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今朝はいつもよりずっと早く支度し、モモを起こして家を出た。
連日出かけてあまり仕事を溜めるのはよくないので、店を開ける前に用を済ませようと思ったのだ。仮に問題が生じて開店時間に間に合わなくても、ヴェルノさんに言伝しておいたので彼が開けてくれる。遅くとも店が忙しくなる前には帰れるだろう。
早朝の通りには、ぼちぼち人が出て来ている。
「どこいくんだ?」
ローブを引っ張り、案内役のはずのモモが尋ねた理由は、私が一の門へ向かっているためだ。
「私たちに付き添ってくれる人と待ち合わせしてるんだよ」
今日の護衛には家まで来てほしくなかったもので。
「ふーん」
モモはあまり興味なさげだ。まだ少し寝ぼけているのかもしれない。
うちに来てからまだ三日だが、洗濯するために私の昔の服を着せたらもう、だいぶうちの子に見えてきた。
待ち人は城門の前に立っていた。
人通りがあまりないため、相手もすぐに私たちに気づき、近づいて来る。
「お待たせして申し訳ございません」
「いや」
待ち人はオーウェン将軍。彼が私たちの護衛である。
今日はマントのかわりに、丈の長いジャケットで腰の剣を隠している。当然、鎧なんかは着ずにシャツとベストを着て、地味な深緑色のスカーフをしている。一応、兵士ぽくはない服装ではあるが。
「だれ? キゾク?」
相手の素性を知らないモモが一目で見抜き、私の後ろに隠れ小声で訊いてきた。
庶民に扮しろとまでは要求してないけどさ、普通の貴族の格好で来られると、これはこれでまた違った威圧感があるような。
「その者が案内の娘か」
将軍に視線を向けられ、モモはさらに私の後ろへ隠れた。わりと誰に対してもずけずけ物を言う子だが、接したことのないタイプの人間は怖いのだろう。
「はい、モモと申します」
「なんだか・・・似ているな?」
「実は隠し子です」
「!? だ、誰のっ、まさかっ」
「冗談です。モモ、こちらは今日、私たちに付き添ってくれるオーウェン将軍だよ。にわかには信じがたいけど、こう見えてとんでもなく偉い人だよ」
一気に顔を青くした将軍をモモに手早く紹介。話はこれくらいにして、仕事へ向かおう。
王のお膝元である王都にも、端っこにいわゆる色町、歓楽街がある。決して悪人の巣窟というわけではないが、女子供だけで来るのはあまりおすすめしない場所。
早朝とあって店は閉まっている。カラフルで美しい建物のある他の通りに比べて、この辺は建物などが全体的に薄汚れている。夜の間に飲み散らかされた店の内外を、くたびれた格好の人たちが掃除していた。
「こっち」
モモが細い小路を指して、ローブを引っ張る。付いて行く間、斜め後ろの人を窺うと、物珍しそうに辺りを見回していた。
「この辺に来るのは初めてですか?」
「・・・ああ」
軍人なら一度くらいは遊びに来たことがあるんじゃないかと思ったが。身分が高い人はこんなところに来る必要もないのかな。
「うちの姉はよく来てますよ」
何気なく言ってみると、将軍の目が飛び出した。
「どういうっ・・・」
「営業です。この辺で病気が流行ると危ないので。定期的な診察と常備薬を置くよう、リル姉がここらの店に勧めたんです」
瞬時に別の可能性を考えたらしい彼は、どっと疲れたように肩を落とした。
「エメ・・・頼むから、やめてくれないか」
「普通に話してるだけじゃないですか」
「そなたの話し方は心臓に悪いぞ・・・」
そう言ってから、ふと気づいたように将軍は尋ねてきた。
「リディルは一人でここに来るのか?」
「ええ、大概は。昼間なら特別危ない場所というわけでもないですし、もう一人いるうちの姉が、最初に睨みを利かせてくれたらしいので大丈夫ですよ」
「・・・確か、女だてらに剣を振るえる義姉だったか」
「ご存知でしたか」
「以前、リディルが話してくれた。孤児であったそなたらを拾い、育ててくれた恩人だと」
するとその時、モモが突然こちらを振り返った。
「孤児だったの?」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
