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星祭《カルネヴァーレ》の夜(3)

「ふぃーね……?」


 たどたどしい口調でジョバンニはその単語を繰り返そうとした。


はじまりのおわりフィーネ・クレアシオン。一部の人間はそう呼んでいる」


 カムパネルラはそう言って、険しい表情のまま腕を組む。


「『星を呑むエラー』のことを、君は知っているだろう?」


 問いかけられて、ジョバンニはうなずいた。


「ああ。……まぁ、うわさを聞きかじったくらいだけどな」

「そのエラーに呑まれかけた人間の末路がこれさ」


 そう言って肩をすくめたカムパネルラは、指先でもう一度自身のステータス画面を示す。


 安定しない表示、虫食いのような文字化け。


 それはジョバンニがこれまでに目にしたことのない、この世界の明らかな欠陥だった。


「そんな……! あんなのただのうわさじゃないか!」


 そう言って反論するジョバンニは、その実すっかり動転していた。強く言い切ろうとした言葉尻は震え、わずかに裏返っている。


 ジョバンニにとって――いや、ハルカにとって、cosmo vita(コスモ・ヴィータ)は欠かすことのできない『自分だけの世界』だった。ここでは――ここでだけは、自由に、思うがまま呼吸をすることができる。


「じゃあ、俺の今の状態をどうやって説明するんだい?」


 そう言ってカムパネルラはメニュー画面端にあるログアウトボタンを押して見せた。


 しかし離脱のエフェクトは現れない。カムパネルラは相変わらず人を食ったような表情を浮かべたまま、「ほら、これでわかっただろう?」と言った。


「わかっただろう、じゃなくて……おまえ、まさかログアウトできないのか?」


 驚きのあまり声を張り上げるジョバンニに対して、カムパネルラは至って冷静だ。


「君、あのうわさを知ってるんじゃなかったのかい? 呑まれた人間の意識は現実世界に帰ることができない、って皆言ってるじゃないか」

「じゃないか、じゃなくて!」


 ジョバンニは目の前のカムパネルラがあまりにも冷静なことにいら立っていた。眉間にきつくしわを寄せたまま、「おまえ、このままおっ死ぬのか?」と声を荒げて尋ねる。


「おっ死ぬって……口が悪いなぁ」


 ひょうひょうとしたカムパネルラの態度は、およそ死を目前にした人間のそれではなかった。


「せっかく命からがらあのエラーから逃げおおせたんだ。このままってのもしゃくだろう? だから、君にお願いしに来たんだよ」


 そう言って彼は、ジョバンニの瞳を見つめながら、にっと両の口角を持ち上げる。


「星を呑み込むエラー、はじまりのおわりフィーネ・クレアシオンを消去する方法があるんだ」


 カムパネルラの指先がメニュー画面を操作して、一つの文書ファイルを展開した。


 小さめのフォントサイズでずらずら書き連ねてあるそれには、赤字で『社外秘』の文字が躍っている。


「おまえ……! これまさか、NNR社の……!」

「そのまさか」


 カムパネルラは全く悪びれない様子で、その文書の最後の方にあったある一節を指さした。

『あらゆるバックアップを無効化する絶対不可逆プログラム、黒よりも黒ピウ・ネーロ・ディ・ネーロを、エラー発生時の最終手段とする。黒よりも黒ピウ・ネーロ・ディ・ネーロを行使することにより、あらゆるプログラムは活動を停止、その一切の痕跡をデリートすることが可能である』


 そう読み上げたカムパネルラは、得意げにふふん、と鼻を鳴らした。


「なかなか興味深い情報だろう?」

「『だろう?』じゃねぇよ! おまえそれハッキングだぞ! 犯罪じゃねぇか!」


 かみつくように言うジョバンニに、カムパネルラは至って冷静に肩をすくめる。


「犯罪だってなんだってするさ。このままじゃ、いずれは宇宙の塵だからね」

「……」


 淡々と告げられたその言葉に、ジョバンニはうまく反論することができなかった。この状況で犯罪行為の重大さと命の重さを天秤にかけることは、何だか適切ではないような気がする。


「……んで、その絶対不可逆プログラムってのはどこにあるんだ?」


 しかめっ面のままジョバンニは尋ねた。


「わからない」


 その問いに、カムパネルラは至って簡潔に答える。


「……わからない、って、それじゃあおまえどうするんだよ?」

「どうするも何も、探すしかないさ」


 笑いながらそう言って、カムパネルラはジョバンニの瞳を真っすぐに見つめた。


「そこで君に、協力して欲しいんだ。さっきの文書によれば、絶対不可逆プログラムはこの宇宙のどこかに眠っている。それを一緒に探して欲しい」

「はぁっ!?」


 ジョバンニは思わず声を荒げた。当たり前だ。彼の申し出は、あまりに突拍子もない。


「ふざけるな。そんなたわ言、誰が信用するか!」


 にべもなく言い捨てて、しっしっと犬猫を追い払うように右手を払った。


「まぁ、ちょっと話を聞いてよ。君にとっても悪い話じゃないんだ!」


 カムパネルラはなだめるようにそう言うが、正直かけらも信じられない。


「何が『悪い話じゃない』だ。これ以上おまえのたわ言に付き合う義理はない。今すぐ出て行け」


 ジョバンニが声を荒げると、カムパネルラは顎に手をやって少し考え込んだ。


「待ってくれよ。この話にはちゃんと、君にとってのメリットもある。……いや。正確には、『君が俺を手伝わなかった場合にデメリットが発生する』と言うべきかな」


 もったいつけるようにそう言ってから、意地の悪い顔でにやりと笑う。


はじまりのおわりフィーネ・クレアシオンは、成長するエラーだ。星を呑む度にどんどんその存在を大きくする。……君の元にやってくる日も、そう遠くないはずだ」

「……」


 ジョバンニは音をたてて唾を飲み込むと、頭の中で様々な可能性を思案した。


 このうさんくさい男は、およそ有り得ないようなホラを吹いて自分をだましているのかもしれない。そう考えるのが妥当だ。しかし、その予測の裏側で、わずかに存在するパーセンテージ……その存在が、ジョバンニの心をざわつかせた。


