68.スターツ兄妹
「エルルーシアちゃん?」
「わぁ! やっぱりおねえちゃんだっ!」
名を呼ぶと嬉しそうにエルルーシアちゃんがこちらへ駆け寄ってきてお腹周りにぶつかってくるのを優しく受け止める。なんでここに?
「エルルーシアちゃん、どうしてここに?」
「きょうはお出かけしてたの! えへへ、まさかおねえちゃんと会えるなんて!」
嬉しそうに満面の笑みを見せてくれるエルルーシアちゃん。アッシュグレーの髪を今日も緑のリボンで左右にくくっていてとても愛らしい。
でもここにエルルーシアちゃんがいるということは兄のユーグリフトがいる可能性が高い。
そう考えたと同時に聞き慣れた声がエルルーシアちゃんの名を呼ぶ。
「──エルルーシア、勝手に走ったらいけないって何度も言っているだろう」
「かってに走ってないもん。ユン兄さまがいるじゃない」
長兄の注意にエルルーシアちゃんが反論する。頬を膨らませて反論していて小さく笑ってしまう。
ユーグリフトの方を見るとユーグリフトの他に二十代後半くらいの侍女と思われる女性と騎士と思われる男性がいる。
「エルルーシアちゃん、お兄さんとお出かけしていたのね」
「うん! きょうはヴェズリー兄さまのお誕生日プレゼントをかってたの!」
「そうなのね」
尋ねると楽しそうに今日の予定を話してくれる。誕生日プレゼントか。喧嘩はしても仲がいいんだなと窺える。
「おねえちゃんは?」
「私は壊れた時計を直してもらっていたの。でもエルルーシアちゃん、よく私だって気付いたね」
「えへへ。実はね──」
「エルルーシア、いつまでもくっついていたらお姉さんが困るだろう」
「えー」
エルルーシアちゃんの言葉を遮ってユーグリフトがそんなことを言う。エルルーシアちゃんがむくれた顔をする。
「こまってないもん。ねぇ、おねえちゃん」
「エルルーシア」
うるうると琥珀色の大きな瞳を潤せながら問いかけてくる。こんなの同意するしかないじゃないか。
「ふふ、ええ。大丈夫よ」
「! ほら、こまってないよユン兄さま!」
「はぁ……まったく」
溜め息を吐きながらユーグリフトが呆れた顔でエルルーシアちゃんを見る。やっぱり妹のエルルーシアちゃんには甘いようだ。
「カーロインも外出? 悪いな、声かけて」
「別にいいわよ。用事はもう終わったし。あんたもエルルーシアちゃんとお買い物なのね」
「ヴェズリーの誕生日が来週だからな。試験も近いから今日来てたんだ」
「そうなんだ」
ユーグリフトの説明に頷く。弟の誕生日プレゼントを使用人に任せずに直接選んでいて弟のことも大切に思っているのが窺える。
「いつまでの立ち話しているのも悪いしじゃあな」
「ええ。それじゃあ」
別れの言葉を告げるので私も告げる。ユーグリフトと会ったのも偶然なのでここで別れても問題ない。
「おねえちゃん、もう行っちゃうの?」
そう思っていたらエルルーシアちゃんが私のワンピースを掴んで上目遣いで尋ねてくる。うっ、やっぱりかわいらしい。
「ええ。エルルーシアちゃんもお兄さんと一緒にいたいでしょう?」
「おねえちゃんともっとお話ししたいよ。ねぇ、もうちょっとだけお話ししない?」
「えええっ……」
思わぬ頼みごとに困惑する。エルルーシアちゃんとお話しするのはいいけどユーグリフトも一緒にいるのは……。
私はどこにでもある黒髪で平民用のワンピースを着て誤魔化すことは出来るけど、ユーグリフトは美形に加え、珍しい白銀の髪でとても目立つ。現に、街中の若い女性たちがユーグリフトをちらちらと見ているし。もし同じ学園の生徒や貴族の人に見られたら面倒なことになる。
「う~ん……」
「ダメ?」
「えっと……」
断りたいけどさっき用事はもう終わったって言ってしまったため断りづらい。
首を傾げながら頼み込む姿はまるで天使のように愛らしい。……これは兄に任せよう。
ユーグリフトに視線を向けて見つめる。届け、私の気持ち。
じっーとユーグリフトを見つめるとユーグリフトもこちらを見る。さぁ、読み取れ。私の目力!
