第4話 吸血鬼との再会
学校を出た俺は突き動かされるかのように事故現場を訪れていた。
別にここに来たからと言って何かが分かるとは思っていない。ただ、居ても立っても居られなくなって、一心不乱にここまで来た。
けれども収穫は一つあった。それは体力も異常なまでに増えているのが分かったことだ。
徒歩であれば一時間はかかる距離を全速力で走り続けても息は全く切れていない。ここに来るのに30分近くかけたが、それどころかもっと早く、もっと遠くまで走れるという確信が俺にはある。
いい加減、自分に驚くことも飽きてきた。
「本当にどうなっちゃったんだろうな、俺」
白状すると怪我が無かったとか、運動神経がいきなり良くなったとか、それだけならまだ無邪気に喜べた。視力と聴力だって慣れればどうってこと無いだろうと楽観視もできた。
でも、美波に抱いたあの衝動だけはどうしても自分をごまかせなかった。血が飲みたいなんて人が人に対して抱く欲望じゃ無い。
例えるならそれはまるで――映画の中の吸血鬼だ。
自分でも心底馬鹿らしいと思う。でもさっきまでの自分の行動に名前をつけるとしたらそれ以外の言葉が見つからない。
けどそれなら何故こうなったかの理由があるはずだ。全部がおかしくなったあの事故の中に。そうだ思い出せあの時確か俺は……
「犯人が現場に戻ってくるって言うのは交通事故にも当てはまるのね。私知らなかったわ」
唐突に声が聞こえた。でも周りを見渡しても誰も居ない。車も止まっていないし、道の外は崖になっているから隠れる場所なんてどこにも無いはず。
いや、違う。あの時も絶対に人が居ないはずの場所、空から彼女は現れた。なら今回の声の主もそこに居るはず。
俺は崖の上を見た。
「やっと気付いたわね」
そこに不適に微笑んで、こちらを見つめる女が居た。
腰まで伸びた黒い髪に現実離れした真っ赤な瞳。その整った顔立ちとスタイルから綺麗だという感想を抱かずには居られない外見。服装については黒いワンピースの上から赤いジャケットを羽織っている。
それは心当たりのある美しさ。前にも同じ姿に心を奪われそうになった。
「あんたは......あの時の」
「そう。あなたが考えている通り、あの事故の時にここから飛び降りた女は私。久しぶりね」
女は崖から飛んだ。結構な高さがあるはずなのに、勢いよく地面に激突することはなく、ふわりと着地してみせた。つい、ワイヤーで宙からつり上げられているんじゃないかと確認したが、そんなものは無い。おかしな話だが、自力で着地したのだ。
「遅くてもそろそろ異変が目に見えてくる時期だとは思っていたわ。その疲れきった様子だと、結構重症みたいね」
「あんたは知ってるのか。俺に......何が起きてるのか」
「ええ。よく知ってるわよ。あなたをそうしたのは他でもない私なのだから」
驚きはしない。むしろやっぱりかという気持ちの方が大きい。
「そしてあなたの悩みに答を出してあげられるのも私だけ。着いてきてくれたら教えてあげるわよ。あなたが疑問に思っていること全部」
その申し出は俺にとってこれ以上無く魅力的なものだった。今の自分に何が起きているか。そのことを突き止めるのに、一人でウンウン頭を捻ったところで何も分からないというのは薄々気づいている。
でもだからって目の前の女にノコノコ着いていって良いのだろうか。彼女が信頼できるという保証はどこにもない。
「言っておくけど、あまり悠長に悩む余裕があると思わない方が良いわよ」
言ってから女は自分の指を突然噛んでみせた。傷ついた指から流れるのは真っ赤なーー
「......ッ!」
直視していると自分がおかしくなってしまうような予感が腹の底から湧き出てきた。いや、もう臭いを嗅いだだけでおかしくなりそうだ。
もう衝動を抑えるのが面倒になりつつある。本能のままに行動できたらどれだけ楽だろうと考え始めていた。
「まあ対策も講じずに放っておいたらこうもなるわ。立てる?」
いつの間にか座り込んでしまっていた俺に女は手を差し伸べる。この時、さっきついたはずの傷はもう綺麗さっぱり消えていた。
さっきのが幻だったのか?