モモは頷く。そういえば特に言う機会もなかったか。
「ここ」
モモが立ち止まったのは、どこかの店の裏の路地。
数人の男女が、出されたばかりのゴミを漁っていた。若い人もいたし、そうでない人もいた。
「将軍はここにいてください。何かあればお願いします」
「・・・わかった」
路地の入り口に将軍を待たせ、私は壁に寄りかかってぐったりと座っている女性の前にしゃがんだ。
「大丈夫ですか?」
おもむろに、細面が上がる。少し黄みがかった色の肌をしている。気だるそうな様子と合わせ、もしかすると肝臓を悪くしているのかもしれない。
戸惑う彼女に、モモがまず私のことを紹介する。ゴミの中を探っていた人たちもこちらを向いてくれたため、私は立って彼らに全員に魔技師の人手不足について話をした。
「――魔技師の仕事は座って魔石に魔法陣を彫ることなので、力がない方にもできます。かわりに、覚えてもらうことはたくさんありますが。修業中にも給料は出ます。住むところなども提供します。昇給もありです。どうでしょうか」
誘いかけたものの、皆、困惑していた。
「魔道具が誰にでも作れるっていうのか?」
一人の男性が尋ねてきたのに頷く。
「ええ、意外と簡単に。心配しなくても、作れるようになるまでお教えします。私があなた方に求めるのはただ一つ、勤勉であることです」
それから、再び先程の女性のほうへ目を向けた。
「あなたはまず診察してもらいましょう」
「え・・・」
「魔道具店の隣が私の自宅で薬屋なんですよ。なので健康診断もできます、やります」
「あのなっ、すっごいあやしい気がするけど、だいじょぶだぞっ」
急にモモが間に入り、まくし立てた。
「こいつはホンモノのマホー使いだし、店はまともだ。めしも食わせてくれるっ」
「ほんとに・・・?」
半信半疑から、だんだん信のほうに傾いてきている。もうひと押しか。
「屋根のあるところで眠れるの?」
「はい。住み込みでもいいですし、下宿も紹介できますよ」
「こんなの食わなくてよくなるのか・・・」
男性が手に握ったゴミを見下ろして言う。
「はい」
モモの話では、彼らはこの間まで仕事を持っていた。こんな生活はしていなかったのだ。
「がんばった分は楽しく暮らせるように、またなりますよ」
色よい返事は、間もなく得られた。
さっそく彼らの手も借りて部屋の準備を、それと、プティさんに作業着を発注しなきゃ。おそらく泣かれるだろうが。
「引きました?」
交渉後、待ち人に声をかけた。新しい従業員のことは、なんだか大張り切りのモモが先導している。
黙して見守っていた将軍は、こちらの問いかけにも黙した。
「私も小さい頃はこういう生活してました。自分ではそれを恥とは思いませんが」
リル姉が話したかどうか、わからないからこの際、はっきりこの人に伝えておく。
「ゴミは食べたし髪は売ったし、リル姉なんか私のために自分を売ろうとさえしてくれました。ぎりぎりで阻止しましたが、状況は何も変わらない。どうにかしなきゃいけないのに、どうにもできない。私は一体なんのために生まれたんだろうと思いました」
脳裏には未だ、あの夜の光景が鮮明に浮かぶ。リル姉と二人で泣いた。私は、自分が情けなくて歯がゆくて腹立だしくて。
でも、生きた。
「――これまでの自分たちの生き方すべて、人に恥じる瞬間は一瞬たりともありません。ですが、あなた方がどう感じるかは知りません」
いかがわしい親から生まれ、それにすら捨てられ、地べたを這って生きてきたのだろうと言われれば、否定する言葉は持ってない。
この時、将軍が口を開きかけたが、私は先を続けて妨害した。
「あなたの周りの人は私たちを卑しむかもしれませんね。っていうか、するんでしょう。私も魔法学校でさんざん馬鹿にされました。別にいいんです、好きにすれば。捉え方は個人の自由です。ですが、あなたも周囲に賛同するのであれば、今後一切どの場においても、リル姉を好きだとは言わないでください」
尊敬のない好意は悪質だ。だったら毛嫌いされるほうがマシ。
