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「念のために注意しておくがね、潰してはいけないよ?」
中央宮殿の廊下を並んでゆっくり歩く私に、レナード宰相が言った。
大方の業務が終了した夕暮れ時。宮殿奥に向かっている人は他にいない。
「わかってますよ。さすがにそれは不可能です」
今回の騒動のことで、私はまずこの人に相談した。直接的にも間接的にも、私たち三姉妹の面倒をずっとみてくれている彼には、この重大事を知らせておくのが筋と思ったのだ。もっとも、それだけの理由ではないが。
「最悪でもメンツを潰す、くらいにしておきます」
するとレナード宰相は、溜め息交じりにぼやく。
「つくづく君が王子妃を断ってくれてよかったよ」
「は」
この不意打ちにより、持っていた書類を落としかけた。
「なんでそのこと知ってるんですか」
アレクの告白に関して、私はせいぜいロックくらいにしか喋ってない。家族にもろくに話していないというに。
「例の件に関わった主たる重臣たちは知っているよ」
「・・・噂好きなおじさんたちですね」
「このテの話はどんなに隠しても漏れてしまうものさ。そういう意味でも、注目を浴びやすくなっているから気をつけなさい、と言いたかったのだがねえ」
レナード宰相は言葉尻に笑みを見せた。
「よくもまあ、次から次へと大事を引き起こすものだ、君たち姉妹は」
「誤解です。引き起こしたのでなく、あちらから突撃してきたんですよ」
「反撃に出た時点で、純然たる被害者とは言えなくなるのだよ」
「結構。こうなった以上は、とことん大事にしてやるんです。きっと、かつてないほど盛り上がる大会になりますよ」
「それは願ったり叶ったりだが」
観客を楽しませれば楽しませるほど、主催の王家への人気が高まる。この大会は民の娯楽。ゆえに大将軍殿も、この書類に記された案を採用してくれたのだ。
「リディルの気持ちを聞かずに動いていいのかい?」
改めて問いかけるレナード宰相の眼差しは穏やかで、私を責めてはない。責めてくれても構わなかったが。
「今回の私は悪役ですから」
「恨まれても平気だと?」
「覚悟の上です。捨て身にならなきゃいけない時もあるでしょう? ご協力、お願いしますね」
もとはといえば、私たちを見出し連れて来たのはあなた。その意味を暗に込める。
「性質が悪いねえ」
確かに悪役だ、と宰相はぼやいていた。
**
「――というわけで、ギート! やっと君の出番だ!」
「・・・いや、別に待ってもいねえんだが」
寝癖が直ってない頭を掻きつつ、ギートはなんとも覇気がない。
ここは軍部にある兵舎の一室。王宮警備の交代待ちの兵士が詰めている場所だ。作戦遂行のため、早朝訓練が終わった頃を見計らい、訪ねてみたら、十数人が薄い布団を床に並べて寝起きしている相部屋の隅でギートが休んでいたので押しかけ、事情を説明した。なお、この話はたまたま場に居合わせた数名の他の兵士たちにも聞こえ、かすかな苦笑が漏れている。
周りには構わず、私は軍部に行ってもらってきた名簿をめくった。
「君も大会出るんでしょ? いつの間にか魔剣を使える身分になってたんだねー」
「俺だって地道に昇進してんだよ」
ギートはあぐらをかいた上に肘をつき、あくびしながら言った。そして眠たそうな目で、おもむろにこちらを指す。
「それよか、その変な格好なんだ」
「作業着だけど?」
ツナギに魔法使いのローブを羽織っている姿に何か文句があるか。そういう気持ちを込めて返すと、なぜかギートは肩を落とす。
「もう少し色気のある服着て来いよ・・・」
「男所帯に色気なんか出して来ないよ。職場で作業しやすい格好して何が悪い」
「にしても、他にあるだろ。前はスカートとか穿いてたろ」
