77.対峙
突然届いた公爵からの手紙から数日。指定された日時にスターツ公爵邸の近くに馬車を停めてもらい、私は公爵邸の前へと訪れた。
公爵邸を守る騎士に名前を告げると少し待ってほしいと言われ、二分ほど待っていると白髪混じりの男性の使用人がやって来た。
「お待たせ致しました、カーロイン公爵令嬢。私はスターツ公爵家の家令のクレトと申します」
「初めまして、カーロイン公爵家のメルディアナ・カーロインと申します」
丁寧に礼をして名乗るスターツ公爵家の家令に私も名乗る。物腰柔らかい雰囲気を持ち、年齢はボルトンと同じくらいの男性だなと思う。
「存じております。旦那様がお待ちです、ご案内致します」
「よろしくお願いします」
屋敷を守る騎士の横を通り過ぎて公爵邸へ入っていく。
さすが長い歴史を誇るスターツ公爵家。外観は荘厳で美しく、カーロイン公爵邸と同じくらい大きい。
家令の案内の元、屋敷内へ入っていく。内観も外観と似た雰囲気を出していて飾られている調度品や絵画は全て一流品でさすが公爵家だと思う。
「…………」
確かに美しいし、名門公爵家で立派なお屋敷だと思う。
だけど、なぜか味気ないと思ってしまうのは公爵夫人である長年女主人がいないからか。
そんなこと思いながら歩いていくと一階の奥にあるとある部屋──恐らく位置的に応接室だろう。その前で家令が立ち止まるとコンコンとノックをする。
「旦那様、お客様をお連れ致しました」
「──そうか。通せ」
部屋の中から聞こえてきたのは淡々とした、感情のない冷たい声。
主人である公爵の命令を聞いた家令のクレトさんが私の方へ振り返って口を開く。
「どうぞ、お入りくださいませ。すぐに侍女がお茶を淹れに来るので肩のお力を抜いてお待ちくださいませ」
「……ありがとうございます」
家令のクレトさんに返事する。正直、肩の力なんて抜けないけど小さく口角を上げて微笑んで頷く。
この部屋の先に公爵がいる。……結局、公爵が心変わりした理由は考えたけどその理由は分からなかった。
でも、やることは一つだ。
例え否定的でも、頭ごなしでユーグリフトの才能を、夢を否定してほしくない。
ドアノブに手を触れて小さく息を吸ってはゆっくりと吐いていく。……よし、行こう。
ドアノブを回転してドアをゆっくりと開けていく。
応接室の先にはアッシュグレーの髪と冷徹な、氷のように冷えた色素の薄い冬色の瞳を持つ公爵が一人だけいて私を見る。
その表情はどこまでも無表情で、腹の内が分からないというのが正解だと思う。容姿は似ていないけど、こういう何を考えているか分からないのはユーグリフトと似ていると思う。
「本日はお忙しい中、このような場を設けていただいて感謝申し上げます、宰相閣下」
「いいや、私が招待したのだ。気にすることはない」
カーテシーをしながら感謝の言葉を告げるも公爵は淡々とした声で定型的な返事を返す。
「座りなさい」
「では失礼致します」
冷たい冬色の瞳で着席するように促されて音を立てずにソファーに座る。
するとタイミングを見計らったかのように侍女がティーカートを押して入室してくる。
そして気付く。その侍女が以前エルルーシアちゃんの側にいた武術の心得がありそうな侍女だと。
美しい所作でお茶を淹れていくのを眺め、静かに退室するのを確認してお茶を一口含んで喉を潤す。
そして静かにカップを置いて公爵へ視線を移す。
向かいに座る公爵は相変わらず無表情で私を捉えていて、私も視線を逸らすことなく公爵を見る。
応接室に沈黙が流れるけどここは意を決して私から話そうと一番聞きたかったことを尋ねる。
「本日はこのような場を設けてくださりありがとうございます。ですがなぜ急に? 手紙を幾つかお送り致しましたが返信がないと思えば急な提案に驚きました」
改めて感謝の言葉を伝えながらなぜ急に応じたのか尋ねる。
冬色の瞳は私を一瞥した後、カップを持ち上げながら口を開く。