 自分や、自分の愛するこの星が、エラーに『呑まれる』なんて……考えただけで怖気立つ。

 現実世界に戻れる戻れないは、この際どうでも良かった。ただ、自分だけのかけがえのない世界、cosmo vita(コスモ・ヴィータ)を失うわけには、どうしてもいかないのだ。


「もうすぐ君の元にもはじまりのおわりフィーネ・クレアシオンがやってくる。……君の星を守るため、俺と一緒に来ないか?」


カムパネルラはそう言って右手を差し出した。


 それをしばらくじっと見つめていたジョバンニは、しかめ面のまま目の前の彼をにらみつける。


「――その成長するエラーうんぬんが、本当だっていう証拠はあるのかよ」


 しかしにらみつけられた当の本人は、涼しい顔をして肩をすくめて見せる。


「証拠ならいくらでも。NNR社の最高機密ランク文書、君にも転送してあげようか? もっともその時点で、君もハッキング犯の俺と同じ犯罪者になるけどね」


 したり顔で言ってのけるカムパネルラをねめつけながら、ジョバンニはしかめた顔の裏側に不信感を募らせる。オーバーな身振り手振りに、なれなれしい言動。無理やり距離を詰められる感じにいらいらした。……こういうやつは昔から好きではないのだ。だから今までもこれからも、決して信用しない。


「何度言わせんだ。断る。とっとと俺の星から出て行け」


 ぷいっとそっぽを向いて、ジョバンニは答えた。


「えぇっ、そんなぁ!」


 カムパネルラは大げさに肩を落としてから、必死の形相でジョバンニに食ってかかる。


「俺、このまま死んじゃうかもしれないんだよ? 寝覚めが悪いと思わない?」


 ね、ね? と子供のように駄々をこねられても、ジョバンニはにべもない。


「その前提がそもそも信用できない。星を呑むエラーのうわさは、あくまでうわさだ。事実だって確証がないだろう」


 説得する余地もなくそう断言されて、カムパネルラはがっくりとうなだれた。


「君、随分疑り深いんだね……」

「それだけおまえが怪しいってことだ」


 そう言って肩をすくめると、ジョバンニはこれ以上付き合ってられるかというようにくるりときびすを返した。


「待って!」


 カムパネルラがそう叫んで、ジョバンニの右腕をぐっとつかむ。


「……頼むよ。……俺にはここしかないんだ。この世界しか……」


 今までの様子からは想像もつかないほど、弱々しい声だった。


 ジョバンニは少し驚いて彼の方を振り返る。すがるようにこちらを見つめる瞳と、目が合った。鮮やかなスカイブルーは、一点の曇りもなく澄みわたっている。まなざしの先、どこまでも見透かすようなそれは、なぜだかジョバンニの内側に深く刺さった。


『ここしかないんだ』


 その切実な感情は、ジョバンニにもおぼえがあるものだ。


 何もかもに否定されて、やっとたどり着いたこの星は、今のハルカのすべてだと言ってもいい。


『この世界しか』


 自分が自分で居られる場所。電脳世界に広がる宇宙、cosmo vita(コスモ・ヴィータ)




 母親。父親。反りの合わない義弟に、クラスメイトたち。


 どれもハルカの心の寄る辺にはならなかった。なりようがなかったのだ。


 手の伸ばし方が上手くなかったのかもしれない。


 あるいはそのずっと前から拒絶されていたのかもしれない。


 気が付けばずっと一人で、何の目的も持たずにただ息をしていた。


 あの辛く冷たい現実の世界で、ハルカは『自分』でいられる場所をもたない。


 何もかもが息苦しくて嫌気がさした。


 世をはかなむなんて言葉が薄っぺらく感じるくらい、自分と、自分を受け入れない世界のことを憎んだりした。


 ――そんな時に出会ったのが『ここ』だったのだ。


 cosmo vita(コスモ・ヴィータ)はハルカの世界を創造し、広げ、鮮やかに色付けてくれた。


 美しい植物、清らかな水、そして自分の吸うべき大気を見つけて、ハルカの日常はにわかに輝きだしたのだ。


 それがたとえ脳波への干渉が生み出した錯覚だとしても構わない。


 この星はハルカにとっての『世界』そのものだ。


 それが失われるなんて、決してあってはならないことだった。


『俺にはここしかないんだ』


 ハルカの中でリフレインするカムパネルラの悲痛な叫びは、少なくとも幾らかの真剣味を帯びているように思える。


『この世界しか……』


 今まで誰にも告げることのなかった『ハルカ』の感情を、代弁するように彼は言った。「この世界を守るに、協力して欲しい」と。


 そこに『すべてのユーザーのために』なんて大義名分は存在しない。


 彼は純粋に愛しているのだ。この世界を。この宇宙を。


 ――あけすけな彼の感情が、少しずつジョバンニの心を解きほぐしていく。


 それはまるで春の晴れやかな青空が、山の頂に残るわずかな雪を清水に変えていくのにも似ていた。

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