70.答え
突然だけどこの学園は広い。
それは将来国を担い、支える貴族の子息子女が通うからで、敷地面積は広大でいくつものの建物や庭を保有する。
そんな学園が保有する北側の庭──通称北庭は中庭ほどではないけれど十分広く、今は涼しい風が吹いている。
そしてそんな場所で私、メルディアナは蝉の鳴き声を聞きながら東屋で一人……いや、一匹優雅に寝転がっていた猫のアントンを捕まえて撫でていた。
「ニャア……」
最初いきなり撫でると驚いたかのように「ニャアッ!?」声をあげたアントンだけど、私だと気付いたら甘えるようにくっついてきた。
その態度に思わず頬が緩んでしまう。私は動物好きだ。だからこうして甘えてくれるとすごく嬉しいし、心が癒される。
今だって膝に乗るアントンを撫でると気持ちよさそうに目を細める。
「……はぁ」
甘えてくるアントンを撫でながら溜め息を吐く。今は人目もないので大きく溜め息を吐いても問題ない。
「……はぁ……」
再び溜め息を吐いてしまう。こんなことしても何も解決はしないけれどこぼれてしまう。
それと同時に思う。私、最近よく悩み事が絶えないなって。
ぼぉっとアントンの頭を撫でていると、人の気配が近付いてそちらへ視線を向けると水色の瞳と目が合った。
「やっと見つけた」
「……殿下」
朗らかな声で私に近付いてきたのはロイスで、ニコリといつも見せる優しい笑みで私を見る。……やっと見つけたとは? 私に何か用があったのだろうか。
「どうかしましたか?」
不思議な感情を乗せて問いかけるとロイスが近付いてきて私と人一人分くらいの距離を開けて座ってくる。
「敬語じゃなくていつもどおりでいいよ。どうせ皆、試験が終わって帰省の準備とかしていて北庭には誰もいないしね」
「……そう。それで? 私に何か用?」
いつもどおりでいいと言われたのでいつもの口調で問いかける。はて、何か用事があっただろうか。
記憶を遡っているとロイスが心配そうな目で私を見て口を開く。
「試験、四位だったね。体調悪かった?」
眉を下げて尋ねるロイス。本当に私の体調を心配しているのが窺える。
一方、私はそれを聞いてああ、それかと腑に落ちて苦笑する。
「そんなのじゃないわ。ただ単にあんまり集中出来なかっただけ。心配してくれたの?」
「うん。僕だけじゃないよ、アロラも心配して『自分の勉強見るのが大変で勉強出来なかったんじゃ』って不安をこぼしてたよ」
「……アロラったら。アロラのせいじゃないって言ったのに」
今はここにいない幼馴染の顔を思い出して呆れた声で呟く。
アロラとオーレリアの三人で試験の結果を見に行くと私は四位へ転落していてそのことでアロラとオーレリアに心配させた。
特にアロラは自分のせいでと謝って来て大変だった。アロラのせいじゃないのに。悪いのは集中出来なかった自分なのに。
「たまには集中出来ない時くらいあるじゃない」
「それならいいけど、僕も驚いたよ。三位とも差があったから」
「…………」
ロイスからの指摘に無言になる。……確かに、小さなミスを繰り返して三位とは十点以上差があった。あれがなかったらいつもどおり三位だったはずなのにと思うと悔しくなる。
あまり深堀りされたくないので話をすり替える。
「ロイスこそすごいわね。シェルク侯爵の不正を見つけたりと忙しかったはずなのに微塵も感じさせずに堂々と一位に君臨しているんだから」
「そんなわけないよ。首位を維持しようとして必死に試験範囲勉強したし」
「本当~?」
茶化したように問いかける。どうも信じられない。その割には目にクマはないし疲れているのが見えないのだから。
此度も一位を取ったのはロイスで、二位であるユーグリフトとは僅差ながらも見事首位を守り抜いた。
シェルク侯爵の不正とかで大変だったはずなのに一位を守りきっていて。……もう勝てる見込みがないようで悔しくなる。
「……メルディアナ?」
「えっ。な、何?」
思考の海に沈んでいるとロイスが覗き込むように私を見て慌てて意識を戻す。
「やっぱり具合でも悪い? 何か悩んでいるのなら話していいよ」
「な、悩んでなんか……」
「そう? メルディアナって、一見あまり悩みがなさそうだけど、結構悩みやすいから」
「ちょっとそれはどういうことよ。私は普通に繊細よ」
ロイスの発言にむっと頬を膨らませる。確かに私は気が強いけどだからと言って悩みとは無縁な性格ではないって知っているくせに。
「分かってるよ。だからこうして聞いてるんだよ。何か悩んでいるのなら力になりたいから」
言い返すと優しく諭すようにそう返す。……そんな風に言われたら強く言えなくなる。
「…………」
原因は分かっている。……原因は、ユーグリフトだ。
あの日、王都でユーグリフトと会ってあんな話を聞いてからずっと、気分がよくない。
なのに当の本人はいつもどおりで今回も二位を維持していて腹立たしくなる。
私は、ずっとモヤモヤしているのに。
