幕間3.夜空の下での告白
満月が暗い夜空の中で輝く。
その夜空の下にいるのはロイスとオーレリアの二人のみで、互いに見つめ合う。
(どうして、殿下がここに……)
豊穣祭の後から連日避け続けたロイスがまっすぐとこちらを見てオーレリアの胸が騒がしく音を立てる。
同時に、その騒がしさに好きだということに改めて気付かされる。
(でも、私は殿下と釣り合わない)
家柄・血筋・教養。そのいずれも彼に釣り合わないのは自分自身がよく分かっている。
王太子であり、次期国王である彼に相応しいのは他にいる。
例えば彼の幼馴染で非の打ちどころがない令嬢という異名を持つ力強い朱色の瞳が印象的な彼女のような──。
(そう、メルディアナ様みたいな人がお似合いだって分かってる)
メルディアナ・カーロイン。
カーロイン公爵家の令嬢で朱色の瞳が印象的な彼女は同性でも見惚れてしまうほどの容姿を持ち、凛々しい佇まいは入学直後から目立っていて密かに憧れていた。
その美しさとは裏腹に面倒見がよく、優しくて彼女を慕う令嬢も多く、自分も慕っていた一人だ。
そんな彼女は王太子である彼とただの幼馴染も言っていて、そこに恋愛感情がないのは知っている。
だけど、彼はどう思っているか分からない。だって彼女は美しく、聡明で強くて身分も申し分なくて魅力的な人だから。
「……あの、会場の方はよろしいのですか? 本日は生徒会の運営で忙しいと聞いていたのですが」
口の渇きに気付きながら恐る恐る尋ねる。
生徒会の副会長である彼は今日は生徒会の運営側に回るのは知っていた。数日前からダンスを踊りたいとお願いしていた令嬢たちに丁寧に謝罪していたのを遠くから見たことがあるから。
終盤に差し掛かるとはいえ、まだ創立祭は終わっていない。それなのに運営側である立場で会場の外にいていいのかと不安になる。
「大丈夫だよ。会長には許可はちゃんといただいているし、あとは学園長の挨拶だけだから」
「そ、うですか」
微笑みながら告げる内容にほっとする。許可をもらっているのなら咎められることはないだろう。
(もしかして疲れて抜け出して来たとか? ……それなら私がいない方がいいよね)
周囲には自分たち以外誰もいない。
突然やって来たのは驚いたが生徒たちは二階の会場にいる。外は静かで一人になるのにうってつけの場所であるのは確かだ。
避けていた気まずさと一人の方が息抜き出来るだろうという考えから、カーテシーをして挨拶する。
「それでは私はこちらで失礼いたしますね」
気まずさからを視線を下に向けながら最低限の挨拶だけ済ませて友人たちがいる会場へ戻ろうと歩を進める。
「──待って!」
「!」
そうして通り過ぎようとしたら制止の言葉と一緒に手首を掴まれ、驚きから肩を大きく揺らす。
同時に、驚いて肩を揺らすその反応にロイスが顔を青ざめて手を離す。
「すまない……! 痛かったかい?」
「い、いえ。ただ、びっくりして……」
「本当? 痛くない?」
水色の瞳を不安そうに向けて、何度も確認をしてくる。
掴まれて驚いただけで痛みなんてなかった。
それなのに青白くして心配する彼の姿に胸が締め付けられる。
(私が、優しいこの人を傷つけた)
平民、貴族と身分に関係なく優しい彼は、王都をまともに知らない辺境出身の自分にも一学友として優しく接してくれた。
勉学で困っていたら当たり前のように教えてくれて、荷物が多くて困っていたら当然のように助けてくれて、自分の話を興味深そうに、楽しそうに聞いてくれて、友人と言ってくれて。
そんな人を傷つけてしまい、自分のことが嫌いになりそうになる。
「大丈夫です。びっくりしただけですから……」
「そうか。……それならよかった」
再度大丈夫だと告げるとひどく安堵する彼に感情が込み上げてくるのを抑えて、呼び留めた理由について尋ねる。
「えっと、私に何か……?」
「少し、話をしたくて。ここ最近、全然話せなかったから」
「お話ですか……?」
いつもと違う声音に気付きながらも一方的に避けて来た罪悪感から断りにくく、彼の様子を窺うと寂しそうに呟く。
「マーセナス嬢が僕を避ける理由は知らない。メルディアナは知っているみたいだけど、教えてくれないから」
「あ……」
彼からの報告に狼狽える。
そして思い出す。彼女に彼への恋心を告げたきっかけが、逃げている理由を聞かれたからだと。
(殿下からお話しを聞いたからメルディアナ様は私に尋ねてきた。でも、メルディアナ様は私との約束を守ってくれた)
教えてくれなかったということは、聞いたということ。
だけど、彼女は王太子である彼の頼みより自分のお願いを優先してくれてその行動に胸が打たれる。
「その……申し訳ございません」
「ううん、いいんだ。──そのおかげで改めて気付いたから」
「えっ?」
寂しそうに告げる彼に謝罪すると首を振って小さく笑われて困惑する。
その表情は何か決意した顔をしていて目が離せない。
「例えダメだとしても後悔しない選択したいと思った。──だから伝えたい」
まっすぐとオーレリアを見るロイスの水色の瞳は澄んでいて、優しい眼差しで見つめる。
「マーセナス嬢、僕は君が好きだ」
「────」
穏やかな声で率直に告げられる思いに息を呑み、緑色の瞳を見開かせる。
「君は友人としか思っていないかもしれない。でも僕はずっと前から君が好きだった。それこそ、初めて挨拶した時から」
「っ……」
「初めは友人として近くにいれたら満足だった。だけど一緒にいればいるほどどんどん欲張りになった。もっと君の笑顔を見たい、話したいって思って好きという感情が大きくなった」
「で、殿下」
「領民思いな性格も、音楽が大好きな性格も、頬を赤らめる姿も、笑顔も、鈴のような高い声も──全部好きだよ、マーセナス嬢」
「ま、まま待ってくださいっ!!」
怒涛の言葉にオーレリアが大声を上げて制止して頬に手を当てる。その頬は熟したリンゴのように赤く、頬に集まる熱を手で冷やす。
しかし、熱は一向に引く気配がなく、慌ただしく鳴る心臓を聞くことしか出来ない。
頬を冷やそうとするオーレリアにロイスが困ったように微笑む。
「突然こんなこと言われて驚くのは分かるよ。それでも伝えたかったんだ。──オーレリア・マーセナス嬢、どうか僕の妃になってほしい」
「っ……」
手を差し出して妃に、と願うロイスの言葉に口許を抑える。
自分だけが好きだと思っていた。だけど、彼も自分を好いてくれていたのが嬉しくて胸がいっぱいになる。
(……でも、私でいいの?)
