69
春の日差しを受ける後宮の庭。冬に耐えた花々が咲き誇り、芝の緑と共にのどかな景色を成している。
二階にあるフィリア姫の部屋の窓が面しているのは、そんな場所。空間が開け、人払いされたここは、なにかと好都合。
気持ちのいい空の下、準備が完了した私は、隣に立つ彼女にお願いした。
「よろしくメリー」
「どうして私なのよ」
ぶつぶつ文句を言いつつメリーは開封の呪文を唱え、五、六メートル離れたところの低空に水塊を出現させた。大体、浴槽一杯分といったところかな。
「これくらいでいいわけ?」
「いいよ。ありがと」
「何をするんだ?」
背後から、アレクが不思議そうに聞いてくる。ざっくりとした作戦は説明したものの、詳細は話してないからね。
私は一人、にやりと笑う。
「姫が思わず飛び出て来るような実験をするの。すごく危ないから下がってて。皆さん、耳を塞いでてくださーい!」
他のギャラリーにも呼びかける。
リル姉、アレクは即座に両手で耳を押さえ、他の人たちも戸惑いながら言う通りにしてくれた。
「では、始めます!」
大声で宣言し、メリーが作ってくれた水塊に近づいて、私はポケットから小瓶を取り出す。中に入っているのは油に浸かった銀色の欠片。ピンセットでつまんだそれを水に放り込み、素早く走って逃げた。
最初の位置まで戻って、水塊を振り返ると白煙が立ちのぼっている。
その数秒後。
ばぁん、と鼓膜を割る爆音。同時に高く高く水柱が噴き上がった。
「!? きゃああっ!?」
「あ、ははははっ!?」
メリーや背後が悲鳴を上げる傍らで、私は咄嗟に笑ってしまった。これすごい!!
爆発で水が少々辺りに飛び散ってしまったが、それでも大部分はまだメリーの制御下にあり、落ちた水柱はどこかへ行かずに、元の位置に戻った。
「何をする!?」
ロックが乱暴に肩を掴んでくる。まだ私は笑みが収まらない。
「いや、魔法で金属を精製できるようになったもんだから、いっぺんナトリウム取り出して水に放り込む実験やってみたかったんだよね。これ危な過ぎてなかなかその辺でできないからさ」
「なおさら王宮でやるなっっ!!」
力いっぱい怒られた。ごめんなさい。でも楽しかった。
ルクスさんと開発した、水中に含まれる特定の元素の形態を変化させ固体として取り出せる魔法陣を転用し、海水からナトリウム金属を作ってみたのだ。この種の金属の水との反応性の高さは、前世の現代ではよく知られるところだったが、なかなか危ないので実際にやってみたことはなく、興味があった。
魔法で科学実験というのも、おもしろいかなあと思って。
「ちょっと、この水どうすればいいのよ?」
まだ爆発するとでも思っているのか、メリーがびくびくしながら訊いてきたので、私はあらかじめ壁際に用意しておいた大きな水瓶を指す。
「あそこに入れといて。後で私がちゃんと処理しておくから」
反応後の水は全部、水酸化ナトリウムの溶液になっている。適当に捨ててはだめ。今度、別の実験に使おう。
さて、天まで響き渡る爆音によって、関係ない近衛兵たちが庭に集まってきている。そちらの対応は場にいるオリヴィア妃やアレクにお願いし、私は二階の窓を見上げた。
実験終了から間を置かずして、窓は突如内側から勢いよく開く。
現れたのは、日のもとで輝く金髪を、振り乱した美しい姫。
少しやつれているかな。反対にこちらは元気いっぱい、驚いている彼女へ大きく両手を振った。
「姫ー! 遊びに来ましたよー!」
続いて、リル姉がバスケットを掲げる。
「お菓子など色々持って来てみました! ハーブティーや葡萄酒もありますよ! 一緒にいただきましょう!」
食べ物飲み物用意して、女友達で集まる。つまりは、
「女子会、やりましょー!」
**
小さなテーブルの上で、ポットのお湯をこぽこぽ沸かす。火の元は、炎を出さない魔石の小型コンロ。私の向かいのソファに座っているフィリア姫は、それを興味津々に眺めていた。
姫の格好は、コルセットなどのないゆったりした部屋着のドレスで、髪も結わずに下ろしている。
