが。わしも単体で食ったことはないのぉ」
そういいながら、エインは地面に刺した魚の串焼きの位置を調整する。
焚火の近くに刺してあり、遠火でじっくりと火を入れている最中なのだ。
この魚は、エインが川で採ってきたものである。
川での漁には、弟も妹も連れて行っていない。
父親から、子供は大人がいないときに川に近づくことを禁止されているからだ。
ならばエインもダメなはずなのだが、記憶を取り戻したエインは「ジジィ枠」だと勝手に思っているので、自主的にOK判定ということにしていた。
あくまでエインの勝手に設けた基準なので、バレれば確実に怒られるのだが。
ようはバレさえしなければいいのである。
「うぅむ、しかし。母上も策士じゃのぉ。わしらを産んだだけのことはあるわい。相当な頭のキレじゃわい。まんまとハメられた」
「母上もべつに、ハメたわけじゃないとおもうよ? ふつうのお手伝いだし」
「危機感のないやつじゃのぉ。よいか、わしに自由な時間が出来れば、お主らも美味いおやつにありつけるんじゃぞ」
「そぉーなのぉー!?」
キールの目がキラキラと輝いた。
やはり、美味いものは食べたいのだ。
「まぁ、とはいえ。お主が早いところ読み書き計算を覚えれば、それで話はすむんじゃよなぁ。チャムはまだ小さいから、勉強はもう少しさきじゃし」
言いながら、エインは視線を別の方に向けた。
その先に居るのは、女の子で一番の末っ子。
名前を、チャムという。
チャムは小さな椅子に腰かけて、一心不乱に手のひら大の大きな葉っぱに齧りついていた。
これは葉野菜の一種で、父親からもらってきたものである。
間引きのために引っこ抜いたものなので、まだ味はさほど良くないのだが。
歯触りがよく、腹にも溜まるので、チャムは喜んで食べているようだった。
「はっぱ! おいちい!」
「おうおう、よかったのぉ。ゆっくり食べるんじゃぞ。そのうち魚が焼きあがるからのぉ」
「あい!」
「良いお返事じゃのぉ! やっぱりわしに似たんじゃなぁ!」
エインは妹であるチャムにデレデレであった。
生まれ変わる前、エインには家族と呼べるようなものがいなかった。
いわゆる孤児というヤツで、天涯孤独の身の上だったのだ。
その反動なのか、何なのか。
エインは「今世の家族」を、大切にしている。
父、母、兄のことはとても敬っているし。
弟と妹のことは、べたっ可愛がりしている。
そして、エインは自己評価も高いが、家族への評価も高いタイプであった。
「キールも物覚えは良い方じゃからのぉ。早晩、勉強も終わるじゃろう。となれば、次がチャムが勉強するようになるまで猶予がある、が。ただそれを待つというのものぉ。ほかに出来ることはないもんじゃろうか」
エインは基本的に、待つというのが嫌いな性質であった。
気が短いのである。
まあ、気が長ければ発見したばかりの未知の遺跡に突撃し、滑落死したりしないので、さもありなんと言ったところだろう。
「でも、にーちゃん。父上が、急ぐ冒険者は貰いが少ない、って言ってたよ?」
「策は早い方が良い、ともいうじゃろうが」
どちらもこの世界のことわざである。
意味合いとしては、それぞれに「急いては事を仕損じる」「兵は拙速を貴ぶ」に近い。
「まあ、記憶が戻って色々な魔法が使えるようになったのは、嬉しい誤算だったんじゃがなぁ。それだけではのぉ」
今までも無意識で魔法は使っていたのだが、記憶が戻るとそのバリエーションが一気に増えた。
おかげで、食料調達の時間を劇的に短縮することが出来たのだ。
が。
「食材調達の労力が減った分、調理や味の方に注力しちゃうんじゃよなぁ。わしってば凝り性じゃから」
記憶が戻ったことも、原因になっていた。
以前は生のままマルカジリでも全く気になっていなかったのだが、様々な料理を食べた記憶が戻ってしまったためだろう。
マルカジリでは満足できなくなってしまったのだ。
食料調達の時間は、確かに短縮できた。
だが、その代わり今度は調理に時間を取られるようになってしまったのである。
「美味いものを喰えるようになったのは良い事じゃが、時間的にはプラマイゼロ! 本末転倒じゃぁ!」
「にーちゃん、料理うまくなったよねぇ」
「にぃに、りょーり、じょーじゅ。じょーじゅ」
「ジョーズ? ああ、上手かぁ。なんで料理がサメなのかとおもった」
三人の家には、「ハゲ 対 サメ ~一番強いヤツ決定戦~」というタイトルの絵本があった。
そこにでてくるサメの名前が、「ジョーズ」なのだ。
三人の中で「ジョーズ」といえば「サメ」、「サメ」といえば「ジョーズ」なのである。
「んー、しかし、なんじゃな。せっかく魚を焼いておるというのに、余計なものが湧いてきたようじゃな」
