25.創立祭3
テラスに佇むユーグリフトは創立祭ということもあり、いつもの制服姿と異なり、白いシャツに藍色のアスコットタイ、そしてグレーの燕尾服を着ていて、耳には瞳と同じ色をしたルビーのピアスを付けている。
とはいっても燕尾服はきっちりと着ているわけではなく、襟のボタンを一つ外していて若干着崩している。
「なぁ、人の顔見た瞬間にそれって喧嘩売ってる?」
「売ってないわよ。あんなはよく売ってくるけど」
手すりに肘を置いて頬杖しながら目を細めて嫌味を言うユーグリフトに腰に手を当てて仁王立ちしながら言い返す。
実際、喧嘩なんて売ってない。むしろいつも売っているのはそっちだと声高々と言いたい。
「なんでここに?」
「そっちこそなんでここに来たんだよ」
「休憩したかったからよ。避難先探してたのよ」
「奇遇だな。俺もだよ」
奇遇じゃない。
つまり、コイツも令嬢から避難してきたということか。道理で全然見当たらないと思った。まさか、こんなところに隠れていたなんて。
仕方ない、ここはコイツが陣取ってるし、他の場所を探そう。
そう思ってユーグリフトに背を向ける。
「それなら邪魔したわね。私は失礼するわ」
「別に、いてもいいけど」
「はぁ? ここはあんたの陣地でしょう。なんで私がいる必要があるの?」
ユーグリフトの発言に立ち止まって不審の目を向ける。
ここは奴、ユーグリフトが先に押さえた陣地だ。悔しいが後から来た私が去るべきだろう。
すると、ニヤリと紅玉の瞳が意地悪そうに笑う。
「へぇ、時間潰しで話し相手になってもらおうと思ったけど、逃げるんだ」
「はぁ!? 誰が逃げるもんですか!」
また挑発してきた。前言撤回。誰が逃げるものか!!
テラスは夜ということもあり、涼しくホールの音楽が遠く聞こえる。これなら多少口喧嘩してもホールに声が届くことなくて安心だ。舌戦、かかってこい。負けやしない!
ずんずんと躊躇わず戻って奴の隣に行く。隣といっても間には人が一人分くらいの距離があるけど。
隣で見るユーグリフトはいつもと違い、大人びて見える。正装姿を初めて見るからだろうか。
美形ということもあり、どんな服装も似合っている。腹立たしい。
「この猫被り」
「そういうカーロインも相当な猫被りだよな。殿下は知ってるのか?」
「ご心配なく。長い付き合いだから知ってるわよ」
「それはよかった。もし知らないのならご忠告しないとって思ったからな。手間が省けたよ」
「あんたねぇ……」
イラっとくる。嫌味に対して三倍にして返してくる。うん、やっぱりコイツから喧嘩売ってる。
しかもニコニコと胡散臭い笑みで吐き捨ててくるためカチーンと来る。青筋、立ってないだろうか。
なんでこんな奴が女子にモテるのだろう。謎でしかない。
「踊らなくていいの? あんた、創立祭までずっと逃げてたでしょう。あんたと踊りたがっている子、たくさんいるのに」
「パーティーに参加したんだからあとは俺の自由だろう。踊るのなんて面倒」
頬杖しながら学園の校舎を見つめながらそう呟く。ふーん、面倒ね。……本当に?
「本当は踊るのが苦手だったりして」
「ならブレーメンの即興曲で踊ってみるか? 勿論、相手はお前」
「それめっちゃ速いやつじゃない! それになんで耳いいのよ! この地獄耳!」
ぼそりと呟いたのにちゃんと聞き取っているなんて。なんて地獄耳なんだ。
一方のユーグリフトはクツクツと笑っている。笑うな。
「前から思ってたけど、カーロインって結構表情豊かだよな」
「ねぇ、それ褒めてる?」
「どうだかな」
「正直に言いなさいよ。揶揄ってるでしょう?」
「どうだかな」
何がどうだかな、だ。はぐらかしやがって。この様子、絶対褒めてない。揶揄ってる。
「“非の打ちどころのない令嬢”って呼ばれてるけど実際はこんなんだし。剣は振り回すし、負けず嫌いだし、人の言葉によく噛みついてくるし。というか、そればっかりだし」
「噛みつくのはあんたが原因だけどね」
誰にでも噛みついてなどいない。むしろ、ユーグリフト限定だ。言わないけど。
だけど、ユーグリフトが言ったとおり、奴の前ではそればかり見せている気がする。……まぁ、いいか。どうせあっちも私の扱いが雑だから。
「見れば見るほどお前って世間の評判とかけ離れてるよな。何が令嬢の中の令嬢だ。武闘派令嬢の間違いだろうって思ったな」
「そういうユーグリフトこそ大人っぽいとか言われてるけど全くね。猫を幾重も重ねて」
「安心しろ、カーロインには負けるから」
「なんですって!?」
そこまで猫被ってない! ぜっっったいユーグリフトの方が上だ!
