海色の蝶
「ただいま」
「ガウ」
朝の散歩に出かけていたリュカとタンクが戻って来た。ここ数日、毎日一緒に出かけては、一緒に戻って来る。
「二人とも、お帰……り……」
リュカの手には3つの卵。タンクの口には2つの卵。合計5つの卵をお土産に持ってかえって来た。
「またそんなに卵持って来て……」
昨日は3つ、一昨日は4つ、散歩に行く度に持って来られてはたまらない。
卵は放置しておくと消滅してしまう。見つけた卵は全部孵化させてあげたいが、ビビアナ一人では限界がある。
本来、卵なんてそんなにゴロゴロ落ちているわけがないのだ。
少なくとも今までのビビアナの生活ではそうだった。一週間に一個タンクがお土産に持って来れば良かったくらいなのに……最近のリュカとタンクの散歩はどうなっているのだろう。
「これ以上は育てられないから、お一人様一個までにしてね……」
孵卵器を覗くと、5つ全部入れる空きがない。
そろそろ生まれそうな卵を2つ手に取って、新しい卵をしまった。
「この2つは生まれるね」
このまま、ビビアナの体温で温めれば一時間もすれば生まれるだろう。リュカの卵の時と同じようにショールに包んで、お腹に巻き付けようとすると、リュカに手を掴まれた。
「なに?」
リュカは唇を尖らせてそっぽを向く。
卵入りのショールを奪い取ると、タンクの首に巻き付けた。
「僕以外のヤツがビビアナの素肌に触れるなんて許せない。タンクで十分だろ。な、タンク?」
「…………ガゥ」
少し不満げに唸りながらも、異論はないようでおとなしく首に卵を着けている。卵もタンクのモフモフに包まれていれば大丈夫だろう。そのまましばらくタンクに預けることにした。
「卵、だいぶ良い状態だね」
タンクの毛に埋まってホカホカの卵を確認すると、今にも生まれそうだ。
タンクの毛は孵卵器の変わりにちょうど良いかもしれない。また卵がいっぱいの時は、タンクに卵を温めてもらおうか。
何かを感じとったタンクは、身体をブルリと震わせて床に伏せた。
白地に緑の縞模様、白地にオレンジの水玉模様の卵を、片手に一つずつ乗せて、小刻みに動く卵をじっと見つめと、すでに小さなヒビが入っていた。
緑の卵が先に殻が崩れる。中から雲のような大きな白い毛玉が出てきた。確認する前に、オレンジの卵もパリパリ音を立て始めた。
先に生まれた白い毛玉は、ふわっふわの綿毛のような毛をしていて、手で触れるとズブズブとどこまでも埋まっていく身体なんて存在しないかのようだ。
タンクの身体半分ほどの大きさの綿毛の中から、ひょいと黒い顔が覗いた。耳の横に渦を巻いた赤い角がある。
コトンシープと呼ばれる魔物だ。
青い瞳がビビアナの瞳を見つめる。
「あなたはウール。コトンシープのウールよ」
コトンシープの青い瞳に契約紋が吸い込まれて
光る。無事に契約紋が刻まれた。
「ビビアナ、急いで。こっちも生まれてる」
「ええっ! もう生まれたの?」
リュカが急かすので、慌ててオレンジの卵に目を向けると、すでに身体が露になっていた。
姿をきちんと確認する時間もない。すぐに黒い瞳と目が合う。
「えっと、えっと、あなたはピクルス!ピクルスよ!」
ピクルスの黒い瞳が光り、契約紋が刻まれた。
二匹とも無事に契約出来て、ホッと身体の力が抜ける。その場に座り込むつもりが、当たり前のようにリュカが抱き止めた。
「はぅ……焦ったぁ。まさか二匹一度に生まれるなんてね……。
えっと、コトンシープのウールと……ピクルスは……」
淡い緑色の蜥蜴だった。背中に小さな羽がついている。
「タイニードラゴンの色変わりかな?」
タイニードラコンは世界最小のドラゴンだ。今は手のひらサイズだが、成体でもタンクより小さい個体が多い。
「ウールとピクルス、よろしくね」
二匹はそれぞれ一鳴きして、外へ出て行った。
慌ただしかったが、元気に生まれてくれて良かった。
