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星祭《カルネヴァーレ》の夜(2)

 一陣の強い風が、ジョバンニのシャツをはためかせた。ひんやりとしたそれに少しの肌寒さを覚えたが、ジョバンニはまだこの場所から動こうとしない。


 現実世界で吹き付けるコンクリート臭いビル風とは違って、この星には色濃い緑の香りがあふれていた。ジョバンニはこの星を発展させていく上で、草木の管理にことさら気を遣っている。現実世界でなかなか拝むことができない天然の緑に触れている間は、オフラインでの窮屈なしがらみをつかの間でも忘れることができた。美しい花々が息づくこの星は、ジョバンニの誇りだ。中でも自慢のこの広場は、小高い丘の上にある管理者棟、通称『HOME』の庭でもある。


 ピコン、という電子音が新着メッセージの存在を告げる。ジョバンニは盛大に顔をしかめると、しぶしぶメッセージを開封した。差出人の欄にはザネリの名前がある。今度は一体何の用だと本文に目をやると、そこには、アルファベットがただ一列記されていた。


 下線が表示されているところを見ると、どうやら何かのリンクのようだ。URLの頭五文字に見覚えがあった。ネット上では有名な、スレッド型掲示板のアドレスだ。


 ザネリの仕掛けたトラップだろうか。しかし、彼がそこまで手の込んだことをするとは考えにくい。どちらにせよ、ろくなものではないと思ったが、わずかに興味をそそられる部分もあった。もしかしたら、『あの噂』に関係しているかもしれない。


 少し逡巡してから、ジョバンニはそのURLに人差し指で触れる。


 小さな起動音とともに、ブラウザが開いた。表示されるのは、掲示板のとあるスレッド。ページの上部には、『cosmo vita(コスモ ヴィータ)ってどうよ?』というタイトルが躍っていた。




 63:名無しさん@ネトゲ廃人

 正直オワコンじゃね


 64:名無しさん@ネトゲ廃人

 同意




 自分勝手な書き込みとアスキーアートがずらずらと並んでいるのを流し見て、ジョバンニはため息をつく。下らない。やっぱり見たのが間違いだった。そう思ってブラウザを閉じようとしたその時だった。




 81:名無しさん@ネトゲ廃人

 このゲーム、何かやばいエラーがあるらしい。俺は足を洗うことに決めたよ。命は惜しいからな。




 一つの書き込みが目に留まった。少し迷ったが、そのまま画面をスクロールする。




 82:名無しさん@ネトゲ廃人

 何それkwsk




 詳細を求められたコメントの主が、その次のコメントから説明を始めているようだ。




 83:81です

 何でも俺の友達が、星ごと消去食らったらしい。んで、大学にも来てない。意識が戻らないとかって噂。




 その書き込みを読んだジョバンニは、すっと目を細めた。険しい表情のまま、下へ下へと読み進める。




 84:81です

 NNR社のサポセンに連絡しても応答なし。これマジやばいんじゃねってなって辞めることにした←イマココ。何か質問あれば受け付けるよ。


 85:名無しさん@ネトゲ廃人

 これまじ?


 86:名無しさん@ネトゲ廃人

 はいはい嘘乙


 87:名無しさん@ネトゲ廃人

 証拠うpしろし




 どうやらこの書き込みを見た人間は、それがうそだと決めつけてかかっているようだ。無理もない。こんな突拍子もない話を誰が信じることができるだろう。




 88:81です

 せっかく人が忠告してやったのに、もう知らんわ。おまいらは勝手に逝け。




 滑らかだったスクロールが止まる。どうやらスレッドはそこで途切れているようだった。


 ジョバンニは今度こそブラウザを閉じて、しばらくの間考え込む。


 先ほどのスレッドで見たようなうわさが、ここ最近cosmo vita(コスモ ヴィータ)内の一部で広がっているのは事実だった。ジョバンニはその情報をザネリから仕入れたのだが、どうやら掲示板サイトでは一種の都市伝説のような扱いで、話題をさらっているらしい。


 エラーに星を『呑まれる』。そう表現するようだ。しかし、星と、その管理者であるユーザーの意識が消失してしまうなんて、現実に起こりうるのだろうか。


 ジョバンニは大きく嘆息して、かぶりを振った。


 どうせネットにつきものの与太話だろう。そんなことが現代の日本で起こるわけがない。


 ジョバンニにはこんなうわさ話にかまけている暇はなかった。そろそろHOMEに戻って、星の生態環境の微調整をしなければならない。公園のバラがせっかくきれいに花をつけたのに、このままでは枯れてしまう恐れがある。


 ジョバンニは、くるりときびすを返してHOMEへ戻ろうとした。


 しかし、その時、ジョバンニは、何もかもを照らしつくすようなまばゆい光を背後から感じた。


 それは、まさしく閃光と呼ぶのがふさわしかった。風を伴っていれば、ジョバンニはこの現象を何かの爆発だと思ったかもしれない。しかし丘の上は不気味なくらいしんと静かだ。立ち並ぶ木々はそよりとも揺れず、耳が痛くなるくらいの静寂が辺りを包み込んでいる。