抗議すると「はいはい」と適当にあしらわれる。解せぬ。
「でもまぁ、猫は相当被ってるけど、剣術は確かだったよな」
「……当然よ。私は何事も手を抜かないようにしてきたから」
「へぇ、真面目だな。騎士でも目指してるの?」
ユーグリフトが紅玉のような瞳をこちらに向けて問いかける。
その問いかけに一瞬、息を止める。今まで、自分から騎士になりたいとは言ったけど、他人から騎士になるのかと聞かれたことはなかったから。
……ユーグリフトはなんて言うのだろう。公爵令嬢が騎士になれるはずないと言うのだろうか。もしそれなら言い返してやろうと思う。
「何? 公爵令嬢は騎士になれないって?」
強い口調で腕を組んで尋ね返す。否定するのならかかってこいという精神だ。誰になんと言われても私の夢を否定して侵害する権利はない。
そう尋ねるとユーグリフトはきょとんと珍しい顔を私に見せるも、すぐに消えて再び夜の校舎の方を見る。
「何を言い出すかと思えば。そんなことないと思うけど?」
「……え?」
さらりと肯定されて反応が遅れる。
そんな私を無視して、そのまま校舎を見ながら再び口を開く。
「俺はいいと思うけど? ま、公爵令嬢って肩書が少々邪魔するだろうけど、カーロインならそんなの力技で解決しそうだし」
「それ、悪口言ってる?」
「さぁ? だけど、カーロインと戦って思ったけど体力に身体能力はあるし、剣筋がいいと思ったから試験受けたら受かるんじゃないかな」
「…………」
言い返そうにも、上手く反応出来ない。
だって、そんな風に返ってくるなんて思わなかったから。
それこそ、呆れながら無理に決まってる、って諭してくるかと思ったのに。
「……意外、そんなこと言うなんて。……もっと、否定的なこと言うかと思ったのに」
「もし性別の理由で言ってるのなら関係ないって思うけどな。男だから、女だからって職業の選択を狭める理由にならないと思うけど。才能がある奴が文官になって政治を行う。それは、騎士もそうで女でも才能があれば騎士になったらいいと思うけど」
「…………」
淡々と自分の意見を述べるユーグリフトに今度こそ硬直してしまう。そんな風に考えていて拍子抜けする。
「……なんで女性騎士に好意的なの? 女性が剣を持つのを嫌う人もいるのに」
思わず疑問をぶつける。中には女性が剣を持つのを嫌う貴族もいて、女性騎士をあまりよく思わない人もいるのに。
尋ねると視線を夜空に向けて淡々と答える。
「理由はないけど強いて言えば、死んだ母親が騎士だったし、俺から見たら別に女性騎士は珍しいものじゃなかったからかな。だから別におかしくないんだよな」
「……あ」
そしてユーグリフトの話で思い出す。そうだ、確か奴の母親は女性騎士だ。
子爵家出身だったユーグリフトの母親は女性ながら剣術の才能を持っていて、剣術大会でも上位に入るくらい優秀で、学園卒業後は近衛騎士団に入団したはずだ。
ユーグリフトとそっくりの容貌で女性騎士が珍しく、凛々しい女性だったということもあり、女性に人気だったとどこかで聞いたことがある。
スターツ公爵と結婚したことで近衛騎士を引退して公爵夫人になったけど、それまでの数年間は近衛騎士として働いて王族の護衛にも携わっていたはずだ。
だからかと納得する。ユーグリフトが剣に長けているのは母親譲りで、容姿も母親譲りとは。
「母親が近衛騎士をしていたのを知ってるから別に変だとか思わないんだよな。ま、確かにお堅い人はいるけどほっとけばいいんじゃない?」
「……そうね」
「だろう? で、騎士になる気あるの?」
頬杖をしながら紅玉の瞳が私を捉えて問いかける。そんなの、決まってる。
「あるわ。まだ、王立騎士団か近衛騎士団か迷ってるけど、騎士になるという夢は決まってるわ」
「そう。なら頑張れば? 騎士になる気なら応援するよ」
