97.振り回される心
知恵熱から三日が経った。
熱でベッドに倒れていた私の容態に気付いたアロラが寮母さんに連絡して私は実家の公爵邸で休むことになった。
ちなみに、なぜアロラが気づいたのかというと夕食の時間になっても私が来なかったからだ。部屋のノック音に気付いた私がドアを開けたらアロラが顔を変えて額に手を当てたらそれはもう高かったらしい。
「おはようございます、お父様、お母様」
「メルディ、もう熱は大丈夫なの?」
「さっきお医者様にも診てもらってもう大丈夫だと言われました」
制服を着て朝食を摂りにリビングへ来ると母から尋ねられて答える。
もともと知恵熱で一時的に熱が上昇していただけで公爵家お抱えの医者から熱冷ましの薬を飲んで今は完治している。
それに、試験前にこれ以上休みたくないという気持ちもある。
「問題がないのならいいが無理をしてはいけないぞ」
「分かってます」
父から注意に素直に頷く。私が熱を出したと聞いてすぐに屋敷に帰ってきた父を心配させるわけにはいかない。
今日は屋敷から学園に行くので早めに出発する必要がある。なので食事の挨拶をして朝食を摂る。うん、学園の食事もおいしいけど実家の食事もすごくおいしい。
朝食を摂り、忘れ物がないか確認して鞄を持って両親に使用人たちに挨拶して公爵家の家紋が記された馬車に乗り込む。
「学園までお願いね」
「分かりました、お嬢様」
御者に行き先を告げて今日の予定について考える。……試験前に三日も休んでしまった。レポートも出さないといけないし、今日は図書館に籠らないといけないかも。
仕方ないと思いながら提出期限が早いレポートを思い出す。まずはそれらを完成させよう。
「……三日か」
移り変わる景色を眺めながらポツリと独り言を呟く。
それはユーグリフトが好きだと気付いて三日経ったということで。
考えれば考えるほどどうしてあいつなんだろうと思う。私にだけ口は悪いし揶揄うし、本性隠さないし、背が高いし。
最後のところは奴の性格と関係ないと気付くも胸の中にどうして、という気持ちで占められる。
前述のとおりユーグリフトは意地悪だし、揶揄うし、口は悪い。──でも、いいところも知っていて。
「……でも、あいつはなんとも思ってないでしょうね」
どこか冷静な自分が静かに分析する。
そう、ユーグリフトは私のことなんとも思ってないのは明白だ。
猪扱いされたことは何度もあるし、見ていて面白いって言われたことある。私に対する態度からしてなんとも思ってないのがよく分かる。
そんな奴をどうして私は好きになってしまったのだろう。もっと優しくて素敵な人はたくさんいるのに。
「……本当、恋って難しい」
呟くと同時に項垂れる。
やはり私には恋愛は難しい。答えのある学問より、鍛練したら目に見えて分かる剣術と違うから苦手だ。
「……こんなことになるのなら気付かなければよかった」
気付かなければ知恵熱で倒れることもなかったし、項垂れることもなかったのに。
そんな風に考えていると御者に声をかけられて学園に着いたのに気付く。御者にお礼を言って門をくぐって教室へ向かう。
教室にたどり着いた時間はいつも登校する時刻とほぼ同じ。既に何人かが教室に着いていて、アロラとオーレリアもそうだった。
「メルディ!」
「メルディアナ様、もう体調はよろしいのですか?」
私に気付いた二人がやって来て声をかけてくる。なので大丈夫だと笑う。
「もう平気よ。好調よ」
「メルディが風邪引いたなんてびっくりだよ。昔から頑丈なのにどうしたの?」
「風邪くらいなるわよ。……まぁ、皆勤賞逃したのは悔しいけど」
話しながら溜め息を吐く。今までずっと遅刻も欠席もしなかったのにこれで終わった。
「あの、こちら授業でやった範囲なんですが」
「借りてもいい? 今日中には返すから」
「そんな、気にしないでください。明日でも大丈夫ですから」
「ありがとう」
ノートを差し出すオーレリアに感謝する。学園で学ぶ内容は既に学習済みなので提出物としてノートを写すくらいなので時間はかからないだろう。
「早速使ってもいい? 授業が始まるまで写すわ」