「にーちゃん、余計なものってなに?」
「大したことはないんじゃがな。この辺は治安だけは良いはずなんじゃが、こういうこともあるんじゃのぉ。キール、お主はなるべく動かんようにのぉ」
まあ、魚が焼きあがる前には終わるだろう。
エインは心の中でそんな算段を付けると、疲れ切った勤め人のようなため息を吐いた。
コンランツが生まれたのは、小作人の家であった。
いくつかの家族が共同で暮らしている場所であり、自分の親こそわかるものの、兄弟姉妹に関してはどこでどう血が繋がっているのか、分からないような有様である。
生まれた順番に関しても、正直よくわからない。
何しろ継ぐ財産も家もないわけで、そのあたりのことは実に適当だったのだ。
今にしてようやく理解できたのだが、要するにコンランツは「奴隷」身分の生まれだったのである。
一応この国では奴隷というものは禁止されているらしいのだが、「事実上の奴隷」などどこにでもいるらしい。
漫然とした日々だった。
ひたすら続く肉体労働に、満足に得られない食事。
体は疲れ切り、食事の少なさ故に頭も回らない。
辛いか、と問われていたとしたら、「わからない」と答えていただろう。
何が辛くて、何が辛く無いのか、分からないからだ。
生まれてからずっと、そんな生活であって、他の生き方など見たこともないのである。
想像しようにも、知識もなければ教養もない。
自分にそう言ったモノがないということすら、分からなかった。
それでも、「ここに居たくない」と感じたのは、何だったのか。
結局の所あの時の衝動が何によってもたらされたものなのか、今になってもコンランツにはわからない。
ただ、生まれた家を逃げ出して、故郷を逃げ出して、遥か遠くへと逃げ出して。
自分ですら理解できない。
今になってすら理由がわからない逃亡は、しかし。
やはり正しかったのだと、今のコンランツは強く思っている。
人が多い場所には、やはり食べ物というのは集まるらしい。
流れ流れて街にたどり着いたコンランツだったが、働いて食料を得ることなどできるわけがなかった。
そもそも、「働いたらものを貰える」という発想すらなかったのだ。
店に並んでいるモノや、人が持っていたものを奪い、食べる。
もちろんうまく行くばかりではないし、散々に痛めつけられることもあった。
だが、食べものに困ることがない。
どころか、場合によっては、腹いっぱいになることまで出来た。
コンランツが「満腹」というものを経験したのは、その時が初めてである。
盗み、逃げ、そんな生活をしていると、見知らぬ大人に拾われた。
当然だが、ロクな人間ではない。
孤児などを集めて「盗み」などを覚え込ませ、手ごまとして使うような手合いである。
この出会いは、コンランツにとって間違いなく幸運であった。
他から見てどうなのかは、判断に迷うところだろう。
しかしながら、少なくとも寝床と、それまでコンランツになかった「学ぶ」という概念を手に入れることが出来た。
コンランツはその大人から、あるいは同じような境遇にあった子供達から、様々なことを学び取っていったのである。
ロクな人間じゃない奴の死に方など、やはりロクなものではない。
コンランツを拾った大人は殺され、恐らくその仲間や、子供達の一部も殺された。
恐らくというのは、確認していないからだ。
そんなものを確認するより早く、コンランツは逃げ出したのである。
同じような立場の子供達や、幾人かの大人。
そう言ったモノ達を引き連れて、その街から逃げ出したのだ。
この時には、コンランツはある程度モノを考え、伝えることが出来るようになっていた。
ほかの子供を束ねるような立場になっていて、ソレを活かしてほかの連中と一緒に逃げたのである。
当然、逃げ込む当てなどどこにもない。
コンランツ達は村や町を渡り歩きながら、盗みやら強盗やらをして食いつないだ。
不幸だったのは、コンランツに人を引き付ける力が備わっていたことだろう。
村を、町を渡るたび、付いてくる連中が増えていったのだ。
その土地にあぶれ、逃げ出さなければならなくなる人間というのは、やはりどこにでもいるらしい。
ついてきたのは、女や子供。
ロクでもないような、大人の男も。
老若男女問わず、おおよそ五十人ほど。
そうなってくると、動くのにも苦労するようになってくる。
もう一つ不幸だったのが、コンランツがそういった連中を見捨て、切り捨てられない性質だったことだろう。
コンランツは何とか、自分についてきた者達を飢えさせない方法を考えようとした。
情報を集め、精査し、方策を考える。
いくつか考え出した案の中で、一つ、実現できそうなものがあった。
ある辺境領領主の子息が、領地の中を供も連れずに歩き回っているという。
