第二話
とある辺境貴族の次男坊。
それが、元「老人魔法研究者」の、今現在の肩書であった。
名は、「エイン」。
実にシンプル且つエレガントな名前であり、エイン自身は「老人魔法研究者」であったころの名前より遥かに気に入っている。
さて、エインには幼い弟と妹。
そのほかに、少し年の離れた兄がいた。
貴族家の長男であり、家の跡取りである。
この長男は、今領地には居ない。
冒険者として、王都などで出稼ぎをしているのだ。
この稼ぎというのが、家にとっては大事な収入源となっていた。
何しろ小さな領地である。
普通に暮らすならともかく、貴族として領地内のアレコレを考えると、現金収入が足りないのだ。
例えば道の普請、橋の架け替え、祭の準備。
貴族仕事というのは、とかく金が要り様なのだ。
「つまり、わしの自由になるような余分な金は一銭もない、ということじゃなぁ」
エインは悩ましげにそうつぶやくと、深い溜息を吐いた。
ちらりと横に目をやれば、弟が幸せそうな顔で寝こけている。
今は暖かい時期なので、毛布のようなものは出していない。
それでも腹でも冷やしては大変なので、昼間に着ていた上着をかけている。
エインは苦笑しながら、少しずれた上着を直してやった。
時刻はすっかり夜なかを回っており、本当ならエインも寝なければならない。
だが、考え事をするため、魔法の明かりを灯して起きているのだ。
エインは体を大きく伸ばすと、ベッドの上に寝転がった。
良く干したワラに、シーツをかけたものである。
これが、案外寝心地が良いのだ。
「考え事。考え事のぉ。とはいえ、なんじゃよなぁ。あまりにもわからないことが多すぎるんじゃぁ」
何しろ、今が何時で、ここがどこなのかすら、エインにはわからないのだ。
父や母に聞いて、暦の上での年号や、土地の名前は知っている。
だがそのどちらも、エインの知識にないものだった。
「今は、わしが生まれ変わった時点から見て、過去なのか未来なのか。それすらわからん」
おそらくではあるのだが、住んでいる地域は、さほど生まれ変わる前と変わっていないと思われた。
植生や住んでいる動物などは、よく見知ったものだったからだ。
言葉からしても、あまり遠い地域とは思えない。
エインはいくつかの言語を日常会話レベルで使用することが出来たのだが、今使っている言葉は多少訛りや変化こそあれ、やはり知っているモノであった。
「事細かに覚えておるわけではないが、ある程度の歴史などは頭にも入っておる。そのわしが知らん年号となると、まず考えられるのは“未来”じゃが」
それにしては、あまりにも技術レベルが低すぎるのだ。
生まれ変わる前、エインが所属していた国は、それなりに魔法文明が発達していた。
少なくとも、貴族がワラにシーツをかけたベッドで寝るようなことは、なかったはずである。
「そもそも技術水準がおかしい。“過去”だとすれば納得は行くが、それでは言葉に説明がつかんのじゃよなぁ」
過去の言葉、というのは、ある程度記録などが残って居るモノである。
エインが知る限りにおいて、今この地域で使われている様な「言語」が使われてきた歴史は、存在しないのだ。
「言葉の省略のされ方などを考えても、やはり“未来”という線が濃い。じゃが、それでは矛盾もある。ええい、とはいえ、判断するにはあまりにも材料が少ない。そう、判断材料が少なすぎるんじゃよなぁ」
なにしろ、エインが暮らしている地域には情報を得られる媒体があまりにも少なかった。
まずエインの家だが、貴族であるにもかかわらずほとんど本が無い。
あるのは、父が読んでいる農業指導書のようなモノと、子供向けの絵本のみ。
領主の家でそうなのだから、他の家も似たり寄ったり。
一応、領地内の教会に行けば、歴史書などがあるらしいのだが。
「行く暇がないんじゃよなぁ。思ったよりも子供の一日って忙しいんじゃもの」
そう。
子供の一日というのは、思いのほか忙しかったのだ。
まず目が覚めたら、食事。
食べ終えたら、母親から読み書き計算を習う。
昼までそれをやって、昼食。
けっこう貧しい生活にも拘らず、きちんと朝昼夜と食事が出るのはありがたかった。
が、それはそれとして腹は減る。
特に、昼食後、父の仕事を手伝った後などは、お腹と背中がくっつきそうな勢いだ。
父の仕事の手伝いといっても、簡単な農作業などである。
手伝いそのものよりも、家の仕事を覚えさせるということが目的なのだろう。
それでも疲れるし、とにかく腹が減った。
どうにも幼い体というのは、エインの想像以上に消費効率が悪いようなのだ。
となれば、やることは一つ。
食料確保である。
エインは記憶を取り戻す前から、当たり前のように魔法などを使っていた。
いわゆる「体が覚えていた」的な感じである。
おかげで、比較的容易に食べ物を集めることが出来たのだが。
それにしたところで、エインの体は幼子でしかなく、出来ることなど限られていた。
「必死に動き回って、何とか三人分のおやつを確保するのが精一杯なんじゃよなぁ」
エイン一人分ならそうでもないのだろうが、弟と妹の分もとなると、なかなか骨が折れるのだ。
