86.秋のお忍び散策3
行き先を教えてくれずにロイスに着いて行って十数分。
ロイスから「ここだよ」と言われた場所は屋台がたくさん立ち並ぶ道から外れたところにある緑色の屋根が印象的なそのお店で看板にパン屋と書かれている。
そしてドアに飾られているベルを鳴らして店の反応を窺うとガチャ、とドアが開く音がする。
「申し訳ない。本日はもう閉店で──」
奥から年老いた六十代になる店主がやって来て謝罪の言葉を紡ぐも、私たちの姿を見て目を見開いて口を閉ざす。
互いに見ておよそ五秒。年老いた店主は私とロイスを視認すると口を動かした。
「これはこれは……殿下にメルディアナ様ではありませんか」
「うん。久しぶり、マーカス」
私たちを呼ぶと応えるようにロイスが嬉しそうに店の店主──マーカスの名前を紡いだ。
***
「大きくなられましたな」
「少し伸びたからね。マーカスは変わりないね」
「そうですな。殿下と最後にお会いしたのはいつでしたか?」
「学園に入る前だから二年前かな」
ロイスとごくごく普通に会話する老爺はマーカス。昔、王宮で働いていた料理人だ。
「愚息は殿下に迷惑かけていませんか?」
「大丈夫だよ。ロジャーも素晴らしい腕を持ってるからね」
「殿下にその様に言っていただけるとは。光栄の極みでございます」
「大袈裟だよ」
マーカスの言葉に苦笑するロイス。その表情は子どもらしく見えるのは恐らく気のせいではない。
護衛と一緒に店内の奥にある生活空間に通されてテーブルに紅茶とブリオッシュが置かれる。
「あの、メルディアナ様、ここは……?」
「元王宮料理人の家」
「えっ。元王宮料理人……!!?」
衝撃の事実を聞いて驚愕するオーレリア。まぁ、まさか行き先が元王宮料理人の家とは思うまい。私も思わなかったから。
オーレリアの驚きの声にロイスが苦笑しながら説明する。
「いきなり連れて来られてびっくりしたよね。マーカスは三年前まで王宮でパン作りを担当していて今は王都でパン屋開いてるんだ」
「初めまして、お嬢様。マーカスと申します」
「お、オーレリア・マーセナスと申します」
「オーレリア様ですね。ブリオッシュが苦手ではないのならぜひ」
「ありがとうございます」
互いに挨拶してブリオッシュに手を伸ばして口に含むと──淡い緑色の瞳を見開かせる。
「! おいしい!」
「それはよかったです」
「こんなにおいしいブリオッシュ初めてです!」
感想を述べるとマーカスが嬉しそうに目を細める。
「そうでしょう? マーカスのブリオッシュは絶品で今でも取り寄せているんだ」
「そうなのですか?」
「うん。小さい頃はマーカスの作るブリオッシュが大好きでよく作ってって我儘言ってたんだよね」
「何をおっしゃっているのです。とても愛らしい、かわいらしいお願いでした」
「本当?」
王宮勤務時の昔話に花を咲かせて笑いあうロイスたち。確かにマーカスの作るブリオッシュは絶品で私も王宮に来る時はよく好んで食べていた。
「王都にこんなにおいしいブリオッシュが売っていたなんて知りませんでした……」
「私も初めて知ったわ。私もまだまだね」
オーレリアに同意する。もうこのブリオッシュ食べられないと思っていたのにまさかまた食べられるなんて。
「不定期に販売しているのでメルディアナ様が知らなくても当然かと。殿下は息子に聞いてやって来たようで驚きました」
「ロジャーのもおいしいけどやっぱりマーカスのが一番好きだからね」
「なんとも嬉しいお言葉を」
ほのぼのとした会話に和やかな空気が生まれるのを感じながらブリオッシュに手を伸ばす。
豊穣祭であっちこっち歩いて屋台の料理を食べたけどやっぱりこのブリオッシュは別腹だ。いくらでも食べられる。
それは私だけじゃなく、ロイスの護衛役である近衛騎士たちもおいしそうに頬張っている。
「甘味など他にいくらでもあるでしょうに殿下というとこればかり強請って。今だから言えますが菓子職人が嘆いていたんですよ」
「えっ、そうだったの? 悪いことしちゃったな……」
「はい。なので王宮に戻る際はぜひリクエストしてくださいませ。大喜びするでしょう」
