100.約束
思っていたより近い距離に胸がざわつく。
混じり気のない美しい紅玉の瞳はいつまでも見ていたいくらいきれいで、魅入られてしまう。
「待ってって言ってるのに逃げるって子どもっぽくない?」
「……うるさい」
指摘されて顔を背ける。
分かってる。自分でも子どもっぽいかもって思っていたから。
だけど、一緒にいると余計なこと言いそうで怖い。
ああ、本当好きという感情は厄介だ。皆、こんな厄介な感情を持って生きていると思うと尊敬する。
「それで? 私に何か用?」
掴まれた手首を離してもらい、片眉を上げて尋ねる。
わざわざ呼び止めたのだから何か用があったのだろう。
ならそれを早く終わらせればいい。そしたら解決だ。
「説得してくれて、ありがとう」
「……!」
しみじみとした声が聞こえて思わず振り返る。
振り返った紅玉の瞳は色んな感情が入り混じっているように見える。
「きっと、俺の言葉だったら父親に届かなかったと思う。……あの人が、母上をどれだけ思っていたか知ってるから」
ユーグリフトが静かに言葉を紡ぐ。……ユーグリフトは公爵夫人が亡くなった後、公爵が変わったのを一番近くで見ていたはずだ。
「それを伝えたかったんだ。……本当に、ありがとう」
穏やかな声で感謝の言葉を告げられ、胸の奥が温かくなる。……本当、好きという感情は厄介極まりない。
好きな人に感謝されるだけでこんなに嬉しくて、心が満たされるなんて。
「どういたしまして。……私も、あんたには色々と助けてもらったもの」
嬉しいのを隠してなんともないように返事しながら、ユーグリフトと出会った日を思い出す。
出会いは最悪だった。口は悪いし、顔を合わせては高確率で揶揄ってきて、口喧嘩ばかりしていた。
でも、いいところもあって。
弟妹のことを心から大切していて、私が落ち込んで元気がない時は気にかけてわざわざ話を聞いてくれて。
建国祭で危ない目に遭っていると知った時は、走って駆け付けてくれた。
そして、騎士になるのが難しいのに笑わずに聞いてくれて、応援してくれた。
「意地悪なところもあるけど、優しくて良いところもたくさんあって。……だから、友人だって思ってる」
緊張して後半部分は少し躊躇ってしまったけど目を瞑る。言いたいことは言えたので良しとしよう。
友人と伝えるとユーグリフトが瞬きを繰り返して復唱する。
「ふぅん、友人ねぇ……」
「……あんたは違うんでしょうね。なんたって人を猪扱いするくらいだもの。野性動物が当たり?」
感情の読めない声にそんな返事をしてしまう。ああ、違う。そんなこと言いたい訳じゃないのに。これじゃあ猪って思われても仕方ないじゃないか。
「ま、カーロインは猪みたいに突撃する部分があるからな。でも、俺は好きだけど」
「っ……」
好き、という単語が出てきて肩が跳ね上がりそうになる。
落ち着け、私。ユーグリフトが言っているのはあくまで私の性格の一部だ。私のことを好きと言っているわけじゃない。
だから、勘違いしてはいけない。
「そ、そう」
「それと“非の打ちどころのない令嬢”って言われているけど、負けん気が強いし百面相になるわ意外と感情豊かで面白いし」
「それ、バカにしてる?」
挙げていく内容に顔を歪めてしまう。これ、絶対褒めていない。バカにされている。
「バカにしてない。見ていて飽きないなって思うけど。真面目で努力家で、友達思いでお人好しで。──そんなカーロインが俺は好きだよ」
「……っ!?」
先ほどと違う柔らかい声にびっくりして今度は誤魔化ししきれず肩を揺らして顔を上げる。
美しい紅玉の瞳には驚愕の顔を浮かべた私が映っているが……私を好き? そんな素振り全然なかったのに?
