お姫様だってトイレに行く
【排泄物糞太郎=高坂優里=ユーリ・エルドラード視点】
企業ブースに行く前にトイレに行っておく。
一日の来場者が十五万人を超えるコミケでは、サークルやブースだけではなくトイレにだって長い行列が出来る。並ぶ時間を見越して早めにトイレに行っておいた方がいい。いい大人が嘘みたいだけど、毎回漏らしてしまったなんて聞きたくない情報を結構聞いたりするから。
トイレになんか時間かけたくないって人は二日前から固形物を食べなかったり、もっと凄いのになるとオムツを着用している猛者もいるとか。狂気の沙汰としか思えない。
西館のトイレはそこそこ並んでいたけど、想像してたよりは少なくて五分程で中に入る事が出来た。
屋外のトイレは比較的空いてるけど、汚いんだよなあ。私は多少並んでも屋内のトイレがいい。
用を済ませトイレから出ると、順番待ちの列に彼女を見つけた。
真っ赤な長い髪で、どんな時も背筋が伸びてシャンとしてて、いつも私達を守ってくれた女騎士。
心の準備なんか全然出来てなくて、抑えきれない感情が心から頭に逆流する。
懐かしくて嬉しくて切なくて。色んな思いが詰まって、それが涙になって溢れそうになる。言いたい事はいっぱいあるのに、言葉にならない。
「アンナ」
たった三文字だけ、喉の奥から絞り出した。
アンナ。
アンナ。
大切な私の騎士。
彼女は振り向いて私の顔を見ると、まるで顔芸でもしてるみたいにギョッと驚いて、やがてぽろぽろと涙をこぼした。
無理もない。だって十二年ぶりの再会なんだから。
「アンナ」
もう一度名前を呼ぶと、美しい女騎士は涙を拭って膝をついた。
「ユーリ様……。よくぞご無事で!」
何事かと周囲の人々の視線が刺さる。慌ててアンナを立ち上がらせる。
「もう私は王女でも何でもないわ。臣下の礼なんて必要ないのよ。ね、立ってちょうだい」
「エルドラード王国がなくなろうと、私は死ぬまでユーリ様とユーノ様の騎士です」
律儀な女だ。帝国に滅ぼされたあの時にとっくにエルドラードなんて無くなってるのに、未だに私とユーノに忠誠を誓っているのだから。
「気持ちは嬉しいけど、ほら、順番が来たわ。とりあえず用を済ませてきたら?」
「いえ、こうしてユーリ様とお会い出来たのです。厠などに行っている場合ではありません。くっ、漏らせ!」
「漏らすなー!! 漏らしたらマジで他人の振りするから! いいから行ってくる!」
「厠から出てきたらいなくなってたりしませんよね?」
「ちゃんと待ってるから!」
何回もこちらを振り向きながら、ようやくトイレに入って行った。
老けたなあアンナ。
今三十才だもんな。そりゃあ老けるよね。苦労もめいっぱいしたし。
アンナの家は代々エルドラード王族を守護する騎士の家系だ。私が物心ついた時には既にアンナは側にいたと思う。アンナ自身も少女の頃から、私達姉妹をずっと守ってくれていたのだ。私達も、綺麗で優しいアンナが大好きだった。
でも十二年前、そんな幸せな生活は急に終わってしまった。
王族の血界魔法である時空魔法、そしてそれを制御する黄金水晶を狙って帝国が攻めてきたあの日に。
国は滅び、両親は殺され、姉は捕まって、私だけこっちの世界に逃げてきた。
私だけ、今日まで平和な日本でボーッと生きてきたんだ。
しばらくしてアンナがトイレから出てきた。人気の少ない隅の方へと移動して改めて向かい合う。
「お待たせしましたユーリ様。大きくなられましたね。幼いユーリ様のイメージしかなかったので見違えました。本当にご立派になられた」
「幸い優しい夫婦に拾われてね。何不自由ない暮らしをさせてもらってるわ」
「それは何よりでございます。あの日以来ずっとユーリ様の事だけが心残りで。異世界もどんな所かと心配しておりましたが、とても平和そうで安心致しました」
「日本は平和ボケし過ぎだと思うけど……。それより、ごめんねアンナ」
「は? 何故謝るのですか?」
「私だけのうのうと生きて」
「……」
返事はなかった。アンナの顔がまともに見れずに、私は下を向いて話す。
「お母さんが死んだのも、お姉ちゃんが捕まったのも、全部私を庇ったから。なのに、私は……。だから、もし帝国に仇討ちをするなら私も一緒に!」
黄金水晶が二つ、そして血族が二人揃えば時空魔法を自由自在に出来る。私とお姉ちゃんが力を合わせれば一矢報いる事だって可能なはず。それに、今の私には切り札だってある。
