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秘密の密会

 一日の授業が終わると、私はいつも教室に残って授業の予習をする。

 とはいっても、明日の授業の予習はとっくの昔に終わっている。今やっている範囲は、三年の教科書の最後のあたりだ。そろそろ四年生の教科書を買っておかなくてはいけない。


 授業後、席に座ったままの私に、パジー、ウィンカ、マリーの三人組は、


「ベアトリス様は勉強熱心ですわね」

「私たちも見習わなきゃね」

「では、ごきげんよう」


 なんて言いつつ、さっさと教室を出て行く。放課後まで私のご機嫌を取るのは面倒なのだろう。

 帰りは三人でお茶をしたり美味しいお菓子を食べに行ったりしているようだが、私にはこっそりとそれぞれの悪口を言ってきたりもするので、仲が良いのか悪いのかよく分からない三人である。

 

「今が一番楽しい年齢ときなのに~。勉強ばっかりしていたら、恋もしないままおばさんになっちゃいますよぉ」


 そう言ってくるのは、外見だけは天使のように可愛らしいリーチェだ。

 私が無言で睨むと、満足気にふにゃりと笑って帰っていく。今日はこれから、“ボーイフレンドその三”と街へ遊びに行くのだとか。

 リーチェの男友達が全部で何人いるのか、私は知らない。


 そして最後に残ったのはヴァイオレットだ。

 彼女は私に付き合って勉強して帰ると言い張るのだが、「一人で集中したいから」と先に帰らせるのがいつものパターンになっている。


「私は一人じゃないと気が散ってしまうのよ。ヴァイオレットも勉強したいなら、自分の家か図書室でしてくれる? 教室がいいと言うなら私が移動するけど……でも私が図書室に行くと他の生徒が遠慮して入ってこなくなるのよね。……って、これ何度も言ってるでしょう? そろそろ聞き分けてほしいわ」


 毎回毎回同じやり取りをしているので、最後は思わず口調が冷たくなってしまった。

 ヴァイオレットもさすがにショックを受けた様子だ。


「申し訳ありません。ベアトリス様の邪魔にならぬよう、すぐに出ていきます」


 この世の終わりのような暗い顔をしているヴァイオレットをこのまま帰すのは、さすがに可哀想に思えた。

 そこで、


「じゃあ明日! あ、明日は休みだから、休み明けの放課後は一緒に勉強をしましょう? ね、それでいいでしょう?」


 と提案すると、ヴァイオレットのワインレッドの瞳にきらきらと光が宿る。


「ありがとうございます、ベアトリス様。休み明け、とても楽しみにしています。休日の二日間は眠れそうにありません」

「ただ勉強するだけだから眠れなくなるほどのものじゃないと思うけど……まぁいいわ。気をつけて帰るのよ」


 最後の難関であるヴァイオレットを追い出す頃には、他の生徒たちも教室からいなくなっていた。皆、私が毎日遅くまで残っている事を知っているので、急いで帰ってしまうのだ。

 しかも今では、他のクラス、他の学年の生徒たちも、用のない者はさっさと校舎から出て行ってしまう。

 ベアトリス・ドルーソンとひと気のない校舎の中でばったり出会う――というのが恐ろしいのかもしれない。

 私はおばけじゃないんだから。

 けれどおかげで、静かに勉強に集中できる。


 一時間、大体いつもそれくらいで予習は切り上げて帰り支度を始める。冬場だとすでに暗くなり始めていたりするけれど、春の今の時期、まだ外は明るい。

 私は鞄を持って、すっかり誰もいなくなった校舎を歩いた。一階の渡り廊下から外へ出て、敷地内の奥へと進んでいく。


 そこにあるのは、小さな森だ。


 小さな、と言っても人間にとっては十分広いし、不用意に歩き回れば遭難もする。皆無事に見つかっているけれど、実際、過去に何度か生徒が森の中で迷って一時的に行方不明になったらしい。


 この森は主に授業で使われる。演習の舞台になったり、危険生物を放して捕獲訓練をしたり、薬草の種類を調べたりするのだ。

 魔術の授業用にはまた別の教室や訓練場があるので、実技では獣人の生徒たちの方がよく使っているだろうか。

 森からはひんやりとした風が漂ってきている。

 薄暗く、少し不気味な雰囲気も感じるが、私は迷わず踏み入った。



 五分も歩くと、もう校舎は見えなくなっていた。

 実は、放課後はこの森は生徒立入禁止になるので、私の他に人影はない。

 湿った地面を踏みしめる自分の足音、そして緩く吹く風が木の葉を揺らす音だけしか聞こえない中で、いつからか三つ目の音が耳に届き始めていた。


 四足の獣の足音、そしてその獣の呼吸音だ。


“彼”は私の匂いに気づいて追ってきたらしい。あるいは待ち伏せされていたのかも。

 足音が後ろから聞こえたので、私は笑顔を浮かべて振り返った。

 

