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トラウィス王国の伝統的な結婚式は、夜明けに行われる。
悠久の昔から変わらず、地上を照らすべく現れた神の化身へ、若い男女が今日、新たな報告をする。
一の門内部、ソニエール邸の庭園にて、リル姉は白いドレスを、オーウェン将軍もまた白い衣装をまとい、朝日へ誓った。
これから二人で歩むことを。
苦楽を分かち合うことを。
心離れずに、生きてゆくことを。
まばゆい光が照らす絆を、地上の立ち合い人たちも厳かに見守っていた。
**
春風が、街路樹の柔らかな若芽を凪ぐ。
そして私の傍を通り、赤いスカートの裾をふわりと揺らした。
耳にはおめでたい雰囲気にぴったりな、笛やギターの明るい音楽が聞こえる。大道芸人が演奏してくれているものだ。
さらには、いくつもの丸テーブルに並ぶ、おいしい料理の匂いが鼻をくすぐる。それらは四年間お世話になった下宿の女主人のアンナさんの手料理と、他、王都の飲食店から取り寄せた品々。
「・・・よもや、このようなところで宴を催すことになろうとは」
「なんですか? 今さら文句は受け付けませんよっ」
どこまでも冷めた目で、会場である街の広場を見回し、ぼやくヴァレリア夫人に私は浮かれた気持ちそのままの笑みを向ける。
「まさか礼拝堂の前が粗野なところだなんて、おっしゃいませんよね?」
そう言いながら、広場に立つ簡素な建物を指す。街の北には大きな神殿があるが、あちらは王族でもなきゃ使えない。しかし、規模が違ったって、どちらも神をまつる場所である。そこに優劣などあろうはずがないのだ。
「ええ、何も言えぬでしょうね。まったくよく回る頭ですこと。そなたにはつくづく感心させられます」
「お褒めにあずかり光栄です!」
皮肉をたっぷりこめて刺したつもりだろうが、浮かれてる私には痛くもかゆくもない。
堅っ苦しい儀式が朝に終了し、昼になったら立食パーティー形式の屋外披露宴へ移動。
リル姉と相談し、あっちこっちに招待状を送って準備して許可もらって、開いたこれも、ある種の祭りだ。
「――さあ、今日は特別! 私の友人の結婚記念よっ! 新作ドレスが試着し放題っ!!」
会場の脇のほうでは活き活きとしたプティさんが、見物に寄って来た街の人たち相手に、お店から持ってきたパーティードレスの数々を披露している。即席の試着室には娘さんたちの列ができており、プティさんはハイになってる様子。
私が今、着ているドレスも彼女に作ってもらったもの。
膝丈のワインレッドのワンピースで、ウエストの高い位置にリボンが付いている。肩がむき出しになるタイプのものなので、シフォンのような薄い生地のショールを羽織り、魔石をブローチがわりにして胸の前で留め合わせた。安く仕上げるために、シンプルなデザインで色んなところがぺらっぺらだが、その分軽くて着心地が良い。
髪もいつもの適当なポニーテールでなく、編みこみして髪留めを使ってまとめてみた。これで小娘とは言わせない。
「夫人もご試着いかがですか? 今日はかっちりに決めてるほうが浮きますよ?」
裾が足元まであり、腰元が膨らんでる露出皆無の重厚なドレスを着ている夫人は、なんかもう見てるだけで暑いのだが、「結構です」と予想通り断られた。
「余計なことを言って刺激するなっ」
すると、傍に控えていたガレウス大将軍が、急に小声で耳打ちしてきた。
プロポーズの時はあんなに出しゃばったくせに、結婚が決まると途端に大人しくなり、この披露宴についても何も口を挟まなかった彼だが、今は懇願するように唸る。
「アレはすぐには怒らん、袋に溜めてある日一気に吐き出すのだっ。それを受けるのは私なのだぞっ」
「はあ・・・」
結婚式の話し合いで何度か会ううち薄々わかってきたことなのだが、この人、奥さんをめっちゃ怖がってる。てっきり亭主関白やってるのかと思ったら、どうにも肝心なところでは頭が上がらないらしい。奥さんが王のいとこであるせいなのか、もしくは浮気がバレたことでもあるのかな、なんて。
「何をなさっているのですか」
ヴァレリア夫人に見咎められると、大将軍は素早く私から離れる。
