ヒロインに冷たい悪役令嬢が実はベタ惚れだったお話
「あらあら、令嬢ともあろう者が婚約者が存在する殿方と随分とベタベタしていることですわねえ?」
社交界の縮図、紳士淑女を育成する王立クリスタルラピア学園でのことだった。
八の燃えるような紅の縦ロールを後方に流す紅瞳の美女、ジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢の言葉が中庭に響き渡る。
昼休み、日向の下昼食をとっていた学生たちがざわつき遠ざかる中、ジェリファーナの鋭い視線を受けるは二人の男女。
一人は第一王子リオン=シルバーピーク。
老若男女構わず魅了する甘いマスクの持ち主だが、今ばかりは令嬢たちが見惚れる甘いマスクもキツく歪んでいた。おおよそ婚約者であるジェリファーナに向けるようなものではないだろう。
そして、もう一人。
フミラ=ホワイトアイス男爵令嬢が第一王子の腕の中で怯えたように身を縮こませていた。
「いつまでそうやっているおつもりで?」
びりり、と。
まるで空間そのものを引き裂かんばかりの声にもう泣き出しそうな男爵令嬢。と、そんな彼女を庇うようにさらに強く両腕で抱き、むっとしたように第一王子が言う。
「何やら誤解しているようだが、フミラ嬢が転びそうになったところを私が受け止めただけだ。そう非難するように睨まれるいわれはないぞ」
「あら、それはごめんあそばせ。わたくし、てっきり婚約者がいらっしゃる殿方と未だ独り身ゆえに清いはずの令嬢とが不純な行為に勤しんでいるかと誤解してしまいまして。ですので、そのような誤解を受けぬためにも今すぐ、ええ本当今すぐにでも離れるべきかと思うのですが」
「お前に言われるまでもない」
吐き捨て、言葉とは裏腹に名残惜しそうに男爵令嬢から離れる第一王子。ひとしきりジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢を見据えてから、舌打ちと共にその場を後にする。
つまり。
その場に残されたのは(周囲の有象無象を除けば)フミラ=ホワイトアイス男爵令嬢とジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢の二人であった。
「あ、あの、それでは、あたしもこれで……」
「フミラ=ホワイトアイス男爵令嬢」
「はっはいっ!?」
コツン、カツン、ガヅッ!! と。
はじめこそ優雅さ満載な公爵令嬢らしい歩みながら、最後のほうなど転びそうになるくらいには優雅なんて抜け落ちているジェリファーナがフミラのすぐ目の前まで歩み寄る。
ほとんど詰め寄るように。
公爵令嬢は言う。
「貴女、もしかしてとは思いますが第一王子のような男が好みとはおっしゃいませんよね?」
「そっそんなことありませんっ。本当、本当に先程のはあたしの不注意で転びそうになったところを第一王子様がお助けくださって、だから、本当そういうんじゃないんですっ」
「ふうん。ならいいのですわ」
くるり、と。
背を向け、そしてジェリファーナは『そうそう』とわざとらしくこう続けた。
「令嬢たる者、生涯一人にのみその身を捧げるものですわ。生涯における一人がいないうちから不埒な真似をするのはあり得ませんし、疑われるような行為も控えるべきです。わたくしが言いたいこと、わかりますわよねえ?」
「もっももっ、もちろんですっ」
「……ふんっ」
つまらなそうに鼻で息を吐き、そしてジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢はその場を後にした。
ーーー☆ーーー
「フミラちゃんあんな奴のこと好きじゃなかったぁっ。ああ、よかったよぉっ」
ずるずるずるう、と。
校舎裏、一人になったジェリファーナが壁に寄りかかるように倒れ込み、安堵の息を吐く。
「あの野郎、愛しのフミラちゃんを抱きしめるだなんて万死に値しますわっ。婚約者じゃなかったらけちょんけちょんにしてやったのですのにっ。というかわたくしが抱きしめたかったっ。絶対ふんわり柔らかで甘い匂いして最高ですのにぃ!!」
ぶーぶーと頬を膨らませて、天を見上げて、そしてジェリファーナはぱちんと目を覆うように手をやる。
「まあ、わたくしを見ただけでフミラちゃんは怯えちゃうのですが。うう、身分の違いがあるので仕方ない部分もあるのかもですが、あんなに怯えなくてもいいのにぃ」
ーーー☆ーーー
嫌われている、とまでは言わずとも、怯えられている自覚はあった。
言葉遣いがキツイのも、睨むように見てしまうのも、全ては『本音』を隠すためとはいえ、フミラにとっては公爵令嬢から目をつけられて威圧されているようなものなのだ。怯えるのが普通だろう。
だが、一応言い訳があるとすれば、第一王子がベタベタとフミラ=ホワイトアイス男爵令嬢に近づくのが悪いのだ。あんなにもベタベタされては多少強引でも邪魔したくなるというもの。
貴族として、と己の醜い感情を誤魔化すつもりはない。嫉妬、そう嫉妬なのだ。自分でも器が小さいとは思うが、好きなのだから仕方ないではないか。