「────」
頬杖をしたままいつもと違う優しい声と微笑みをするユーグリフトを見て息を呑むが許してほしい。
だって、応援されるなんて思ってもいなかったから。まるで、私の知るユーグリフト・スターツじゃないみたいで、胸がうるさい。
「……ありがとう」
平静を装っていつもどおりの声を出す。だけど、変じゃないか少しばかり不安になってしまう。
「別に。結局頑張るのはカーロインだし。でも公爵は知ってるのか? 剣術大会に来ていたのは知ってるけど」
「お父様? 勿論、知ってるわ。そのうえで私の気持ちを尊重して見守ってくれてるわ」
「へぇ、よかったな。理解ある父親で」
こくりと頷く。本当だと思う。女の子なのに男の子のようにやんちゃだった私をいつも見守ってくれていた。
「ユーグリフトは? 宰相閣下に優勝したこと伝えたの? 確か閣下は来ていなかったわよね?」
「伝えてない。そもそも、俺が大会で優勝したとか、あの人は興味ないから」
「……そう」
淡々と言うも、即座に返ってきてなんとなく気まずい。……なんだろう、空気が少し重い。何か、話題を変えないと。必死に頭を回転する。
「ユーグリフトは……」
名前を呼ぶも、そこから言葉に詰まらせる。ユーグリフトは、騎士を目指してるのだろうか。
勉学と剣術どちらにも優れているため、文官でも騎士でもどちらでも行けるだろう。それこそ、王城勤めをせずに領主として領地経営をしても領地を栄えさせることが出来るだろう。
だけど、それを私が知ってどうなるんだ、と冷静な部分の私が告げる。
「ん? 何?」
「……あんたは騎士にでもなるつもり? それとも……宰相閣下の跡を継いで宰相でも目指すつもり?」
ぐるぐる悩んでいると声をかけられ、それからやや詰まりながら疑問を含んだ声で尋ねてみる。
普段の私たちなら想像出来ないような話題だ。会ったらいつも口喧嘩してるから。
こんな話が出来るのは今日が特別だからだと思う。創立祭で学園全体が雰囲気が違う。だから私たちもいつもと違うのは仕方ないと無理矢理自分を納得させる。
「……俺は、どうなんだろうな」
「? 何かないの? 勉強出来るから文官でもなれるし、剣術にも長けているから騎士にもなれるでしょう?」
珍しく歯切れの悪いユーグリフトを見て瞠目する。いつもはどちらかと言うとはっきりと言うのに珍しく感じてしまう。
不思議に思いながらも指摘すると、乾いた笑みを浮かべる。
「あの人の跡を継ぐのは反対だし、騎士は論外。学園に通うのも義務だから通ってるだけで、やりたいこともないからな。領主だって、弟に譲っていいって思ってるし」
「…………」
ぼぉっと夜空を見るユーグリフトに何も言えない。
その横顔になぜか僅かばかり不安になる。
同じ場所にいるのにここにいないような気がして、なぜかその姿が遠くに見えて居心地が悪くなる。
ユーグリフトが何を考えているのか他人なので全く分からない。けど……なんだかほっておけない。
「……それなら学園在学中にやりたいことを見つけたら?」
「やりたいこと?」
「ええ。学園という未来の選択肢を広げられる場所にいるのだからやりたいことを見つけたらどう? あんたなら学者でもなれるんじゃない?」
反芻するユーグリフトに頷いて意見を言う。ユーグリフトなら公爵家の資産と本人の頭脳でそれこそ学者でもなれるだろう。
「まだ二年半あるんだもの。本当に自分に何が好きなのか、興味があるのか探したら? 同じ時間を過ごすならその方が有意義でしょう?」
「……好きなもの、ね」
やや間が空いてユーグリフトが口の中で言葉を転がし、その後、僅かに口角をあげる。
「……ま、カーロインのせっかくの助言だ。探してみるのもいいな。──ありがと」
「────」
そして目を細めながらこちらを見て微笑むユーグリフトの姿に不覚にも、ドキリと胸が高鳴った。