「初めは会うつもりなかったからな。だから無視していたが娘が君の世話になったと聞いてな。礼として会うことにした」
「エルルーシアちゃんですか……?」
平然と無視していたと告げる公爵に怒りが湧くけどその後の名前に疑問を浮かべる。
エルルーシアちゃんと会ったのは二回のみ。一つは迷子になっていたエルルーシアちゃんを助けたことと、もう一つはユーグリフトとお出かけ中に会って少し付き合ったことだ。
この流れからしたら公爵が指しているのは前者の迷子の方だろう。公爵令嬢のエルルーシアちゃんとはぐれて行方不明になったのは公爵家に伝わっているはずだ。
それを知った公爵がこうして私に会うのを応じてくれたんだろうが……もう一年近く前なのに今頃知ったのかと思ってしまう。
「君の手紙を受け取った時に偶然エルルーシアが通りがかってな。話を聞けば娘が世話になったと知ってその礼として応じたわけだ」
「……そうですか」
やや間を空けて返事する。
急な心変わりの原因はどうやらエルルーシアちゃんだったらしい。ありがとう、エルルーシアちゃん。
しかし、去年の娘の件を知らなかったとはいえ、その礼としてこうして会おうとするとは。
父親と会う機会が少ないって言っていたけど、ちゃんとエルルーシアちゃんを気にかけているように見える。
「それで? 何度も私に手紙を送っていたがなんの用だ?」
「……ご子息の、ユーグリフト様のことでお話ししたくお手紙をお送りしていました」
「あれのことか」
ユーグリフトの名を出すと冬色の冷たい瞳がさらに冷たくなって目を細める。それだけで背筋が凍えそうになる。……さすがは敵に容赦ない冷酷宰相。十代である小娘も例外なくすごい威圧感を与えてくる。
内心そう思いながらもそれをおくびに出さずに微笑みを維持して話していく。
「はい。……私も自身の護身のため、母方の祖父に教わりながら剣を握って振るってきました。なのでユーグリフト様がどれほど努力してきたか分かります。剣術大会は簡単なものではございません。剣に自信がある者が参加し、その中で優勝するのは並大抵のことではありません。……それでも、閣下はユーグリフト様の才能を、騎士の夢を否定しますか?」
「するな。あれは我が家の後継ぎだ。剣で功績を上げてきた帯剣貴族でもない我が家は誰一人、騎士に就かせる気はない。仮にあれが騎士を目指しても認めるつもりはない」
質問に間を空けずに即座に認めないと返す公爵。この言い方、最初からまるで耳を傾ける気がないみたい。
話し合おうと思っても、相手が最初から聞く気がないと意味がないと思って諦めてしまうのも分かる。
『だから少し羨ましいなって思う』
寂しそうに私の家族が仲が良いのを羨ましいと言っていたユーグリフトの表情を思い出し、膝に乗せていた手をぎゅっと握り締める。
……母親が亡くなってから庇護してくれるはずの父親が背を向けて、ユーグリフトは今までどんな気持ちでこの屋敷で過ごしていたんだろう。
父親は家に近付かず、助けを呼べない中で幼い弟妹を精神的に支えて来たなんて。
「あれが騎士を目指すと言う話ならこれで終わりだ。忙しいので失礼する」
黙る私にもう終わりだと結論付けて勝手に話を切り上げる。
立ち上がり、勝手に出ていこうとする公爵に私も立ち上がって公爵の背中に言葉を投げかける。
「……閣下の気持ちは分かりました」
私が発したからか公爵がドアの前で立ち止まり、振り返って私を捉える。
「そうか。なら君も帰りなさい」
「その前に、一つお聞きしたいことがあるのですが」
「……はぁ。何かね?」
面倒そうに小さく溜め息を吐きながら私に続きを言うように促す。なら言わせてもらおう。
「……閣下はユーグリフト様が騎士を目指すのを反対していますがその理由は――公爵夫人が閣下を庇ってユーグリフト様の前で刺されて亡くなったからですか?」
静かにその言葉を投げかけた瞬間、応接室の空気は一気に凍えるように変化したのだった。