84.秋のお忍び散策1
「もう秋だよね」
「もう、じゃないわよ。とっくに秋よ」
「先日十月に入りましたからね」
机に顔を乗せて呟くアロラに指摘しながら課題を解いていく。
一年前の剣術大会の雪辱を果たせず、今回も二位という座に収まって一週間。私たちは明日提出の課題を学園の図書館で解いていた。
普段なら寮の自室で取り組むが如何せん、今回は本を借りないと出来ない課題だったため学園の図書館に来ていた。
「アロラ、それは明日提出するんだろう? なら課題取り組むんだ」
「はーい」
隣に座るステファンが注意すると素直に姿勢を直してペンを握って課題に取り組み始める。ありがとう、ステファン。
ロイスとステファンはクラスが違うけど同じ課題を明後日に出さないといけないようでこうして一緒に取り組んでいる。
「十月と言えば豊穣祭だよね。メルディ覚えてる? 豊穣祭の日に屋敷抜け出して一緒にメルディの領地の豊穣祭楽しんだの」
「覚えてるわよ。突然来て驚いたわ」
アロラに声をかけられて記憶の海から掘り起こす。
豊穣祭は秋の作物が無事実ったことに感謝する日で王都を始め、各地で祭りが開かれる。
私の領地も毎年豊穣祭が開かれてたくさんの人が訪れる。
「オルステリア伯爵領の豊穣祭もいいんだけど、公爵領はやっぱりすごいよね。私のところより屋台も人も多くて楽しかったなぁ」
「私のところは商業都市だもの。いつもより人も品も多くて当然よ」
各地の豊穣祭の中でも商業都市である私の領地は特にすごいと思う。普段も人が多いけど豊穣祭の日は人が通常の二倍で溢れて売上も普段の五倍になる。
「……それでも王都には負けるんだけど」
「仕方ないよ。王都は国一番の発展した都市だからねー」
そりゃあ王都は国一番の発展した都市だから仕方ないかもしれない。でも悔しいのは悔しい。
「殿下は豊穣祭行ったことあるんですよね?」
「一度だけだけどね。それも小さい頃の話だけど」
「へー。オーレリアちゃんは?」
「領地の豊穣祭は行ったことありますが王都のはないですね」
「なるほどなるほど。──実は、皆に提案があります」
「提案?」
真剣な様子で告げるアロラに首を傾げる。どうしたんだ、一体。
しかし、不思議に思ったのも束の間。次の発言でその意図を察する。
「私からの提案、それは──このメンバーで豊穣祭に行きたいということです!」
「それは……今度のですか?」
「うん!」
妙案を思いついたとばかりに提案するアロラ。もしかして……ロイスのために?
じっとアロラを観察しているとバチッと目が合う。そして茶色い瞳が片方閉じるのを見逃さない。
アロラもロイスの気持ちを知っているし、なんなら二人をくっつけるための協力者だ。ロイスのために提案してもおかしくない。
「いいんじゃない? 五人で王都に出かけたことはあっても豊穣祭はないもの。行ってみない?」
なのでアロラの案に乗って行く方向へ誘導する。
豊穣祭は建国祭と違って一日だけのイベントで、王都以外にも各地で同じ日に行われているので建国祭と比べて人は少ない。
そして豊穣祭はどちらかと言うと作物を育てる平民がその感謝を祝う面が強い。それは、王都でも変わらない。
だから仮に遊び行っても王都にいるのは平民が多いので貴族階級の人には会いにくいのがいい。
「確かに、今年の豊穣祭は週末で学園は休みですしね。殿下も予定は夜だけでしたよね?」
「うん。だから夕方までに帰れば問題ないよ」
「オーレリアちゃんも確か予定なかったよね?」
「はい、だから行くこと出来ますよ」
「メルディも行けるよね!?」
「ええ」
「! じゃあ……!」
全員の確認が出来、行く方向へ傾く。今年は丁度学園が休みの日だしたまには平民に扮して楽しむのもいいだろう。
「決定ね。それじゃあ集合場所は──」
そして当日の集合場所と時間を決めて目の前にある課題に取り組んだ。
