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雨雲色の憂鬱(1)

 次の日は朝から雨だった。偏頭痛持ちのハルカは気圧の変化にとても敏感だ。こういう天候の日はすこぶる調子が悪い。


 眉間に何本もしわを寄せた表情で校門をくぐると、そのまま教室へと向かった。湿って肌にまとわりつくワイシャツがひどく不愉快だ。


「よぉハルカ! おはよーさん」


 後ろから聞こえてきた騒々しい声に、ハルカの機嫌はさらに悪くなる。


「……うるさいぞ、ザネリ」


 わざわざその名前で呼んでやるのはちょっとした嫌がらせだ。


 案の定隣に追い付いてきた彼は、「おいおい。学校じゃあカナトって呼んでくれよ!」と、口をへの字に曲げた。


「どっちでもそんな大差ないだろう。それより声がうるさい。もう少しボリュームを落としてくれ」


 ザネリの立つ左側の耳を手で覆いながら、ハルカは少しだけ歩くペースを速める。


「そんな器用なことできたら苦労しないって!」


 ゲラゲラ笑うカナトも、歩幅を少し広げてハルカにペースを合わせてきた。


 冗談じゃない。こっちは置いていくつもりで歩いているのに。


 なおも歩くペースを上げるハルカに、カナトは小走りになりながら声をかけ続ける。


「なぁ、昨日どうして来なかったんだよ」


 カナトが言っているのは、きっと星祭(カルネヴァーレ)のオークションのことだろう。


「……急用で」

「ふぅん」


 まさか本当のことを話すわけにもいかず、ハルカは言葉を濁した。


 それに相づちをうったカナトも、それで納得しているわけではないだろう。


 しかし彼はそれ以上何も聞かず、「昨日のオークションさぁ、マジですごかったんだぜ! うわさのSSアイテムがさぁ!」と、いつもの調子でぺらぺらぺらぺらよくしゃべる。


 ハルカは少し考えてから、口を開いた。しかし言葉がうまく出てこなくて、ただ唇の隙間から吐息をこぼすことしかできない。ためらう自分の唇に歯を立てて、勢いのままその言葉を口に出す。


「……しばらく」

「ん?」

「しばらく、忙しくなる」


 ハルカはそう言ってから、すぅっと息を吸い込んだ。


 ずっと背中の方から響く雨の音を聞きながら、ハルカはわずかにその視線を伏せている。


「それって、さっき言ってた急用と関係してる?」

「……ああ」


 ハルカはカナトと目を合わせないままうなずいた。いつの間にか歩調は、元のペースに戻っている。


「ふぅん、了解!」


 そう言って、カナトはどうやら笑ったようだった。どんな顔だったのかはわからない。ハルカはずっと、廊下の端からフローリングのマス目の数を数えていたから。


「カナ……」


 ハルカは彼の名前を呼びながら、ようやくそのはつらつとした瞳と視線を合わせようとした。しかし唇から出かかったその名前は、はかなくも途切れてしまう。


「カナトー! おっはよう!」

「おー、はよっす!」


 後ろから走ってきたクラスメイトたちが、二人を追い抜きながらカナトに声をかけていった。カナトも笑ってそれに答える。すぐ傍らで飛び交う大きな声でのやりとりが、ハルカにはどこか遠い場所での出来事のように感じられた。


 クラスメイトたちと談笑するカナトを追い抜いて、ハルカは教室へと向かう。至る所で聞こえる「おはよう!」は、どれもハルカに向けられたものではなかった。




 ミッドカンパニーのCEOであるノブユキ・ミスミを知らない者はこの街にはいない。そして、ハルカ・ミスミがノブユキ・ミスミの息子であることを知らない者もまた、この学校にはいないのだ。今までずっとそうだった。


 ハルカが教室に入った瞬間、それまでがやがやと談笑していた生徒たちが数秒だけ静まり返った。そしてばらばらと、「今日の授業がどう」だの、「あの先生がどう」だの、下らない話を再開する。


「おい、ハルカ! 置いてくなよ!」


 後ろから追いかけてきたカナトが教室に入った瞬間、教室の何人かが顔を上げた。そしてそのうちのまた何人かが、「おはようカナト」と声をかける。それが日常で、それが平常なのだ。


「――おまえがのろいのが悪い」

「なんだよ、冷てぇなぁ」


 カナトはそう言って、ハルカの肩を軽く小突く。その様子を遠くの方で、おっかなびっくり見ているクラスメイトたち。


 この場所で自分についている名前は「ハルカ・ミスミ」ではなく「ミッドカンパニーCEO、ノブユキ・ミスミの息子」だからだ。


 今まで十年近く学校生活を送ってきたが、こんなになれなれしく話しかけてくる人間はカナトが初めてだった。


 最初は嬉しかった。こいつなら友達になれるかもしれないと思った。こいつの将来の夢が、ミッドカンパニーのエンジニアだと知るまでは。


 こいつもどうせ皆と同じように、ハルカの頭に貼りついている『ノブユキ・ミスミの息子』という看板を見ているのだ。


 カナトの将来の夢を知ってから、自然にハルカは彼との間に一本の線を引くようになった。それ以上踏み込んでも踏み込まれても痛い目をみるのは自分だと、かたくなに信じているのだ。


 続けて何かを言おうとするカナトの言葉を遮るように予鈴が鳴る。自分の席へと向かう途中、カナトが自分に向けて底抜けに明るい笑みを浮かべるのが、ハルカにはたまらなくつらかった。

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