公爵とユーグリフトが以前から仲が悪いのは感じ取っていたけど、その話が思っていたより複雑でずっとぐるぐると考えてしまう。
母親の死因に父親との親子関係、そして権力に執着する親族たち。どれも、私は無縁だった問題だ。
そう考えると私は恵まれていたなと思う。権力に執着する家でもなければそんな親族はいなくて家族仲は良好だったから。
「……メルディアナがあんまり話したくないのなら話さなくてもいいよ。でも、悩んでいる時は頼っていいんだよ。何が出来るか分からないけど、いつも助けてもらっているから」
「ロイス……」
名前を呼ぶとニコッと穏やかな笑みを見せてくれる。その笑みがなぜか大人びて見える。
……確かに一人でずっとぐるぐる悩んでいても仕方がない。ここは、一度他者の言葉を聞いた方がいいかもしれない。
「……ある人の話なんだけどね」
「うん」
「その人には夢があるんだけど、その夢に親が反対しててね。私は叶ってほしいなって思うけど、でも親の気持ちも分かって。そのせいで親子仲も険悪になって……どうしたらいいんだろうって思ったらあんまり勉強集中出来なくて」
アントンの背中をゆっくりと撫でながらポツリ、ポツリとその相手がユーグリフトだと分からないように濁しながら話す。ロイスならそれでも分かるはずだから。
スターツ公爵の気持ちは分かるつもりだ。公爵夫人にそっくりの息子が妻と同じ道へ歩むのは正直、複雑だと思う。
公爵夫人の死因が普通に病死や事故死ならまだ割り切れただろう。だけど、本当の死因は自分を庇ったことによるものだから。
今は仲が険悪だけど、公爵が反対しているのはユーグリフトの身を案じているからだろう。
でも、公爵の気持ちが分かると同時にユーグリフトの気持ちも分かってしまう。
目の前で母親が刺された場面を見て救えなかったことに対する後悔。だからこそ、二度と後悔したくないって思う気持ちも。
どっちの気持ちも分かってしまうから考えてしまう。
話し終えるとロイスが顎に手を当てる。
「うーん、夢か……。メルディアナは、どっちの気持ちも共感出来るんだね」
「ええ」
「そっか。じゃあ、どっちの方が共感出来る?」
「えっ?」
ロイスの発言に片眉を上げる。どっちに共感……?
「うん。その人の夢と、親の気持ち。メルディアナはどっちの方に肩入れしてしまう?」
「……私は、」
ロイスの問いに戸惑って黙ってしまう。肩入れ、か。
公爵の気持ちは十分分かるつもりだ。私が公爵の立場でも思ってしまうと思うから。
でも、ユーグリフトの気持ちも分かる。私だって、目の前で家族が同じ目に遭えば傷つけられないように強くなりたいって思うから。
それに、なんだかんだ喧嘩ばかりしてけどユーグリフトに勝つために観察していたから知っている。
剣に対してまっすぐでちょっとやそっとで身に付かない技量を持っていて、放課後も鍛練場で鍛練していたのは渡り廊下から何回も見てきた。
何より、私が騎士になりたいって言っても笑わずに尊重してくれて……正直、嬉しかった。
『騎士になる気なら応援するよ』
創立祭で騎士になりたいと打ち明けた時に微笑みながら言ったユーグリフトを思い出す。
私は騎士になりたい。それは、今も変わらない。
笑わずに応援してくれたのに、自分は叶わないからって諦めてほしくないって思ってしまう。
「どっちも気持ちも分かるけど……私は諦めてほしくない。だって、私の夢を笑わずにいてくれたんだもの」
「そっか。……それじゃあ、答えは出た感じ?」
「……うん、やっぱり諦めてほしくない。……だって、ずっと努力してきたのを見てきたんだもの」
諦めることが出来るのなら私も、ユーグリフトもとっくに剣を手放していたはずだ。
だけど、実際は私もユーグリフトも剣を手放せずに今に至る。
それはきっと、その夢に思い入れが強いからだと思う。
だから諦めずに頑張ってほしいって思ってしまう。幼い頃から抱いていた自分の夢のために。
「それに……」
「それに?」
「ううん」
繰り返すロイスに首を振って誤魔化す。
それに、このままユーグリフトに敗北したまま騎士になりたくない。私はあいつに勝って騎士になりたい。
「……よしっ!」
両手で頬を叩いて自分に喝を入れる。これからのことを考えないと。
もうすぐ夏休み。皆、学園が休みだから夜会やらお茶会やら旅行やらと行くのだろう。私も、頑張らないと。
「ロイスは夏休みは公務よね?」
「うん。視察もあるよ。今回はどこかはまだ未定だけど」
「へぇ、未定なの?」
「母上がまだ伝えてくれなくてね。まぁ、それでも数日中には分かるだろうけど」
青空を見ながらロイスが呟く。どうやら今年も忙しい夏になるようだ。
「そう。じゃあ頑張ってね」
「ありがとう。それじゃあ、そろそろ寮に戻ろうか。いつまでもいると暑くてしんどいし」
「ええ、そうね」
ロイスの提案に賛同してアントンを膝から下ろす。
下ろすとアントンがトテトテと走っていったのでロイスと途中まで一緒に帰ったのだった。