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情報墓場《ダータ・ディ・チミテーロ》(2)

 フェロヴィーアが着陸したそこは、正確に言えば陸ではなかった。


 先ほどディスプレイ越しに見えたもやは、一歩一歩と足を進める度にふわりと宙を舞う。波打ち際に躍る小さな砂粒のような、ジョバンニがこれまでに見たことのないものだった。


 触れてみたらどんな感触がするのだろうと、腰をかがめてをすくい上げようとする。


「危ないからやめておきなよ」


 そう言ったカムパネルラの顔は少しだけ険しかった。


「それは、データのちりさ。不用意に触ると干渉されかねない」


 そう言われてもジョバンニには、その砂のような何かの正体が全くピンとこない。情報墓場ダータ・ディ・チミテーロ? データのちり? 何のことだかさっぱりだ。


「ここはね、cosmo vita(コスモ ヴィータ)のごみ箱なのさ。不要になったと判断されたデータが集まって、正式に削除されるのを待っている」


 カムパネルラはそう言って、足元のちりを思いきり蹴り上げた。


 きらきらと色んな角度から光を反射して輝く様子は、確かに何かの破片のようにも見える。生き物のように流動するもやは、やがてゆっくりと下方に堆積していった。


「……あ」


 舞い降りるちりの向こう側で、ちらりと何かの影が動いた。――よくよく目を凝らすと、人の形をしている。


「やぁ! あなたがサイトウさん?」


 カムパネルラが大きな声で呼びかけながら手を振った。


 それに応えるように小走りでこちらにやってきたのは、ペールグリーンの作業着を着た気の良さそうな中年男性だ。


「ああ、いかにも」


 男性はそう言って頷いた。


「そして君が『近々訪れる予定のお客人』で合ってるかな? カムパネルラ君」


 柔らかい笑みを浮かべながら、サイトウさんは気さくに右手を差し出す。


「うちの極秘資料を堂々とかっさらっていくすご腕に会えて光栄だよ」


 あくまでにこやかなサイトウさんにはまるで悪気がなさそうだけれど、当のカムパネルラは苦虫をかみ潰したような顔をしていた。


「……痕跡は残さないようにしていたのにな。バレてたのか」

「当然。腐っても業界大手だからね」


 状況のつかめないジョバンニには、握手を交わす二人をただただ見つめることしかできない。


 やがてその視線に気付いたのか、サイトウさんが「申し遅れました」とジョバンニに向かって口を開いた。


「はじめまして。NNR社メンテナンス課、ディスククリーンアップ担当のサイトウです」


 まるで取引先に挨拶するみたいに自然に、サイトウさんはそう名乗りながら会釈する。


 ジョバンニ達は彼にとって招かれざる客人であろうに、サイトウさんはあくまで二人を歓迎しているようだった。


「さぁて、こんな宇宙の辺境に何の用かな?」


 目じりにいくつもしわを作りながらあくまでもにこやかに彼はそう言った。


「絶対不可逆プログラムを探しているんだ」


 こちらの訪問を予期していたらしい彼に、回りくどい言い回しは不要だと悟ったのだろう。単刀直入に、カムパネルラは切り出した。


「……黒よりも黒ピウ・ネーロ・ディ・ネーロか。そいつはとびきりやばいやつじゃないか」


 サイトウさんの表情はにわかに硬くなり、柔らかいほほ笑みは瞬時に消えてしまう。


 腕を組みながら真剣な表情で考え込む彼の様子を見ていると、ことの重大さが否応なくジョバンニにも伝わってきた。


「……申し訳ないけれど、あれに関して話せる情報はないんだ」


 ふるりと首を振って、サイトウさんは申し訳なさそうに頭を下げる。


「上層部の情報統制が厳しくてね。まぁ、わかっているとは思うけれど」


 彼の言葉にうそがないだろうことは、その態度から見てとれた。しかしカムパネルラは険しい顔のまま言い募る。


「そりゃあ、あれだけ厳重なセキュリティプログラムがついてるんだ。おいそれと話せる内容ではないだろうさ。でも、俺たちはどうしてもそれを知らなくてはならない」


 カムパネルラが真剣になるのは当たり前だ。彼は今、このcosmo vita(コスモ ヴィータ)に囚われている。ゲームからログアウトすることができないこの状況で、絶望せずにこうして解決策を探せる人間がどれだけいるのだろう。


 しかしそこで、ジョバンニははたと気付いた。


 ――はじまりのおわりフィーネ・クレアシオンを消去したら、カムパネルラは現実世界に帰ることができるのだろうか。


 星に呑まれるというのがどういう状態なのか、ジョバンニにはわからない。しかし、エラーを消去すれば、虫食いだらけだった彼のデータが残さず修復され、すっかり元通りなんて、そんなことが、実際問題有り得るのだろうか。


