星祭《カルネヴァーレ》の夜(1)
次に目を開けた時、まず視界に飛び込んできたのは今にもこぼれ落ちそうな満点の星空だった。足元にはアスファルトでもコンクリートでもない土の感触。この時ハルカはもう既に『ハルカ』ではなくなっている。わら色の髪がふわりと風に舞い、頬をたたいた。
ログインポイントである広場には大きな噴水があり、それを取り囲むように薄桃色のバラが花をつけている。少し離れたところにある石造りの城は、ハルカの自信作だ。中世ヨーロッパを思わせる美しいたたずまいをここから眺めるのが何より好きだった。
さらさらとそよぐ風の匂いもいい。柔らかに頬をなでるそれは、ここに咲くバラの花だけではなく、様々な草木がこの星で確かに息づいているのだということをハルカに証明してくれた。
ひとしきりこの星の風景を堪能したハルカは、ステータスウィンドウを開く。ウィンドウ上部に大きく『NAME:ジョバンニ』という表示が出た。それがここ、cosmo vitaでハルカが三年近く使っているユーザーIDだ。
『ジョバンニ』は、他のユーザーと交流しない古参ユーザーとして知れ渡っていた。コンタクトを取ろうとする物好きなんて、今では数えるほどしかいない。ネット掲示板にはジョバンニを崇拝する声から誹謗中傷に近い悪評まで様々な書き込みが並んでいるが、そんなことハルカの知ったことではなかった。ハルカはただこの自分だけの空間で、心穏やかな時を過ごしたいだけなのだから。
ウィンドウの左上が赤く点滅し、メッセージの受信を告げる。どうやら『数えるほどしかいない』うちの一人が連絡をよこしているようだ。ハルカ――ジョバンニは小さくため息をつくと、メッセージを開き、チャット機能をオンにする。
「よぉジョバンニ! 景気はどうだ?」
目の前に映し出された底抜けに明るい笑顔を追いかけるように、騒々しくて甲高い声が聞こえてきた。そのボリュームに思い切り顔をしかめながら、ジョバンニは答える。
「景気ってのは何の景気だよ、カナト」
「おいおい、ここじゃあザネリって呼んでくれよ。せっかく俺が考えたクールなIDなんだから」
「はいはい」
適当な相づちをうちながら、ジョバンニはやいのやいの言い続けるザネリの声を聞き流す。
IDザネリ。オフラインではカナト・コイズミという名前のハイスクール三回生で、ハルカのクラスメイトでもあった。
元々騒々しいお調子者タイプのカナトとはまるで接点などなかったが、入学して間もない頃に話しかけられたのが運の尽きだった。ハルカがcosmo vitaをプレイしていることを知るや否や、カナトはお得意のマシンガントークで迫ってきて、あれよあれよという間にフレンド登録させられてしまったのだ。それからインする度にこんな風にちょっかいをかけてくるので、ジョバンニは正直うんざりしている。ブロック機能の実装を待ち望んでいるのも、八割がたはこいつのせいだ。
「でよぉ、聞いてるか? この間実装されたレアアイテムの話!」
「聞いてない」
「何だと~! おまえは相変わらずだなぁ!」
だからおまえは駄目なんだとか、面倒くさいことを言いながらザネリがぎゃんぎゃん吠えているが、当然ジョバンニは耳を貸さない。その間に別のウィンドウを操作して、公式掲示板の更新情報にひとしきり目を通す。
cosmo vitaは、フルダイブデバイスが市場に出回り始めた初期の段階でリリースされたオンラインシミュレーションゲームだ。プレイヤーはゲーム内に降り立った瞬間から、自分の星を一つ持っている。その星を開発し、発展させるのが主な目的だ。農業で栄えさせるもよし、高度な技術をもたせるもよし、プレイヤーは自分の意のままに、星の「あり方」を決めることができる。
商業や工業で稼いだスペースマネー、通称SMで星を発展させるためのスキルやアイテムを買い求めれば、更に大きな利益を生み出すことも可能だ。