「今、あり得ないって思った?」
「な、なんで分かって……」
「言っただろう? 意外と感情豊かって。なんで?って顔に出てる」
口許を隠しているけどクツクツと笑い声がこぼれている。悪かったな、すぐに顔に出て。
その様子にむくれていると突然、柔らかい表情を浮かべて思わず息を呑む。
「面白いなって思ってたのは本当。騎士を目指してひたむきに努力して、全力で挑んできて、まぶしくて目が離せなかったから」
「はぁ!?」
初めて聞く内容に目を見開かせる。ちょっと、待ってくれ。
ユーグリフトが私を好き? そんな様子、まったく見えなかったのに? 冗談だって言われた方がまだ納得出来る。
でも、ユーグリフトは冗談でこんなこと言う人じゃないって、頭では分かってて。
「…………」
突然の告白に頭が混乱して口を噤んでしまう。
何か言った方がいいのは分かっている。
だけど、考えても言葉は出てこなくて。
狼狽えて何も言えずにいるとユーグリフトが困った顔をする。
「ま、最初のやり取りは失敗したなって分かってるし。やっぱり嫌い?」
「! そんなことないっ!」
嫌いかと尋ねるユーグリフトに即座に首を振って否定する。
嫌いかなんて、そんなはずない。
「嬉しいけど……信じられなくて。わ、私のことす、好きだなんて……」
なんとか言葉を紡ぐも言ってて恥ずかしさが募って、熱くなった頬を手を当てて冷やす。
今でも信じられない。好きになった人が、相手も私を好きでいてくれたなんて。
さっきから心臓が大騒ぎしてうるさい。落ち着きたいのに全然落ち着けなくて、なんなら冷やしているのにどんどん頬に熱が集まっている気がする。
おかしい。今までだって告白されたことあるのに。どうしてコントロール出来ないんだ。
告白されて驚いたことはあっても頬に熱が集まることはなかった。それに、こんなに動揺することもなかった。
なのに、今は頬も耳も熱くて。
真っ赤な顔を見られたくなくて下を向いて隠して深呼吸する。とりあえず冷静になれ、私。
そんな私を見て何を思ったのか、ユーグリフトが一歩近付いて──私の耳元で囁く。
「ねぇ、その反応、脈があるって認識していい?」
「!?」
低い、でも柔らかくて甘さもどこか感じられる声に脱兎の如く離れて囁かれた方の耳を手で守る。
初めて聞く声色に熱がさらに集まり、ついでに心拍数も加速する。こいつ、私を仕留める気か。
「な、な、何するのよっ……!!」
「……へぇ」
必死に抗議するもユーグリフトが嬉しそうに笑う。笑うな、耳元で囁くなと叫びたい……!
「信じられないのは分かるよ。反応が楽しくてついつい揶揄ってたし。──でも、今言った内容は嘘じゃない」
美しい紅玉の瞳が、まっすぐと私を見つめる。
叶わないと思っていた。相手は私のことなんとも思ってないって、諦めていた。
好きな人の側で笑っているお兄様やアロラ、ロイスたちが羨ましかった。私には無理だと勝手に諦めていた。
でも、もし叶うのなら──。
「……聞いてくれる?」
ユーグリフトの袖を掴んで小さく呟く。
緊張して心臓はうるさいけど、これ以上のタイミングはないだろう。これを逃したら自分から気持ちを伝える羽目になる。そんなの、初恋を自覚した恋愛初心者には難しすぎる。
だからここで、私の気持ちを全部伝えるべきだ。
「……私も、好きよ」
緊張する心臓を聞きながら勇気を持って告げると、ユーグリフトが息を呑んで目を見開かせる。
「カーロイン──」
「でも、負けたくないっていう気持ちはあって。むしろ、そっちの方が強くて」
「……ん?」
私の発言に息を呑んでいたユーグリフトが聞き返すけど、今はユーグリフトの様子に寄り添える余裕はない。なので続ける。
「好きって気持ちは本当よ。それと同時に、ユーグリフトは私にとって乗り越えないといけない存在で、ライバルなのは変わりなくて」
「そ、そう」
戸惑いながらも耳を傾けてくれるユーグリフトは優しいと思う。
そういうところが、好きになった。
「そんな私でも、好きでいてくれる?」
不安になって、袖を少しだけ強く掴む。
問いかけられたユーグリフトは瞬きを繰り返している。その様子から私の発言が予想外だったのが窺える。
しかし、好きと気付いた時間より対抗心を持っていた時間の方がはるかに長いので仕方ない。好きという気持ちとライバルはまた別だ。
かわいいの欠片もない発言だって分かっている。好きって言ってるのに負けたくないなんて。
自分で言ってあれだけど、どんどん不安になっていく。……こんなこと、聞かなければよかったかもしれない。
気持ちが沈んでいき下を向くと、上から溜め息が聞こえた。
「何を言うかと思えば。──その程度で、気持ちが消えるわけないのに」
上から降ってきたのはどこか呆れた声。
でも、私を見る瞳は優しくて、広がっていた不安があっという間に薄れていく。
私の不安を消し飛ばすようにユーグリフトが笑う。
「むしろカーロインらしいなって思ったし。なんていうか、ブレないよな」
「……だって、私にとって大事なことだもの」
「知ってる。近くで剣を振るう姿を見てきたから。──だからこれは遠い未来の話だけど」
一度言葉を区切ったと思ったらユーグリフトが私の左手……いや、左手の薬指に触れる。
それはまるで、大切なものに触れるように優しく、丁寧な手つきで目が離せなくなる。
「薬指に、指輪を贈ってもいい?」
「そ、れって……」
薬指に指輪を贈る。その意味は、一つしかなくて。
理解した瞬間、また頬に熱が集まる。どうして、また熱が集まるようなこと言うんだろう。
怒りたくなるけど、胸から込み上げて来るのは怒りとは真逆の喜びで。
色々と言いたいことはたくさんある。でも、恋愛初心者の私は首を縦に振るのが精一杯で。
「……待ってる」
たったの四文字も恥ずかしくて小さくなる。
だけどその声はユーグリフトにはしっかり届いていたようで、私の返事に嬉しそうに笑い、耳元で囁いた。
次話は18時過ぎです。