「この服が便利なの。今、私の格好は関係ないでしょ。話聞いてた?」
「三下の悪役をやれってことだろ」
ギートは投げやりに言う。おおよその趣旨は理解してくれているようだ。
「いやいや、悪漢から美女を守る正義の役だよ」
「正義を名乗れるやり口じゃねえだろ。それで万が一にも俺が優勝したら気まず過ぎるぞ」
「そこまで強力な魔剣は作らないよ。あくまでも自力で戦うつもりのあの人が勝てないように、ちょこっと君の魔剣をいじらせてほしいだけ」
彼に求めたことは一つ。将軍に対する刺客となってくれること。
大会当日にランダムに選手に配られる魔剣だが、特定の人に意図的に渡したいものを渡すことは魔技師に可能である。だからこそオーウェン将軍は私に発動しない魔剣を発注したわけで。
また、大将軍の協力を得ていれば、トーナメントでオーウェン将軍にどの選手をぶつけるかも操作可能である。
「具体的には、魔剣に新しい機能を付けようと思うんだ。実際に使う人の意見も聞かせてよ。将軍の弱点とかも、もし知ってたら参考までに教えて」
「そんなん俺に訊かれても」
「だったらラウルがいいんじゃねえか?」
と、急に会話に割って入られた。横を見やれば大柄な男性がこちらに向かって来ている。
「あ、カルロさん。おはようございます。お邪魔してます」
ギートの義兄であるところのカルロさんは、にかっと愛想よく笑った。
「よぉエメ嬢。少し会わない間にますます美人になってくれて嬉しいぜ」
「それはどうも」
カルロさんは首にタオルをかけ、前髪が少し濡れてる。顔でも洗ってきたのだろうか。
「来んなよ」
ぼそっと言った義弟を無視し、彼は私たちの間に腰を下ろす。
「話が聞こえちまったんだが、口挟んでもいいかい?」
「どうぞ。なんですか?」
「ラウルっていう俺の兄貴が、将軍の側近をやってるって話だ」
「そうなんですか?」
そういえば、アクロイド家は三兄弟だったっけ。将軍の側近というと、おそらくかなり出世してるほうだろうと思う。側近ならあるいは、父親が知らないようなことも知っている可能性はあるが。
「ラウルは無理だろ」
すかさず、ギートが反論した。
「あのクソ真面目が、自分の主を裏切るようなマネするか?」
「あ~、そういう人なんだ?」
側近という言葉を聞いて、私の頭に浮かぶイメージはロックだ。もし、彼にアレクを陥れる計画を持ちかけたとしたら、問答無用で切り捨てられるだろう。ラウルさんもそれに近い人物なら協力は望めない。
一方、カルロさんはギートとはまた別の意見を述べる。
「確かにお堅い奴ではあるが、まったくシャレが通じない奴でもないぜ? あいつも男だ。エメ嬢に可愛くお願いされりゃあ、コロっと騙されるって。な?」
と、私に同意を求められて困る。
「カルロさんは私に騙されてくれるんですか?」
試しに冗談半分で訊いてみると、彼は大げさに頷いた。
「おうよ。望むところだ」
「じゃあ大会に出て将軍を倒してくれません?」
今のところ参加を表明している者の中に、カルロさんの名前はなかった。彼の見た目はグエンさんに似て屈強そうで、期待できる。刺客は多いに越したことはない。
「いいぜ。ご褒美をくれるんなら」
即答、と思ったら案の定、交換条件を出してきた。
「俺は出世にゃあんまし興味ねえからな。将軍に勝って名を上げられるってだけじゃあ、魅力に欠けるわけよ」
こっちが言おうとしたメリットを先に潰された。なかなか抜け目ない。
「じゃあ、将軍を倒してくれたら何かお礼を用意します」
面倒くさいけど、という本音は心の中だけで呟く。するとカルロさんが眼前で手を振ってきた。
「ああいや、わざわざ用意してもらうもんでもねえよ。戦いに勝った男に美女がくれる褒美と言えば決まってんだろ? 祝福のキスだ」
カルロさんはにやにやしながら、自分の口を指す。それで私はうっかり言ってしまった。
