73.接触
ふぁ、と口からこぼれるあくびを手で隠す。
カタコトと僅かに揺れる馬車は不思議と私の眠気を誘ってくれる。
「メルディ、眠いの?」
「はい……。昨日ちゃんと寝たつもりなんですが」
「ふぅん。眠いのなら僕の方へ来て肩に頭を置いてもいいんだよ」
「いいえ、大丈夫です。本当に眠ってしまいますから」
向かいに座るお兄様がトントンと自分の肩を叩くので大丈夫だと告げる。せっかく侍女たちが髪を整えてくれたからぐしゃぐしゃにするわけにはいかない。
アルビーの来訪から一日。今日はサンクスレッド侯爵家の夜会の日だ。
母は先に夜会に向かい、父は仕事の後に夜会に向かう予定なっていて、私はお兄様は一緒に向かっている最中だ。
「それよりもお兄様。エスコートありがとうございます」
「いいんだよ。僕も招待されているんだし」
ニコリと優しい笑みを向けてくれる。つられて私も笑ってしまう。
「今日の夜会は招待客は知り合いが多いけど新しい人脈が出来るかもしれないし、休憩を挟みながら交流したらいいと思うよ」
「はい」
「それと、ダンスは無理するんじゃなくて足が痛かったら断ればいいからね」
「分かってます、お兄様」
注意するお兄様に苦笑してしまう。大丈夫なのに。
心配性なのは母と似ている。
「そうそう、今日はライリーもいるし疲れたらライリーのところに行けばいいよ。それでアルビーは一人で頑張ればいいと思うよ」
「ふふ、そうですね」
帰宅後、アルビーの突然の訪問を聞いたからかそんな意地悪を言う。アルビー、どうしてもダメなら助けるけど一人で頑張れと心の中で呟く。
「勿論、僕のところに来てもいいからね」
「ふふ、ありがとうございます」
最後に自分のところに来てもいいと言うお兄様に小さく笑いながら頷く。
やっぱりお兄様は私に甘いと思う。
……私の両親は子どもの私から見てもいつまでも仲がいいし、両親は子ども思いだと思う。
女なら政略結婚の道具として扱われてもいいのに両親はそんな扱いをしない。
アロラやオーレリアという素敵な友人がいて、つくづく私は家族にも友人にも恵まれていたなと思う。
「メルディ? やっぱり少し仮眠を取る?」
「大丈夫です。少し、考え事を」
「そう? 大丈夫?」
「はい。ご心配かけてすみません」
再び心配そうに私を見るお兄様に笑って誤魔化す。お兄様に心配かけてはいけない。しっかりしないと。
そうして自分を叱咤して馬車に揺られているとサンクスレッド侯爵家の屋敷へたどり着く。
お兄様の手に手を重ねながら馬車を下りて公爵令嬢の仮面を被って優雅に歩いていく。
受付を終えるとホールへ繋がる廊下を歩くと賑やかな人々の声が廊下から響いてくる。
背筋を伸ばして進んでいくとホールの目の前に辿り着き、侯爵家の使用人が両扉を開いていく。
それを合図に顎を引いて口角を少し上げて社交用の微笑みを浮かべて入場する。
「まぁ、カーロイン公爵家のご兄妹よ」
どこかの家の夫人が呟いてホールにいる参加者が一斉に目を向けて少しだけ驚いてざわついているのが読み取れる。
お兄様は必要以上に夜会には参加しないし、私も夜会よりお茶会の方に参加するから驚いたのだろう。一斉に囲み始めて挨拶をしてくる。
「こんばんは、ジュリアン殿、カーロイン嬢」
「ジュリアン殿にカーロイン嬢も本日は来たのですね」
「ごきげんよう、ジュリアン様、メルディアナ様。お会い出来て感激ですわ」
「こんばんは」
「ふふ、こんばんは」
次々と挨拶しに来る当主や子息、夫人に令嬢たちに微笑みながら挨拶を返す。
さすがサンクスレッド侯爵家主催の夜会。招待客も侯爵家以上で政治や軍部、経済や芸術に影響力がある家の人間ばかりだ。
近付く人たちに挨拶をしながら両親の元へ向かうと気付いた母が微笑みながら出迎えてくれる。
「メルディ、ドレスよく似合っているわ」
「ありがとうございます、お母様」
褒めてくれる母に礼をする。
隣には父もいて、どうやら無事間に合ったようだと心の中で呟く。
そうしていると本日の夜会の主催者であるサンクスレッド侯爵が始まりの挨拶を始め、夜会が開始する。
その後もやって来る貴族に家族と一緒に挨拶する。
「カーロイン公爵令嬢、あとから始まるダンス、わたくしと踊って頂けませんか?」
「まぁ、私でよろしければ」
淑女の微笑みを浮かべてダンスの誘いに応じる。全く踊らないというわけにはいかないので今日も少しは踊ろうと思う。
「カーロイン嬢、私もよろしいでしょうか」
「それでは私も」
「お時間とタイミングがあえば喜んで」
確約はせずに応じながら挨拶とダンスの誘いをこなしていく。
父の挨拶に同行しているとある人物がやって来て僅かに肩に力を入れる。
「カーロイン公爵、貴殿も来ていたのだな」
「スターツ公爵。ええ、公爵も来られていたとは」