シミュレーションゲームの王道をいったシステムが功を奏したのか、ユーザーは現在も増え続けている。ユーザー四百万人突破記念イベントとして、造園の腕を競うコンテストが開催される旨が、掲示板のトップにでかでかと記されていた。
「コンテスト、出るのか?」
不意にザネリがそう尋ねてきた。
「出られねーよ。俺、園芸部門は殿堂入りしてるもん」
「くっそー! やっぱジョバンニはずりぃなぁ! むかつくぜ!」
コンテストと一口に言っても、ジャンルは色々ある。農業部門、建築部門、園芸部門と挙げていったらきりがない。そして、一部門で三度チャンピオンに輝いた者に与えられるのが、殿堂入りの称号だ。この称号を持つユーザーは、ジョバンニを含めてゲーム内に三人しかいないとされている。
「お前のそのアバター、殿堂入り限定モデルなんだろ? 激レアだよな!」
ザネリはそう言って興奮したような声をあげるが、対するジョバンニは、あまりこの姿が好きではなかった。
髪色は何だかくすんでいるし、、瞳の色も、青なのか緑なのかいまいちはっきりしない。本当ならすぐにでもチェンジしたいところだが、あいにく、このアバター以上にボーナスポイントが付加されるモデルは存在しないらしい。ジョバンニは今でもその辺りの改善をずっと心待ちにしていた。
以前、密かに憧れていた身長百八十センチ越えの武骨なアバターにチェンジしたら、ザネリに散々文句を言われたことがある。何でも「全然ジョバンニらしくない」のだとか。
『らしい』『らしくない』が判断できるほど自分のことを分かっているのかと文句を言いそうになったが、それ以来、何となくそのアバターは使っていない。気が付けば、自分の思うような姿を選べるはずの仮想世界でも『ひょろひょろ』だ。ザネリ以外の誰に見られるわけではないけれど、ジョバンニはそれが少し不満だった。
「そんな嫌そうな顔するなよ! もうアバターの話はしないから」
ジョバンニがこの話題を好まないことを知っているザネリは、そう言って話題を変える。
「コンテストには出られなくても、今日の星祭は行くだろう? 何でもSSランクのアイテムがオークションに出品されるって話だぜ」
「……」
ジョバンニはザネリの言葉に、少しだけ考えこんだ。
第千三百二回、星祭。
もともとは、宇宙空間に新規ユーザーのための新たな惑星が生まれる瞬間を鑑賞するという、サーバー増設に伴った小さなイベントだった。しかし、今では、祭りに便乗して開催されるオークションの方がメインのような扱いになってしまっている。
しかしジョバンニは、元来の意味での星祭を見るのが好きだった。遠い宇宙空間でこれから瞬き続ける星々が今この瞬間に誕生したのだという感慨は、ジョバンニにとって何物にも代え難い。正直それを見るためならば、SSランクのアイテムなんかどうだってよかった。
「……考えておく」
素っ気ない口調でそう言うと、「何だよ、つれねぇなぁ」と、ザネリが不満げな言葉を漏らす。
「んじゃあ、こっち来たらメッセージ飛ばせよ。絶対だかんな!」
しつこいくらいに念を押したザネリは、「またな」という言葉とともにチャット機能をオフにした。
ようやく一人になることができたジョバンニは、小さく息をつくと、そのままウィンドウを閉じる。
あいつの声はどうもキンキンしていて頭が痛くなるのだ。人差し指で軽くこめかみをマッサージしながら、ジョバンニはぼんやりと中空を眺める。
――世間一般では、ああいうのを友達というのだろうか。
少しだけ考えて、やめる。その問い自体が不毛だということを、ジョバンニは嫌というほど知っているからだ。
きゅっと口元を引き結んだジョバンニは、大きく上体を反らして天上の星を仰いだ。
見上げた空の片隅では、星の瞬きの幾億倍もの輝きが、いたる所で繰り返されている。星祭が始まっているのだ。
瞬いては消えて、また瞬いて、そして生まれる。
ジョバンニは首が痛くなるのも構わずに、飽きることなく空を見上げた。生まれた星の輝きを瞳に焼き付けようとでもしているかのように、ずっとずっとはるか遠く、空の彼方を眺めている。