6―消え去った闇―
二人が学校を出る頃になり、人の悲鳴が聞こえてきた。
何も言わず、二人は早足で店へ戻った。
店内の奥の部屋へ行くと、真名はテーブルの上にスケッチブックを開いた。
そして再び筆を取り、一枚一枚、丁寧に絵を消していく。
多くの人間の死体の絵を、真っ白に塗り潰していく。
座布団の上で正座をして、背筋を伸ばし、筆を動かす。
その作業は日が暮れるまで続いた。
最後の実花のページを塗り終えた後、筆を置き、深くため息をついた。
「お疲れ様でした。お茶をどうぞ」
「…ああ」
真名は姿勢を崩し、お茶を飲んだ。
「何か食べますか?」
「いや、そういう気にはなれない」
「そうですか」
魅弦は閉じられたスケッチブックを見た。
「これでこのスケッチブックは無効化しました」
「…だが存在はある」
「でも持ち主はいませんよ。このままここで保管しておけば、誰も使いません」
あくまでも笑顔の魅弦の姿を見て、真名は抑えていた心が爆発した。
湯飲みの茶を、魅弦の顔にかけた。
ばしゃっ!
はねた茶は真名の手にもかかった。
それは少量ながらも熱かったのに、魅弦の笑みは揺るがない。
「お前ってヤツは!」
真名は続いて、スケッチブックを投げ付けた。
「実花にこのスケッチブックを売り付けたのは、お前だろう!」
「ええ、そうですよ」
悪びれもせず肯定した。
真名の感情の昂りが、涙となって溢れてきた。
真名は気付いていた。
実花の手紙を読んだ時から、魅弦が実花にスケッチブックを売ったことを。
そして確信も持っていた。
スケッチブックをはじめて見せた時、交わした会話内容で。
スケッチブックのことを真名が尋ねると、魅弦は答えたのだ。
まるで前から知っているかのように。
それを今まで黙っていたのは、扱っていたならば、処分する方法も知っているだろうと思っていたからだ。
その思惑は当たり、このスケッチブックは一応無効化した。
―持ち主がいない為に、だ。
効果を消したとしても、このスケッチブックに宿った憎しみまで消し去ったとは思えない。
今後、何らかの別の力が働かないとも言えない。
それを分かっていて、再びこの店に置こうとしているのだ。
憎しみの連鎖を、断ち切るつもりなど最初から無かったのだ!
「ウチはお客様のご要望の品を売る店ですからね。…特にあの人とこのスケッチブックの相性は良かったみたいですし」
そう言って床に落ちたスケッチブックを拾い上げる。
「それはお前が作った物か?」
「いいえ。俺は品物は扱いますが、作り出すことはしませんよ」
「ならどこで手に入れた!」
「本来なら、企業秘密なんですけどねぇ。…まっ、良いでしょう」
魅弦はスケッチブックをテーブルに置いた。
「このスケッチブックの持ち主は、あなたの親友と同じだったんですよ」
「同じって…イジメを受けていたってことか?」
「はい。しかも同じく、絵のことでね」
魅弦はスケッチブックに手を置いた。
「そして恨み、憎い相手の死体を描いた後、自ら命を絶ちました。先程の女の子のようにね」
「っ!」
あの血の色と匂いを思い出し、思わず顔をしかめる。
「その時、手首を切ってお亡くなりになられたんですよ。その血がスケッチブックの絵にもかかり…」
「『死のスケッチブック』が出来上がったということか」
「はい、その通りです」
真名は唇を噛み締めた。
「その後、まあいろいろな事情があって、ウチの店に来たんです。でも届いたその日に、新たな持ち主が現れるなんて思わなかったんですけどね」
「…すでにこの店に届いた時には、使われていたのか?」
「はい。いろいろな人の手を回り、来ました。ちなみに言っておきますが、このスケッチブックは強い憎しみを抱き、持ち主と認められた人しか絵を見ることができません」