ならば自分一人分だけ、という考えは、エインの頭には無かった。
今のエインにとって、家族とはかけがえのない存在である。
お腹を空かせた弟と妹を放っておくなど、絶対にありえない選択肢なのだ。
さて。
おやつを食べ終わってまったりしていると、すぐに夕食の時間である。
「そして、夕ご飯を食べ終わったらすぐに眠たくなってしまう。幼子じゃから」
満腹後の睡魔に抗うというのは、幼子にとっては非常に大変なことなのだ。
実際、今もエインは割とギリギリのところで眠気と戦っていた。
「くそ、気を抜いたら眠らないことに意識が持っていかれて、何も考えられなくなってしまいそうじゃ。まさか天才のわしをもってしても、幼子の夜更かしがこんなにもつらい事じゃったとは」
何とか起きていられるうちに、今後の方針を考えなけれならない。
まず、最大の目標は「好き勝手なことが出来る環境を整えること」である。
魔法に限らず、道具やら動物やら植物やら、エインは興味がある事を節操なく研究したいタイプなのだ。
そのために必要なものといえば、なにはなくとも現金であろう。
「才能や能力に関しては有り余るほど余りまくっておるからのぉ。わしってば天才じゃから」
エインは基本的に自己評価がどこまでも高いタイプなのだ。
「大天才、金と暇は無きにけり。というヤツじゃな。ことわざの通りじゃわい」
そんなことわざはないのだが、突っ込んでくれる人間は皆無だった。
「金を稼ぎたくとも、情報もなければ暇もない。貧乏暇なしってやつじゃな。となると、まずは暇を作る事じゃな」
色々考えてみるが、一日の予定で削れそうなのは一つしかなかった。
朝の勉強の時間だ。
「既に読み書き計算ができることがわかれば、この時間は免除されるじゃろう。つまり、その時間が自由になるわけじゃな」
元々知識があるわけだから、そのあたりは簡単だ。
というか、既に文字も数字も確認しているので、後は母親にそれを証明して見せればいい。
「ふぅーう。流石わし、完璧な算段じゃわい。コレが天才の所業というヤツ、うぅーん、むにゃむにゃ。もう食べられんのじゃがなぁー」
一人ほくそ笑んでいたエインだったが、どうやら眠気が限界だったらしい。
顔から布団に崩れ落ちると、そのまま眠りに落ちたのであった。
エインと弟は母親に読み書き計算を習っているのだが、それは貴族的に珍しい事のようであった。
本来なら、家庭教師などを頼むそうなのだが、節約のために母が教えることにしたらしい。
正直エイン的にも、親に教えてもらえるならそれでいいのでは、と思うのだが。
どうも「家庭教師に勉強を教わる」というのは、貴族的なステータスらしい。
幼少期どの学派の先生に教わった、などで派閥が出来るらしいのだが、父はそういうのを全く気にしないタイプ。
というより、存在すら「そういうのがあるらしい」程度にしか認識していないタイプであった。
「派閥のために金を使うとか、ムダ金の極みじゃろ。そんな金があるならわしに研究費として渡すべきそうすべき」
それはともかく。
エインは早速、母親に「勉強免除」のお伺いを立てた。
母親の反応はあっさりしたもので。
「じゃあ、ママが作った卒業試験に合格したらオッケーにしよっか」
「ふぉっほっほっほ。それはわしにとっては好都合じゃとも。天才の中にはいろいろぶっ飛んでて試験が苦手なタイプも居るのじゃが、わしはそういうの得意なタイプじゃからなぁ!」
いわゆる秀才タイプだったエインは、生前からしっかり勉強をするタイプであった。
なので、試験は普通に得意だったのである。
エインは母親が用意した試験を、無事満点クリア。
まあ、子供向けの試験なので、別に満点を取ったからといってどうこうというわけではない、のだが。
「さぁーっすがわしなんじゃよなぁー! こういう所でも見せつけちゃうんじゃよなぁ! 才能、ってやつをのぉ!!」
母親は採点を終えると素直に感心し、エインの頭を撫でた。
「エインちゃん、一杯がんばったのねぇ。えらいえらい」
「頑張るほどでもなかったがのぉ! まあ、えらいのは間違いないじゃろうて!」
エインは褒められるのがハチャメチャに大好きだった。
そして、どんなことでも褒められるとすぐに調子に乗るタイプでもあったのである。
「さっ、これでわしの朝の勉強の時間は免除ということで」
「コレだけお勉強ができたら、教えるのもきっと上手よねぇ」
「まぁ、そりゃもちろん? わしは対話が出来るタイプの天才じゃからな。教えるのも得意じゃわい」
「すごいじゃない! なら、弟や妹に教えるのを手伝ってくれたら、きっと二人ともすぐに読み書きも計算も、出来るようになるわね?」
「当然じゃろうなぁ! 二人ともわしに似て優秀じゃもの! 天才であるわしが教えれば、それはもうあっという間じゃろうて!」
こうして、エインは弟と妹に勉強を教える手伝いをすることになった。
結果、自由になる時間は消し飛ぶこととなったのだが、この時のエインは有頂天になっていたので、そのことに全く気が付いていなかったのである。