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世界の終わりとモーニンググロウ(1)

 ジョバンニが目を覚ますと、そこは果ての見えない薄もやの中だった。ほのかに白いそれは冷たくも温かくもなく、ただジョバンニの視界をぼんやりと滲ませる。


 涙はいつの間にか消え失せていた。身に着けていたはずの宇宙服もどこかへいってしまっていて、体が随分と軽い。一歩足を踏み出してみると、ふわんと舞ったもやが、ジョバンニの革靴を柔らかく覆った。


「やぁ、おはよう」


 不意にそう声をかけられて、ジョバンニは顔を上げる。


 屈託なく笑うスカイブルーの瞳。それをみとめた瞬間、ジョバンニの両目にじわりと熱がこみあげる。


「――おはよう、じゃねぇよ! ばか!」


 目の前に居たのは、カムパネルラだった。あんなことになる前の姿で、底抜けに明るい笑顔を浮かべている。


 きっと、これはつかの間の夢なのだろう、とジョバンニは思った。


 それでも一向に構わなかった。急いでカムパネルラの元に駆け寄て、その肩をつかむ。温もりは既に失われていたけれど、そこには確かな彼の感触があった。顔中をくしゃくしゃにしながら、ジョバンニは声を荒げる。


「くそっ! トールのやつ、ひどいことしやがって! おまえ、本当にいいのかよ? これで終わりなんて!」


 カムパネルラの表情はあくまでも穏やかだった。肩に触れているジョバンニの腕をそっと支え、困ったように首をかしげる。


「マスターのことを悪く言わないでくれ。あのひとは、俺の最後の願いをちゃんとかなえてくれた」


 淡雪のようにふわりと柔らかいその言葉に、ジョバンニは、トールとカムパネルラが交わしたという取引のことを思い出した。


 カムパネルラの命と引き換えに、かなえられた願い。それはどんなに大層で、どんなにかけがえのない奇跡なのだろう。


 ジョバンニは険しい顔をしながらカムパネルラに詰め寄った。


「おまえの最後の願いって……何なんだよ」

「それは、秘密だよ」

「何でだよ! そのために、おまえは自分の命を犠牲にして……!」


 食い下がるジョバンニに、カムパネルラはむぅっと顔をしかめた。


「……何だ。マスターはそんなことまで君にしゃべったのかい? あーあ、絶対内緒にしようと思ってたのに」


 そっぽを向いてぶつぶつつぶやくカムパネルラの顔は、ほのかに赤くなっている。


 ジョバンニがじっとその横顔を見つめていると、カムパネルラは、少しむくれた顔でじっとジョバンニを見つめた。


「笑わないで聞いてくれるかい?」

「ああ」


 即答するジョバンニを見つめる視線が、ためらうようにうろうろさまよう。


「あー、んー……えーっと」


 カムパネルラの態度は煮え切らない。


 ジョバンニは、せかすようにカムパネルラの肩を揺する。


 カムパネルラは「わかった、わかったから」と、小さくせき払いしてから、取引のことを語り始めた。


「俺の最後の願いはね……ジョバンニ、君と会って、話をすること」


 二つの青い宝石が、どこまでも優しいまなざしでこちらを見つめている。


「マスター――つまり、トールさんはね、よく、本当によく、君の話を聞かせてくれたんだ。意地っ張りで、強がりで、でも誰よりも優しい俺『たち』の兄さん」


 彼の目尻が柔らかく下がって、淡い光をたたえた瞳がすぅっと細められた。


「俺はね、ずっと君と会って話をしたかった。だからマスターに頼んだのさ。少しの間、君と一緒に居させて欲しい、ってね」


 ジョバンニの手は、カムパネルラの肩を強くつかんだままだった。


 カムパネルラは、ジョバンニのその手をぽん、と叩いてから話を続ける。


「マスターは、君を危険に近づけることをよしとしなかった。説得はかなり大変だったよ。でも、最後には折れてくれた。だって、マスターと俺の目的は一緒だったから」


 静かに告げられた真実は、ジョバンニにとって衝撃的なものばかりだった。どうしてそんなもののために命を懸けたのかと、思わなかったと言えばうそになる。けれど、彼が必死で果たそうとした目的を『そんなもの』呼ばわりすることはためらわれた。たとえそれが、今までどうしても好きになることのできなかった自分自身のことだとしても。


「お前と、トールの目的……?」


 両の目いっぱいに涙をたたえたジョバンニは、かすれた声でそう尋ねた。


「……わからない? 君のことだよ、ジョバンニ」


 まるで歌うように、カムパネルラはジョバンニに告げた。


「マスターと俺は、守りたかった。君と、君の大切なあの星を」


 いじらしいほどはかなげに笑って見せる彼に、ばか野郎、なんてとても言えなかった。すぐそばにある青い瞳が、とんでもなく優しい光をたたえて自分を見つめているから。それでもなんで、どうして、とやるせない思いが込み上げてきて、涙が幾筋もジョバンニの頬を伝ってはぬらしていく。


 黙って視線を交わしていた時間は、長いようで、とても短かった。その間二人は一言も話すことはなかったが、互いの瞳は、言葉でうまく言い表すことのできない感情を事細かに伝えてくれる。


 しかし終わりは唐突に訪れた。


 ふわり、と小さな風が一陣。二人の周囲を漂っていたもやが、さざ波のように小さく揺らいだ。


「もうそろそろ、時間みたいだ」


 そう言ってカムパネルラはジョバンニから離れる。


「今度こそ、本当にお別れだ」


 ほほ笑むカムパネルラの輪郭が、すうっと薄れて不確かになった。朝霧が光に透けて消えていくように、きらきらとまばゆい余韻を残しながら、彼の存在が少しずつ、少しずつ失われていく。


「さようなら、ジョバンニ」


 そう告げた唇の形さえ、もうジョバンニには判然としない。


「どこかで君を見守っている星があるとしたら、それは俺さ。だから忘れないで。君は、世界に、ちゃんと愛されてるってこと」


 小さな子供に言い聞かせるような口調でカムパネルラは言った。


「今は、さようなら。きっと、きっとまたいつか」


 むせび泣いて喉を詰まらせながら、ジョバンニは声を張り上げて答える。


「ああ! ……ああ! きっと!」


 ジョバンニの言葉を確かに聞き届けて、カムパネルラは少し笑ったようだった。そして、彼の笑顔につられて泣き笑いを浮かべたジョバンニもまた、すぅっとにじんで消えていく。


 白い薄もやの世界に差し込む幾筋もの光。それは確かなおわりと、確かなはじまりの合図でもあった。

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