できそこない(2)
重い腰を上げて立ち上がると、ジョバンニは彼女の伝言を伝えるべく、コックピットへと向かう。
ドア越しにカムパネルラが、真剣な顔で何かを話しているのが聞こえた。
相手はあの男……NPCの旅人Aだ。
その瞳があまりにも切羽詰まった色をしているので、ジョバンニは思わず足を進めるのをためらう。
「…………、だ」
旅人Aのしゃがれた声が聞こえてきて、思わず耳をそばだててしまった。盗み聞きは趣味が悪いと思ったが、何となく、嫌な予感がしたのだ。あんなに張りつめたカムパネルラの目を、ジョバンニは見たことがない。
「……消えるのは、誰だって怖い。たとえ、誰かに必要とされていなくてもな」
旅人はそう言ってカムパネルラに手を伸べた。一心に救いを求める敬謙な教徒のように。
「なぁ、あんたなら、わかってくれるだろう?」
「あぁ」
カムパネルラは短くそう答えて、哀れな旅人の手をとり、そっと体の脇におろしてやった。
「この子はあんたの仲間なんだろう? ……一緒にいてやるといい」
そう言って少年Cを抱きかかえると、旅人の傍らにそっと横たえる。カムパネルラは彼らの隣で膝をついたまま、手元のモニターを操作し続けた。ジョバンニはそれを、扉越しに黙って見ている。
――あんたなら、わかってくれるだろう?
旅人の言葉がぐわんぐわんと頭の中で反響していた。扉を開くことも彼にその言葉の意味を問いただすこともできないまま、ジョバンニはしばらくの間、静かにその場へたたずんでいた。
足元からはい上がってくるような寒気に、ぞくり、と肌があわ立つのを感じながら、ジョバンニはようやく意を決して、静かに目の前のドアに触れる。
シュンッというわずかな開閉音に、カムパネルラがこちらを向いた。
すでに穏やかになったその瞳をうまく見つめ返すことができずに、ジョバンニは視線を下方へそらす。
「おかえり」
カムパネルラは、まるで何事もなかったみたいな声でそう言った。
「あぁ……ただいま」
少し迷ってからジョバンニはそう告げる。
今までうまく告げられなかった分の言葉も、残らず彼に届けばいいと思った。
今のジョバンニなら自信を持って言える。ここは自分にとって、一つのHОMEであると。
カムパネルラはジョバンニの真意を知ってか知らずか、少しだけ笑ったようだった。それでもジョバンニはなぜか、彼の瞳をうまく見ることはできない。
「あのちびっこは?」
カムパネルラがそう尋ねるので、ジョバンニは視線をそらしたまま彼の問いに答える。
「もう落ちるってさ。リアルで用事があるんだと」
「ふぅん、そう」
短く返事をすると、カムパネルラは幾つも開いていたウィンドウを閉じて、立ちあがった。
「ジョバンニ、君に頼みたいことがある」
かしこまった口調で言われて、ジョバンニは思わずカムパネルラの顔を見る。かち合った視線から、カムパネルラの真剣さをひしひしと感じた。
「君の今の状態からすれば、少し酷かもしれない。だけど、君にしか、頼めないことだ」
青い瞳が真っすぐにジョバンニのそれを射抜く。
「旅人Aと少年Cが、キャラクターの形を留めていられる時間は残りわずかだ。間もなく、跡形もなく消えてしまうだろう。そうなる前に、彼らを葬ってやって欲しい。彼らの意向なんだ。……頼めるかい?」
その言葉は思ったよりも深く、ジョバンニの胸をえぐった。
カムパネルラは、ジョバンニの瞳をのぞき込む。
ジョバンニは、少し考えた後口を開いた。
「それは……もちろん構わない」
真っすぐに見つめ返すジョバンニのクリスタルアイズに、カムパネルラは満足そうなほほ笑みを浮かべる。
「エリザベッタから借りた宇宙服、まだ持ってるだろ?」
「あ、ああ」
「それ、装備して」
ジョバンニが宇宙服を装備すると、カムパネルラはヘッドセットをつけて話し始める。
「通信、聞こえてる?」
ザザッとノイズのようなものが混じったが、耳の辺りからカムパネルラの声が聞こえてきた。