──それでいて、一歩踏み出せない意気地なしでもあった。
第一王子との婚約はレッドローズ公爵家にとっても最大の利益あるものである。次期王となる第一王子との婚約を結べたことでただでさえ国家中枢に入り込んでいる公爵家の地位は盤石なものとなった。そんな婚約をジェリファーナ個人の恋心で台無しになどできるものか。
それは、レッドローズ公爵家を信じついてきてくれている者たちを裏切ることとなる。それだけは、どうしてもできなかった。
そんなある日のこと。
学園での夜会で真紅のドレスに身を包んだジェリファーナがさりげなく……なんて我慢できず、がっつり(ハタから見れば威圧するように)フミラを見つめていた時だった。
「ジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢」
「はぁはぁ。純白、ああ無垢なる心をそのまま示したような純白のドレスお似合いなんてものじゃないもう最高はぅはふうっ」
「ジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢っ!!」
「……なんですか、殿下」
耳元で叫ばれてようやくその存在に気付いたジェリファーナが視線を向ける。そこには馴れ馴れしくもフミラ=ホワイトアイス男爵令嬢を手招きしている最中の第一王子が立っていた。
「あ、あの、なんであたし呼ばれて……」
「まったくですわ。どうしてフミラ=ホワイトアイス男爵令嬢がこんなにも近くにいるのやら」
「うぅっ!」
びくっと肩を揺らして後ずさるフミラ。
ちなみにジェリファーナの内心は『こんなに近くに来られたらああ可愛いだめ近すぎる我慢できないニヤケちゃいますう!』というものだったりする。
「ジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢っ。貴様がフミラ嬢に嫌がらせをしているのはとうの昔に判明しているのだぞ!!」
「……、は?」
「……、ふぇ?」
なぜだかフミラ=ホワイトアイス男爵令嬢まで首を傾げていたのだが、第一王子は酔ったようにびしっと指を突きつけて、
「とぼけるのも大概にするがいいっ。貴様はフミラ嬢のモノを隠したばかりか嫌味を言い、しまいには階段から突き落としたのだっ。そんな女が次期王である私の婚約者など片腹痛いっ。ここで貴様との婚約を破棄して、貴様を窃盗罪や暴行罪の容疑で牢屋に放り込んでくれる!!」
「…………、」
果たして第一王子は気付いていたか。
ジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢が小さく、だが確かに笑みを浮かべていることに。
「あ、あのっ、第一王子様っ。そんなことは……っ!!」
「わかっている。フミラ嬢、今まで一人で怖い思いをしてきたんだろう? これからは私が守ってやる。だから何の心配も──」
「く、ふふっ」
思わず、だった。
噴き出すようなその笑い声に第一王子の表情が歪む。
「貴様、なんだその態度は? もしや追い詰められておかしくなったのか???」
「そういえば隣国で似たようなことがありましたよね。であればこれは審査ということですか。王様もお人が悪い。いいえ、こんな単純な審査にすら引っかかる馬鹿が悪いのでしょうが」
「何を言っているんだ、貴様はっ!!」
「第一王子様こそ……いいえ、リオンこそ何を言っているので?」
「貴様次期王たる私を呼び捨てなどとっ!!」
「嫌がらせとやらの証拠、提示してもらえませんか?」
ジェリファーナの言葉に第一王子はまるで待ってましたとばかりに表情を弾けさせて、
「馬鹿めっ。その程度で揺らぐとでも思ったかっ。貴様がフミラ嬢のモノを隠したのを目撃した者がいるのだよっ」
「ちなみにそれはいつのことで?」
「赤ノ月がユニコーン。昼食のために教室を離れた際に──」
「その日は一日中王宮にて次期王妃としての教育を受けておりました。つまり、わたくし『が』学園に立ち寄って嫌がらせする暇はなかったということです。やはり証拠が残る形でしたね」
「な、にを!?」
「その日は恐れ多くも王妃様直々に一日中わたくしの教育をしてくださいました。これを疑うということは王妃様のお言葉を疑うということになりますが……よもや反論しませんよねえ?」
「ぐっ。だ、だが、証言はまだまだあるっ」
とは言ったが、その全てがまるで示し合わせたように矛盾に満ちていた。まるでわざと暴かれるよう調整しているように。
と。
ムキになって声を荒げていた第一王子の言葉を遮るように、
「あ、あのっ、少しいいでしょうかっ」
「むっ。フミラ嬢、大丈夫だ。この悪女の悪事は必ずや私が暴き、フミラ嬢を助けてやるからなっ!!」
「いえ、あのっ」
「高位の者の言葉を遮るなどあってはならないこと。そんなことも知らないので?」
どこまでもトゲしかないジェリファーナの言葉に第一王子が何事か返そうと口を開きかけるが、その前に、
「も、申し訳ありませんっ。でも、その、こんなの間違っていると思いますからどうしても、そのっ」
「正義感だけでは世の中やっていけないものですわ。正しさは、しかし使い道を誤れば儚く散るものなんですから」
