金の瞳に契約紋を
ビビアナがお腹に卵を括りつけて生活するようになってから、10日ほどたった。
この生活も今ではすっかり慣れてきた。
お風呂に入るときは水に濡れないように桶に入れて一緒に入り、食事の時はお腹を撫でながら食べ、寝る時はバスケットに入れて一緒に布団に入る。
ハーブティーを飲みながらお腹を撫でるなんて、何だか妊婦みたいだ。
「んん?」
今、お腹が動いた。いや、卵が動いた。
「タンク!」
呼ぶとすぐにタンクが側に来る。心配そうな瞳で見つめるタンクの頭を撫でた。
「卵が生まれそうよ」
お腹から卵を外して手のひらで包む。
黒い卵はビビアナの手のひらで光りながらゆらゆら揺れた。
「ふふっ。踊っているみたいね。可愛い」
どんな子が生まれるのか楽しみだ。今まで見たこともない真っ黒な卵で、発光する……そんな珍しい卵から生まれる魔物は、きっと特別な子になる。
名前はもう決めている。
いつもはどんな魔物が生まれるか、生まれるまで何も分からない。その為、生まれた瞬間に瞬時に名付けないといけない。ビビアナ自身、名付けのセンスがないことは分かっているが、考える時間がないのだから仕方がないと思う。
黒い卵は生まれる前から光ったり、冷たかったり……自己主張が激しかった。初めて名前をゆっくり考えることが出来たのだ。
コンコンと卵の内側から音がする。
卵にヒビが入った。
ヒビが深く割れると思った瞬間、中から強い光が溢れた。
あまりの眩しさに目を開けていられない。座り込んだビビアナを庇うように、タンクが自身の身体をビビアナの身体に覆い被せた。
「ビビアナ」
誰かに名前を呼ばれて、ゆっくり目を開けた。
もう光はないのに、強い光に当てられた目がチカチカする。
身体に乗ったタンクを避けて、目頭をキュッと押してから、再び目を開いた。
目の前には足。黒いズボンだ。
目線を上にあげていく。
まだ足……足が長い。
そして、身体。
黒い服を着ている。
次に顔。
黒髪。
髪から金色の角が二本覗いている。
「ひ、人型~~っ!?」
目の前には人間の男と姿形がそっくりな魔物がいた。
魔物と言うにはあまりにも人間に近い。違う場所は頭の角と、見たこともないほどの美しい容姿くらいだ。
年齢的にはビビアナと同じくらいか、少し年下か。まだ少年の雰囲気を残した顔立ちなのに、ゾワリと肌がざわめくような色気があるのは、魔物だからだろうか。
人型の魔物は卵から生まれることはない。たまご屋としての常識が崩れた。
人型の魔物の金色の瞳が、ビビアナの濃紺の瞳とかち合う。
美しい金色の瞳に吸い込まれる感覚に、身体が震えた。
「ビビアナ、名前を付けて」
「あ、はい」
まさか魔物に契約を促されるとは。
ずっと考えていた名前がある。発光する卵を見ながら考えた、光に因んだ名前だ。
「リュカ。あなたはリュカ」
金色の瞳がピカッと光りを帯びた。美しい瞳に契約紋が刻み込まれる。
いつもは一瞬で終わるのに、なぜか今回はすぐには終わらなかった。
瞳に刻まれた契約紋は、金色の瞳から弾き出されようとしている。それはビビアナのたまご屋としての力より、リュカの力がはるかに強いことを意味する。一度発動した契約紋は、失敗するとビビアナに跳ね返り、ただではすまないだろう。ビビアナの父もそうして亡くなった。
たまご屋を継いでから今まで、失敗したことはなかった。タンクの時も、スレイプニルの時も、何度もヒヤリとした瞬間はあった。だが、結局なんとかなったのだ。
自分の力を過信していたのかもしれない。
契約紋は金色の瞳から何度も外れそうになりながら、リュカ自身が再び押し込めている。
簡単なことではないようで、リュカの口から苦し気な声が時々漏れた。
どうしてリュカがそんな事をしているのかは分からないが、リュカ自身が押し戻せなくなれば、契約紋はビビアナを蝕み、死ぬ。