「元気?」


 私の問いに獣は答えなかったが、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 獣は――白っぽい水色に黒を数滴混ぜたような、落ち着いた毛色の狼だ。

 体躯は細身だが、普通の狼より少し大きい。人には懐かなさそうな鋭い目つき、口から覗く太く尖った牙を見れば、誰もが逃げ出したくなるだろう。


 私も彼と初めてこの森で相対した時には腰を抜かしてしまった。狼を間近で見て、悲鳴すら上げられなかったのだ。

 その時私が森にいたのは演習中に落とした万年筆を探すためで、わざわざ教師の手を煩わせるほどでもないと立ち入り禁止を知りながら一人で入ったのだが、やはり誰か教師について来てもらうべきだったと激しく後悔したのを覚えている。


 しかし規則違反はするものじゃないと泣きそうになっていると、狼は気まずそうな顔をして、私から距離を取ったのだった。

 そして攻撃魔術を放つという考えすら浮かばずへたり込んでいる私をその場に残して、どこかへ消えてしまった。

 襲われなかった事に安堵しながらも、立ち上がって歩けるようになるまでには時間がかかった。

 それが一度目の出会いだった。


 二度目は、お気に入りの万年筆を諦められなかった私がしっかりと攻撃・防御魔術を頭に叩き込んで森に入った時だ。

 教師に狼の存在を知っているかそれとなく訊いてみたのだが、「学園の森には危ない生き物は生息していませんから安心してください」となだめられてしまった。どうやら本当に知らないらしい。


 前回は不意打ちだったから無様に腰を抜かしてしまったが今回は違う、と、いつでも戦えるように構えながら森の中を進むと、狼は堂々と私の前に姿を現した。

 しかしこちらが攻撃を仕掛ける前に、彼は牙の間から何かをぽとりと地面に落とした。


 私の探していた赤い万年筆だ。


 探しものはこれだろう、もう森に入ってくるなよ。

 狼はそう言いたげな顔をして、また森の奥へと消えた。


 それからというもの、私はその頭のいい狼に興味を持って、放課後に森へ入るようになっていた。

 最初こそ狼はあからさまに迷惑そうな顔をしていたものの、いつからかその毛皮に触らせてくれるようになり、耳の後ろを撫でられるのがお気に入りになり、そして私の膝枕で眠ったりするようになった。


 今日も私がハンカチを敷いて地面に座ると、すぐ側で腰を下ろして太ももに頭を乗せた。

 だけど今は眠くはないみたいだ。


「そうだ、今日は“例の物”を持ってきているのよ。完成したの!」


 私は弾んだ明るい声を出すと――学園の生徒たちが聞けば目を丸くしそうだ――狼の頭を撫でるのをやめて、膨らんだ自分の制服のポケットから一組の靴下を取り出した。

 狼はだるそうに瞳を動かして、紺色のそれを見る。


「テイド・グルーの事は前から特に気になっていたから、第一号は彼に決めていたの。術の構築にはかなり悩まされたけど、変化の術を応用したら上手くいったわ。渡しておいてくれる? くれぐれも私の名前は出さないでね」


 そこまで言うと狼はゆっくり起き上がって――喉を震わせ、声を出した。


「感謝する。テイドも喜ぶだろう」


 低く真剣な表情で言ったかと思うと、私の頬をべろりと舐めていたずらっぽく笑う。


「ちょっと! 舐めるのはやめてって言ってるのに」


 顔を熱くして思わず狼の肩を押し返すが、相手はびくともしなかった。

「もう」とため息をついてから、ふと茜色に染まった空を見上げて言う。


「今日はそろそろ帰るわね。授業の予習にいつもより時間がかかってしまったから、もう迎えの馬車が来ている頃だわ」

「御者は少しくらい待たせておいたっていいだろう」


 立ち上がろうとした私の肩を、狼が器用に前足で押して座らせた。

 

「珍しい。今日は甘えたい気分なの?」


 舐めてからかわれた仕返しとばかりに、私は小首をかしげて笑ってみせる。

 狼は神経質に耳をぴくぴくと動かしたけれど、私から視線を外し、横を向いてこう言った。


「今日は“金”の日。明日と明後日は休日だからな」

「そっか、そうね……」


 私たちは今のところ、学校のある日にしかこうやって会う事はできない。

 休日に会うのは色々とリスクが高いのだ。

 たとえばお祖父様にこんなところを見られたらどうなるかなんて、恐ろしくて考えたくもない。


「二日間、この毛皮を触れないなんて寂しいわ」


 笑いながら狼の頭を抱きしめると、彼は拗ねたような口調で「毛皮だけか?」と呟いたのだった。


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