「そ、れは……」
「ですが、わたくしは貴女のそういったところ、嫌いではありませんわ」
「っ。ジェ、ジェリファーナ様……?」
「言いたいことがあるのでしょう。早く言うことですわ」
「はっはいっ!」
そして。
そして。
そして。
「あたし、嫌がらせなんてされていません!!」
高らかなその言葉が夜会の場に響く。
ぽかんと口を開き、しばらく停止していた第一王子が弾かれるように肩を跳ね上げて、
「なっ、なんで、どういうことだ!? だって私は聞いたんだ、フミラ嬢が嫌がらせを受けているとっ。嫌がらせから助ければ愛想のないジェリファーナとの婚約を破棄できるばかりか、フミラ嬢の好感度があがっていずれは結婚できるはずだとっ」
「結婚、え!?」
「ふん。無能な上に穢らわしいですわ。まだ気づかないんですわ? それこそが『審査』だと」
「な、にを、言っている?」
唖然とした様子の第一王子を見据えて、ジェリファーナは本当に心底呆れたように、
「隣国では恋にうつつを抜かした王子が婚約破棄騒動を引き起こしました。そうやって王族としての責務を投げ捨てて恋心を取るような奴を炙り出すためにわざと嘘と見破れるものを用意して貴方に流したというわけです。せめて話の真偽を探るくらいしていればまだしもマシな結末となっていたかもしれませんが……これは、もう、手遅れでしょうね」
「だから、何を言っている!? 私はこの国の第一王子だ、次期王となる男だ! それを、女ごときが見下すでない!!」
「なんでもいいですけど」
ぐいっと。
未だにフミラ=ホワイトアイス男爵令嬢の近くに立つ第一王子を遠くに引き剥がすように押し退け、ジェリファーナは吐き捨てる。
「貴方のような小物がフミラ=ホワイトアイス男爵令嬢を手に入れようなど生意気にもほどがありますわ。人に好きになってもらいたいなら、まずはその傲慢な考え方から捨てることですわね」
「き、さまっ!」
ギシギシッ! と歯を食いしばる第一王子が掴みかかろうと手を伸ばすが、そんなもの届くわけがなかった。
いつの間に迫っていたのか、騎士の格好をした一人が第一王子を押し倒す──前にジェリファーナの足が旋回、第一王子の頭を蹴り抜いたからだ。
「が、ぶあ!?」
「遅いですわよ。捕らえるならもっと早くすべきかと思いますが」
「申し訳ありません。王よりできるだけ長引かせてみろとのお達しがありまして。どうせならジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢の性質も見極めておきたいとのこと」
「あら、第一王子との婚約は『向こうから』破棄されたのですからわたくしと王族とは何ら関係はないのですがね」
「その辺りはなんとも。ですが、王はジェリファーナ=レッドローズ公爵令嬢まで手放す気はないのではないかと。例えば第二王子との婚約を新たに──」
「あらあら、憶測とはいえ恐れ多い話ですわ。そして、そんなの断るに決まっていますわよ。何せここまでコケにされたのですもの。第一王子がダメだったから次は第二王子で、なんて話を受けては我が公爵家が安く見られるというものですわ」
「本音は別のところにありそうですが……」
「ふん。なんでもいいですけど、さっさとそこの人運び出してくださいません?」
「それもそうですね。ではまたいずれ」
言って、騎士の格好をした一人は完全に気を失っている第一王子を引きずるように運び出していった。
そして。
周囲に夜会の参加者たちが残っていれど、二人きりのように見つめ合うジェリファーナとフミラ。
「これでわたくしは自由ですわ。いえ、まあそのうち貴族の女として利用されるのでしょうが、それでも今は何者にも縛られていないんですわ」
「ジェリファーナ、様?」
つまり。
つまり。
つまり。
「フミラちゃあーっん!!」
ぎゅう!! と。
思いきり、猛烈に、フミラへと抱きつくジェリファーナ。
「ふえ、えええええっ!? あ、あの、ジェリファーナ様、これなん、何事お!?」
「はう、はふはふっ、好き好き大好きですう」
「え、ええ!? なんで、だって、絶対あたし嫌われているものと、あんなに睨んでいたのにっ」
「誤解ですわ、フミラちゃんから目が離せなかっただけですわっ。ああ好き。わたくし、フミラちゃんのためにと清いままなんですわ、ですから奪って、わたくしが貴族の女として誰かに奪われる前に貴女をわたくしの生涯の一人として欲しいのですわあ!!」
「な、なん、ええーっ!?」
今まで我慢してきた分だけ吐き出しに吐き出した結果、そのことが公爵家当主の耳に届き、『そういうことは早く言ってくれ!』とジェリファーナとフミラとの婚約を結んだり、わたくしのことを好きになってもらってから結婚したいのだと熱烈なアプローチが続き、騎士の格好をしていた一人が実は男装していた第一王女でありジェリファーナを気に入ったと猛烈なアプローチを仕掛けてきて、その様子に嫉妬を覚えて初めて自分の想いに気づいたフミラがジェリファーナに想いを伝えて、ついには誰もが羨む結婚生活を送ることとなるのだが、それはまた別のお話。