テーブルには、他に下町で買ったお菓子や、胃が弱っているであろうフィリア姫のために作って来たおかゆが器に入って置いてある。
「どうぞ姫」
黄金色のハーブティーをカップに注いで渡す。姫はゆっくり口を付け、ほっと息をついた。
「おいしいわ」
「それはよかった」
「少し蜂蜜を入れてもおいしいですよ?」
姫の隣に座っているリル姉が瓶から蜂蜜をスプーンで掬い、差し出された姫のカップに一杯分入れた。それを飲んでまた姫は「おいしい」と微笑む。
「こちらも美味よ」
続いて、グラスから葡萄酒を飲むオリヴィア妃が感想をくれた。
もともとフィリア姫のお部屋にあったものとは別に運び込んだ小さな丸テーブルには、私が前に出張で買って来て家に寝かせておいた葡萄酒の瓶がある。王妃はその前の華奢な椅子に座って、向かいの席にいる同じくグラスを持っている人へ「ねえ?」と同意を求めた。
「ええ。甘味があって、口当たりが良いですね」
とても優雅な態度で返すのは、研究所所長秘書のイレーナさん。
うん、連れて行けそうな同性の知り合い片っ端から連れて来てみた。賑やかにしたかったのと、今までずっと狭い場所に閉じこもっていた姫に、なるべく色んな人と話してほしかったから。これは良い機会だと思ったのだ。なお私が座る同じ横長のソファにも、メリーが恐縮しながらいる。
二人とも話を持って行った時は同じように戸惑っていたが、自己紹介を終えるとイレーナさんはすでに腹を括ったかのように楽しんで、メリーはまだ緊張しているみたい。
「女どうしで集まって、食べたり飲んだりするのが『女子会』なんですの?」
一通り口にしてから、フィリア姫が私に尋ねた。
「はい。飲んで食べて文句言って日頃の鬱憤を発散する会です」
「単なるくだけたお茶会じゃないの」
メリーがぼそりと小声で呟く。間違ってはいない。
「今日は立場も礼儀も関係なく、言いたい放題言って、溜まってるもの吐き出しましょうって会なんですっ。姫も存分にどうぞ」
するとフィリア姫は眉根を下げて微笑んだ。
「・・・心配をかけてごめんなさいね。私も、このままではいけないと、わかってはいるのですけれど」
お喋り好きな姫には珍しく、歯切れが悪い。
「無理しなくていいですよ。姫の困る気持ちわかります。ね、メリー」
隣へ話を振ると、メリーはカップから口を離して素早くこちらを見た。
「姫、道は一つとは限りません。このメリーなんかは逃げましたから」
「? 逃げた、とは?」
姫に見つめられて、メリーは気まずそうにカップを置く。
「魔法学校に入る前の話なのですけれど、結婚の話をされたことがございまして・・・」
「で、相手がマティじゃなかったから、学校に逃げたんだよね?」
「そういうわけじゃない!!」
すかさずメリーが怒鳴った。いやでも、話を聞いていくと絶対そうとしか思えなくなるんだよ。
するとフィリア姫が「あら?」と何かに気づいたように首を傾げた。
「マティとは、聞き覚えのある名前ですね。アレクセイの学校のお友達だったかしら」
「はい、そうですよ」
「違いますからね、姫!」
「? どちらなのです?」
私が肯定した直後にメリーが否定したのでわけのわからない会話になった。メリーは一度咳払いして言い直す。
「マティ――マティアスは、私のいとこなのです。結婚を断ったこととは関係ございません。もともと魔法について学びたいと思っておりましたし、相手は私より六つも年上だと聞きましたし、全然顔も知らない相手でしたし、そもそも結婚なんてまだしたくありませんでしたし、そうしたら、ちょうどマティアスも魔法学校に行きたがっていて」
「で、ぐずぐずしてるのを引っ張って、王都に受験しに来たそうですよ」
言い訳の多いメリーにかわって、結論を述べてしまう。
「それで、結婚はなくなりましたの?」
フィリア姫はメリーのほうへ身を乗り出して尋ねた。
「ええ、相手は地方貴族でしたので。私が魔法使いになれなければ、おそらく、進められていたのでしょうが」
