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69からどうぞ。
「・・・色々な恋があるのですね」
しみじみと言い、姫は不意に隣を見やる。
「リディルはどうですか?」
「え」
「ぜひ聞きたいわ。相手はソニエール家の嫡子なのですよね?」
以前、私に同じ質問を投げかけたオリヴィア妃は、いつの間にやら紙とペンを構えている。完全に油断していたらしいリル姉はひたすらに焦っていた。
「ふったそうですよ、この間」
なのでリル姉にかわり、私から言ってしまった。
「エメ!」
すかさずリル姉が咎めるような声で呼んできたが、どうせ吐かされちゃうってば、この二人には。
「えー! いつ告白されたのですか?」
「さ、されてません! 違うんですよっ、姫。もう、エメ!」
「いや、あれはふったのと同じだって。姫たちにも聞いてもらいなよ。絶対私の勘違いとかじゃないから」
「えー・・・?」
「ぜひ聞きたいです!」
姫に求められ、リル姉は戸惑いながら話し、そして。
「それは・・・ふってますねっ」
「ふったのですねえ」
「ふってるでしょう、はっきりと」
「少なくともあちらは、ふられたと思っていてもおかしくはないわね?」
口々に同じ見解を述べられたリル姉は、小さくうめいて、肩をすくめた。ほらね。
「やはり、身分差ですか?」
フィリア姫の尋ねに、リル姉は「えっと・・・」と歯切れが悪い。
「エールアリーまで来られたのがさすがに気持ち悪かったんだよね? っていうか私は気持ち悪かった」
「それであなた、なかなか帰りたがらなかったのねえ」
今さら理解してくれたらしいイレーナさん。メリーなどは、さっきの自分と同じ状況に置かれているリル姉を、ソファにもたれて他人事のように眺めている。
「ソニエール家が、ねえ。どうしてそこまで気に入られたわけ?」
「一目惚れらしいよ。前、本人に訊いたらそんなこと言ってた」
「い、いつ訊いたの!?」
「え? 初めて将軍に会った日」
「会ってすぐ!?」
「あなたって、どこでも誰にも遠慮しないのね。無神経と言われない?」
メリーは呆れたような反応をくれたが、気にしない。
「リディルは、そのソニエール将軍のことをまったく良く思えなかったのですか?」
「! そうではないのです! そうでは、なくて・・・」
リル姉はうつむきながら、おずおずと姫の問いに対する続きを話す。
「・・・将軍は、とてもご立派な方です。私なんかがどうこう思うこと自体、おこがましいと言いますか・・・」
「へえ、あなたたち見た目似てるのに性格真逆なのね?」
「メリーうるさい」
私にない謙虚さがリル姉にあるのは確かだけども。それはリル姉の魅力の一つで、愛すべき特徴だ。ただ、時に卑屈になるのが少し心配なところ。
「私は、あの方のお役に立てるようなものを何も持っていない身ですから・・・むしろ、ご迷惑をおかけするだけです」
「そうね。身の丈に合う相手を選ぶのは悪いことではないと思うわ」
イレーナさんはリル姉に同意を示す。
「そう? 私はあなたのほうに気持ちさえあれば、後押ししますよ」
しかしオリヴィア妃からは別の意見が出た。なんで王妃がうちの姉を後押しするというのか。たぶんこの人、単に状況を楽しんでいる。
「そ、そんな・・・」
「今、あなたが述べたことはすべて、相手があなたを断る理由でしょう? あなたの理由ではないのだもの。そちらの理由を聞かせてほしいわ」
オリヴィア妃は私よりも遠慮がない。
戸惑ってなかなか答えられないリル姉に、さらにフィリア姫が不安げに問いかけた。
「・・・想われること自体、もう迷惑ですか?」
「いえっ、そういう、わけではなくて・・・」
慌てて否定してから、リル姉は考えるような間を置いた。
「――まるで普通に接してくださって、私の話を楽しそうに聞いてくださるのは、とても不思議で、とても、嬉しかったのです」
何かを思い出すように言うリル姉の口元には、ほんの少しだけ笑みがあった。
「私にはそれだけで十分過ぎて。これ以上のことなんて、もう、何も」
リル姉は小刻みに頭を横に振る。
「・・・そうですね。わかります。私も、ただ話しているだけで幸せだったのです。それだけで、良かったのですよね・・・」
姫もまた、何かを思い出しているよう。人の話を聞いて、自分の気持ちがだんだんはっきりしてきたところだろうか。
「――では、次はいよいよエメの話を聞きましょうか?」
オリヴィア妃が素敵な笑顔を私に向ける。
「へ?」
きょとんとしてしまったところ、隣のメリーに腕を掴まれた。
「人に恥ずかしいこと散々言わせて、まさか自分が逃れられると思わないわよね?」
えー、なんかちょっと皆の期待の目が怖い。
「私は何もないですよ?」
「そんなはずないでしょう?」
イレーナさんがやけに確信を持ったふうに言い、そこへリル姉が乗っていく。
「そうですね、私はギートが怪しいと思ってます」
リル姉、さっきの仕返しですか。
「ギート?」
「姫、覚えていらっしゃいませんか? ほら、前にお祭りで会った兵士の」
「・・・あ、覚えています! 確か眼帯をしていた人ですよね!」
懐かしさにフィリア姫ははしゃいでいた。良かったねギート、覚えてもらっていて。少し忘れられてたけど。
「確かに、エメと仲が良さそうな雰囲気でしたね?」
「そうですか? ――まあ、何度か助けてもらったりして、なんだかんだ付き合いも長いので。でも、あまり会うことはありませんよ?」
「だけどエールアリーではよく一緒にいたじゃない?」
「それは護衛だったからね」
