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「おもい~!」
背後から上がる抗議の声。
数歩遅れたところで、荷物を抱えたモモがよろめいている。
「買いすぎだぞ!」
「せっかくだから」
持ち手がいるのを幸い、市場で食材を買い込んだ。相手はすばしっこいスリではあるが、麻袋いっぱいに詰まったイモを盗む気にはならないだろう。逆にそれを抱えて逃げることができたら感心する。
「子どもに持たせて、かわいそうだろ!」
歩幅を狭め、横に並ぶと非難された。こう言われて同情できる人が果たしているんだろうか。なんにせよ、私も食材とツナギをまとめて詰めた紙袋を抱えているから助けられない。
「働いた後にはいいことあるよ」
「いいことって? なんかあやしいぞ」
「失礼な」
やがて、我が家が見えてきた。
薬屋の定休日、買い物は私がしてくるからいいよと姉たちに言って出て来たため、特に出かける用事がなければ二人ともうちにいるはず。まずモモの説明をしてーと頭の中で考えながらドアを開けると、思わぬ顔が迎えてくれた。
「おぅ」
なぜかギートが店の治療スペースにいて、歯を使い自分の腕に包帯を巻いている。鎧姿でなく帯剣もしていないが、木刀が傍に置いてある。服や顔がやけに汚れていて、口の端には血の痕。まるで喧嘩でもしたかのようである。
相手はおそらく、木刀を片手に立っているジル姉だろう。
「おかえり」
至って普通の調子のジル姉だが、私の後ろに隠れて店の中を窺ったモモが、硬直していることには気づいただろうか。身内じゃなきゃ迷わず逃げ出す光景だ。
「なにやったの?」
「手合わせだって、剣の」
カウンター奥の棚に、薬をしまっているリル姉が教えてくれた。
「うちの狭い庭で、さっきまで二人が戦ってたのよ。はらはらしちゃったわ」
「はあ」
ギートはこの間、改めて話を聞かせてもらいに来ると言っていたが、拳ならぬ剣で語り合ったのだろうか。
「で、ギートがこてんぱんにやられた感じ?」
「おう」
からかいを込めた物言いをしたにもかかわらず、意外にも本人は怒らず悔しがることさえなく、むしろ顔を輝かせていた。
「全っ然っ歯が立たなかった! 気づいたら一瞬で地面に転がされてんだっ、わっけわかんねえぞ! やっぱ最強の名はダテじゃねえ!」
ギートは興奮して唾まで飛ばす。熱いなあ。この分だと、ジル姉がダウテだということには納得できたようだ。男だろうが女だろうが、圧倒的な強さに対する憧れは消えるはずもない。
その勢いのまま、ジル姉に詰め寄っていた。
「ぜひっ、あの技を俺に教えてください!」
「そんな大層なもんじゃないが」
冷静に返しつつ、熱意ある少年に対するジル姉はどこか楽しげだ。
「とっくに引退した兵士の剣技でよければ、いくらでも持っていけ」
「っ、ありがとうございます! なら、もう一本!」
「いや、さすがに今日はやめておけ。・・・久しぶりで加減が思い出せないんだ」
ジル姉は、ばつが悪そうな顔になる。想定よりもやり過ぎちゃったのかな。ギート、ぼろぼろだもんな。
「ところで、その後ろにいるのはなんだ?」
ジル姉の視線がモモに移る。途端に、モモが麻袋を落とした。
「うそつき!」
叫んで逃げ出す子供の襟首を、咄嗟にあいていた右手で掴む。反射神経は悪くないほう。
「どうしたの急に」
「兵士につきださないってゆったのに!」
モモは暴れてなんとしても逃れようとする。
勘の良い子だ。ギートを見知っているのでなければ、今の会話から察したのだろう。
「なんなんだ? そいつ」
ギートが中から出て来ると、モモは「ひっ」と息を呑んだ。ギートが眼帯をしていないせいもあるのだろう、モモの顔は恐怖に固まっていた。
「ギート、これ持っててもらえない?」
「? おう」
荷物のほうをギートに渡し、両手でモモの腕を掴んで引き戻す。
「大丈夫、ここにいるのは元兵士と非番の兵士だよ」
「兵士じゃんか!」
「約束は守る。ほら、ここで逃げたら怪しまれるよ。おまけに顔見られちゃってる」
「う・・・」
「荷物を運んでくれたお礼もするよ。お腹空いてない? 夕飯食べていきなよ」
人間、欲には勝てないものだ。モモは迷った末に、抵抗を諦めた。
ギートがものすごく何か言いたげな視線をくれていたが、ひとまず無視してモモを中へ連れて行く。ようやく、はっきりモモの姿を確認できたリル姉は、「あっ」と短い声を上げた。
「名前はモモだって。さ、まずはリル姉に言うこと言おうか?」
促すと、モモは素早く頭を下げた。
「ごめんなさい」
素早くまた顔を上げた子の言葉の中に、本当に心が込められているのかどうか、そんなのは推し量るまでもない。リル姉が許すかどうか、そちらのほうが重要だ。
リル姉はカウンターから出て来て、身を屈めモモを覗き込んだ。
「今日は何も食べてないの?」
「え? ・・・うん」
戸惑いながらモモが頷く。
「そっか。じゃあ、お腹が空いてしょうがないでしょ? すぐに用意するわね」
そう言って微笑み、リル姉は内扉の奥へ行く。モモはぽかんとして、どうしていいかわからないみたいに突っ立っていた。
