おまけ その後の話2
テイド・グルーは気弱だが、粘り強い性格のようだ。
学園生活を送っていると、視界の端にテイドの姿が頻繁に映るようになった。
彼はいつもこちらを見ていて、困ったような顔をしながら私に話しかけるタイミングを伺っている。
獣人と人間はクラスが別れているのでこちらの教室にまで入ってくるような事はないが、食堂に行くときや教室を移動する時なんかに廊下で彼を見かける事が多い。
けれど私の周りには常にヴァイオレットたち取り巻きの五人がいるので、テイドもなかなか積極的に近づいては来れないらしい。
しかしテイドがこのまま諦めなければ、きっとそのうち彼は、私が放課後一人きりになるという事に気づくだろう。私は毎日のように教室に残って予習をしているから。
(放課後、私が教室に残っている事には気づかれてもいいけれど、その後の行動まで見られたりしたらまずいわね)
私が森へ行って、そこでイライアスと会っている事に気づかれるのは問題だ。何もかもをテイドに目撃される前に手を打たなくては。
午前の授業中、私はある事を決意すると、授業の終わりを告げる鐘が鳴ると同時に席を立った。
「ヴァイオレット、リーチェ、先に食堂へ行っていて。私は職員室へ寄ってから行くわ」
「お供します」
私の前と横の席に座っている二人に声をかけると、ヴァイオレットが即座にそう返してきたが、
「いいえ、来なくていいから」
私もすぐにそう答える。
途端にしゅんと眉を垂らすヴァイオレットにくすりと笑いかけてから、
「先に昼食を食べて待っていて。私もすぐに行くわ」
と言い残して教室を出た。
そしてやって来たのは、ひと気のない裏庭だ。私がいつもイライアスと密会している森もすぐそこに見えている。
そこで足を止めて、数秒待つ。
手持ち無沙汰に髪を耳にかけたところで、目当ての相手はやって来た。
「あ、あの……」
テイド・グルーはおずおずとこちらに近づいてくる。
ここに来るまでに私はわざわざ獣人クラスの前を通って、中にいたテイドとしっかり目を合わせてきたのだ。
テイドは私のアイコンタクトに気づいたのか、それともアイコンタクトには気づかず、ただ私が一人で歩いていたので声をかけるチャンスだと思ったのかは分からないが、しっかり後をついて来てくれた。
「ベアトリス様……」
「いい加減にしてちょうだい」
私はきつく相手を睨みながら振り返った。
なるべく高飛車で冷たい声を出す努力をしながら続ける。
「私に何か用があるのなら、ほら、さっさと言えばどう? 毎日のようにこちらの様子をちらちらと伺われたんじゃ、気味が悪いわ」
私の強い口調にテイドは怯んだようだった。叱られた子どものように首をすくめ、目を泳がせている。
「ほら、早く。私は暇じゃないのよ」
それでも私が促すと、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「俺は、あなたに訊きたい事があるんです。……この、この靴下を俺にくださったのは、あなたですよね?」
テイドは制服のズボンの裾を軽く持ち上げ、履いている紺色の靴下をこちらに見せた。
私は「はぁ?」と眉間の皺を一層深くして返す。
「靴下? 何を言ってるの? どうして私があなたに靴下なんかあげるのよ」
「俺のっ、俺の足の事を気にかけてくださって、それで人間と同じ足になるよう、靴下をっ……」
「足? あなたの足が何なの?」
テイドが毛むくじゃらの熊の足を持っていた事すら知らない、興味がないというように冷淡に言う。
これできっとテイドは靴下を贈った人物の正体がベアトリス・ドルーソンではなかったのだと理解するだろうと思った。
がっかりしつつも、恩人は他にいるのだと私を追及するのは諦めるだろうと。
そして実際、テイドは落胆した様子で肩を落とした。
けれど、恩人は他にいるのだという結論には至らなかったようだ。
「ベアトリス様が……そうやって頑なに否定される気持ちは分かります。難しい立場にいるあなたは表立って獣人を助けられないって、俺はちゃんと理解しているつもりですから」
テイドは男らしい低い声をしているけれど、喋り方は弱々しい。けれど今は少し落ち着いた様子で、黒い瞳にも理性がうかがえた。
私はテイドの言葉を肯定も否定もせずに、この場を後にしようとした。
「よく分からないけど、話はそれだけ? ならもう私は行くわ」
「あ、ま、待ってください。まだ訊きたい事が……!」
テイドは隣を通り過ぎようとした私の二の腕を慌てて掴んできた。
本人は力を込めているつもりはないらしいが、熊の獣人だけあって力が強いのか、掴まれた部分が痛い。血が止まりそうだ。
「離して」と訴えるために口を開こうとしたところで、第三者の声が私たちの間に割って入って来た。
「テイド、何してる」
現れたのはイライアスだ。
ここに彼が現れた事に、私はそれほど驚きはしなかった。イライアスとテイドは同じクラスなので、私が教室の前を通った時にイライアスにもその姿を目撃されていたのだろう。私が一人で獣人クラスに近づく事は珍しいから、イライアスも不思議に思って後をついてきたのだろうと予想できる。
「イライアス!」
テイドがハッとして振り返り、私の腕を離す。
と同時に、間近に迫ってきたイライアスはテイドを私から遠ざけるように彼の肩を強く押した。
テイドは一歩よろけながら、自分たちの群れのボスを見るような目でイライアスを見る。
一方、イライアスは静かに怒っていた。眉間に皺を寄せて、厳しい視線をテイドに向けているのだ。狼の姿だったら、きっと喉から唸り声を漏らしていたに違いない。
「イライアス・ウォー……」
このままではまずいと思って、私は他人行儀にイライアスの名を呼んだ。
テイドが少し私に触れたくらいでイライアスがこんなに怒るのは、はたから見ればおかしな事だ。イライアスは同じ獣人であるテイドを庇うべきなのに。
警告を込めた私の視線に気づいたイライアスは、少し冷静になってテイドに言った。
「テイド。ベアトリス・ドルーソンの腕を掴んだりなんかして何をしているんだ。彼女に怪我でもさせたら、あの差別主義者の爺さんが出てくるぞ。自分の立場を悪くしたいのか?」
「いや……」
「言っただろう、その靴下に魔術を施したのはベアトリス・ドルーソンじゃない。彼女と安易に二人きりになるな」
「まぁ。私が彼に何かするとでも思っているのかしら。されたのはこちらの方だわ」
そう言いながら、私はテイドに掴まれた右腕をさすった。
イライアスはテイドの背に手を添えて言う。
「悪気はなかったんだ。すまない。テイドも謝っておけ」
「……す、すみません、ベアトリス様」
私はため息をついて二人を睨みつけると、「次はないわよ」と言い残してこの場を去った。
これでテイドが諦めてくれるといいけれど。