「大したことではない」
「あー、夫人がご試着されるところをぜひご覧になりたいそうですよ?」
私の中の悪戯心が身を起こし、余計なことを言ってやったら、大将軍は目を剥いて、夫人は、
「は?」
と冷たく一言。夫を睨み据える。
「私にあのような破廉恥な格好をせよと仰せで?」
「言っておらん。断じて言っておらん」
「お気が向かれましたらぜひどうぞ! それでは、私は挨拶回りへ行って参ります!」
めんどくさい夫婦は背後に置き捨て、音楽に乗り軽やかに会場を行く。
「おい!」
雑な呼び声に足を止めれば、いたのはギートだ。
「ギート! 来てくれたんだ!」
方向転換し、そちらに寄ってく。今、ギートは一人のようだが、彼の家族全員に招待状は送ってる。
ギートは特にパーティーらしい格好ではなく、うちに来る時と同じ普段着で、眼帯をしているのもいつもの通り。まあ、ドレス着ろとは言えないもんね。
「楽しんでくれてる?」
「おぉ、飯がうまい」
口の端を舐め、ギートは満足そうだ。何よりです。
「リル姉とはもう話した?」
「いや。さっき見たら宰相様と話してたみてーだったから、後で一家まとまって挨拶に行くさ。他にも客多いし、一人一人行ったら面倒だろ?」
「あー、ごめんね気を使わせちゃって。関わりがあった人を片っ端から呼んだら、大人数になっちゃったんだよねえ」
リル姉が務めていた王宮医療部の人たちとか、ギートたち含め交流のあった兵士とか、闘技大会の裏で協力してくれた人たちとか、魔道具店の従業員とか、街で普通に仲良くなった友達とか色々、思いつく限りに声をかけたもので。おかげでけっこうお金を使った。将軍にも協力させたけど。ま、溜め込んだものを今使わないでいつ使うって話だ。
「別に、謝ってもらうこっちゃねーよ。それよかお前、その格好」
と、ギートがドレスを指してきた。なんだ、今日はツナギにローブじゃないぞ。首と足と出てるし、そこそこ色気あるぞ、たぶん。
もっとも、最近のギートの前で色気なんか出すのは、やや危ない気がしなくもないんだが。
「似合うでしょ?」
試すつもりで胸を張ったら、なぜか鼻で笑われた。
「それ、詰め物してんだろ」
余計なところに気づきやがる。
「少しだけだよ」
「見栄張んなって」
「張ってない。服が型崩れしないように入れなきゃなんないものなんだよ」
ドレスの中で胸には布を巻いているだけ。なのでどうしても詰め物をしてやらないと、さらし巻いたみたいに胸が潰れておかしな形になり、格好が悪い。これは貧乳だろうが巨乳だろうが同じこと。
つーか理由はなんであれ、紳士としては気づいても言っちゃいけないことだろおいコラ。
「でかくしてえんなら、手伝ってやろうか?」
まあ、こいつが紳士じゃないことくらい知ってたけどね。
「結構。間に合ってます」
下品な笑みを浮かべる顔に溜め息を吐く。
「君、ほんっっと可愛くなくなった」
「俺はもともと色町の生まれだ」
べっ、とギートは舌を出してみせる。馬鹿にすんなとでも言いたげだ。
「そういえばそうだっけ? でも、ちょっと前まではウブで可愛かったのに」
「あぁ?」
「女の子に近づかれただけで照れたり、名前で呼べなかったりさ」
「・・・」
「そういう君のほうがよかったなあ」
扱いやすくて、という本音はこっそり飲み込む。
と、いきなり腕を掴まれた。
「っ、なに?」
ギートは私の左手首を掴んだだけじゃなく、やや強めに引っ張ってきたものだから、足が二、三歩たたらを踏んだ。
笑みもせず見下ろしてくる顔が微妙に怖い。まさか飲み込んだ続きを察して怒ってんのかな。
しかし、眼差しは特に睨んでいるものでもない。ただ、なんか、真剣だ。そのままの顔で、ギートは口を開く。
「エメ」
発せられたのは、名前。
きょとんとするしかない私に対し、ギートはにやりと笑った。
「可愛げがなくて悪かったな」
――ああ、つまり、これは、仕返しか。
わざわざ至近距離で人の名前を呼んできて、こっちが照れ臭くなる。
いつまでもからかうんじゃねえってことか。
「・・・君から可愛げがなくなったら、生意気しか残らないよ?」
「すでにそうなってる奴に言われたかねーよ」
