おわりのはじまり(5)
「後悔、しないね?」
念を押すように尋ねたトールに二人はこくりとうなずいて見せた。
「まったく、仕様のない人たちだな。俺は止めたからね」
トールはあきれるようにため息をついて肩をすくめると、ジョバンニたちから距離を取るように少しだけ移動する。
ジョバンニとエリザベッタの間に緊張が走った。トールは、無造作に黒よりも黒を掲げると、深呼吸するように大きく息を吸う。そして自分の胸の辺りでおもむろにそれを押し潰した。黒よりも黒は、ぐにぐにとゴムボールのように形をゆがめる。反発するそれを力任せに左胸へねじ込むと、トールはがっくりとうなだれて動かなくなった。
暗い塊の消えた宇宙は、いつも以上にしんと静かだ。
耳が痛くなるような沈黙の中、トールはうつむいたままぴくりともしない。
「おい……」
ジョバンニが声をあげた瞬間、ピコンというサウンドエフェクトとともに、合成音声によるメッセージが聞こえた。
「認証完了。エラーコード000、フィーネ・クレアシオンの消去を開始します」
トールが急に顔を上げてふっと笑う。
「……成功だ。いいかい? あんたたちも、俺も、六十秒後に強制ログアウトするように設定した。そうしたら全部終わりだ。カムパネルラも、はじまりのおわりも、cosmo vitaからきれいに消え去って……」
そこでトールの言葉は途切れる。次いで、マイク越しに彼がごほごほとせき込む音が聞こえた。
「トール?」
ジョバンニの手が、ためらいがちにトールに向かって伸ばされたその瞬間。
パリィンという澄んだ音とともに、トールを形成するテクスチャの一部が弾け飛んだ。
宇宙服を身に着けた肩口の辺り、次いで、その左足。ガラス細工が粉々になるように、透明に輝くかけらをまき散らしながら、彼の体は少しずつ形を失っていく。
「トール!」
ジョバンニは慌てて弟の元に駆け寄ろうとした。
「ばか! 今近づいたら危険よ!」
エリザベッタがそれにしがみついて、必死で止める。
「六十秒後、この体は粉々になって消え去る。カムパネルラの命は、本当に、終わってしまうんだ」
トールはそう言ってから、とても穏やかな顔で笑った。まるで誰かを慈しみ、まるで何かを悲しむように。
「……ちょっと待ちなさいよ。アバターに影響を及ぼすほどのプログラムを実行しているデバイスから、強制ログアウトするなんて……それ、コンマ数秒ずれたら、あんたも道連れじゃない。ある程度の知識があれば、誰だってそのくらいすぐわかる」
静かな声で指摘するエリザベッタの言葉に、弾かれたようにジョバンニは顔を上げた。本当なのか、と問い質すような目で彼を見る。
「そうだね。……でも俺には、カムパネルラの作り手として、彼の最期を見届ける義務がある」
ジョバンニの疑念に肯定で答えながらも、彼の声はとても落ち着いていた。
「大丈夫。俺の計算は絶対だ。……間違えたりなんか、するもんか」
トールがそう答えた瞬間、高い音とともに、カムパネルラの目元のテクスチャがはがれ落ちる。その奥では、いまだ幼さの残る、とび色の瞳をしたトールが笑っていた。ひどい砂嵐状のデータの乱れの中で、ジョバンニは確かに彼の瞳と視線を交わす。
「強制ログアウトまで残り三十秒」
合成音声が、三人のタイムリミットを冷酷に告げた。
その間にも刻一刻と、彼の体は失われていく。
右手、右足、左手に腹の辺りまで。
砕けたテクスチャは、天の川のようにゆるゆると光の帯を作ると、星の海を漂い散っていった。 ああ、消えていく。俺たちの思い出が、全部。全部。
「強制ログアウトまで残り十秒」
「さようなら、カムパネルラ」
そうつぶやいたジョバンニの頬を、静かに涙が伝った。
「五、四、三、二、一……」
パァン、とカムパネルラの右頬が砕け散るのを見ながら、ジョバンニの意識は静かにフェードアウトしていく。最後に浮かんだのは、カムパネルラの底抜けに明るい笑顔だった。ばか野郎。俺、おまえにちゃんとさようならが言えなかったよ。二粒目の涙が、ジョバンニの頬をゆっくりと滑るように伝い落ちていく。