「じゃあね、オーレリア」
「またねー!」
「はい、また明日」
課題を終えて帰寮してオーレリアと別れると歩きながらアロラに話を振る。
「それにしてもアロラがあんな提案するなんて驚いたわ」
「豊穣祭のこと?」
「ええ」
「えー、そうなんだ。じゃあびっくり大成功だね!」
問いかけると頷いて嬉しそうに笑う。
「でもどうして急に?」
「急にって。だって私も協力者じゃん。だから忙しそうなメルディに代わってステファンと計画してたの」
「ステファンも関わってたのね」
「そう。殿下たちとオーレリアちゃんの予定も事前に把握して計画立ててたんだ」
事前に双方のスケジュールも聞いていたとは。まぁ、どちらかが参加出来なかったら計画した意味がないので聞くのは分かるが。
正直、夏休みも色々とあってその後も剣術大会の鍛練と忙しくて豊穣祭のことなんて抜け落ちていたので感謝しかない。
「手伝ってくれてありがとう」
「いーえ。それに殿下のためだけじゃないし」
「他にもあるの?」
他にも理由があると知って何か尋ねる。
するとなぜか残念な目で溜め息を吐かれる。ちょっと、なんで理由も分からず呆れられるんだ。
「ちょっと、何その溜め息」
「メルディって妙なところで鈍感だよね。剣術大会で頑張ったメルディを祝うためも含んでるんだから」
「アロラ……」
さらりと当然のように告げるけど、その優しさに胸がじんわり温かくなる。
ふざけることも多くて人を振り回すところもあるけど、こんなところは昔から変わらず簡単に人の心を掴んですごいなと思う。
「……ありがとう、アロラ」
だからもう一度お礼を言う。今度はもっと気持ちを込めて。
再度言う私にきょとんとするもそれも一瞬。嬉しそうな笑みを見せ──
「どういたしまして。当日はいっぱい楽しもうね!」
そう、人懐っこい笑みを向けた。
***
アロラの提案で豊穣祭に行くことになり、いつもどおり授業を受けて数日。誰か急用が入るなどのトラブルも起きることなく当日を迎えることが出来た。
「えへへ、おいしいのいっぱい食べるぞー!」
「程々にね」
「そうですよアロラ様。食べ過ぎたら胃に悪いですからね」
他愛のない話をしながら歩いていくと集合場所には既にロイスたちの姿を見つける。
「あ! ステファンー!」
「アロラ」
ステファンに気付いたアロラが大きく手を振ると既に来ていたロイスとステファンがこっちにやって来る。
「えっ……」
隣でオーレリアが驚いたように声を上げるけどその声はとても小さく、アロラの声で掻き消される。
「ステファンー! お待たせー!」
「アロラ、手を振るのは目立つからやめるように」
「えー」
「いいかい、アロラ?」
「はーい」
注意されると不満そうに頬を膨らませるが、ステファンには効果ないようで再度注意されて返事する。
そんな二人のやり取りの側でオーレリアはロイスを凝視する。
「マーセナス嬢?」
「で、殿下……。髪が黒色に……」
「ああ、これ?」
ロイスが指摘されて自分の髪に触れる。
その髪はいつも見る柔らかそうな薄茶色の髪ではなく、今は私と同じ黒色だ。
「成人を迎えていないから顔をそこまで知られていないけど一応変装するようにしているんだ。お忍びの時は昔から髪を染めているんだ」
「特殊な染料使ってるからすぐに落とせるのよね」
「うん。だから水には気を付けないといけないんだけど」
「そうなんですね……」
ロイスの説明にようやく納得したようにオーレリアが呟く。私やアロラ、ステファンは知っているけど初めて見たら確かに驚くと思う。
「見慣れないよね。……えっと、変かな?」
「い、いえ。ただ、びっくりして……。黒い色も素敵ですね」
「……それならよかった」
素敵と言われてそっと目を逸らすロイス。ロイスの恋情を知っているため微笑ましくて隣にいるアロラと共に温かい目を向けてしまうが許してほしい。