軽口を叩きつつ、まだギートは手を放さない。
「ねえ、君が成長したのはよくわかったから、もう放してよ」
頼んでも反応なし。掴まれてる腕をこちらが引っ張ったって、びくともしない。当人はそんな様子を楽しんでいるようだ。
成長したっていうか、チンピラ度が増しただけな気もする。いずれにせよ形勢不利。
だけどここは路地裏じゃなく、人、しかも知り合いが多く集まっている場所。
助けは間もなく現れた。
「エメ」
右手のほうから、やって来るのは二人連れ。前の一人が優しい声音で私の名を呼ぶ。それを見たギートは瞬時に気をつけの姿勢になり、自動的に私が解放された。
手首を軽く振り、何事もなかったかのように笑顔で友人を迎える。
「や、アレク。来てくれてありがとう」
「こちらこそ、呼んでくれてありがとう」
彼も微笑みで応え、斜め後ろに控えるロックからブーケを受け取り、見せてくれた。
「なにそれ? どうしたの?」
白やピンクや黄色などの明るい色でまとめられ、小ぶりながらも華やかなブーケだ。とてもきれい。
「ささやかだが結婚の祝いに、王宮の庭から取ってきた」
「アレクが? ありがとう!」
「いや、大したものじゃなくて申し訳ない」
「ううん、リル姉も絶対に喜ぶよっ」
「そうだといいが。渡しに行こうと思ったんだが、今、彼女のところに人が集まっていて、なかなか近づけなくて」
「それなら、私が一旦預かるよ。ロックがそんな可愛いブーケ抱えてうろうろしてるのおもしろ過ぎるもん」
「・・・黙れ」
忠実なる従者は祝いの席でも仏頂面だ。だから笑えるんだよね。
受け取ったブーケに鼻を寄せれば、甘やかな蜜の香りがした。
「確かに、エメが持っているほうがいいな」
顔を上げると、アレクがにこにこしながらこっちを見ていた。
「よく似合う。そのドレスも、今日の君はいつにも増してきれいだ」
「ほんと? ありがとうっ」
嬉しい言葉にはお礼を返し、私は横に視線を流す。
「・・・なんだよ」
「君もこのくらいさらっと言えたらいいのになー、と」
「う、っるせえな。大体っ、なんで王子殿下が堂々と城下にいらっしゃるんだよっ」
「こそこそするほうが、かえって目立つ気がしないか?」
テンパったギートが小声で私に話しかけていたのを聞き取り、アレクが言った。ギートは慌ててまた背筋を伸ばす。
「あ、いや、でも、いいんすか? こんな警備の薄いとこで・・・その、もし街の奴に気づかれたら大騒ぎになるんじゃ」
「貴族が何人もまざっているんだ、目立つことさえしなければ私もその一人と思われるだろう。心配いらない。それにいざとなったら、君が活躍してくれるのだろう?」
素敵な笑顔が、今度はギートに向けられる。
「闘技大会では見事な戦いぶりだったよ」
「・・・はっ、ありがとうございます」
ぎこちなく頭を下げる以外に、ギートは何とも反応ができないでいる。首輪をつけられた犬みたい。すっかりお行儀よくなった。
「ちなみにギート、王妃様もいらっしゃるからね?」
「は?」
頭にストールを巻いて変装しているが、アレクの後方のテーブルで、アンナさんの料理をつまんでいる女性、オリヴィア妃だ。お供は若い侍女を二人ほど連れているだけ。さすがに王様は来られなかったみたいだが、奥さんはちゃっかり参加し、ルポライターのごとくいちいちなんかメモしてる。
ああいう姿を見る限り、間違いなくフィリア姫のお転婆はあの人譲りなんだろう。
アレクもそちらを見やって苦笑いした。
「母上のことは、私が責任を持って連れ帰る。安心してくれ」
「よろしく。ま、終わりまで存分に楽しんでいってよ。――あ、そうだついでに三人とも、お願いがあるんだけど」
王妃様を見つけた際、視界の端に映った別のテーブルを示す。
「あそこにいる人が刃物持ったり紐みたいなの持ったりしないか、たまに気をつけて見てあげて」
お祝いの場で一人、いまだ絶望の淵から這い上がれずに、偶然近くにいた見も知らぬコンラートさんに絡み酒してるロッシを指す。
あの後、一回リル姉にも会ったんだけど、結局何も言えなかったんだよなあ。
「彼がどうかしたのか?」
「色々つらいことがあったんだよ」