私を見るとユーグリフトは懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。……ん? 何をしているの?
「……カーロイン、用事がないのなら少しだけ付き合ってくれない?」
「はい?」
「個室利用が出来るカフェがあって、そこでなら人にあまり見られないと思うし。出来たら妹のお願いに付き合ってほしいんだけど」
「…………」
ここに伏兵がいた。まさか、エルルーシアちゃんの方に付くとは。
……でも、個室のカフェなら人目をあまり気にせずに済むのは事実だ。……それならまだいいかもしれない。カフェを出るのは時間を変えたらいいんだし。
「……分かったわ。なら案内して。私は二人の後ろをついていくから」
「どうしていっしょに歩いちゃダメなの?」
「エルルーシア、お姉さんとお話ししたいのならお姉さんと歩いてもいいから」
「えー」
再び頬を膨らませるエルルーシアちゃん。どうやら別々で歩くことにご不満のようだ。
「なんで?」
「目立つからだよ。俺が先に行くからエルルーシアはお姉さんと歩けばいいよ。嫌ならお話し出来ないけど、どうする?」
「……わかったよぅ、おねえちゃんといっしょに歩く」
渋々とエルルーシアちゃんが頷く。とりあえず、駄々をこねずに聞いてくれて助かった。
そしてユーグリフトの後ろを少し距離を置いて歩いていきながらエルルーシアちゃんと歩いていき、その後ろをさらに侍女と騎士と思われる人たちがついてくる。
「おねえちゃんの髪とわたしの髪似てるね」
「そうね」
自分の髪を摘まみながらエルルーシアちゃんがそんなこと呟く。確かに、ユーグリフトの白銀の髪と比べると私の黒髪の方が色が似ていると思う。
「この色もお父さまとヴェズリー兄さまとおなじだから好きなんだけどね、ユン兄さまの銀色もいいなぁって思うんだ。だって、母さまとおなじなんだもの」
「……そっか」
話しながらほんの少しだけぎゅっと手を握る力を強める。……お母様を知らないから、同じ色を持つユーグリフトから母親の存在を感じ取っているのかもしれない。
「ほんとうは、お父さまもいっしょに来れたらよかったんだけど……お父さまはお仕事でいそがしいからあまり会えないんだ」
「……お仕事、忙しいんだね」
「うん。会ってもあんまりお話しできないし……」
しゅん、と寂しそうにエルルーシアちゃんが呟く。……宰相だから忙しいんだと思う。どう励ましたらいいのか悩んでしまう。
「あ……! で、でもユン兄さまやヴェズリー兄さま、ルビーたちがいるから別にさみしくないよ!? 一人じゃないからだいじょうぶだよ!?」
私を困らせたと思ったのか必死に早口で言い訳して大丈夫だと呟く。……逆に私の方が心配させているなと思う。
私の家も小さい頃から父が忙しそうに仕事をしていたけど、それでも家族の時間を作って大切にしてくれていた。
でも、エルルーシアちゃんのところは違って兄妹と使用人たちと過ごしていたんだなと想像してしまう。
「…………」
上手く慰める言葉を見つけられず歩いていくとカフェに到着して個室の方へ通される。
「わぁっ! はじめて来た!」
「俺も存在は知っていたけど初めて来るよ。カーロインは?」
「私も初めてよ」
三人とも個室のカフェは初めてのようでエルルーシアちゃんが楽しそうにはしゃぐ。私も存在は知っていたけど案外広くて少しびっくりする。
同行していた人たちは通常の方へ行っていて、そちらでくつろいでもらっている。
「エルルーシア、何か食べるか?」
「えっとね、ショートケーキ!」
「カーロインは?」
「私はアイスティーだけでいいわ」
「じゃあそれ頼むな」
そしてなんの躊躇いもなくベルを鳴らしてやって来た店員に注文してくつろぐ。初めて来たというけれど慣れた手つきだなと思う。
「おねえちゃんとユン兄さまはおなじクラスなの?」
注文したメニューが届くまでエルルーシアちゃんが私に話しかける。なのでにこやかに微笑みながら応じる。
「そうだよ」
「わぁ! じぁあ仲がいいんだね!」