「そんなことでいいんですか?」
「なっ・・・」
「お、さすがはエメ嬢」
キス一つで戦ってくれるとは、安い人だと思う。とはいえ個人的には、特に好きでもない相手にキスなんかはできればしたくない。いくら知り合いでも口はきついわ。
しかし、すでにカルロさんは喜び手を叩き、そんな兄をギートがひどい剣幕で睨んでいる。
このままでは完全に承知したものとされてしまう。早く話の軌道を変えなければ。
「でもカルロさん、お礼が私なんかのキスで本当にいいんですか? 王都にはもっと素敵な美女がたくさんいるのに」
「へ?」
「よければご紹介しますが」
カルロさんは単なる女好きだろう。事実、これだけですでに興味を惹かれ、軽く身を乗り出してきていた。
「私は平民から貴族に至るまで知り合いが多いですよ。どうでしょうか。大会に出場してくれたら、王都の美女たちにカルロさんを紹介しますよ」
「ほんとか!? いいっ、それがいいっ、乗った!」
あっという間に快諾。ちょろいぜ。
「ついでにラウルさんから将軍の情報をそれとなく聞き出してもらえませんか?」
さりげなく協力内容を追加してみる。より多くの情報を考慮に入れて、作戦を練りたいのだ。
「――話は聞かせてもらった」
ところが、そんな小さな企みは脆く崩れ去る。
声が聞こえたほうを見やると、全開だった窓を跨ぎ、中に乗り込んでくる男性がいた。マントを羽織り、腰に剣を差している。周りの注目を物ともせず、二歩も歩かないうちに私たちのもとにたどり着いた。
私の背後に立ち、感情のない鋭い目つきでかなり高いところから見下ろしてくる。
「なんでお前がここに?」
カルロさんが心底驚いたように問う。その動揺ぶりと口ぶりから、もしかしてこの人がラウルさんなのではと察する。愛想の良い弟とは違い、硬い表情でぴりっとした空気をまとっている人だった。ギートがそっと腕を掴んできて、私はそちらに引き寄せられる。
なに、やばいの? これ。
「私はアクロイド家長兄、ラウル・アクロイドと申す」
引き結んでいた口を開き、わりあい静かな声でラウルさんが名乗り上げた。カルロさんやギートのような粗野な喋り方ではなく、貴人の傍に常にいる人らしいものだった。
「弟が説明していた通り、ソニエール西将軍の側近を務めている」
「・・・どうも、はじめまして。私は魔技師のエメと申します。ご家族にはお世話になってます」
「こちらこそ」
・・・なんだろう、これ。ぴりっとした空気はそのままなので、普通の挨拶が変な感じする。
「エメ殿、ソニエール西将軍が貴殿を探されている」
他は微動だにさせず、ラウルさんは口だけを動かし喋ってる。まるでそういう人形みたいだ。
オーウェン将軍が私を探しているわけは、きっと大会についてのことだろう。どのタイミングで発動しない魔剣を受け渡すかなど、細かいところをまだ確認してなかったから。
「今朝、将軍が貴殿に会うため魔技師の工房にお出かけになった。その直後に、私は軍部で貴殿の姿を見かけ、後をつけていたのだが」
「なんで後をつけたんですか?」
ちょっと突っ込まずにはいられなかった。なぜ見つけてすぐに声をかけてくれない。将軍と私が入れ違いになったってことだろうに。
「貴殿の行動が不審だったためだ」
ラウルさんは淡々と語る。
「詰め所に入っていく貴殿に疑問を持った。よって身を隠し、話を盗み聞いていた」
兵士の詰め所は平屋だから、おそらくは地面にしゃがみ込むかして窓の下に隠れていたのだろう。にしても、詰め所に入ったのが私だとよくわかったもんだ。初対面なのに。誰かに私の特徴を聞いていたのか、すでにどこかで見かけたことがあったのか。