私の口からは深く語らないでおく。とはいえ、結婚式で身内以外の男が号泣してる理由を推し量るのは、そう難しいことでもないはず。アレクもおそらく事情を察して、追究はしてこなかった。
「――じゃあ、私はブーケを先にリル姉に届けてくる。人が少なくなった頃に呼びに来るね」
「わかった」
三人に手を振り、礼拝堂のほうへ向かう。あー、助かった。
**
まさかの王子とその側近と一緒に取り残され、ギートは人ごみに紛れる華奢な背中を恨みがましく見送っていた。
(・・・この状況、どうしろと)
普段、面と向かい合うことなどない雲の上の存在と、言葉を交わせる機会は出世を目指す彼にとって貴重な幸運。しかし、あまりに唐突過ぎて何を話していいのやらわからない。そもそも普通に話していいのかもわからない。そのうえ女に迫っている最中に現れてくれたこともあり、ただ気まずい。
「彼女は、本当にすごいな」
すると、アレクセイのほうからギートへ、いきなり同意を求めるように話しかけた。
「・・・は」
「覚悟というか、思いきりというか。大切なもののために、躊躇なくすべてを懸けられるところがすごい」
その言い様は、まるで果敢な挑戦をした偉大な者に対する賛辞のようだったため、ギートはわずかに首を傾げる。
「・・・単にあいつが姉離れできてないだけじゃないすか」
「エメにとってはたった一人の血を分けた家族なんだ。無理もないことじゃないか?」
「・・・そうかもしんないすけど」
ギートとしては、その過剰に姉へ向けられている意識を、ほんの少しでいいから他へ向けられないものかと思う。もしそうであれば、いちいちチンピラのような絡み方をしてやらないで済む。
当初の予定では、軽くからかう程度でもっと穏便にいくはずだったのだが、まだ侮られていることを知って腹の虫が疼いてしまったのだ。結局はそれが原因で逃げられたことくらい、わからないほど彼は鈍くなかった。
ギートが内心で反省している間にも、アレクセイの話は続いている。
「そのエメにも負けず、ソニエール将軍は全力でよく戦った。やはり、あのくらいの熱意がなければ認められないのだろうな」
何か言い聞かせるように、自分の言葉に頷く王子に違和感を覚え、ギートはそちらへ意識を戻す。
同時に、青い双眸がギートの右目をはたと見つめた。
「私もエメに倣って、彼女の相手はよく見定めようと思う」
「・・・は?」
「もっとも私は身内ではなく、しかも一度フられた身だ。あまり出しゃばるわけにはいかないが、友人としても彼女の幸せを願わずにはいられない」
アレクセイは我が胸に手を当てる。
予期せず耳に入った信じがたい情報のため、ギートの思考は一瞬停止し、本来口にするべきでない問いを次に発してしまった。
「は? あの、フられたって、あいつに?」
「ああ」
どうということもなく肯定する王子の斜め後ろへ、ギートが確認の視線を送ると、側近は目を閉じ口を引き結んでいた。
私は知らん。そう、全身で表現している。
わざわざそんな態度を取らなければならないということは、つまるところ真実なのではないか。
(あいつ、王子殿下の告白を断ったのか!?)
ギートの額からどっと汗が噴き出る。
「・・・あの、なんでそんなことを、俺に」
「いや、彼女に恋人ができると、気軽にお茶に誘えなくなってしまうだろう? ――それに将軍のような例があるのなら、私にもまったく機会がないわけではないんだろうから」
まるで邪気なく、アレクセイはギートへ微笑みかけた。
「少し、牽制させてもらった」
(・・・ちょっと待て)
混乱するばかりの頭を、必死にギートは整理する。
目の前にいるのは、同じくらいの背丈であっても、ギートには到底できない、きれいな微笑みを尊顔に浮かべる王子。
冷静にならずとも当たり前にわかる。
顔も、地位も、性格も、器も、魔法使いであることを考慮すれば力も、ギートが敵うところは一つもない。ギートだけでなく、誰も敵うはずがない。
それなのにフったというのだ、あの小娘は、この人を。
(冗談だろ・・・?)
祝いの場で脂汗を流して、ギートは獲物の想像以上の手強さに、半ば呆然としてしまった。