だが、私は人の心を読むことなどできないから、この人に協力しない一番の理由は別にある。
「私はずっと、リル姉を幸せにしたいと思って生きてきました」
強い口調で言った後には、静かに語りかける。
「今、リル姉は穏やかな日々を過ごしています。どうかその邪魔をしないでください。不幸にするなら近寄らないでください。必ず幸せにしてやるという気概がないのなら、諦めてください」
本気じゃなくて、覚悟もないなら全力で妨害する。私は最初の宣言通りに行動するのみだ。
将軍は、何かを噛みしめているように口を閉じ続け、やがて、
「・・・わかった」
はっきりと、一言だけ発した。
**
王都に夜の帳が落ちる。
昼に仕事がある人は、そろそろ休んでいる頃合いだろう。我が家では魔法の明かりのおかげで、食卓でまだ仕事ができる。私は明日からさっそく新しい職人を育成するための書類を準備し、対面ではリル姉が今日の患者の症状や、処方した薬、食べた物などについて、詳細なカルテを作成していた。
カルテの患者は私が連れて来た女性のものである。他の人は魔道具店の二階にいるが、彼女だけは薬屋の治療スペースに寝ている。今夜は様子を見るため、ジル姉と交代で起きていることにしたそうだ。
モモなどは心配して、患者の横に布団を持って行って寝ている。その女性は亡くなったモモのお母さんと同じ店で働いていた人だったらしい。
「面倒かけてごめんね」
一応、私はリル姉には謝っておいた。病人を放置するという選択肢はなかったにしても、忙しいところへ仕事を増やしてしまった後ろめたさがあったから。
「謝らなくていいの」
しかしリル姉は微笑みを浮かべて、そう言ってくれた。
「むしろ、頼ってもらえて嬉しいわ。エメって昔からなんでも一人でできちゃって、お姉ちゃん甲斐がないんだもの」
続いて不満そうに口を尖らせる。お姉ちゃん甲斐ってなんだ。つい、笑ってしまった。
「一人でできたことなんか一つもないよ。いつもリル姉が傍にいてくれたでしょ」
「そうだっけ?」
「うん。リル姉がいなかったら、きっと私は何もできなかったよ」
もし、私よりも先に生まれた人がいなかったなら、何をなす間もなく短いセカンドライフを終えていたことだろう。私にとってはリル姉が一番の恩人で、一番大事にしたいと思う。
・・・やっぱ、あのヘタレにはまかせらんないよなあ。
心の中で溜め息を吐いた時、リル姉の後ろ、店に繋がる扉が、いつの間にか少し開いているのに気づいた。
体を傾け覗き込むと、モモが隙間の向こうに見える。
「モモ? どうしたの?」
リル姉も気づき、椅子越しに振り返る。モモは中へ入って来て、眩しそうに目を細めた。
「うるさかった? ごめんね」
リル姉の尋ねには首を横に振り、視線をテーブルの上に向けた。
「・・・しごと?」
「うん。モモは早く寝な?」
促してもモモは扉の前から動かない。
「・・・おかあさん」
「え?」
「おかあさんも、夜までしごとしてた。服のシシュウ、ろうそくじゃ暗いのに」
床に目を移し、モモは話し続ける。
「・・・店主は、ねてるんだ。しごとしてるの、おかあさんたちなのに、いっぱいカネもってるのはそいつで、おかあさんたちはちょっとだけで・・・カネは生まれつきもってるやつはもってて、もってないやつはもってないモンなんだって。自分はなんもしてないくせに、きれいな服きて、うまいモン食べてるやつは世の中にたっくさんいるんだって。――だったら、それなら、そいつらからとってもいいはずだって、おもったんだ。でも」
モモは一度、下唇をぎゅっと噛んだ。
「ちがった。・・・あたしが、あたしがとったのは、いっぱいはたらいて、かせいだやつで・・・おかあさんが、もってたのとおんなじカネだったんだよな」
そしてリル姉に向き直り、深く頭を下げた。
「ごめんなさい」
声は震えて、床には滴が落ちた。
「ごめんなさい・・・」
椅子を立ったリル姉が、モモを抱き寄せる。頭をなでられながら、モモは何度も謝り続けていた。
その微笑ましい光景を眺め、私はプティさんの店に出す注文書に、一着プラスする。
これで明日からは約束通り、この子にも仕事をあげられそうだ。