メリーは話が具体的になる前に動いたおかげで、事なきを得たわけだ。行動力があるというか、せっかちというか。なんにせよ、結果的には素晴らしい魔法使いが世に現れた。
「魔法学校に入ることを反対されはしなかったのですか?」
「されましたわ。けれど、試験だけでも受けさせてほしいと、父が折れるまで何度も願いました。それから勉強して、勉強して・・・人生で一番辛い時期でしたわ」
メリーの表情が憂鬱に曇る。受験までは地獄の日々だったのだろうか。彼女は勉強があまり好きではないからなあ。学校でも苦労してたっけ。
苦い思い出に浸る様子がフィリア姫には愉快に映ったらしく、笑みがこぼれた。
「ふふ。あなたは努力家なのですね。素晴らしいことだわ」
「いえ、そのようなことは・・・」
姫のお褒めにあずかり、メリーははにかんでいた。
「魔法について学びたいと思ったのは、なぜなのですか? 何かきっかけが?」
「あ、それはマティアスが」
「あら、やはりマティアスなのですか?」
「っ!」
にこにこ笑顔のフィリア姫に指摘され、一気にメリーの顔が赤くなる。だからその反応がさあ。
しかし姫の前でずっと固まっているわけにはいかない。メリーは視線を泳がせ、顔が赤いまま説明を続ける。
「ですから、その・・・マティアスは読書が好きで、特にクレメンス・クーイー、創国時代の魔法研究者の伝記をとても気に入っていて、遊びに行くと、よくクーイーに関連する魔法の話をしてくれたのです。それで、私も興味を持ちまして・・・」
ちなみに、魔法開発・使用に関する詳細な資料は、魔法学校や王宮に保管されている。そのため、より深く魔法について学びたければ、王都に行くしかない。
魔法に興味があったのはマティも同じ。むしろメリーよりもそれが強いくらいだったろう。だがマティはああいう大人しい性格で、昔はもっと自分の考えを周りに伝えることが苦手で、魔法学校に行きたいことを、なかなか親に言い出せなかったらしい。
ただ、彼のところへよく遊びに行っていたメリーだけは知っていた。
「――マティアスは私に引っ張られないと部屋の外にも出られないほど、気が弱いのです」
メリーの話は続いている。もう顔はあまり赤くなく、夢中になって話していた。
「今は、少しは治りましたけど。その当時は、私がなんとかしなければ、一生部屋で読書するだけで終わるのではないかと思いましたわ。ですから、マティアスの両親にも私のほうから話を通して、二人で王都に参りましたの」
「そう。あなたはマティアスのために、努力したのですね」
結婚を断りたかったというのもあるが、一番の理由はそれなのだろうと思う。
姫をはじめ、全体的に微笑ましい目を向けられて、メリーは再び言葉に詰まる。が、やがて観念した。
「・・・マティアスは私が引っ張ってあげなくてはいけませんからっ」
きっぱり言った。もはやこれは認めたとみなしていいな。
「わかるわよ。世話の焼ける人ほど可愛いものよね?」
グラスを回し、大人の笑みを浮かべるのはイレーナさんだ。
「そういえば、イレーナさんに聞いてみたかったんですけど」
恋バナな流れになったところで、切り出してみる。
「ハロルド先生とはどういう関係なんですか?」
「そんなことに興味があるの?」
「あの人の弱みを知るのは私にとって悪くないことなので」
からかわれた時に、たまにはやり返したいからね。ところが、
「恋人のまね事をしたことはあるけれど、特別な関係ではないわ。お互いに」
安易に聞いたら不穏な空気が出て来てしまった。
「? どういうことですの?」
眉をひそめる姫にイレーナさんは変わらぬ微笑みで答える。
「ハロルドと私の間にあるのは同族意識のようなものです。平民の生まれながら、貴族の中で働く者としての。私の場合、同情は恋情になりません」
「はあ・・・」
「またあの男にとっても、私と関係を深めたところで、出世のためにはなんの利点もございませんので」
