2―闇の入り口―
翌朝、真名な不機嫌な顔で目覚めた。
原因はあの骨董屋だ。
夢も見ず眠ったはずなのに、いまいち気分が晴れない。
なので気分を変える為に、朝から紙パックジュースを飲むことにした。
台所の奥には食料品倉庫があり、小さな部屋には棚いっぱいに保存可能な食料が置かれてある。
部屋の大半を占めるのが、真名の好む紙パックの飲み物ばかりだ。
さまざまな種類のものが、箱ごと置かれてある。
そこからリンゴ・コーヒー・野菜の3つを持って、リビングに行く。
食料品倉庫はある程度温度と湿度調整がされている為、冷やさずとも美味しく飲める。
真名はぶすっとしたまま、リンゴジュースをすすった。
しかしケータイが鳴った為、すぐに口を外した。
ケータイに表示されている名前は、引っ越す前にいた街の友人だ。
小学生の頃、近所に住んでいて、仲が良かった。
絵を描くのが得意で、高校もそっちの専門学校へ進んだことを真名は思い出しつつ、ケータイのボタンを押した。
「実花? どうした? こんな朝から」
懐かしい友ということで、真名の声のトーンと機嫌も上がる。
「…真名、お願いがあるの…」
しかし電話の向こうから聞こえてきた声は、悲しみに満ちていた。
「ん? 何だ?」
だからあえて、優しい声を出した。
「…っ! 処分して欲しいのっ…! このスケッチブックを!」
切羽詰った声だが、しかし真名は別のことが引っ掛かった。
『スケッチブック』
…それはつい昨日の昼休み、聞いた都市伝説だった。
「実花、お前、まさかっ…!」
「ゴメンっ…ゴメン! 真名! こんなことになるんて、思わなかったの! まさか本物だなんて…」
「使ってしまったのか!」
思わず声を荒げ、ソファーから立ち上がった。
「だって、だって…! 苦しかったの、辛かったの! 真名はいないし、アタシ一人じゃどうしようもなくて…!」
「分かった。とりあえず、そっちへ行くから、待ってて」
「もう…ムリ」
「えっ?」
「もう、描いちゃったの。だからムリ。待てない」
「何を、言って…」
本当は分かっていた。
けれど理解はしたくなかった。
「だから真名、スケッチブックはアタシの部屋の机の上に置いてあるから…。何とかして処分して。じゃないと、アタシみたいなコはまだまだ増え続ける…!」
「実花っ!」
「それじゃあ、さよなら。真名。アタシみたいなのと、友達でいてくれて、ありがとう」
「おいっ!」
ぶつっ。
…そこで電話は切れた。
「ウソ、だろう…」
真名は全身から血の気が引くのを感じた。
そして弾かれるように、カバンを持って家を飛び出した。
電車で切符を買い、あの街を目指す。
電車に乗っている間に、何度もメールを送った。
しかし返答は無かった。
高鳴る鼓動を深呼吸で抑え、目的地に着くとすぐに駆け出した。
電話をかけても、実花は出なかった。
仕方なく実花の実家に電話をかけるも、学校へ行ったと聞かされた。
きっと家を出た後に、かけてきたのだろう。
「くそっ! どこを探せばいいんだ」
街はこの五年でかなり様変わりしていた。
真名は一度立ち止まり、深呼吸を繰り返した。
「落ち着け、冷静になれ」
低く呟き、思考を巡らせる。
実花はかなり動揺していた。
そして自分に助けを求めてきた。
…もし自ら命を絶とうと考えているのならば、真名との思い出の場所でと思ったのかもしれない。
「一か八かっ!」
真名は再び駆け出した。
昔住んでいた場所は小高い場所に家があった。
近くには公園があって、そこから街並みが一望できた。
その景色を見ていると、悩みが軽くなると、実花は泣き笑いの顔でよく言っていた。
少し気弱で内向的な実花は、あまり人付き合いが上手ではなかった。
真名は人付き合いが苦手ながらも、上手く渡ってこれた。
そんな二人だからこそ、親友になれた。
真名は実花と一緒にいて、心が安らいだ。楽だった。
実花も真名の前では、自然体になれると喜んでいた。
だから本当は引っ越すのはイヤだった。
けれどまだ十二歳で、どうしようも無かった。
引っ越してからも電話やメールは頻繁に行っていた。
休日ともなれば、お互いの街で遊んだりもした。
高校に入る頃には、お互い私生活が忙しくなり、会う機会も減ってしまっていた。
けれど真名は、実花が充実した生活を送っているのだと思っていた。
絵の勉強がしたいと、第一志望に美術で有名な高校を選んだ。
合格したと言っていた声は、本当に嬉しそうだった。
その後も絵の勉強でいろいろ忙しいことは知っていた。
けれど悩みなんて一度も聞いていなかった!
「実花…。何で黙っていたんだよ」
泣きそうになるのを必死で堪え、コンクリートの山道を走る。
山の中腹に位置する公園に着き、周囲を見回す。
しかし実花の姿はどこにもない。
「ここじゃないのか?」
それとも考え直してくれたのだろうか?
淡い期待が胸の中に生まれた時だった。
どすんっ。
…何かが、落ちた音が下から聞こえた。
続くのは人の重なり合う悲鳴。
真名は目を見開き、震える足を動かす。
景色が目の前に広がる。
そこには手摺があった。人が落ちないようにと、付けられたものだった。
この手摺の向こうは、すぐに下になっているから。
落ちたら、ただでは済まないから…。
真名は手摺を握り締め、下を見た。
「実花…」
変わり果てた親友の姿を見た途端、真名の眼からは涙が溢れ出た。