「どうかな。仲がよくなくても同じクラスにはなるからな」
「そうなの?」
エルルーシアちゃんの質問をユーグリフトが華麗に訂正していく。おかげで答えにくい質問を投げることが出来ているので助かっている。
メニューが届いてからも会話はエルルーシアちゃんの独壇場で色々と聞いてきてそれを私とユーグリフトが答える形となっている。
「ねぇねぇ、がくえんって楽しい?」
「楽しいわよ。お友達と同じ寮で過ごすから長く一緒にいることが出来るから色んなお話しが出来るわ。それに、自分の好きなお勉強もたくさん出来るから楽しいわよ」
「へぇー」
興味津々に私の話をに耳を傾ける。学園にまだ通えないからか学園生活が気になるようだ。
「わたしも早くがくえんに行きたいなぁ」
「エルルーシアも大きくなったら学園に行けるよ」
「でもそれじゃあユン兄さまにおねえちゃんいないじゃん!」
「年齢が違うからな」
エルルーシアちゃんがこぼす不満をユーグリフトが淡々と斬り捨てていく。やっぱり兄であるユーグリフトには不満も言えるようだ。
そんな風に三十分ほどゆっくりと過ごしていると侍女と騎士と思われる二人がノックして私たちの元へやって来る。
「失礼します。ユーグリフト様、そろそろお時間です」
「もうそんな時間?」
「何か予定が?」
騎士とユーグリフトのやり取りに口を挟んでしまう。何か予定があったのならカフェに行かなければよかったのにと思ってしまう。
「俺じゃなくてエルルーシアのマナーの勉強の時間が迫ってるんだ」
「えー。わたしやりたくなーい」
「ダメだ、マナーの勉強しろ」
またしてもエルルーシアちゃんの不満を一刀両断する。不満そうに口を尖らせている。
「悪いけどここで別れてもいい?」
「予定があるんだからいいわよ。行ってらっしゃい」
「いえ、ユーグリフト様。私と護衛の二人でお嬢様を公爵邸へお送り致しますのでどうぞゆっくりしてくださいませ」
ユーグリフトと会話をしていると侍女と思われる女性が進言する。姿勢が良くて思わず見てしまう。もしかして、ケイティみたいに武術の心得がある人だろうか。
侍女と思われる女性の進言に付随するように隣にいた騎士と思われる男性も進言する。
「私も同じ感想です、ユーグリフト様。せっかくの休日ですからたまにはごゆっくりしてください。お嬢様は我々が責任を持って送り届けますから」
「……そう?」
「はい。ここからならそう遠くないので」
「…………」
顎に手を当ててユーグリフトが考える。私は別にどちらでもいい。ユーグリフトとエルルーシアちゃんがここで解散するのなら私も解散したらいいんだし。
「……なら頼んでもいい?」
「はい」
「お任せを」
「じゃあよろしく頼む」
頼まれると女性と男性が力強く返事する。
そしてエルルーシアちゃんの方へ目を向けるとアッシュグレーの髪を撫でる。
「エルルーシア、淑女になるにはマナーの勉強は必須だ。勉強頑張ったらまた一緒にお出かけするから」
「……やくそく?」
「ああ、約束だ」
「……うん。わかった」
優しい声で妹に囁くとエルルーシアちゃんがこくりと頷く。妹の扱いが慣れていると思う。
そしてエルルーシアちゃんたちがいなくなると私とユーグリフトの二人きりとなる。
「もう外出しているってことは解決したってこと?」
簡潔に問いかけて来るがこれは建国祭のことを言っているのだろう。なので返事をして頷く。
「ええ。犯人はシェルク侯爵令嬢だったからね」
「そっか。犯人が見つかってよかったよ」
短くよかったなと告げてくる。……そういえばあの時、肩で息をしながら駆け付けてくれたなと思い出す。
「……あの時は助けてくれてありがとう」
だから改めてお礼を言う。意地悪な部分はあるけど、あの時は走って駆け付けてくれたのだから。
お礼を伝えると珍しく雰囲気がほんの少しだけ柔らかくなる。
「気にしなくていいよ。……でも、今度は間に合ってよかった」
「……え?」
ユーグリフトが安心したように、ほっとしたように顔を和らげるけど……「今度は」って?