「メルディさんや、もうあの二人で回ればいいんじゃありません?」
「同感ね、アロラさん。勝手に行きます?」
「メルディアナ様、お戯れもそこまでにしてください」
ひそひそとそんなやり取りしているとステファンから制止の声がかけられ渋々止める。もう少し揶揄いたかった。
「でも二人の方が話す機会多いからよくない?」
「いくら護衛がいるとしても置き去りにして処罰されるのは勘弁願いたいんです」
正論をぶつけられてついにアロラも黙ってしまう。確かにお忍びも数回しか経験がない箱入りの王子様を置いて行ったら確かにあとが怖い。特に母からの叱責。
そんなこと考えていると近衛騎士団所属の近衛騎士二人と目が合い互いに小さく会釈する。二人共、私たちが小さい頃からお世話になっている近衛騎士だ。
このまま微笑ましい光景を見ていたいが時間は限られているので空気を強制的に変える。
「じゃあ時間も限られてるし歩こうと思うんだけど……その前にオーレリアに一つお願いがあるの」
「私ですか?」
オーレリアが淡い緑色の瞳を丸めて軽く首を傾げる。なので続きを話す。
「今日はお忍びだからいつもの呼び方はダメなの。だから他の名前で呼んでほしいの」
「あ、なるほど……」
私の指摘に頷いてロイスを見る。そりゃあ、髪を染めているのに「殿下」って呼んだら変装した意味がないよね。
「じゃあ、どのように呼べば……」
「簡単よ。名前で呼べばいいのよ」
「えっ?」
「ロイでいいわよね?」
「うん。昔からそれでやってるからいいよ」
「えっ!? お、恐れ多いです!!」
提案するも即座に断られる。あ、穏やかに笑っているけど地味に傷ついたのが分かる。
王太子の名前を呼び捨てにしろと言われているのだから恐れ多いと言うのも分かるが、この王太子は全然怖くないので安心してほしい。もし不敬という人なら私はとっくに不敬罪で牢獄送りになっているけどこのとおりなのでご安心を。
「大丈夫大丈夫。この人、呼び捨てにしても怒らないし、なんなら敬語使わなくても怒らないから」
「えええっ……。そんな非常識な人いるんですか……?」
ここにいますよ。
と言いたいのを我慢してアロラに目配せする。能天気だけど意外と周りを見ている幼馴染は私の意図をすぐに察してこちらの会話に加わる。
「いいよいいよ。ねぇ、ロイ様?」
「うん」
「で、でも私なんかがお名前を呼ぶなんて……」
さりげなくロイスを援護して名前で呼ぶけどオーレリアは恐れ多いと恐縮する。……まだ名前呼びは時期尚早だったか。
しかし、人間一度実行したら案外出来るようになるものだ。なので私も援護に入る。
「平気よ。それに、いつものように呼んだ方が大騒ぎになって大変だもの」
「そうそう。だから大丈夫だよー、オーレリアちゃん」
「この時間だけはご協力いただけませんか、マーセナス嬢」
私、アロラ、ステファンの順番で説得を行う。畳み掛けているみたいになるけど時には畳み掛けるのは大事だってライリーが言ってた。
さすがに分が悪いと感じたのか、恐る恐るロイスに尋ねる。
「ほ、本当にお名前を呼んでもいいのですか……?」
確認の言葉を発するオーレリアにロイスが優しい表情で頷く。
「うん。むしろ、呼んでほしいな」
「うっ……。わ、分かりました……」
再度許可を取ると、意を決したようにその名を紡ぐ。
「……ろ、ロイ様」
可憐な声から紡がれたその音を聞き──ロイスが花が綻ぶような笑みを浮かべる。
「──うん、ありがとう」
「い、いえ、そんな」
呼び慣れてないからか恥ずかしそうなオーレリアとは対照的にロイスは嬉しそうでその様子に頬が緩んでしまう。
「じゃあ行きましょうか。時間は有効だものね」
本当はこのまま二人を見ていたいけどロイスは夕方には王宮に戻らないといけないので出発の声かけをして歩き始めた。