「あんまりのんびりもしていられないの。そこに私の車が停めてあるからそこまで歩ける?」
「車......?」
「そうよ。吸血鬼だって車ぐらい乗るわ」
ちょっと待った。今とんでもないことを口走らなかったかこの女。
なんというか世界観が180度変わるくらいには重要なキーワードを喋った気がする。
そんな俺の困惑を感じ取ったのか女は柔らかく微笑んだ。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私の名前はカノン=リストヴァーレ。世にも珍しい吸血鬼よ。以後お見知り置きを」
◇
その後、少し歩いたところに停めてあったスポーツカーに乗せられた俺は美女とドライブする羽目になった。
車に関してあまり詳しくない俺でも一目で分かる高級車。しかも左ハンドルの外車と来たものだから、この吸血鬼を名乗る人はもしかしなくても金は持っているようだ。
「あのリストヴァーレさん。今どちらに向かってるんですか?」
「カノンで良いわよ。まあ怪しいところじゃないからそう身構えないで」
車は山道を離れて街中に入っている。この辺りは俺もよく通る道なので別に怪しいと言うわけじゃ無い。その辺で下ろされても帰ることはできる。
「さてと、あまり話を引っ張っても仕方がないから本題に入りましょうか。あなたの身に、いったい何が起こったのか」
俺は思わず固唾を飲んだ。
今から始まる話は間違いなく常識外れなものになる。何なら下手をすれば俺がストレスで倒れかねないレベルになる。
そんな俺の気持ちを察したのかカノンさんはため息をつくことで意図して緊張のレベルを下げてから話し始めた。
「あの日、私は色々あって悪い人達のところから逃げていた。それはもう必死でね。けれどあんまり必死でろくに周りも見ずにあの崖から飛び降りた。あの道は元々人通りが無いに等しいから油断してたのね」
「でもたまたまそこに俺が通りかかって思いきりぶつかってしまった。そして俺は派手に転倒したと」
「そう。あの時、目も普通の人間ぐらいにしか見えてなかったし、耳の調子も悪かったのに何も考えずに突っ込んだ私の過失よ。あなたには本当にすまないことをしたと思っているわ」
「現場から消えたのは?」
「言ったでしょう、追われてたって。あそこで誰かに捕まったらあなたに義理を果たせなくなる。吸血鬼化だけさせてその後のアフターをしないってなればあなたはきっとまともには生きていけないもの」
待った。今ものすごく自然な感じで一番重要なことを言ったぞこの女は。
「ちょ、ちょっと待った! い、今吸血鬼化って……」
「とかなんとか言って薄々気付いてたんじゃ無いの? 突然身体能力が上がったり、鏡に映らなくなってきてたり、人の血が無性に欲しくなってきたりとか。いかにもソレっぽいとは思わない?」
いや確かにさっきはそう思っていた。でもそれは物の例えというやつでまさか本気で「俺は吸血鬼になった」などとは思っていない。
しかしそれがこの上なくしっくり来る答えだというのもまた確かで、俺の本能もそれが嘘じゃ無いと感じている。
「そうだとしたらいつどのタイミングで?」
「私が貴方の首筋に噛みついたタイミングで」
「首筋に……? あっ」
思い出した。あの日の意識を失う直前にカノンさんの顔がすぐ近くまで寄ってきたと思ったら、首筋に痛みを感じた。あれは噛みつかれていたんだ。
「吸血鬼の回復力は人間のソレと比べればかなり強いから。人間なら障害が残るような大怪我でも吸血鬼なら寝てれば治るのよ」
「俺が生きたいって願ったからそうしたってこと?」
「大当たり。まあ一気に色々と変化が襲ってきた筈だから呑気に生きるっていうのは難しいかもしれないけど」
「なんてこった」
今までの疑問そのものの答えは分かった。
でも状況が好転した訳じゃ無い。
「でも普通じゃ無いなりに、普通に生きるコツって言うのは世の中にあってね。貴方がそれを望むなら教えてあげなくも無いわよ? それとも怪物になった自分に絶望して命を絶ったり、森の奥深くで永遠に封印される?」
「あるのか? 普通に生きる方法が」
「そうじゃなかったら私は人助けなんてせずに若い女の子の血を四六時中集めながら逃亡生活を送ってるわよ」
「きっついジョーク」
でもいわれてみればその通りだ。この情報社会で身体の血を抜かれて殺されている変死体なんて見つかったらネットのトップニュース間違い無しだ。
そんなものが話題になっていないということはこの吸血鬼はそれなりに大人しく生きてきたということだろう。
「で、どうする? 私ならあなたの人生の先輩、請け負ってあげられるけど?」
「どうせ選択権無いんだろ。なら最後まで付き合ってもらうよ」
「良い返事ね。それと、どうせ敬語崩してるんだったらさん付けも要らないわよ」
「了解。あ、そういえばまだ名乗ってなかった。俺は米倉和人。呼び方はお好きにどうぞ」
「分かった。じゃあ自己紹介も済ませたところだし、話の続きはそこでしようか」
カノンは車を停めた。
知らない間にどこかの駐車場に着いていたらしい。窓の外を見ると飲食店が密集している場所だった。
そして彼女は一つの店を指さした。そこは――
「焼き肉屋……?」