「この間の、わざわざ連れて来たのか?」
入り口に落ちていた麻袋を片手に抱え、ジル姉が小声で私に耳打ちしてきた。
「うん。受けた恩を社会に返そうかなーと思って。他にちょっと聞きたいこともあるし。いい?」
ジル姉は呆れたように鼻から息を吐いただけで、異を唱えることはなかった。
「なあおい、そいつって」
しかし、後ろの現役兵士は不審顔で突っかかってきた。
「なんでもいいじゃん」
「いいわけあるか」
「どうせ現行犯じゃなきゃ捕まえられないでしょ?」
痛いところを突いてやると、ギートは舌打ちした。
「安い同情ならやめろ」
「同情は生き物が持つ大切な感覚だよ。今回は下心もあるけどね。店が人手不足で困ってるんだ」
すると盛大な溜め息を吐かれた。さらに小言か嫌味をいくつかもらうつもりで身構えたが、ギートは私には何も言わずモモの頭に手を置いた。
「おい」
びく、一瞬震えたモモが、おそるおそるギートを見上げる。
「顔、覚えたからな。また悪さしてみろ、どこまでも追いかけてって、お前の目玉を俺とおそろいにしてやる」
「っ!!」
モモは素早く何度も頷き、頭を放されると私の後ろに隠れてしまった。不気味な義眼の思わぬ活用法である。自ら嫌われ役を買って出てくれるとは、お人好しなことだ。自然と、頬がほころんだ。
「ギートもご飯食べてってよ。リル姉の手料理にありつける貴重な機会だよっ」
「俺、あの人じゃねーから別に・・・まあ、邪魔していいなら、ありがたくいただくけどよ」
預けた荷物を受け取ろうとすると、避けられて、ギートはそのまま奥に運んでくれた。
「お前は普段料理しねえのか?」
「するよ、そりゃあ」
家事は三人で分担している。一緒に料理することも多いし、忙しくてまかせてしまった日の翌日は、一人で全員分を作ったりもする。
「じゃあ、お前もなんか作れよ。賄賂ってことにしてやる」
ギートが口の片端を上げ、冗談めかした口調で言ってきた。
モモを見逃してくれるための賄賂なら、リル姉の手料理で十分な気がするんだが・・・いや、もともと私も一緒に作るつもりではいたけども。
「はあ、わかった。何か食べたいものある?」
「うまいもん」
「了解」
すでにリル姉が竈の火をおこしてくれたところに、材料を切って調理していく。
ジル姉やギートとテーブルで待っているのが嫌だったらしいモモは、私とリル姉の後ろにかわるがわる張り付いていた。
特別な材料は何も買っていないので、いつも通りのスープや、肉を焼いてソースをかけたもの、野菜を詰めたおやき的なものなどを手早く作る。できたら客用の椅子を階段下の物置から引っ張り出し、モモに座らせ、料理を並べた。
「さあ召し上がれ」
「いいのか!? ぜんぶ!?」
「いいよ」
歓喜するモモの隣に私とリル姉も腰を下ろす。
「おいしい?」
「うん!」
リル姉の尋ねに、モモは元気よく答えた。良かった良かった。では本題に入ろうかな。
「モモ、食べながらでいいから教えてくれる?」
「あぅ?」
バターを塗ったパンに噛り付いた状態で、モモがこちらを向く。
「君の家族はどうしてるの?」
すると、途端にモモの顔色が曇り、パンから口を離してうつむいた。
「・・・もういない」
これは、予想してはいたことだ。でも聞いておかなくちゃいけなかった。
「家は?」
「追いだされた。大店がいっこまるまる、つぶれたんだ。ロトーにまよう人がたくさんでて、うちも・・・」
人が多く、店が多い王都ではこういうことが珍しくはないのだろう。
「辛いこと聞いてごめんね。でも教えて。仕事がなくて困ってる人たちがどこにいるか知ってる?」
「あたしがねぐらにしてるあたりに、何人かいるけど」
「今度連れてって。その人たち紹介してよ」
「どうする気だ?」
と、尋ねてきたのは黙って話を聞いていたジル姉である。
「魔技師にする」
「は?」
「ずっと魔道具の作り手が足りなくて困ってたんだけどさ、考えてみれば石に魔方陣を彫るのは魔法使いじゃなくたっていいことなんだよね」
私が最初に王宮の工房に勤めた時、コンラートさんは魔方陣の構成の意味などまったく理解せずに、しかしそれでも魔道具を作り上げていた。
魔方陣の意味やミトア語など知らなくて構わないのだ。図案通りの模様を石に彫り込むことさえできればいい。仕上げに魔法使いが開封の呪文を唱えて完成。こちらのほうが効率いいに決まってる。
「魔法使いを育てる環境がまだ整わないなら、先に職人を育てるっ」
世の中、手に職だ。食うに困って犯罪に手を染めさせないように、まっとうに生きていける知識と技術を周りにあげていく。
それが、前世まで含めた多くの人に、多くのものをもらって生きてきた私の務めだと思うから。
「――うまくいけば生産ライン拡大! もっともーっと儲けて店大きくして店舗増やして、いずれは王都の外に進出してやる!」
「わあ!」
この時、リル姉だけが歓声とともに拍手を送ってくれ、ジル姉は苦笑、ギートは「また無駄に大きな野望を・・・」とやはり呆れたような視線をくれていた。