「なぜ将軍が魔技師のもとへ行かれたのかも疑問だったが、すべて合点がいった。将軍はリディル殿を娶るため御自らに枷を嵌めて闘技大会に挑み、貴殿は将軍の勝利を阻もうと裏で画策しているわけだな?」
どうやら、彼の主からは何も事情を聞かされていなかったらしい。いつの間にか、ラウルさんの右手が腰に差した剣の柄に触れていた。
「ラウル、落ちつけよ」
兄をなだめつつ、ギートは片方の膝を立て、いつでも動ける態勢になっている。
「闘技大会は祭りだろ? 別に命がけの話でもねえんだから、そうムキになるなって」
「話を聞く限り、将軍は本気であらせられる」
ラウルさんの目線は私から逸れていない。
「本気の戦いには命以上のものがかかっている。それを軽んじ、横槍を入れる行いは、たとえ相手が大将軍であったとしても見過ごせん。エメ殿、貴殿に真意を問う」
鋭くこちらに切り込んでくるような口調だ。場合によっては、本当に切り込んでくる気なのかもしれない。
この距離じゃどうせ逃げられない。私は立ち上がり、彼の前で胸を張った。
「私は、本気じゃなくて覚悟もない者を全力で妨害します。そして」
決意を込めて、言い放つ。
「本気の覚悟を持って向かって来る者は、全力で粉砕します」
「どうあっても嫁にやらねえ気か」
呆れ気味に突っ込んできたのはギート。そっちは無視。
「立ちはだかる困難をすべて捻じ伏せてこそ、示せるのが強さであり、覚悟なのではありませんか」
見極めるほうも見極められるほうも全力で挑む。片方だけでは意味がないのだ。
剣の柄に触れたまま、ラウルさんが口を開く。
「・・・手段を選ばず、全力で阻み、試す。つまりはそれが貴殿の覚悟だと」
かっ、といきなり両目が大きく見開かれた。
「その意気や良しっ!!」
突然、大声を出され普通にびっくりした。体が固まっている間に、ラウルさんが両目を限りなく見開いたままの恐ろしい笑顔で迫ってくる。
「譲れぬものをかけた勝負に策を尽くすは必定! さらに、この戦いでは将軍ご自身が枷を嵌めることを望まれているっ。難敵を乗り越え得られる勝利にこそ価値があるとお思いなのだろうっ。ならば、我らはあの方のために難敵とならねばなるまい!」
まるで彼こそ悪の親玉のような迫力で、いまいちわけのわからない理屈をまくし立てている。
「・・・えーっと?」
困ってギートらに目線で説明を求めた。苦笑している弟たちは、同時にどこか安堵しているようでもあった。
「喜べ、エメ嬢。ラウルが協力してくれるそうだ」
「弟の言う通りだエメ殿。私も闘技大会に出場しよう」
「えっ? そこまで協力してくれるテンションになったんですか? さっきの今で?」
「私なら将軍が得意とする戦い方も弱点となりそうなこともわかる。常日頃から、私が最も近くでかのお人にお仕えしているのだからな」
めっちゃ、やる気だ。一体どういう気持ちがその笑顔の根底にあるのだろう。
「でも、ラウルさんはオーウェン将軍が直属の上司なんですよね? 後々困りません?」
「私はかのお人の武人としての矜持に感服した。よって日頃の尊崇の念も込め、本気で刃を交えるのだ。どこに問題があるか」
やっぱり言ってることがよくわからないのだが、こんなに堂々と「なにか?」な態度を取られると、理解できてないこっちがおかしいような気がしてくる不思議。
「・・・ねえギート、確か一番上のお兄さんはまともだって前に言ってなかった?」
「んじゃ訂正する。クソ真面目だが、まともな奴ではねえ」
それは、たぶん、ある種のとても怖いタイプの人だ。
難敵を望む主のため、自らが最大の敵となろうとする忠義心は、どこか屈折していやしないだろうか。味方になってくれることは、単純に心強いけども。
「えっと、では、よろしくお願いします」
こうして、若干の不安要素を含むものの、戦いの駒は着実にそろってきた。
本番まであともう少し、準備を整え、勝負に挑もう。




