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不穏

 ヴァイオレットとリーチェに私の野望を打ち明けた翌日。

 私は二限目の授業が行われる教室に向かうため、取り巻きの五人と廊下を歩いていた。

 歩くのが早いので私は一番前に、ヴァイオレットはそのすぐ後ろでリーチェのお喋りに黙って相槌を打っていて、パジー、ウィンカ、マリーの三人は何かの話題で楽しそうに笑い声を上げながら少し離れた最後尾にいる。

 したがって、階段を上るために廊下の角を曲がったのも私が最初だったのだ。


「きゃあっ!」

「……っ!」

 

 危ないと思った瞬間にはもう、階段を駆け下りてきた小柄な女子生徒とぶつかっていた。 

 相手が可愛い声で可愛い悲鳴を上げたのに対し、私はぐっと目を口を閉じるのみである。


「ベアトリス様!」


 ぶつかった拍子に後ろに転びそうになるも、ヴァイオレットが支えてくれて無様な姿を晒さすに済んだ。昨日の演習に続き、二日連続で尻餅をつくところだった。


「いたた……」


 しかし相手の女の子は私に弾き飛ばされるかたちで廊下に倒れてしまっている。


「いやだ、獣人がベアトリス様にぶつかったわ」

 

 駆け寄ってきたウィンカが、相手を見て臭い匂いを嗅いだみたいに鼻を歪めた。

 悪い事に、私とぶつかった生徒は獣人の女の子だったのだ。昨日の演習の時にも訓練場で見た顔だ。

 しかも先祖返り(アポカルト)症候群の子で、ネズミみたいに大きな耳が頭の上についている。

 その茶色い耳も髪も、つぶらな瞳も地味に見えるが、まさに小動物のような可愛らしさも持っている子だ。

 

 バイオレットが私に「お怪我はないですか?」と尋ねてくる一方で、ネズミ耳の女の子はこちらを見て「ひっ……!」と息を呑んで震え始めた。

 怖がるのも震えるのも勝手だけど、最悪の相手とぶつかってしまったと思っているのはそっちだけではない。


「あら、あなた。大きなお耳の“チーナちゃん”じゃない!」

「とんでもない事したわね、ベアトリス様にぶつかるなんて」

「あなたもうこの学園にいられなくなるわよ。ベアトリス様がこれを許すはずがないんだから」


 ウィンカとマリー、パジーが面白がって言う。

 私はこの三人に暇つぶしの材料を与えてしまった事を後悔した。相手も走っていたけど、私ももう少しゆっくり角を曲がればよかった。

 ネズミ耳の女の子――チーナは、涙をこぼしながら言う。


「ご、ごめんなさい……っ、許してください……」


 騒ぎを聞きつけて、他の生徒たちも周りに集まってくる。

 ああ、この図を見たら私が完全に悪者に見えるだろうな。


「あのネズミの子、何をやったんだ?」

「ベアトリス・ドルーソンとぶつかったって」

「うわ、よりによって……」


 周りの話に聞き耳を立てながら、私は不機嫌に目を細くした。床にお尻をついたままのチーナがさらに顔を青くする。

 皆、私がこの子に対して何らかの制裁を与えるはずだと思っている。

 私はお互いに謝ってさっさと教室に帰りたいけど、ドルーソンの孫が獣人にそんな優しい対応をしたら噂はあっという間に学園内に広まるし、いずれお祖父様の耳にも届くかもしれない。


(……ごめんね、私は私を守りたいのよ)


 私は心に悪魔を思い浮かべ、辛辣に言った。


「そんなに大きな耳がついているのに、私の足音は聞こえなかったのかしら。もう少しで私、転んでしまうところだったわ」

「ご、ごめんなさいっ……!」


 最初のうちはぽろぽろと零れていただけだった涙が、今はもう途切れる事なく頬を伝っている。チーナは、何度もその涙を拭いながら体を縮こませていた。

 申し訳ないけれど、この子が泣き虫な子でよかったと思う。ちょっと小言を言っただけで、十分な制裁を与えたように見えるから。

 これで下手に反発心の強い子だったなら、私も周囲を納得させるために引けなくなるところだった。


「気をつけてちょうだい」


 相手がこれだけ大泣きしているのだ。もういいだろう。

 私は最後に冷たく言ってからその場を去ろうとしたのだが――


「ベアトリス様ったら、まさかそれでお許しになるのですか?」


 振りなのか本気なのか、ウィンカが心底驚いたという顔をしてこちらを見る。

 ああ、もう。これでもまだ駄目なの? 小柄で弱々しい女の子に、これ以上何をしろって言うのよ。


「相手は汚らわしい獣人ですよ。しかも先祖返り(アポカルト)の」

「学園に相応しくない目障りな動物を排除できるいい機会じゃないですか」


 マリーとパジーが続き、再度ウィンカが私に耳打ちした。


「ベアトリス様、あのネズミとぶつかった衝撃で怪我をなさったという事にされてはどうです? それで相手に責任を取らせて退学させましょうよ」


 楽しそうなウィンカたちの笑い声が鼓膜を震わせ、気分が悪くなった。胸の辺りがムカムカする。

 私がこのまま穏便に済ませようとしたら、パジーたちはお祖父様に告げ口するだろうか?