それを捕まえて、身代金をとる。
まとまった金さえあれば、どこかの町で地盤を固めることも出来るだろう。
失敗すれば、命はない。
だが、どうせこのままでは未来はないのだ。
ゆっくりと死んでいくのを待つだけである。
ならば、やれることをやって死んだ方が良い。
貴族の子息を捕まえ、身代金を要求する。
コンランツは意を決して、その策を実行することにしたのであった。
「だから、わしはやめとけって言ったんじゃけどなぁ」
「にーちゃん、そろそろ止めた方が良いんじゃない?」
「んー。もうちょっと良いじゃろう」
エインとキールがそんなのんきそうな会話をする横では、ちょっとした惨事になっていた。
襲ってきた連中を、幼児であるチャムがおもちゃの様に振り回しているのだ。
一人の片足を掴んで、ビタンビタンと地面に叩きつける。
然る後、ポイっと後ろに投げ捨てた。
エインはちらりと、投げ捨てられたモノの方へ視線を向ける。
全身ボロボロになってはいるが、別に骨折などをしている様子もなく、生きているようだ。
ということは、放っておいて問題ない。
「チャムにはのぉ、わしが前世の記憶を取り戻す前から、気功術やら内魔法術やらを教えておったんじゃよ」
生命エネルギーともいわれる「気」。
これを使う技を、「気功術」。
それとは別のエネルギーである「魔力」。
普通は体外に放出して「魔法」を発動するためのエネルギーとするそれを、体内で循環させて利用する「内魔法術」。
記憶を取り戻す前から体が覚えていたこれらの技術を、エインはチャムに教え込んでいたのだ。
キースにも教えようとしたのだが、残念ながら全く身についていなかった。
これはキースに才能がない、というわけではない。
単に、チャムに天賦の才があり過ぎたのだ。
「わしが教えた技をぜぇーんぶ、あっという間に身に着けてしまったからのぉ。まさに天才じゃなぁ。いやぁー、似ちゃったんじゃろうなぁー! わしに!」
別のものが刃物を持ってチャムに襲い掛かるが、無駄であった。
チャムは刃物を素手で掴んで止めると、そのまま襲い掛かってきた者ごと、後ろへ放り投げる。
「気功術と、内魔法術。その両方を習得したものは、その瞬間から体がガラリと変化するんじゃ」
気や魔力を循環させ続けることを体が覚えてしまい、意識せずともそれを続けるようになる。
すると、常に「強化された状態」となって、それが当たり前の状態となってしまうのだ。
「知り合いが、生物としての段階が一つ上がる。と表現しておったが、言い得て妙じゃわい」
気功術と内魔法術による効果は、様々なものがあった。
まず、体がすこぶる強靭になる。
皮膚や筋肉は並の刃物や魔法など受け付けず、その筋力は見た目を完全に凌駕。
手のひらや足の裏は「ものを吸いつける」ようになり、壁や水面を歩くことはもちろん、指を使わずとも「ものを掴める」ようになる。
チャムが襲ってきた連中を叩きのめしているのは、まさにこれらの力をいかんなく発揮しているからであった。
そして。
これらの「力」は、一度気功術と内魔法術を修めてしまえば、「技」ではなくなる。
瞬き、呼吸、指を動かす、髪が伸びる、心臓が鼓動を打つ。
そういったモノと同じ、「当たり前の生態」となってしまうのだ。
「寝ていようが、一人でベッドで泣いていようが、酒で泥酔していようが、関係ないんじゃ。刃は皮膚すら通さず、腕を振るえば人が吹き飛び、千鳥足で壁を、水面を歩く。まさに段階が、次元が変わるんじゃ」
「んー、よくわかんない」
「まあ、キールにもそのうち分かるようになるじゃろうて。っていうか、普通あれって長い修行の末に体得するモノのはずなんじゃけどなぁ」
エインも、ずいぶん苦労して体得したものであった。
ものにできたのは死ぬ数年前だったはずである。
まあ、それでも滑落で死んだわけだが。
「にぃに、わるいこ、めっ! ちた」
「おぉ、よしよしよし! ちゃんとメッ! が出来て、チャムは良い子じゃなぁ! やっぱりわしに似たんじゃろうなぁ!!」
「ていうか、止めなくていいの?」
チャムよりも、むしろ投げられている連中の方を心配そうに眺めながら、キールが言う。
エインは眉間に皺を寄せ、焚火に当てた魚を見ながら、後ろに向かって手を振るった。
指先から打ち出された「魔力の投網」は、狙いたがわず、逃げ出そうとしたものの体を絡めとる。
それを、ちらりとだけ視線をやって確認したエインは、肩をすくめた。
「もう少しで魚が焼けるからのぉ。それからで構わんじゃろ」
「そっかぁー」
エイン達の穏やかな様子に対し、襲撃側であるコンランツ達は、阿鼻叫喚といった有様である。
この地獄絵図のような光景は、魚がすっかり焼きあがるまで続いたのであった。