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
そして微笑んで頷いてくれるオーレリアに感謝してノートを開いたのだった。
***
「よっと」
積み重ねて運んできた本を机に置く。本は全部で五冊だが一冊一冊が分厚いので重い。
そのどれもがレポートを作成する上で必要なものだ。
今朝決めたとおり、放課後は図書館でレポート作りに勤しむと二人に告げてやって来た。
「目指すのは戦術論文に選ばれること」
目標を明言する。
レポートの中でも優秀な作品や斬新な作品は論文に選ばれやすい。
そして論文に選ばれた作品は騎士団も見る。自分を売り込むチャンスと言うわけだ。
実際、ライリーは戦術論文が評価されて王立騎士団からスカウトを受けている。それだけ、ライリーの考えが評価されたということだ。
報告の後ライリーの戦術論文を見たがその内容に驚愕した。斬新なアイデアと敵に容赦のない戦法は軍師に向いていて、敵に回したくないと思ってしまった。
ということで選ばれたら自分を売り込むチャンスに繫がる。なので頑張ろうと思う。
閉館時間まで時間は十分ある。とりあえず、閉館時間まで入り浸ると決意して本を開く。
集中して本を読み解き、ページを捲り、頭の中で文章を組み立ててペンを走らせる。そこに自分の意見や考え、アイデアも混ぜて作っていく。
そうして作っていると、ふと、頭上に影が出来て見上げる。
見上げたら美しい白銀の髪──ユーグリフトが私のレポートを眺めていた。
紅玉の瞳が、レポートから動かして私を見て口を開く。
「戦術レポート?」
「……そうだけど?」
「ふぅん」
問いかけに答えるとそう返される。なんだいきなり。人のレポートを見てきたと思ったら。
「随分熱心にレポート作ってるんだな」
「……戦術論文に選ばれたいの」
「そうなんだ」
正直に答える。……自分の気持ちを自覚してから初めて会話するからか緊張する。
しかし、そんな私の気持ちと裏腹にそれだけ聞いて立ち去る。……いなくなってよかった。一緒にいると意識してしまうかもしれないから。
と思っていたのも束の間、ユーグリフトが再びこちらへやって来る。右手には、一冊の本を持って。
「これ、使ったらいいよ。カーロインのレポートに使えると思うから。ほら、こことかどう?」
そう言って私の隣に座って本を広げて該当箇所を指差す。その距離の近さに胸がうるさくなる。
私のレポートに沿う部分を紹介しているだけなのに。なのに、さっきから胸が騒いで落ち着かない。落ち着かせるために聖書でも心の中で唱えたらいいのか。
「他にもこことか、もしかしたらこれも使えるかも。……聞いてる?」
「聞いてる」
尋ねてくるユーグリフトに即答する。聖書を唱えながらもきちんと話は聞いているので嘘ではない。
「ならいいけど。俺のレポート内容には使えないけど、カーロインの内容なら使えるんじゃない?」
確かにユーグリフトが指さした部分は私が書いているテーマと沿っている。だから使えそうだけど。
でも、と思ってしまう。
「……敵に塩を送るなんてどうかしてるわ」
「敵?」
「そうよ。この本を活用したらもっと具体的な戦術内容が書けそうだもの」
不思議そうに呟くユーグリフトにそう返してしまう。ああ、ダメだ。こんなこと言いたいわけじゃないのに。
親切心に対してかわいげのない反応で返す自分が嫌になる。
「いいんじゃない? 使える物は使ったら」
「……ユーグリフトは論文掲載、目指してないの?」
「目指してないけど? だから別に敵じゃないな」
ライバルじゃないから優しくしてくれるのかと思うも、きっと違う。
例え、ライバルであろうともユーグリフトなら助言してくれるだろう。変に面倒見の良さがあるから。
揶揄ってくるのに、こんな風に優しくもしてくる。……だから嫌なんだ。ユーグリフトに振り回される自分が嫌になる。
でも、助言してくれたのは事実で。感謝を告げないのは許せなくて。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
小声で感謝を告げたのに聞こえていたようだ。やっぱり地獄耳だと思った。