96.知りたくなかった気持ち
最近、何事も概ね順調だ。
ロイスの婚約が成立し、オーレリアの意識も変わり始めている。
オーレリアの王宮の作法も順調に進んでいて、アロラも学期末試験の勉強を真面目に取り組んでくれいるし、嬉しい限りだ。
あとは迫る学期末試験でユーグリフトに勝つために必要な本を図書館で借りよう。
そんな風に考えながら一人、図書館へ向かって歩いているとある名前が耳に入った。
「──来てくださりありがとうございます、ユーグリフト様」
知っている名前が聞こえて立ち止まる。……この声、女生徒の声だ。
「ウィンデッドだから応じたんだ。ウィンデッドは他の令嬢と違って俺の近くで騒がなかったから」
「ふふ、遠くから見ていてよかったですわ」
声のする方をそっと見る。……あれは去年同じクラスだったウィンデッド伯爵家のエイダ嬢だ。
ミーハーでユーグリフトのファンだけど、奴の周りで騒がず遠くから友人たちと楽しそうに話していたのを覚えている。
「それで、用件は?」
「すぐに終わりますわ」
ころころとどこか楽しそうに発するウィンデッド伯爵令嬢。
さっと周囲を見るがウィンデッド伯爵令嬢とユーグリフトしかいない。……何か話があるのなら去った方がいいだろう。勝手に聞くのはよくない。
そっと足音を立てず歩き出す。
「──ユーグリフト様、ずっとお慕いしておりました」
静かに立ち去ろうとしていたが、その言葉に再度立ち止まる。……これは、告白?
私のいる場所からは二人の顔を見ることは出来ず、声しか聞けないが告白に聞こえる。
「入学した時から好きでした。ちなみに、好きになったきっかけは最初は容姿でした」
「……はっきりと顔って言われたの初めてかも」
面白そうにユーグリフトが返すと「あら」とウィンデッド伯爵令嬢が呟く。
「最初は顔でしたが変わりましたわ。剣を振るう姿が特に好きで授業中こっそり眺めていましたのよ」
「へぇ、そうなんだ」
ユーグリフトのどこが好きか告げる。……立ち去ればいいのに、どうして私は立ち去らないんだろう。
人の告白現場なんて見ていていいはずないのに、なぜか足が地面に結びつけられているみたいに動かない。
「……好きなのは知っていたけど、どうして今?」
ユーグリフトがゆっくりと問いかける。その声から感情が読み取れない。
尋ねられたウィンデッド伯爵令嬢が小さく笑う。
「わたくし、婚約者が出来たのです。相手は既に成人で卒業後に結婚する予定なのです」
「……そう」
「ユーグリフト様と違って剣に優れていません。それに、わたくしより年上なのにちょっと頼りないところがあるのです! もう、見ていてほっておけないのです!」
婚約者を批評するウィンデット伯爵令嬢に顔を引きつる。はっきりと言い過ぎではないだろうか。
「……ですが、会う度にわたくしの好きな花を渡してくれるのです。わたくしの他愛のない話にも耳を傾けて笑い、わたくしが行きたい場所に必ず連れて行ってくれて……そういうところが好きなのです」
しかし、辛辣な言葉の次に出てきた柔らかい声に息を呑む。
そのウィンデッド伯爵令嬢の声から婚約者のことを本当に好きなのだと感じ取れる。
「彼となら幸せな家庭を築けると思いました。でも、この一年半、ユーグリフト様を好きだった自分を否定したくなかったのです。だからこの気持ちを伝えたかったのです。これからは彼だけを見て、好きという気持ちをもっと育てるために」
どこか寂しそうに聞こえる。でも、それはあながち間違いではないと思う。
だって、彼女は今、終止符つけようとしているのだから。
「そっか。ウィンデッドなら幸せになれるよ」
「ありがとうございます。……申し訳ございません、わたくしの我儘に付き合ってもらい」
「いいよ。それで自分の気持ちに折り合いが付くのなら」
表情は見えないけど、ユーグリフトの声は穏やかでそこに不機嫌さは感じない。
それはいいと思う。……でも、この胸の不快感はなんなのだろう。
「…………」
図書館へ行く気力もなくなり、静かに歩き出す。……今日はもう部屋で休もう。
何も考えたくて早歩きで女子寮の自分の部屋に向かう。
急ぎ足で部屋に到着するとベッドに飛び込む。部屋の主である私以外誰もいないから行儀が悪いと怒られることもない。
「婚約者か……」
ウィンデッド伯爵令嬢の話を思い出す。声からしか分からなかったけど、幸せそうに感じた。
卒業後に婚約する子もいれば、ロイスのように学園在学中に婚約する子もいれば、アロラのように小さい頃から婚約をしている子もいる。
今まではロイスの婚約者候補だったため、あまり馴染みがなかったけど、これからは婚約話が色々出てくるだろう。
私には二つの公爵家の血が流れているから、ロイスの婚約が公表されたら婚約の打診が殺到すると思う。
「考えないとなぁ……」
腕で目を覆う。アロラにも言われたけど、これから大変だと思うと辟易する。
ロイスは私が騎士をなるのを応援してくれたけど、公爵令嬢が騎士になることを受け止めてくれる人がどれくらいいるだろう。
「騎士になること許してくれる人じゃないと嫌だなぁ……」
帯剣貴族なら許容してくれそうだけど、確定ではない。ううん、難しい話だ。
裕福なこともあり、両親は私の気持ちを尊重して政略的な婚約を結ぼうとしない。だが、高位貴族なので必要になれば政略結婚もあり得るだろう。
「そう考えればユーグリフトもそうなのよね」
ユーグリフトは公爵家の後継ぎだ。それこそ以前も言ったが、ロイスの代わりに公国の公女殿下と婚約する可能性もある。
そう思うとまた不快感が走る。……私が気にする必要なんてないのに。
首を振って念じれば念じるほど気になってしまう。これは一体なんなんだ。
そんなこと思っていると、ふと、夏休みのお茶会でアロラが発した言葉を思い出す。
『その人のことばかり考えてしまったり、その人が他の女の子と楽しそうにお話していて嫌だなって思ったらそれはもう恋だよ』
勢いよく起き上がる。……なぜその話を思い出したんだ、私。
でも、その気持ちとは裏腹に次々と気付いてしまう。
ユーグリフトがいつか誰かと婚約すると思って嫌だと思ったのは?
乾いた笑みで、寂しそうに私の家族が仲が良いのを羨ましいと言った姿に胸が苦しくなったのは?
スターツ公爵と対峙してユーグリフトの騎士の夢を否定しないでほしいと言ったのは?
――私の一連の気持ちや行動の根幹に常にいたのは、誰?
「……う、そ」
自覚してふらつく。それくらい、衝撃的だったから。
ただのクラスメイトならそこまで首を突っ込まない。婚約すると聞いても嫌になるはずない。
それなのに、ユーグリフトには違うのは――。
「っ……」
突然の自覚に脳が処理しきれずベッドに倒れる。ダメだ、深く考えすぎて頭が混乱している。
そして見事に私は知恵熱で倒れたのだった。