朝から良い仕事したなと満足して二匹の出て行った外を見ていると、リュカがため息をつく。
「……ビビアナ。ピクルスはあんまりだと思うよ」
とっさにつけた名前は、朝食に使ったピクルスと同じ色だったから。タイニードラコンのピクルスに、早くいい人が見つかって素敵な名前を付けてもらえることを祈ろう……。
午後、店のドアベルが鳴った。
入店して来たのは若い男性だ。
「いらっしゃいませ」
男性は店の中をグルリと見回して、ふっと鼻で笑う。
「ここが店だって?」
明らかな嫌みに、ビビアナは頬がひきつりそうになりながら、何とか笑顔を保った。
「たまご屋は初めてですか? 使い魔は人間が選ぶことは出来ないので、店にはいないんです。お客様に合った使い魔がいれば、呼びかけて、現れます」
「へぇ、じゃあ俺に合った使い魔を呼んでくれ」
あまりいいとは言えない態度に、床で寝そべっていたタンクが起き上がる。
「……では、こちらへ」
椅子に誘導すると、ドカリと乱暴に座った。足を広げて腕を組む姿は品位の欠片もない。
服装は質は悪くはなさそうだが、一級品ではない。従者や護衛もつけず、一人で森の中に来たのだから、それなりに腕に自信があるのだろう。
少し腕に自信のある、そこそこ裕福な平民あたりだろうか。
こういう自尊心の高いタイプは、ビビアナの経験上非常に厄介な相手だ。
「初めに説明させていただきます」
「そんなのいいから、早くやれよ!」
男が怒鳴ると、タンクが男の背後で姿勢を低く
した。臨戦態勢に入っているのだ。
タンクに視線で大丈夫だと伝える。
「規則ですのでお付き合いください。
まず、使い魔は人間が選ぶことは出来ません。使い魔が人間を選びます。
その為、呼び掛けても必ずしも使い魔が来るとは限りません」
「何だと?」
男の眉がつり上がった。たまご屋や使い魔の事をあまりよく知らずに来た客のようだ。
「……そして、使い魔は道具ではありません。使い魔を害すようなことがあれば、あなたの身の保証は出来ません。
その場合、もう二度と使い魔と契約出来ない身体となります……よろしいですか?」
嫌ならば帰っても構わない。ビビアナもこのタイプの男に、自分が孵した使い魔を引き渡したいとは思わない。
「早く使い魔を呼べ!」
ビビアナはこっそりため息をついた。
この男を選ぶ使い魔がいなければいい。しかし、なぜか横暴で危険な相手を選ぶ使い魔が時々いるのだ。
「こちらに手を」
男が乱暴に手を乗せた。ビビアナの手とぶつかってパチンと音を立てる。
「さあ、おいで……」
手のひらに熱が生まれ、熱風が吹いた。
驚いた男が椅子から立ち上がって、ガタンと椅子が倒れる。
熱風がビビアナと男のまわりを渦巻き、やがて落ち着いた。
静寂が訪れる。
ビビアナは手を離して、ため息をついた。
テーブルの上に一匹の大きな蝶がとまっていた。
「この子の種類はクロスパピヨン。契約名はマリンです」
クロスパピヨンは羽が大柄な男性の手のひらほどある、大きな蝶の魔物だ。色は個体差が強く、マリンの羽は深い海の青で、非常に美しい。
「クロスパピヨンは幻覚効果の高い鱗粉が特徴です。
マリンの鱗粉は細かい刺状の鱗粉を混ぜて、相手にダメージを与えることも出来ます。一度食らえば、十年は痛みが持続するでしょう。
大人しい種類ですので、幻覚、催眠などの方が得意ですが……」
「虫けらが、俺の使い魔だと!?」
男がテーブルをドンと叩いた。マリンはヒラヒラ飛んで、ビビアナの頭にとまる。
「虫けらなんているか! そこの狼をくれ。そいつを俺の使い魔にしてやろう」
タンクは歯を剥き出しにして、低く唸り声をあげた。その迫力に男が後退り、テーブルに背がぶつかる。
「それは……クロスパピヨンのマリンと、契約を拒否すると言うことですか」
「当たり前だ! 虫けらなんていらん!」
そのとたん、男とマリンの身体が淡い光に包まれた。