 カムパネルラは言った。「はじまりのおわりフィーネ・クレアシオンを壊して欲しい」と。


 しかし彼は言わなかった。「それを壊したら、この世界は、彼はどうなるのか」を。


「あの……っ!」


 ジョバンニは突き動かされるように口を開いた。


「こいつ、実は今すごく困ってるんだ!」


 二人が目をむいてこちらを見ている。カムパネルラの青い瞳なんて、今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。しかし構うものか。ジョバンニは続ける。


「俺が言うのも変だけど、その、力になって……むぐっ!」


 しかし彼の言葉は最後まで形になることはなかった。カムパネルラがその大きな手で、ジョバンニの口を塞いでしまったからだ。


「全く、君ってやつは……」


 あきれたような声音に、不思議な色がにじんでいるように感じるのはなぜだろう。


 喜んでいるような、悲しんでいるような、今にも泣き出してしまいそうなそれが何なのか、ジョバンニにはわからなかった。わかってやることが、できなかった。


「困っていなければ、そんな物騒なものについて尋ねてこないだろうね」


 サイトウさんはそうこぼすと、眉尻を下げながら弱々しい笑みを浮かべる。


「カムパネルラ君。君のような存在にすがるしかない私たちは、本当に無力だ」


 カムパネルラがくしゃっと顔をしかめたのがわかった。ジョバンニもまた、サイトウさんの放った不可解な言葉に眉根を寄せる。


 しわと豆だらけの指をぎゅっときつく握りこんで、彼は言った。


「でもね、頼むから考えてみて欲しい。どんなエラーも消去することができる、絶対不可逆プログラム――それがどれだけ恐ろしいものなのかを、ね」


 そう言うとサイトウさんは力なく目を伏せる。


 重苦しい沈黙が辺りを支配した。


 ジョバンニの位置からは背後に立つカムパネルラの表情をうかがい知ることができない。けれどきっと難しい顔をしているのだろうことは、ジョバンニにも想像が難くなかった。


「……りたい……」


 彼らしくない震えた声で、カムパネルラは言った。


「守りたい、人がいるんだ」


 あまりにも真剣な響きに、ジョバンニは思わず後ろを振り返る。


 すでにカムパネルラはきびすを返し二人に背を向けていたので、彼がどんな顔をしているのか確認することはできなかった。


「……何をぼさっとしてるんだい。行くよ」


 そう言ってすたすたと歩きだすカムパネルラを追いかけながら、ジョバンニは尋ねる。


「行くってどこへ!」


「どこって、帰るのさ。俺たちの船へ。どうやらここに来たのは無駄足だったみたいだからね」

 そこまで言って立ち止まったカムパネルラが、振り返りざまサイトウさんをじっと見据えた。何かを訴えかけるような、強い光を宿した瞳で。


「……覚悟は、あるのかい?」


 絞り出すような声で、サイトウさんは言う。


「あぁ」


 間髪入れずにカムパネルラが答えた。


 サイトウさんはしばらく考え込んでから、おもむろにポケットから取り出した小型の端末を操作する。


「……進むべき航路の情報を暗号化しておく。君の船の運航システムでコンバートしてくれ」

「!」


 知識の少ないジョバンニにも、それが彼の立場を危うくするだろうことは容易に知れた。サイトウさんは渋い顔のままだったが、力強いまなざしでカムパネルラをじっと見つめる。


「……ご協力、感謝します」


 カムパネルラはそう言ってから、サイトウさんに向かって深く一礼した。


 慌ててジョバンニもそれにならって頭を下げる。気にすることはない、とでも言うかのような、柔らかいほほ笑みがサイトウさんの顔に浮かんだ。それを視界の端でとらえながら、二人はフェロヴィーアに向かって足早に歩き出す。


「遅い。置いてくよ」


 一足先に乗り込んだカムパネルラは、そう言いながら笑ってジョバンニを迎えた。コックピットではコンバータが幾つかのランプを点滅させながらフル稼働している。


「……そうしたかったらすればいい」


 唇を尖らせてそう言ったジョバンニに、カムパネルラは笑いながら返した。


「……それが俺にはできないんだ。困ったことにね」


 眉尻を下げながら肩をすくめる彼の表情はひどく優しい。ジョバンニは一瞬真顔になってから、動揺をあえて押し隠すように、無愛想な顔のまま「……あっそう」と言った。


 視線をそらしたのは照れくさかったからだ。思えばこんな風にあけすけに、誰かに必要とされたことなんてなかったような気がする。


 じわじわと込み上げてくる気恥ずかしさにさいなまれながら、ジョバンニは操縦席の背もたれに深く体を預けた。


 カムパネルラの手元に出ているメッセージによると、コンバート所要時間はあと八分三十秒。短いようで長いその時間、二人はじっと目の前のメインディスプレイを見つめている。たまに二、三の言葉を交わして、目を合わせたり笑いあったりした。


 後になってジョバンニは思い知るのだ。この時間が、二人にとっていかに最良で、かけがえのないものであったのかを。

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