(きっとするわね……)


 どうやってこの件を収めるべきか必死で頭を働かせていると、


「――何をしている」


 いつの間にか階段の踊場に立ってこちらを見下ろしている人物がいた。

 イライアス・ウォーだ。


「チーナ!?」

「何かされたのか!?」


 ウォーの後ろには他の獣人生徒たちも数人いたが、皆チーナと私を見て、いきり立った。


「イ、イライアスっ……!」


 そしてチーナは立ち上がると階段を降りてきたウォーに抱きつき、パジーたちの眉をしかめさせた。


「あの二人って付き合ってるわけ?」

「まさか。あんなちんちくりんのネズミなら、私の方が……」


 途中でウィンカに肩をはたかれて、マリーは口をつぐんだ。

 

「やだ~、相手のボスも来ちゃいましたね」


 リーチェがのんびりと笑って言う。この状況を面白がっているみたいだ。

 だけど私は正直、ホッとしていた。

 イライアス・ウォーが出てきてくれてよかった。

 家柄にはかなりの差があるけれど、この学園内において彼と私は互角だ。同じだけの実力を持つウォーが出てくれば、私もあまり一方的な事はできない――と、周りの皆は考えるに違いない。

 つまり私がここで引き下がっても、それほど不自然には見えないだろう。

 

「何があった?」


 ウォーがこちらに尋ねてきたので、少し嫌味を言ってから教室へ戻ろうと口を開いた。


「その子が私にぶつかってきたのよ」

「本当か? チーナ」

「ううっ……わざとじゃないの……」

「分かってる」


 泣きじゃくっているチーナの肩を叩いて励ましているウォーに、精一杯嫌味ったらしく言う。


「廊下は走ってはいけないって事、獣人のお友達によく言ってきかせておいてくださる? それが人の常識なのよ」


 私は意地悪く唇の端を上げると、「それではごきげんよう」と髪を靡かせてその場を去った。



 ああ、疲れた。

 これからは廊下を曲がる時は気をつけよう。私とぶつかってしまって恐怖に震える不運な相手も、これ以上増やしてはいけない。


 しかし私が一仕事終えた気持ちで歩いていると、後ろでパジー、ウィンカ、マリーが小声で話しているのが聞こえてきた。

 三人は、私が嫌味を言っただけで結局チーナを不問にした事に納得していない様子だ。


「これじゃあ、イライアス・ウォーが出てきたから逃げたんだと周りの生徒に思われても仕方がないわ」

「ベアトリス様はもっと誇り高いお方だと思っていたのに」

「時々思わない? ベアトリス様は少し、獣人に対してお優しすぎるって」


 三人はたぶん、私に聞こえるように言っているのだろう。眉間にしわを寄せたヴァイオレットが振り返ろうとするのを視線で制して、何も聞こえていないかのように教室のドアを開ける。


「ちっぽけな人間だから、すぐに不満が溜まっちゃうのね~」


 とリーチェが独り言のように言うが、パジー、ウィンカ、マリーは確かに不満を溜めているのだろう。

 私に対しての不満だ。

 ドルーソン家の令嬢を持ち上げて媚を売ってきたのに、思っていたよりその見返りが少ないと思っているに違いない。

 ここで言う見返りとはすなわち、ドルーソンの威光で偉そうな態度を取れる事、そして私が獣人の生徒たちを虐げるのを見て自分たちもいい気分になれる事だろう。

 私にはもっと自分勝手でわがままに学園を支配してほしいと思っているし、それに付随して自分たちも学園で権力を持ちたいと思っている。


 それが予想していたよりも私が“大人しい”ものだから三人は面白くないし、こちらを見下し始めてもいる。

 

 なんとかした方がいいのかとも思うけれど、彼女たちの自分勝手な不満を解消させるためには、私が獣人の生徒を虐げるしか方法がない。

 しかしもちろんそんな事はしたくはない。

 

 うーん、と心の中で唸って、疲れたように席に座った。

 お祖父様の前に、私はこの三人を何とかしないといけないのかもしれない。





「ベアトリス様、ランチに参りましょう!」

「ええ」


 午前の授業が終わると、パジーとウィンカ、マリーの三人が揃って私の席まで迎えにきた。

 先を越されたヴァイオレットが慌てて教科書を片づけてこちらに駆けてくる。そんなに急がなくたっていいのに……。

 ヴァイオレットは私が野望を打ち明けてからというもの、忠犬ぶりが悪化している。


「今日のメニューは何かしら?」

「いつものようにスープがついていると嬉しいわ」

「あはは! やだ、パジーったら」


 今の会話のどこが面白かったのか分からないが、パジーたちは三人で愉快そうに笑っている。

 ただの気のせいかもしれないけれど、その笑い方に何だか嫌なものを感じて、気になった。

 

「楽しそうね」


 一応探りを入れようと声を掛けてみたけれど、スープの何が楽しいのかは教えてもらえなかった。


「なんでもありませんわ。参りましょう」


 ウィンカに背を押されて教室を出ると、ヴァイオレットが「ベアトリス様を押すんじゃない」と割り込んできたので、私、そのすぐ後ろにヴァイオレットとリーチェ、後ろに下がったウィンカ、マリー、パジーという順番で廊下を進む。

 ウィンカたち三人はまた楽しそうにお喋りを再開して、盛り上がっていた。


 と、食堂へ向かってしばらく歩いていると、行く手に大柄な男子生徒が佇んでいるのが見えた。


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