同時に、どこか冷静な自分が耳元で囁く。
多くの王妃は中央貴族出身で中央に影響力を有していた。現王妃も中央貴族出身で政治手腕は素晴らしく、辺境にも届いていた。
(私は辺境貴族で中央に力がない。そんな私が……殿下の隣にいていいの?)
中央に影響力を持たない自分のせいで彼に負担をかけたくない。ただでさえ、王太子として様々な重責を持つ彼に迷惑をかけたくないから。
「……お気持ちは大変嬉しいです。ですが、私では無理です」
思いと逆の言葉を告げる辛さに唇を噛む。
それでもこの嘘で彼に負担を与えないのなら、と思いながら伝える。
「……どうして?」
「どうしてって……わ、私と殿下では身分が不釣り合いです」
「マーセナス嬢の実家は辺境伯家で侯爵家相当だから身分は何も問題ないよ。それに過去に辺境伯出身の王妃がいる。だから気にしなくていい」
「わ、私は王妃教育を受けていません。だから王妃様の仕事も完璧に出来ません」
「王妃教育は正式に婚約者にならないと受けないから大丈夫だよ。だから心配する必要ない」
「そ、それでも完璧に出来ないかも……」
「完璧な王妃なんて求めていない。それに、僕は苦手な部分はお互いに補って周囲の者の力も借りたらいいと思う」
「お、王妃様のように政治に関わる度胸がありません!」
「無理ならしなくていいよ。そもそも、母上が特別なだけだから。──他に、何か聞きたいことある?」
「え、えっと……」
釣り合わない理由を次々と挙げるも次々と一蹴されて口ごもり、いつもと違う様子に動揺する。
(で、殿下ってこんな押し強かったっけ……!?)
自問自答するも答えが出ず、内心頭を抱えているとロイスがゆっくりと口を開く。
「……多くの貴族はメルディアナが次期王妃と思っているからその点ではマーセナス嬢に苦労をかけると思う。だからその時は言ってほしい。守りたいから」
「……っ」
彼ならきっと守ってくれるだろう。誠実な人なのは十分すぎるくらい見てきたから。
だが同時に、ふと思ってしまう。
(そんなに望むのなら……どうして命令しないの?)
王族として命令したら断られる心配もないはず。
それなのに彼はこうして告白してきて、疑問が芽生える。
「……どうして命令をしなかったのですか? それこそ、王族の殿下なら可能だったのではないですか?」
「……そうだね」
自分でも思いついたのだから聡明な彼も思いついたに決まっている。なのに、彼は命令ではなく、選択出来るようにしてくれている。
疑問を口にすると水色の瞳を細めてゆっくりと肯定する。
「それが確実だって分かってたよ。でも僕は君を不自由にしたくなかったから」
「不自由?」
「王族として命じれば君は嫌でも従うしかない。僕はそんな不自由を課したくなかった」
「…………」
平民、貴族問わず、みな何かしらの不自由はある。それは、王族も例外じゃない。
誰もが憧れる優雅な生活が出来ても王族は国を背負う役割を持っているから、相応の責任がのしかかる。
(殿下は、私を思って自由を与えてくれている)
公の場ではなく、二人しかいない場所で伝えることで断ってもいい環境を作っているのが分かる。
(自分の気持ちじゃなくて私の気持ちを優先してくれて。……こんなの、好きにならない方がおかしい)
うるさく高鳴る心臓を手に当てながらゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……私はメルディアナ様のように完璧な令嬢ではありません」
学園に入ってからずっと完璧な友人を見てきた。
教養もマナーも完璧で美しくて、挙句の果てには剣術も優れる優しくてかっこいい親友。
彼女には及ばないのは分かっている。それでも、叶うのなら彼の側にいたくて。
冷たい秋の夜風が頬をなぞるのを感じながら言葉を、思いを紡ぐ。
「努力してもメルディアナ様の代わりに簡単になれないのは分かっています。それでも、努力は惜しまないつもりです。……そんな私でも、殿下の隣を望んでもいいですか?」
緊張と不安を含んだ声で気持ちを伝えると彼が瞳を大きく見開かせる。
しかし、それも一瞬で花が咲くような明るい笑みをする。
「勿論。僕が望むは君だけだよ」
優しく包み込むその言葉と笑みは不安を掻き消すのに十分だった。