「王都に帰ってきてからも、時々エメの様子を訊かれるのよ? 体壊してないかー、とか。ちゃんと寝てるのかー、とか」
なにそれお母さん? そりゃエールアリーでは徹夜で作業とかもしていたけどさ、そんなに心配されていたとは知らなかったよ。
「昨日だって、お店に来たんでしょう?」
「散歩がてらね」
「あら、そこはエメに会いに行ったのだと解釈するところではありませんか?」
姫がなんだか楽しそう。えー、そういうもんなのかな。自分が対象になるとよくわからないものだ。
「ギート、ギートかぁ・・・」
「だめなの?」
「いやー、恋人にするならもう少し大人っぽいほうがいいかな」
ひとまず今後の成長に期待ということで。ま、ほんとに好意を持たれているのかは知らないが。
「年上が好みなわけ?」
「特別そうではないよ。あんまり離れ過ぎてても、ね」
もっとも私の場合、肉体と精神の年齢が完全に一致しているわけではないため、どちらを基準に恋愛対象を定めればいいのか自分でも判別付いていない部分がある。
ただ、年齢に関係なく、素敵だなと思うことはあるものだ。
「近いところの年上なら・・・クリフォード、は、ないわよね」
「ないね」
言い出したメリーも私も悩むことなく結論付ける。クリフはないわ。
「え、え、なぜですか?」
マティと同様に、クリフのこともフィリア姫は名前だけなら知っていた。即座に友人を否定してしまった私たちに驚いたようだが、どう説明したもんか。
「いえ、あの神経質の横にずっといたら絶対疲れるだろうなあと。友人としては楽しいんですけどね。ある程度距離があればこそ付き合えるというか」
「あれは絶対に妻の着る服にまで口を出して来るタイプの夫になりますわ。細かいと申しますか、面倒くさいと申しますか。仕事仲間としては信用の置ける相手ではありますけれど」
「だね。それと私の場合は、学生時代から対抗心を燃やされまくっているので、そういう雰囲気にまずなりませんね。私としてもクリフは競争相手という感じです。向こうもそうだと思いますよ」
「ふうん。男女でもそういう付き合い方があるのですねえ」
納得してくれたらしいフィリア姫は、一拍置いてから次を尋ねた。
「では、アレクセイはどうですか?」
そのお姉さんとお母さんを前にして、なんとも答えにくい質問だ。つい苦笑してしまった。
「アレクは、そうですね、友人の中でも特別です。あそこまで私のことを肯定してくれるのは、リル姉とアレクくらいですからね」
「まあ、そうなの?」
オリヴィア妃が楽しげな声を上げた。
「私は大歓迎ですよ」
「ノリ軽すぎません?」
「だって、そのほうがおもしろいではありませんか。あなたなら王宮の中を愉快に掻き回してくれそうですもの」
「ご期待は嬉しいのですが、すでにけっこう掻き回している自覚があるので自重します」
冗談はこのくらいにしておいて。
「アレクを恋人に、と考えたことはありませんよ」
「なぜですか?」
先ほどと同じように、フィリア姫が問う。
「うーん、私はたぶん、ちゃんと恋をしたことがないんだと思います。どうも、そういう方面には頭が動きにくくて」
前の人生では恋人がいたこともあるが、誰かを強く想うようなことはなかった。勉強や仕事などで、いつも他にやりたいことがたくさんあって、折り合いが付かなくなればごめんなさい、とまったく未練なく別れられるくらいには、我ながら薄情だったと思う。
もちろん、人それぞれで私には私のやり方がある。でもメリーとか、イレーナさんとかオーウェン将軍とか、そういう人たちを見ていると、私はやっぱりまだ恋を知らない人間なのかなと思えてしまう。
だからリル姉にも、あんまり偉そうなことを言えないんだよね、本当は。
「――では、アレクセイのほうにそういう気持ちが確かにあるとしたら、エメはどうしますか?」
フィリア姫から仮定の質問。でもそれって、あんまり意味がない。
「本人の口から聞いた時に考えます」
結局のところ、相手が自分をどう思っているかは悩むだけ無駄な話。人の心なんて家族どうしでもわからないし、まして未来の自分の心がどうなるかなど予測の立てようがない。今は今の気持ちに従って、未来は臨機応変に生きていけばいいと思ってる。何も恐れることはない。
「お母様は、恋をしたことがございますか?」
最後に、フィリア姫は自身の母に問いかけた。
「ええ。お父様がさせてくださいましたよ」
ティルニ王国から同盟のために嫁いできたオリヴィア妃は、満足げな微笑みを浮かべている。
「あなたのお父様は、昔から優しいお方よ。王として厳格にあらねばならなくとも、夫として、父として、私たちを精一杯愛してくださっているわ。時に失敗してしまうこともありますけどね?」
「・・・」
うつむいてしまうフィリア姫に、オリヴィア妃は語りかける。
「私は恋を知らないうちに嫁いだけれど、ここでお父様に巡り会えました。――フィリア、私もあなたも生まれた時から王宮の中だけで過ごし、出会える人は限られていますね。ですから、この狭い世界の中で、強く心惹かれる人を見つけられたことは、何より幸福なことだと私は思うのです」
そして母は穏やかに娘に問いかけた。
「滅多にない奇跡なのですよ。なのにあなたは一体何を恐れて、自ら閉じこもっているのかしら?」
その時弾かれたように、フィリア姫が顔を上げた。
「悔いのないよう行動なさい。町娘も王女も、人生は一度きりよ?」
どうや覚悟を決めたらしい、姫は胸の前でぎゅっと自分の手を握った。
「――ダウテに、会いに行きます。会ってきちんと、話をします」
※お知らせ
転生不幸1巻が電子書籍で配信されることとなりました。
配信日は11月12日頃です。