「その必要はありません」
アンナはピシャリと言い切って私の申し出を遮った。
「ユーリ様のお役目はこちらで幸せになる事、それこそが王妃様の願いであり、帝国への何よりの仇討ちとなりましょう」
幸せになりなさい、母の最期の言葉だった。それを言われると何も言い返せない。
「ユーノ様は私が保護しております。帝国に捕まる前の記憶を無くしているため、冒険者として育て……っと、ユーリ様は黄金水晶で覗いてらっしゃいましたね」
「うん。だから大体状況はわかってる。アレインの馬鹿でかい魔力に引っ張られちゃうからアレイン視点でしか見られないのが厄介なんだけど」
「なるほど。それでアレインを主人公にした物語を書いておられると。大変な人気作品だとマミヤ殿が言っておられました」
そう言えばアンナとお姉ちゃんは企業ブースでコンパニオンをしているんだっけ。
間宮さんは美人には優しいから良くしてもらっているだろう。余計な事言ってなければいいけど。アンナをモデルにしたエロ同人誌描いてるとか。これは内緒にしておこう。
「私も企業ブースに挨拶に行かないといけないの。アンナも戻らないとマズイでしょう?」
「いえ、グッズとやらは完売したので仕事自体は終わったのです。ブースにユーリ様がいらっしゃるのを待っておりました。奴等は黄金水晶を狙っております。奴等もこちらに来てるかはわかりませんが、万が一があってはなりません。ユーリ様も私と一緒に行動してください」
「奴等?」
「ああ、アレインの周りしか見れないのでしたね。カイルとスタークの事です」
「カイルとスタークって、最近パーティーに入った戦士と僧侶の?」
基本、アレイン一行はアンナとラヴィの三人で行動している事が多い。大規模なダンジョンを攻略するときには臨時で仲間を雇う。カイルはT@MA先生に似ている。彼をゴツくしたような感じだ。スタークはオカッパ頭のいかにも僧侶って感じ。
「奴等は帝国の手先です。ラヴィを人質にとられ、仕方なく言いなりになっています」
「お姉ちゃんが、人質?」
「ラヴィの奴隷紋、実は二重になっていたようで、カイルが主人として登録されたままなのです。地下迷宮への道案内を私にさせる為にわざと奴隷市場で私に買わせたのでしょう。帝国は愚かにも異世界への侵略を狙っているらしいのです」
まさか。いくら帝国が強大だと言っても文明が違いすぎる。
「黄金水晶とお姉ちゃんを手に入れて扉を開く事が出来たとしても、こっちの世界に敵う訳ないじゃない」
「ですな。しかし、少なくない血が流れるでしょう。それは防がなければなりません。黄金水晶とユーリ様を奴等に渡す訳にはいかないのです。ラヴィと貴女を連れて、アレインを探そうと思います」
ゆっくりお姉ちゃんと感動の再会、といきたかったんだけどそうもい言ってられないないようだ。
二人で企業ブースへと向かう。
やっとお姉ちゃんに会える。だけど、私の事は覚えてないみたい。どんな顔して会ったらいいんだろう。
「あ、アンナさん! ラヴィさんが大変なんです!」
企業ブースは騒々しく、間宮さんが血相を変えて私達を迎えた。私への挨拶も忘れて慌てている。
「マミヤ殿? どうした、何があった?」
「冒険者風のコスプレをした二人組の男が突然ラヴィさんの腕を掴もうとしたんです。ラヴィさんはホールの外へ走って逃げてしまって、私やスタッフは男達を捕まえようとしたんですが逃げられてしまいましたっ!」
「何だとっ! ユーリ様、すぐにラヴィを探しに行きましょう!」
「待ってアンナ。間宮さん、レインそっくりのコスプレイヤーがこっちに来てない?」
「いえ、見ていません」
逸るアンナを抑えて、メモ用紙にアレインへの伝言を書き置きしておく。
「間宮さん、レインそっくりのアレインという人が来たらこれを渡して私に電話して」
「高坂先生? これは、外国語ですか?」
「私の故郷の文字よ」
間宮さんにアレインが来た時の事を任して、アンナと共にラヴィを探すため西館を出た。
【今回の教訓】
事前にトイレについても予習しておこう。
カタログには臨時の仮設トイレの位置も書いてある。
混んでいる列に並ぶよりも移動して空いてる所を探した方が早いと言う人もいる。
私は小は並ぶけど、大だったらTFTビル一択。ビックサイト内より周辺施設まで足を伸ばした方が早い事もある。