「イレーナさん、メリーの話との温度差がひどいです」
「あなたが望んだ話よ?」
そうだけども。期待していたものと色々違った。
「えー、じゃあ、それなら、うちのコンラートさんなんかどうですか?」
「お断りするわ」
迷いもねえ。名前出してごめん、先輩。
「ならば、テオボルト殿はどうかしら?」
ここで、まさかのオリヴィア妃が口を開く。所長の名前を出されたイレーナさんはほんの一瞬、笑みを消した。
「・・・どうも何も」
笑みを戻し、イレーナさんは片手を胸に当てる。
「生涯、お仕えするつもりでおりますわ」
まったく迷いなく、断言した。
「それは従者として?」
「無論のことです。そのために、私は己を磨いて参りました。これが、あの方のお傍にいられる唯一の道ですので」
あまりにはっきり言うものだから、尋ねずにはいられない。
「イレーナさんは、どうして所長のもとに?」
彼女の経歴は研究所の誰もよくは知らない。所長の家で使用人をしていたとだけしか。
「・・・昔、祖母の本を取り返してくださったことがあったのよ。私の祖先、ブルクムントの故郷の言葉で書かれた絵本をね」
イレーナ・ブルクムント。
多くの民族が寄り集まってできたトラウィス王国では、貴族ではない人でも、かつて祖先が住み暮らしていた土地の名前を苗字として名乗る人たちがいる。
だが他に彼らが持っていた言葉や文化は、共通のものにほとんど塗り替えられている。王の下で一つになるための民族淘汰。皆で生きていくために、多くの人が了承した。でも、残しておきたがった人もきっといたのだろう。そしてそれを許さない人も、いたはずだ。
「戦時中も祖母が大事に隠していたものよ。私は、本を読んだことのない同い年の子供たちに、読み聞かせてあげたくなったのね。でも熱心な人に見つかって、燃やされてしまうところだった。それを通りかかったあの方が止めてくださったの」
彼女の生まれはレインの所領だったらしい。その出来事がきっかけで、イレーナさんはテオボルト所長と知り合って、恩返しのために仕えるようになったのだそうだ。
「レインも移民ですからねえ」
オリヴィア妃が訳知り顔で扇を仰ぐ。
テオボルト所長の、直系ではないが、先祖にあたる創国の魔法使い、エリス・レインは異民族の出身だった。戦時中に功績を挙げ、貴族となった人たちは他にもいる。だが、基本的にはもともとトラウィスの地に住んでいた血統が尊ばれる国であるため、そういう人たちは後に尊い血とやらを積極的に混ぜていったとされている。
ただし、一人だけ例外がいた。
「エリス・レインが生涯結婚をしなかったのは、特定の血筋を崇拝することを嫌ったからとも言われていますね」
「そうなのですか?」
フィリア姫が驚きの声を上げた。
淘汰への無言の抗議。そんな隠れた意図まで学校では教えてくれないが、王宮に暮らすオリヴィア妃は裏の歴史を聞くことがあったのかな。
「女嫌いだったというのも事実だそうですけどね?」
「・・・あ、そうですか」
まあ、ともかく、初代国王セーファスに勧められた貴族令嬢との結婚をエリスが断ってしまったため、かわりに彼の弟が婚姻を結び、テオボルト所長はその血に連なっている。それでも、エリスの意志はひそかに受け継がれているのかもしれない。
「レインとはそういう家ですから、あなたに可能性がないとは思いませんけれど」
オリヴィア妃は優しい眼差しをイレーナさんに注ぐ。が、イレーナさんはゆるく頭を振った。
「ありがとうございます。ですが、あの方の心は私には向きません。長い間、お仕えしていれば悟りますわ」
穏やかに微笑むばかりのイレーナさんへ、フィリア姫が問う。
「あなたは、それで良いのですか?」
「想いの遂げ方は様々ですわ、姫。己が不幸だと思わないのであれば、私は良いと思っております」
「・・・」
まっすぐなような、複雑なような女心を示されて、フィリア姫は何事かを考えるようだった。
うっかり長くなってしまったので二つに分けます。