「それなら明日リクエストしてみるよ」
「ええ、そうしてください」
頷くとマーカスも席に着いてお茶を飲んで穏やかな、孫を見るような優しい目でロイスを見る。
「殿下のご活躍はよく聞きますよ。よくシェルク侯爵家の不正を暴きましたね」
「優秀な文官たちのおかげだよ。僕一人だとまだまだ時間掛かってたと思うし」
「何を言いますか。学生の身ながら素晴らしいと思います。小さい殿下とメルディアナ様を昨日のように思い出せるのにもうこんなに大きくなって、子どもの成長とは実に早いですね」
「マーカスさんは小さい頃の殿下とメルディアナ様を知っているんですか?」
オーレリアが興味深そうにマーカスに尋ねる。すると目元と緩めて微笑む。
「陛下が生まれる頃から王宮で働いていたので知っていますよ。オーレリア様は学園に入ってから殿下たちと?」
「はい。先にメルディアナ様と知り合って、その後に殿下と出会って」
「左様ですか。オーレリア様は驚くかも知れませんがお二人共、今では立派ですが小さい頃は全然違ったんですよ」
「そうなのですか?」
「はい。殿下は内気で大人しく、メルディアナ様は公爵令嬢とは思えない、破天荒で剣を好むような子でした」
「ちょっと、マーカス? 何言ってくれてるの?」
突如暴露するマーカスにロイスと共に顔を引きつる。待って、嫌な予感がするんだけど。
「メルディアナ様が剣を嗜んでいるのは知っていますが……?」
「そうですか。メルディアナ様は小さい頃から元気な子でいつも殿下を引っ張っていたんですよ。ある時は太陽の下で走り回って服を泥だらけにし、ある時は水遊びで容赦なく殿下をびしょ濡れにし、ある時は――」
「ストップーーー!」
語り続けるマーカスに大声を上げて止めさせる。なんてこと暴露するんだ。
「どうかしましたか?」
「どうかしたかじゃないわよ! 見て! 口開いて固まっているじゃない!!」
見るとオーレリアが口を開いて硬直している。きっとオーレリアの中で私の令嬢姿が急速に崩れて行っている。
当時は子どもなので好き勝手していたけど今なら絶対にしない。おのれマーカスめ、黒歴史を暴露するなんて。
「その……それは本当に? 想像出来ないのですが……」
「はい。ああ、確か殿下の七歳の誕生日に誕生日プレゼントを忘れたからと厨房に忍び込んで殿下と一緒に菓子を食べていたこともありましたね」
「本当のことだけどもうやめて」
一番振り回していた頃のエピソードを暴露されて反射的に言い返すとオーレリアからドン引きされる。
「メルディアナ様、なんという不敬を……」
「本人に怒られなかったからセーフよ。王妃殿下も笑ってくれたもの」
「王妃様……なんとお心が広いのか……」
王妃様の寛大さをオーレリアが讃える。確かに一人息子を散々振り回したのに王妃様はいつもコロコロ笑っていたな。ありがとうございます、王妃様。
「一方の殿下は内気でいつもメルディアナ様の後ろをついて歩いていましたね。ああ、メルディアナ様はご存知ですか? 急用でメルディアナ様が来られなくなった時はよく寂しそうに過ごしていたのですよ」
「ちょっと、マーカス……!」
動転するロイスを見て悪戯心が芽生え、ニヤリと笑う。マーカス、散々私の黒歴史を暴露したけどこれで許す。
「へぇ~、そうなの?」
「…………」
暴露されたロイスはいたたまれないのか、目を逸らして無言になる。無言だけどかなり狼狽えているのがよく分かる。こんなに狼狽えるロイスを見るのは貴重なので見ていて面白い。
「そんな内気な殿下がオーレリア様のようなかわいらしいご令嬢を連れて来るとは。殿下も隅に置けませんね。メルディアナ様もそう思いませんか?」
「ふふ、でしょう? 私も同感」
「メルディアナ、どうしてマーカスの味方になっているんだ……!」
なぜってそりゃあロイスの面白いエピソードを教えたからに決まっている。それに、ロイスを揶揄える機会はそう多くないので楽しむのなら今でしょ。
そうしてマーカスのブリオッシュを食べながら昔話に花を咲かせて時間を過ごした。