死ぬ。
ゾクリと悪寒が走り、全身に鳥肌がたった。
リュカの様子はかなり苦しそうだ。このままでは契約紋を刻むことは出来ない。
それはビビアナの死を意味する。
死ぬ。
心臓がどくどくうるさい。息が荒くなり、呼吸の仕方が分からなくなりそうだ。
必死に押さえてくれているリュカにすがって、震えながら彼の腕に触れた。
一瞬リュカは驚いた顔をしてビビアナを見つめ、柔らかく微笑んだ。
リュカの美しい顔が近づいてくる。ぶつかるほど近づいても、身体は避けようとしない。動かなかったのか、動けなかったのかは分からない。
気が付くと、リュカの唇がビビアナの唇と重なっていた。
金色の瞳がピカッと光り、光は瞳の中に消えていく。
契約紋が瞳の中に収まった。
良かった。
生きてる。
安堵で膝から力が抜け、崩れ落ちそうになるビビアナをリュカが抱き止めた。
「終わったよ。不安にさせてごめんね」
落ち着いた優しい声。
抱きしめられている状態で、徐々に気持ちも落ち着いて来た。
「ビビアナ、大丈夫?」
リュカが心配そうに顔を覗き込んで、額と額をくっ付けた。顔が近すぎる。
切れ長な目をしているのに、まつ毛が長い。鼻筋がシュッと通って、唇は形よく薄い。
先ほどこの唇が触れたことを思い出して、急に顔に熱が集まる。真っ赤になった顔をリュカに見られたくなくて、必死に顔を背けるが、密着した体勢では全く効果がなかった。
「はぁ……可愛いなぁ」
赤くなった耳に、ちゅっと口付けると、驚いたビビアナの身体がビクリと震えた。
ショックで我に帰ったビビアナは小さく悲鳴をあげて、リュカの腕から抜け出す。
「う~~ん、もう少し抱きしめていたかったな。……もう一回キスしよう。ね?」
言葉通りに抱きしめようとしてくるリュカから距離を取って、タンクに抱きついて助けを求めた。
「ちょ、ちょっと待って! いろいろ聞きたいこともあるし、話し合いましょう!」
「……僕のこと、知りたいの?」
「そう! すごく知りたい! 疑問がいっぱいなの!」
知りたいことはたくさんある。ありすぎて、どこから効けばいいか分からないくらいだ。
リュカは少し考える仕草をして、綺麗な笑みを浮かべた。
「いいよ。答えられることには答えるよ。だけど、僕のお願いも聞いてね」
「……お願い?」
「もう一回キスしよう。ビビアナとキスしたい……駄目……かな?」
形良い眉を下げて、捨てられた子犬のような目で見てくる。美形にこんな目で見られたら、何でも許してしまいそうで怖い。しかも相手はビビアナよりはるかに強い魔物で、命の恩人でもあるのだ。
実はさっきのキスがビビアナのファーストキスだ。初めてが魔物だなんて、たまご屋らしくて笑い話になりそうだ。
たまご屋としても、孵化させた責任としても、リュカには聞かなければいけない事がたくさんある。
セカンドキスくらい、安い物だ。
「……わ、分かった。その後、質問の時間をとらせてもらうから、約束守ってよ」
「ありがとう! 嬉しいなぁ。大好きだよ」
大好きだなんて面と向かって言われると、照れる。両親が亡くなってから、多くの時間を森に引きこもっていたビビアナにそんなこと言ってくれる人はいなかったから。
リュカはビビアナを抱き寄せて腰に腕を絡めた。それだけで身体は固定されてしまい、密着する羞恥から逃れようと身体をよじっても、リュカから離れることは出来ない。腰を片手でがっちり拘束されたまま、もう片手は頭に添えられた。
「ちょ、ちょっと待って」
完全に正気の今、こんなに顔が近いなんて恥ずかしくて耐えられない。
リュカの胸を押しても、顔を背けようとしても、全く密着状態から逃れられない。
「待てないよ」
少し掠れたリュカの声が色っぽくて、ビビアナはギュッと目を瞑った。
ようやく恋愛カテゴリーに片足突っ込めた……かな。