「サンクスレッド侯爵とは親交があってな」
やって来たのはユーグリフトたちの父親であるスターツ公爵で、私たちに社交用の作り笑いを浮かべる。
一見、ユーグリフトと似ていないけど、その作り笑いは似ていてやっぱり親子なんだと思い知らされる。
「家族で来られたのだな」
「ええ。公爵はお一人で?」
「ああ。本日は私一人の参加だ」
そうして簡単に私たちと挨拶を交わすと公爵に挨拶する人が現れて離れていった。
公爵は参加しているけどユーグリフトは不参加のようだ。丁度いい。ユーグリフトがいるとやりにくいのでよかったと思う。
同年代の子息に令嬢の挨拶を一通り終えるとそっと全体を見渡して公爵のいる方向を見つける。
公爵は一人でグラスを片手に持ちながら一人飲んでいる。好機と見た。行くなら今だ。
警戒されないようにゆっくりと公爵の元へ近付き、公爵に再び挨拶する。
「こんばんは、宰相閣下」
「……カーロイン公爵令嬢?」
やや間を空けて私を呼ぶ公爵にニコリと微笑む。どうやら私がやって来るのは予想外だったようだ。声に疑問の感情が入っているがすぐに社交用の顔つきになる。
「私に何かあるかな?」
「先ほどは挨拶が足りなかったかと思いまして改めて挨拶をしようかと思い、参りました」
「いいや、十分だったから気にしなくて構わない」
大義名分を出すと挨拶は十分だったと答える。そうだろうなと思う。きちんと挨拶はして不足はなかったから。
「それは安心しました。……建国祭ではユーグリフト様もいらっしゃいましたが、本日は閣下だけなのですね」
周囲を見ながら公爵に告げる。回りくどいことは好きじゃないので簡潔に話して本題に近付いていく。
「ああ、あの時は珍しく参加したが息子は普段夜会に参加しなくてね」
「まぁ、そうなのですね。それじゃあ皆さん残念がるかと思います。ユーグリフト様とお話ししたいと思う方は多いので」
「ほう?」
聞き返す公爵。それにニコリと社交用の笑みを浮かべて肯定する。
「はい、ユーグリフト様は優秀ですから。試験は常に殿下の次を維持しておられてそれはそれは優秀で」
「そうか」
微笑みながらユーグリフトを賛美していく。さて、本題に行くか。
「試験だけではなく、剣術も大層優秀で。昨年の剣術大会では優勝したんですよ。文武両道で私も見習わないといけません」
「……あの子が剣術大会で優勝」
私の言葉を反芻する公爵。初めて聞いた様子で小さく息を呑んで呟くのを見逃さずに話を続ける。
「はい。なのでユーグリフト様とお話ししたいと思う方は多くて。将来は騎士になったら殿下のお力になれるでしょ──」
「──それはあり得ないな。それに剣術大会で優勝したと言うが、私にはどうでも話だ」
「……は、い?」
話している私の言葉を覆い被さるようにそんな発言をする。…………は?
固まっていると公爵の冬色の冷たい瞳が私を見ながら話を続ける。
「あれは騎士に相応しくない。だからあれが騎士になることはないから令嬢、その話はやめなさい」
冷たく、断言する公爵が私を諭すように語る。顔が歪みそうになるのを必死に抑えながら言い返す。
「……相応しくないとは、どういうことでしょうか」
「言葉のとおりだ。仮にあれが騎士を目指していても私は認めん」
私の問いにまともに答えずにそれだけ告げると公爵は背を向けて立ち去っていく。……どうしよう、すんごい腹が立つ。
まだ人が話しているのに言葉覆い被せるのもカチーンとくるけど、それよりも。
『私にはどうでもいい話だ』
剣術大会は素人が優勝出来るような柔な大会じゃない。将来が懸かっているので皆本気で戦う試合だ。
そんな中、ユーグリフトは一番多く対戦して優勝を掴み取ったのにどうでもいいなんて。……ユーグリフトが、どれだけ努力したのか知らないのだろうか。
……思い出しただけで頭に血が上る。仮にも息子の努力をどうでもいいって言うなんて。
『俺が大会で優勝したとか、あの人は興味ないから』
そしてふと、創立祭でユーグリフトが呟いた言葉を思い出す。
……あの時、そんなこと発して空気が重くなったけど、ユーグリフトはどんな気持ちでそんなこと言ったのだろう。
家族を放置して仕事に走り、自分の努力を否定され、弟妹を顧みない父親にどんな感情であんなこと私に言ってくれたのだろうか。
諦観の感情を見せるユーグリフトと思い出す。ずっと、そんな環境で過ごしていたなんて。
「…………ふ、ふっふっふっ」
小声で笑う声を上げる。
公爵は話はもう終わったとばかりに立ち去ったけど……この程度で終わらせて堪るか。
話も聞かずに否定するのは間違っている。否定するにしてもきちんとユーグリフトと話して、ユーグリフトの気持ちと向かい合うべきだ。
「やってやろうじゃないっ……!!」
諦めてなるものか、と朱色の瞳をつり上げて拳を握り締めたのだった。