星祭《カルネヴァーレ》の夜(5)
「やぁ。おかえり」
そう言って迎えられて、ジョバンニは複雑な心境だった。ここで「ただいま」と返すのは何だかおかしい気がしたし、カムパネルラがどんな思いでその言葉を発したのか、ジョバンニにはまるでわからなかったからだ。
結局その言葉自体には何も返すことなく、ただ少しそっぽを向きながら、「少し遅れた。悪かったな」と言った。
「二分くらいどうってことないさ。俺は寛容だからね」
カムパネルラはそう言って笑う。まるで昔からの友人にほほ笑みかけるように優しく、無防備な顔で。
そんな顔をされたって俺は何もできない、とジョバンニは思った。ただのいちユーザーで、さっき知り合ったばかりの赤の他人で、そんな自分には彼に与えられるものなど何もありはしない。
「……何で」
ジョバンニは思わずそうこぼした。
「何で、俺なんだ?」
真剣なまなざしがカムパネルラの瞳を捉える。そして彼もまたまっすぐに、ジョバンニのことを見つめ返した。
「俺は確かに古参の部類に入るけど、別に助けを求めることのできる対象は俺だけじゃないはずだ。だけどおまえは、俺に助けて欲しいと言った。その理由は何だ?」
一息にそこまで告げると、ジョバンニは試すような視線でカムパネルラの瞳をうかがう。
自分にしかできないことがあるなんて大それたことは微塵みじんも思っていない。ただ、数ある選択肢の中から『ジョバンニ』が選ばれた理由を知りたかったのだ。
「……それは、君が君だからさ」
しかしカムパネルラが告げた言葉は、明快な解答とはほど遠いものだった。
謎かけのような言い回しの真意がわからず首を傾げると、カムパネルラは小さく破顔して、そっとジョバンニに手を差し伸べる。
「――もういいだろう、この話は。それよりほら、早く宇宙船に乗りたいんじゃないのかい?」
ごまかされたようで納得はいかなかったが、宇宙船に早く乗ってみたいことには変わりがない。差し出された手をおずおずとつかめば、すぐに宇宙船フェロヴィーアの内部へと招き入れられた。
段差を乗り越えて中に入ると、そこにはジョバンニの想像していたのとは全く異なる光景が広がっている。
ほうっと息をついたジョバンニが、
「……中身まで機関車、ってわけじゃないんだな」
とつぶやくと、カムパネルラがいかにもおかしそうにぷっと噴き出した。
「当たり前じゃないか。これ、宇宙船だよ?」
どこがツボにはまったのかわからないが、腹を抱えてゲラゲラと笑い続けている。
そんなカムパネルラの足を思いっきり踏みつけると、ジョバンニは、操縦席と思われるそこにゆっくりと近づいていく。
「あんまりむやみに触るなよ。誤作動したら大変だ」
たしなめるようなカムパネルラの言葉に、ジョバンニは笑いながら肩をすくめた。
「誤作動って……この宇宙船は、ただのアイテムだろう? その辺にあるパネルだの何だのも、フェイクっていうか……テクスチャじゃないのか?」
そう問いかけられたカムパネルラは、ふふんと得意げに答える。
「フェロヴィーアをなめてもらっちゃあ困るな。こいつは正真正銘のマシンさ。一つ一つの機器が、ちゃんと機能してる」
うれしそうな彼の言葉は、ジョバンニにとってはにわかに信じ難いものだった。
「……足を踏んづけられる前は、君をそこへ座らせてあげようかとも思ったんだけど」
もったいつけるようなカムパネルラの言葉は、もはやジョバンニの耳に届いていなかった。
目の前に並ぶ未知の機械群に、巨大なモニター。機械いじりが好きな身としては、いやでも興味をひかれてしまう。
この装置の一つ一つが正しくマシンとして機能しているのであれば、今ジョバンニが乗っているこれはまさしく、擬似的な宇宙空間を自力で航行できる宇宙船だということになる。
疑い半分ではあったが、もしこれが本物だとしたら、と思うと、居ても立ってもいられなかった。あのモニターは何だろうか。この装置は何のためにあるのだろう。フル回転している頭と心は、既にオーバーヒート寸前だ。
「やれやれ……今からそんな調子じゃ、宇宙に行ったらどんな風になっちゃうのかな」