まるで、間に合わなかった出来事があるような、そんな表情に胸がざわつく。
「……今度は、ってどういうこと?」
「……え?」
尋ねると珍しくポカンとした顔をする。どうやら無意識に呟いたようだ。
その表情に余計に、胸がざわついてしまう。
「どうして……」
前のめりになって問いかけてしまう。
このざわめきは──創立祭で感じた、同じ場所にいるのにここにいないような感じで。
「どうして、泣きそうな表情をしているの?」
紅玉の瞳をじっと見つめる。この瞳はいつも強さを感じていた。
なのに、今は幼い子どもが取り残されたような印象に感じて。
「…………」
「……はっ!」
ポカンとしたままのユーグリフトを見て意識を戻す。って、何聞いているんだ。話したくないことかもしれないのに……!! 今のは私が悪い。
「ごめん!! 勝手に聞いちゃって……!!」
「……いいよ」
潔く謝ると枯れたような声で返事が来る。……いつものユーグリフトじゃない。どうしたらいいんだ。いつもと違って調子が狂う。
内心あわあわと焦る。どうしよう、どうしたらいいんだ……!!
「なぁ」
「はいっ!?」
「……何、その素っ頓狂な声。……ふ、はは」
私が高速で返事すると声を抑えながら笑い出す。ちょっと、声が抑えきれていないと言いたい。
「ははっ……。……そっか、泣きそうな顔か」
「あの、私の気のせいだと思う……」
「別にいいよ。少し、昔を思い出して悲しくなったのは本当だし」
「えっ?」
椅子に凭れながら呟いた言葉に硬直する。悲しくなったって……やっぱり気のせいじゃないってこと?
「なぁ、スターツ公爵家の親族や分家ってどれくらいいると思う?」
「はぁ? そんなのたくさんいるでしょう?」
ユーグリフトの問いに疑問を浮かべながらも頭の中で思い浮かべる。えっと、確か侯爵家が一つに伯爵家が……。
そしてピタッと動きを止める。……少ない。名門公爵家にしては分家や親族の数が少ないと思う。
固まったまま視線だけユーグリフトに向けると貼り付けた口角で私を見る。
「うちの親族や分家ってやけに少ないだろう?」
「ま、まぁ……」
「それ、父親が結構粛清したからなんだよな」
「は?」
思わず聞き返してしまう。……粛清? 粛清と言った?
聞き間違えではないかと確認する。
「ごめん、聞き間違えたみたい。なんて?」
「だから、粛清したんだよ」
「…………」
聞き間違いではないようだ。でも……粛清ってこんなの部外者の私が聞いてもいいのだろうか。
「私、部外者なんだけど」
「ここ個室だし両隣も貸し出ししているから聞こえないから平気。母親が存命時だった昔話少し聞いてくれる?」
そしてユーグリフトはニコリと元気のない悲しい感情を含んだような笑みを見せながら囁いた。