ジョバンニの返事にこくりとうなずくと、カムパネルラはゆっくりと腰を屈め、旅人Aの体を抱き上げる。
「君はそっちの少年の方をお願いできる? 宇宙葬だ」
耳慣れない単語だったが、その内に秘められた意図は伝わってきた。
「わかった」
ジョバンニは短く答えると、少年Cを抱えてカムパネルラに視線を送る。丸みをおびた頬から察するに、人間でいうと五歳くらいだろうか。まだ小さなその手は、もう何かを握りしめることもかなわない。
「こっちへ」
彼はそう言って、フェロヴィーアのハッチの前へと向かった。ジョバンニも後に続く。
旅人Aの身体を横たえると、カムパネルラはハッチの内側の扉を閉めた。
窓の外では、至る所で星たちが輝いている。すでに見慣れた光景だというのに、今のジョバンニにはそれがまたしても何だか物寂しげに見えた。
不意に視界の端で、尾を引いた彗星が瞬く。
「……何だか泣いているみたいだ」
流れた星の涙は、すぐにどこかへと消えてしまった。
乾いた地面に雨がしみるように、小さな星がすぐに燃え尽きてしまうように、押し寄せる悲しみもいつかどこかへ消えてしまうのだろうか。
スピーカー越しに、カムパネルラの声が聞こえる。
「いいかいジョバンニ、よく聞くんだ。俺が合図してハッチを開けるから、二人を宇宙に――星の海に離してあげて。これは、宇宙服を着ている君だけができる仕事だ」
「……え?」
戸惑うジョバンニをよそに、カムパネルラは言葉を続ける。
「カウントスリーからだ。数えるよ」
そして厳かに、それは始まった。
「……三、二」
腕の中のあどけない少年Cの顔を眺めながら、ジョバンニはきゅっと唇をかむ。
彼らを、解放してやらなくてはならない。この宇宙の、ありとあらゆるしがらみから。
「一……ゼロ」
ハッチが開放され、ジョバンニは、そっと二体のNPCを宇宙に離した。ふわり、と二つの体が無重力をたゆたい、少しずつ遠くへ流れていく。ジョバンニは思わず手を伸ばした。しかしその瞬間、彼らの体がにわかに発光を始める。
「カムパネルラ!」
思わず声をあげるジョバンニに「見届けるんだ」とだけ言うと、それきり黙りこくってしまった。光を放っているのは、どうやら彼らを形成しているテクスチャの内部のようだった。貼り合わされた部分の隙間から漏れ出る光は、少しずつ大きくなって、やがて二人のことを呑み込んでいく。
音もなく、まるで落としたガラスが弾けるように、光は小さなかけらとなって粉々に四散した。きらきらと輝くそれらは、宇宙をさらなる輝きで満たす。
「さようなら」
ジョバンニは、誰にともなくそう言った。
「さようなら」
カムパネルラの静かな声を聞きながら、ジョバンニはフェロヴィーアへと帰還する。
「……やっぱり君が適任だった」
出迎えてくれた彼は力無くそう言って微笑んだ。
「ありがとう。彼らのことを見届けてくれて」
そう告げた少し高めのの声は少しだけかすれている。情けなく眉尻が下がった顔は、今にも泣き出しそうだ。
「それはこっちのせりふだよ」
答えるジョバンニの声も震えている。
「ありがとう。彼らの最期に意味を与えてくれて」
くたびれた旅人も、いまだ幼さの残る少年も、そして身勝手に彼らへ自己を投影した醜いジョバンニ自身も、今まさにここで死んだのだ。
「何を言っているんだい」カムパネルラは少し笑う。「意味があったとするならば、それは俺たちとは関係なしに、とっくの昔から存在していたのさ」
そう言うと、カムパネルラは再びモニター越しに彼らのいた場所を見つめた。
悲しいことに、辺りに広がる輝きのどれが彼らだったのか、ジョバンニには判別がつかない。窓から見る光は、どれも同じくらい美しく、どれも同じくらいはかない。
悲しみは消えるものではない。ただ少しずつ少しずつ、この手の中から離れていくだけだ。
ジョバンニは、いつまでもその場に立ち尽くしたまま、モニター越しに広がる星の海を眺めていた。自分だけは、この感情を決して忘れてはならないような気がして。