そう言ってカムパネルラはこらえ切れない笑みをこぼす。いたずらに成功した子供みたいに無邪気で、屈託のないきれいな笑みだった。
「ほら、早く座りなよ」
そう言ってカムパネルラが示したのは、中央にある操縦席だ。
「……いいのか?」
おずおずと尋ねるジョバンニの様子がおかしいのか、カムパネルラは再びぷっと噴き出す。
「何だよ、座りたいくせに。それともまた今度にするかい?」
そんな軽口をたたきながらもジョバンニに着席を促す彼の視線は優しい。何だかむやみに甘やかされているような面はゆさをおぼえたジョバンニは、少しそわそわしながらもその席へ深く腰掛ける。
「じゃあ、そこの赤いボタンを押してから、隣のレバーをオートに入れて。そうしたら、後はフェロヴィーアが俺たちを導いてくれるから」
そう言ってカムパネルラは前を向いた。
「おまえ、そう簡単に言うけどな……」
まがりなりにも宇宙船を操縦するのだから、ジョバンニの高揚とプレッシャーははかりしれない。
口元をきゅっと引き結んだ緊張感あふれる表情に、隣に座ったカムパネルラが小さく笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だから。……頼んだよ。運転手サン」
強い力のこもったその声に、ジョバンニは小さくうなずいた。
ともすれば震えそうな指先で、そっと目の前のボタンに触れる。
ブオン、という音とともにメインシステムが起動した。ディスプレイには外の様子が映し出され、船内の至る所で色とりどりのランプが点滅している。
ごくりと唾を飲み込んだジョバンニは、右手でそっとレバーに触れた。
予想以上に固いそれに苦戦しながら、真ん中のAUTOの位置で固定する。
その瞬間、フェロヴィーアは音もなく動き出した。浮き上がった車体中の重力環境は整ったままだが、確かに今この瞬間、自分の体は宙に浮いているのだと、ジョバンニははやる鼓動を抑えられない。メインディスプレイを食い入るように見つめて、手のひらへ爪を食い込ませた。
少しずつ、ジョバンニの星が遠ざかっていく。このアングルから見下ろしたのは、そういえば初めてだ。草木の緑、石造りの白、咲き乱れる花の鮮やかな色。そのすべてが丁寧に描かれた点描の絵画のように、ジョバンニの目に飛び込んでくる。
ああ、この星は美しい。ジョバンニは不覚にも涙で視界がにじむのを抑えることができなかった。
大切に大切につくりあげてきた、そう、これは自分だけの『世界』だ。
しかしフェロヴィーアはすぐにジョバンニの星の重力圏を離れ、宇宙空間へと移動した。自分の惑星を見下ろす感慨にふけっていたジョバンニを取り囲んでいるのは、見渡す限りどこまでも続く、星、星、星。興奮に居てもたってもいられず、「おい! 見ろよ! 宇宙だ!」と何度も叫んだ。その度にカムパネルラは「ああ」とか「そうだね」とか言いながら、何かの機器を操作している。
「――うん、何とか落ち着いたかな」
カムパネルラはそう言って立ち上がった。
「そろそろ席を立っても大丈夫だよ。軌道は安定したからね」
しかしジョバンニは一向にその場を動こうとしない。ディスプレイ中に広がる星の瞬きを、飽きることなく眺めている。
「ジョバンニ。君、そろそろリアルの方に戻らなくて……」
カムパネルラの問いかけは、すぐに大きな叫び声にかき消された。
「……! 見ろよ、あれ!」
ジョバンニは興奮した様子でディスプレイを指さす。その右端では、真っ白い光が音を立てずに破裂し、四散してはまた同じ場所に集まっている。少しずつその動作を繰り返して、光はどうやら徐々に大きくなっているようだ。
「星祭だ! まさかこんなに間近で見られるなんて……!」
興奮がやまない様子のジョバンニを見て、カムパネルラは口元をわずかに緩める。
「……確かに、こうやって宇宙から見る祭りってのも、乙かもしれないね」
星の光は静かに膨張を続け、次第にまばゆいものになっていく。よく見ればそこかしこで新しい光が生まれ、爆ぜ、収束しては星の形を作り上げていた。二人はしばらくその様をディスプレイ越しに眺めながら、目の前の光景について、飽きることなく感想を言い合っていた。