 光は衰えることなく、むしろ徐々に強くなりつつあった。ジョバンニは恐る恐る、しかし何かに突き動かされるように後ろを振り向く。到底目を開けていることなんてできなかった。両腕で頭をかばいながら、ジョバンニはわずかに背中を丸める。


 プオォォッ、というかすれた音が、断続的に辺りに響いた。笛に似た楽器の音色かのようにも思われたが、すぐに違うとわかる。これは汽笛だ。肌にびりびりと衝撃が伝わるくらいの、地鳴りにも似た大きな音だった。まるで大きな獣の鳴き声のようだ。その音はジョバンニに、熱く脈打つ拍動のようなものを感じさせた。


 降りしきる光が不意にやわらぎ、ジョバンニはようやく辺りの様子を自分の目で確認することができるようになる。地上にはやはり何の異変もない。この状況で何の異変もないことが、最大の異変と言ってもいいくらいだ。


 次に空へと視線をやった時、ジョバンニは驚きのあまり己の目を疑った。


 はるか上空から、こちらに向かってごうごうと迫りくる物体がある。呼吸のようにまき散らされた白い煙は、星の光を反射してまばゆい輝きを放っていた。


 そして、幾度も繰り返される遠吠え。プォォ、プォォ、というそれは、少しずつ、ジョバンニの方へと近づいてくる。風など少しも吹いていないのに、ジョバンニは、今にもそれのもつ迫力に吹き飛ばされてしまいそうだった。


 目を細めて、ジョバンニはその形状を注視する。横に長い円筒形に、細かなパーツが取り付けられていて、そのうちの幾つかが辺りに立ち込める白い煙をまき散らしているようだった。そして後ろに連なる幾つかの直方体。ジョバンニはこれによく似たものを、昔の本で見たことがあった。名前は……そう、確か『機関車』だ。


 その機関車は圧倒的な質量と存在感をもちながら、ジョバンニの星へ着陸した。プォォ、と最後の一声をあげると、間もなく停止する。どういうことだ。こんなイベントがあるなんて聞いていない。ジョバンニは何となく、本当に何となくだが、この機関車がここにあるべきものではないと感じていた。このゲーム内で今まで見てきたどんなオブジェクトとも違う異質さが、こいつにはある。どこからか込み上げてきた悪寒が背筋をあわ立てるのを感じた。


 ガチャンという音とともに、機関車の扉らしきものが開く。


 ジョバンニは思わず体を縮こまらせた。恐る恐る辺りをうかがうと、何者かが静かにこちらへ歩み寄ってくるのがわかる。


「――うわさ通りのきれいな瞳だ」


 少しかすれた、しかしよく響く声だった。


「やぁ。君は、ジョバンニ……で合ってる?」


 急に名前を呼ばれて、驚きのあまり目を見開く。のぞき込んでいるのは、希少な宝石を思わせるスカイブルーだ。


「……あんた、誰だ?」


 覚えのない顔のそいつに向かって、思わずそう問い返す。


「ああ、ごめんごめん。自己紹介が遅れたね。俺はカムパネルラ。言いづらかったら、君がいいように呼んでくれて構わないよ」


 そうまくしたてる少し高めの声に、ジョバンニは思わず面食らった。


 目の前に立っているのは、どうやら青年で間違いなさそうだった。蜂蜜のように輝く金髪に、青い瞳。それにすらっとした長身をあわせもったアバターは、ジョバンニが今まで見たことのないタイプだった。


「……どうして俺の名前を知っている」


 すっと目を細めて疑いの視線を向けると、青年はおかしそうに反論する。


「やだなぁ。君、自分がどれだけ有名人か知らないわけじゃないだろう」


 ひょいっと肩をすくめるしぐさが芝居がかっていて鼻についた。


 ジョバンニはさらに視線を険しいものにすると、メニュー画面を開いて一番右下のボタンに手をかける。


「――今すぐ俺の星から出て行け。ここに危害を加えるつもりだったら容赦しない。運営に通報するぞ」


 ジョバンニが今まさに触れようとしているのは、cosmo vita(コスモ ヴィータ)を運営するNNR社直通の通報ボタンだ。これを押せばすぐさま通話がつながり、違反ユーザーを摘発してくれる。


「危害を加えるつもりなんてないけど、やれるものならやればいいさ。『生きる屍』状態の俺を運営がどうこうできるなら、とっくにすがりついてるよ」


 青年の言葉に、ジョバンニは眉間のしわをさらに深くした。うさんくさいことこの上ない。ジョバンニはカーソルを目の前の青年に合わせ、『ステータス』という項目に触れた。そして大きく息を呑む。


「な、これでよくわかっただろう? 俺が普通の状態じゃないってことがさ」


 青年のステータス画面は、およそステータス画面の原型を留めていなかった。


 全体が文字化けし、グラフが表示されるべき部分には、恐らくグラフだっただろうものが残骸のように散らばっている。


「そこでジョバンニ、君にお願いがある」


 青年はそう言って、今までおちゃらけていた表情をすっと引き締めた。


「一緒に、はじまりのおわりフィーネ・クレアシオンを探してほしい。いや、正確には、『壊してほしい』かな」


 ジョバンニのことを真っすぐに見つめる瞳には、およそ冗談の色は浮かんでいなかった。

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