「じゃあ実花は…」
「ええ、スケッチブックを開けて見た時、悲鳴を上げられました」
…つまりその時には実花はもう、このスケッチブックに持ち主と認められてしまったというわけか。
「だがお前も見えたんだろう?」
「俺は憎しみを感じ取っただけで、中身は見えませんよ」
確かに魅弦は絵の感想を、一度も言ったことは無かった。
「それでも、何故勧めたりした?」
「それがウチの商売ですから。…ああ、それとですね」
魅弦はにっこり笑うと、いきなり真名の髪を掴み、引き寄せた。
「っつ!」
「俺は人間だよ」
ぞっとするような低い声で、間近で言われた。
「こういういわく付きの物を扱っているけどさ。ちゃんとした、立派な人間なんだよ」
「…ああ、だろうな。でなければ、こんな店の店主なんてやれないだろう」
いわく付きの代物を作り出し・生み出すのは人間。
それを扱えるのも、また人間しかないのだ。
憎しみを分かり、持つ人間しか、扱えない。
真名は髪を掴んでいる手を、強く握った。
確かに魅弦は絵の感想を、一度も言ったことは無かった。
「それでも、何故勧めたりした?」
「それがウチの商売ですから。…ああ、それとですね」
魅弦はにっこり笑うと、いきなり真名の髪を掴み、引き寄せた。
「っつ!」
「俺は人間だよ」
ぞっとするような低い声で、間近で言われた。
「こういういわく付きの物を扱っているけどさ。ちゃんとした、立派な人間なんだよ」
「…ああ、だろうな。でなければ、こんな店の店主なんてやれないだろう」
いわく付きの代物を作り出し・生み出すのは人間。
それを扱えるのも、また人間しかないのだ。
憎しみを分かり、持つ人間しか、扱えない。
真名は髪を掴んでいる手を、強く握った。
「なら、やっぱり私がそのスケッチブックに絵を描いてみようか? 本当に無効化しているかどうか。お前が人間ならば、ちゃんとした実験になりそうだ」
「それは断る。コイツは多くの人間の憎しみを吸い取ったせいで、かなりの代物になっているからな」
空いている手でスケッチブックを掴み上げ、バサバサと振って見せる。
「ほお。扱っているのに、制御はできないのか?」
「それとはまた違うんだよ。お嬢さん」
髪が抜けそうなほど強く引っ張られ、顔が歪む。
けれど腕にツメを立てると、僅かに緩んだ。
「アンタはまだ若いから分からないだろうけど、いわくというものは因果とも言える。業が深いものには、関わらない方が身の為なんだよ」
「しかもアンタ、連続して起こった出来事に対して、あんまり動揺してなかっただろう? 普通の人間だったら、ビビッて逃げるっつーの。その神経、どうやったら育つんだか」
「良い教育をされただけだ」
「ハッ! 確かにただ調べただけでは、普通の家庭だよな。一体何を隠しているんだ?」
真名は髪を直し、メガネをかけ直した。
「…そのメガネ、本当は必要ないんじゃないの?」
そう言って魅弦は真名のメガネを取り上げた。
しかし真名は黙って魅弦を見つめた。
「コレ、普通の人間に見せる為の小道具?」
「…何度も言っているがな」
「うん?」
真名は恐るべきスピードでメガネを奪い返し、魅弦の首を掴んで床に押し倒した。
「憎しみを抱き、持つ者が人間と言うならば、私は人間だ。それ以外の、何者でもない」
「…ホントにそう思ってる?」
「当たり前だ」
真名はメガネをかけ、スケッチブックを持って立ち上がった。
「筆の代金は後から払いに来る。が、このスケッチブックは私が貰い受ける。元より実花から譲り受けた物だしな」
「それは残念。珍品なんだけどな」
「…そう言うお前だから、預けられないんだよ」
言い放つと、カバンを持って店を出て行った。